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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ベラルーシのアレクセイヴェリコフスキー

 イエスキリストとバイバイしてから五分後のことであった。お空が急に暗くなって、垂れこめた雲が稲光を孕んだかと思うと、ゴロゴロぴしゃーんの恐ろしい音で、そのあたりは一杯になった。ぼくは思わず目をつむった。ぎゅってね☆

 で、目をあけたときそこにいたのは、豚か牛のような、あるいは背むしのホームレスであろうか、いずれにしても不快な風体の汚らしい小男だった。が、一見して人間ではない。というのも、そいつの肩には腕がなく、よく見ると足もないのだった。そのかわりに、体の向こう側にコウモリの羽が広げられていて、ときおりバサバサやる。その羽というのがあまりにも粗末で、穴が開いたりゴミクズやウジみたいなものがこびりついていて、折に触れてあたりへ飛び散る。その一片がぼくの頬にへばりついた。

 ぼくはたちまち吐き気を催した。やたら臭いばかりでなく、ともすればほっぺの肌の上で湿り気を示しながら蠢くのである。それは振り払ってしまうのもためらうくらいいやらしい感覚で、とうとうぼくの胃は耐えられなくなって、ゲロゲロやってしまった。

 すこし気持ちが楽になったのもつかのま、ぼくは驚きにたえなくなった。ぼくの吐しゃ物のなかから指がにょきにょき生えてきたのである。それはやがて手の甲を見せ、手首をあらわし、まだ伸びていく。しかも一本だけでなく両腕なのだ。間違いなくあのグロテスクなやつの肩にぴったりくっついてしまうものだ。じっさい、それら二本ともどもあっちへ這いずってゆく。

 ぼくは憎しみの沸き立つままに、腕を一本ずつ、やつのいない方へ蹴飛ばしてやった。思い切りやったから一本は草陰へ消え去ったが、もう一方の蹴りようが悪くて、へんなふうにぐるぐる回り、そのくせ全然飛んで行かず、けがらわしいことにぼくの足にまとわりついてきた。ぼくは思わず悲鳴を上げて、その醜い肉の塊を踏みつけた。ほとんど発狂して靴の裏を何度も踏み落とすが、あろうことか腕はぼくの足首を握ってしまうのだった。

「ひぃぃぃ」

 というような奇声をあげて、ぼくはもう踊るようにジタバタした。そこでやつは声をあげて笑いだした。

「いひひひひひひぃひゃあ……んあっあっあっあっあ……んひひひひひひ」

「だまれ!」

 ぼくは思わず腕をひっつかんで遠くへ投げ捨てた。それから、憤然とやつへ向き直し跳びかかってやろうと拳をぐぐぐっと握り込んだ。

 が、やつときたら喉の奥をがーがー鳴らしたかと思うと、ぼくの顔めがけて痰を吐きかけてきた。ぼくは意表を突かれて、手を振り回すことしかできなかった。痰はぼくの両手にぶつかりながらも、すり抜けた細かい粒が目の中へ飛び込んできた。それは濃い粘性のなにかで、目の中でゴロゴロしながら、結膜に燃え上がる感じを与えてくる。涙が勝手にあふれてくるのに、まぶたのうちはいつまでも乾いた感じがするうえに、酷い不快感で両目ともあけられない。

 ぼくは思わず呻いていた。額の方まで熱くなるように感ぜられたからだ。それは耐えられない頭痛を急にもたらしたのである。

 そのとき、ぼくの頭をつかむものがあった。右へ左へ振り回されていた。十本の指の締め付けるような圧迫がある。脳内で頭痛の荒波が引き起こされる思いである。ぼくはこれを引きはがそうとした。

 が、できない。なぜなら、ぼくの頭に覆いかぶさるふたつの手のおぞましい十本の指は、ぼくのこめかみや頭皮や耳の中にのめり込んでもうぼくの頭蓋に到達していたのである。これを引きはがそうとするほうが、ぼくに鮮烈な苦痛をもたらした。

 途方にくれたぼくは、暗黒の視界のなかで恐れのために泣いた。深い絶望がぼくの胸のそこにわだかまり、そこから悲しみが靄のよう立ち上がってくる。からだを硬直させて、ぼくは抗うことをやめてしまった。

 イエスくん……ぼくはもうダメかもしれない……イエスくん、とぼくは心の中でつぶやいた。きみはアンパンマンのように自分のからだをパンと称して、貧しい人に食べさせていたね、前腕の太い血管を切り裂いて、お酒に憧れる小学生にワインだよと、噴き出す血液をグラスに受けたのをさしだしたよね。ああ、なつかしいイタズラのかずかずをぼくは笑ってみていたし、きみも真剣な風を装っていたけれど、こっそり聖堂のルードスクリーンにへばりついて、アイムスパイダーメーンと叫んでいたのを知ってるよ。きみはキリストの真似をした変態なのだ。そして、常軌を逸したサイコパスだ。だから、どんなことだってするに違いない。きみの雇った変態は立派に仕事をやり遂げたよ。だからもういいじゃない?

「わかった! わかった! ぼくの負けだよ! イエスくん? もうわかったから! オーケーオーケー負けたよ!」

 ぼくは叫び続けた。が、いっこうに返事がない。ぼくはかれの宿題のノートをこっそり糊付けした事件についても告白し懺悔さえしたが、返事がないのである。ふと、目の開くのに気づいた。

「おや?」

 すると、あたりはバイバイしたときの公園そのままで、ぼくはあお向けに眠っていた。そこはケヤキの下闇で、したばえは雨の粒を一杯乗せている。ぼくの服も濡れている。……すると裾の陰に、おぞましいアザの這っているのに気づいた。それはお腹から胸を通り、喉のところまでずっと血管の浮いたような痕を作っている。むろんそれは、ぼくの体に雷の落ちたことをあらわしていた。

 雷に撃たれて夢を見ていたんだ、とぼくは考えた。そして夢から覚めてみると、イエスなどという友達も、おぞましい彼の奇癖も、ぼくのイタズラなるものも、身に覚えがないのに気づいた、が、夢とは往々にしてそのようなものである。夢のなかではもっともらしいことも、覚めてしまえばそれらがありもしないことだとはっきりわかるものだ。

 ぼくはもうお家に帰ってしまうことにした。そこでひょいと膝に手を当てて立ち上がろうとしたが、そんなことは不可能なのだ。あろうことかぼくは、つい今の今まで、両腕のないことを忘れていた。そればかりか、両足が地面を踏む感触なんて十年前から途絶えている。下腿から先を失っているのがぼくなのだ。お家は紛れもなくこの場所に段ボールとビニールシートで普請したのがあるはずだが、燃えてなくなったに違いない。

 服は上も下も穴だらけであるが、襟首のところにキラッとロザリオが光った。

「いけない、いけない。これだけは失わずに済んだ」

 日が落ちる前にぼくは毎日、一里の道を這いずって聖堂へ行くのである。そこでキリストの血と肉を貰うのだ。

 聖堂の前までやってくると、向こうで神父様が手をあげている。

「遅かったね、アレクセイヴェリコフスキー」

「キリストの血と肉はあるかね」

「あるとも。それからもうひとつ」

「ほう?」

「聖なるゲロも飲んでいくといい。たっぷり指を入れておいたぞ」

 ぼくは驚愕し、目をみはった。が、神父様は微笑んで、

「シチューだよ、ソーセージを入れてある」

「ああ……」

「腕が生えるかと思ってな。ははは」

 すると、雨水をたたえた石畳のなかに、ぼくの姿がうつった。その頬はただれていて、くしけずらない頭髪がとげのように固まっている。泥だらけの肩が、その先のないために、コウモリの肩のようである。それはまるで悪魔だった。見覚えのある悪魔だな、とぼくは思った。おわり

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