――予期せぬ誘い――
俺が暮らす町では、毎年七月の最終土曜日になると、盛大な夏祭りが行われる。
歩行者天国のように大通りを占領し、夕方六時から夜の十時まで、多くの露店が道の両端に並び、祭りに集まる人たちの足を止めさせる。
八時を過ぎると、大通りから三百メートル程離れた場所にある広場から数百発の花火の打ち上げも始まり、大抵それに合わせてカップルや家族連れは広場の方へと流れていくのが通例だ。
現在時刻は夕方の五時四十分。
祭りの舞台となる大通り、そのすぐ横に隣接する自然公園のベンチに腰掛け、額に滲み出てくる汗を拭いながら、俺はぼんやりと祭りの準備が整いかけた大通りを眺めていた。
法被姿で威勢のいい声を張り上げながら笑う中年の男、浴衣姿でソワソワと歩き回る女性グループ、そんな女性グループを意識してチラチラと視線を向けながらガードレールに座る男。
中高生くらいの子供たちや、小さい子の手を引きながら談笑をして歩く家族の姿も多い。
それら全てに共通しているのは、全員が浮かれた顔をしているということ。
年に一度の祭りで、天気予報では夕立の心配もないと言っていた。
これほど恵まれたコンディションはそうないだろう。
大通りとは反対側のどこかで、何やら大声で騒ぐ声が微かに聞こえてくる。
振り向いてみても、ここからではそちらの様子まで窺うことはできないが、祭りで披露する神輿の準備をしている人たちが最終調整でピリピリしているのかもしれない。
皆が皆、それぞれの思いを抱きながら、これから始まる祭りを迎えようとしているんだなと、そんなことを脳裏に浮かばせた。
先週、デートで出かけた海の写真が待ち受けになったスマホを取り出し、視線を落とす。
時刻は五時四十九分。夏祭り開始まで、残り約十分。
そろそろだろうか。
俺は再び顔を上げ、大通りへ視線を這わせていると、
「ごめん、お待たせ」
すぐ近くで、待ちわびていた声が聞こえてきた。
「やぁ。……てか、似合うじゃん、浴衣姿。それ見れただけでももう、今日ここに来た甲斐があったかも」
走ってきたのか、ふぅふぅと息を切らしながらベンチから少し離れた場所に立っていたのは、待ち合わせをしていた相手――木京和香だ。
ピンク色を基調にし、金魚が描かれた浴衣を身に着けた自分の彼女は、まるで普段とは別人のような雰囲気を醸しだし、新鮮なイメージを与えてくる。
四年前、俺の働いていた職場に中途採用されて入社してきた和香は、好き嫌いなく誰にでも朗らかに接するその優しい性格で俺を魅了し、出会って一月もせずに交際の申し込みを俺に決意させてくれた。
現在の年齢はお互いに二十六。地元はそれぞれ違うものの、同じ高卒同士というのも、親近感を湧かせる要因となった。
「何よその褒め方。でも、ありがとう。浴衣って初めて着たから、準備するのに手間取っちゃった」
はにかみながら言って、和香は俺の側まで距離を詰めてくる。
「別に慌てなくて良かったのに。走ってきたの? めっちゃ息切れてるけど」
和香の履く靴を見れば、草履を模したようなサンダルだった。
普通の靴ならともかく、それで急ぐのは大変だったろうにと思いながら心配をすると、和香はまた照れたように笑って白い歯を見せてきた。
「だって、早く徹に会いたかったから」
「……そっか」
ストレートにそんなことを言われては、どうリアクションを返せば良いのかわからなくなり、俺は照れ隠しで視線を前へとスライドさせる。
和香と違い、俺の服装は黒と白の混ざった柄のTシャツに丁字色のハーフパンツといった、コンビニに行くだけに着るようなラフな格好だった。
「少しだけ早いけど、もう店とか見て回ろうか?」
前を向いたまま俺が声をかけると、和香は「ん……」とどこか歯切れの悪い呻きを漏らして、俺と同じように大通りに視線を向けた。
チラリとその横顔を窺えば、どこか躊躇いを含んでいる様子が伝わってくる。
いつもは自然に伸ばしている黒髪を、今は団子状にして束ねているのを視界の端で眺めながら返事を待っていると、やがて和香は持ってきていた白のポーチから何やら長方形の紙を取り出してきた。
「あのね……お祭りももちろん楽しみなんだけど、あたしちょっとこれに参加してみたくて」
「ん? 何?」
取り出した紙を俺に差し出し、和香はこちらの顔色を窺うような上目遣いで見つめてくる。
それを受け取り書かれている文字を確かめた俺は、つい眉間に皺を寄せてしまった。
【怪談座談会】
そう文字が印刷されたその紙は、どうやらオカルト系イベントのチケットであるらしい。
日時は今日の六時半から。駅の側にあるビルの四階で開催されるらしい。
「和香って、こういうの好きだったっけ?」
四年間一緒にいて、恐い話や映画などで盛り上がったことなど一度もなかったはずだ。
「珍しいな。和香がこんなイベントに興味持つなんて。有名人でもゲストに来るの?」
チケットから顔を上げ、こちらの反応を確かめるように見つめている恋人へ問うと、小さく首を横へと振ってきた。
「ううん。そういうのはないんだけど、ほら、今まで普通のデートはしてきたけどこういう特別なイベントって一緒に行ったことなかったでしょ? ライブとかさ。だから、たまには良いかなって思って。夏らしいイベントだし、普段あんまり意識してないジャンルだから、新しい発見みたいなのも、あるかもしれないし……」
ジッと見つめたままの俺の視線に、和香は言葉尻をすぼめていく。
「…………駄目、かな?」
まるで子供のおねだりみたいだなと、内心吹き出しそうになりながら、俺はわざとらしく頭を掻いた。
「駄目じゃないけど……じゃあ、夕食とかは遅くなるけどそれでも良い? このイベントが終わってからだと、たぶん露店もあんまり見て回れないだろうし、花火大会も中途半端になるかもしれない。それでも後悔しない?」
自分としては、和香といろいろ見て回りたいというのが本音だ。
だけど、できる限り和香が楽しいと思えそうなことを優先してあげたいし、怪談会という名のイベントに参加することで、二人のムードをうまく作れるかもしれないという邪な打算も僅かにだがあった。
二つの葛藤で板挟みになりながら、それでも努めて平静を装って問いかけると、和香は「それでも良いよ。このイベントに行きたい」と迷いもみせずに頷いてきた。
「そっか。それじゃあ、どうしよう。もうこのままそこに向かう? それとも、まだ少しは時間あるし適当にその辺ぶらついてから行こうか?」
「ん……早めに言った方が良いんじゃないかな。込んだりしちゃうと面倒だし」
せめて少しでも祭りの雰囲気を楽しんでから行こうかと、遠回しに提案したつもりだったが、和香は少し考えるような顔をしてからこちらの期待を空振らせる発言を返してきてくれた。
「そう……? まぁ、うん。和香がそうしたいならそれでも良いよ」
仕方なく俺は頷き、改めて手にしたチケットへ視線を落とす。
会場は、ここから歩いて十分かかるかどうかという距離だ。
急がなくとも、ゆっくり歩いていけば普通に間に合う。
「それじゃあ、取りあえず会場に向かおうか」
それだけを確かめて再び顔を和香に戻した俺は、チケットを返すついでに手を繋ごうという意思表示で左手を差し出す。
「うん、ありがとう」
今度は和香も意図を理解してくれたようで、すぐに俺の差し出した左腕へ抱きつくようにしてくっ付くと、満面の笑みをその可愛らしい顔に浮かべた。
こんな風に喜んでくれるなら、予定が変わっても別に良いか。
今夜は、楽しい思い出ができそうだ。
そんな胸躍るような気分をじんわりと味わいつつ、俺は和香と並び多くの人たちの賑やかな声を撒き散らす公園を後にし歩きだした。