53.亡国の王となる覚悟を示す
マーランド帝国皇帝が退位を表明した。その知らせに世間は驚き、さまざまな噂が広まる。退位は1年後とされ、それまでに皇太子へゆっくり権力の移譲が行われる予定だ。
ほぼ同時期に、ひっそりとオリファント国王ヘイデンの崩御が発表される。すでに傾いた小国の王の去就はさほど気にされず、王妃の思惑通り密やかに葬られた。
第一王子ナイジェルは王族の地位を剥奪され、残る王子は正妃であるパトリシアの息子フィリップのみ。まだ7歳の王子の戴冠式は神殿で厳かに執り行われ、国外からの招待客はなかった。
「僕は、じいや姉様、お母様に褒めてもらえる王でありたい」
宣誓の際に口にした言葉は神に捧げられ、残った貴族に微笑ましく受け止められた。オリファントに残った貴族は少数だが、そのうち半数は「行き場がない」者達だ。自らの意思で残った残りの貴族は、王国への恩を返すつもりだった。
王妃が起こした新たな事業で命を救われた伯爵家を筆頭に、ほとんどが下級貴族ばかりである。国の運営能力を持つ文官、軍を形成する武官さえ足りない。何もかも足りないオリファント王国で、王太后となったパトリシアが下した決断は驚くべきものだった。
「我がオリファント王国に残された領地を担保に、国を畳む費用を借り入れます。この国はフィリップの代で終らせますわ」
驚く貴族に対し、新国王フィリップも同様の判断を示した。利発な少年の瞳に浮かんだ強い覚悟に、貴族は一様に頭を下げるしかない。
「王城内にある財産はすべて国有とし、売り払って民への支援に充てましょう」
「すべて、でございますか?」
臨時で宰相職に就いたファレル伯爵の確認に、当然だと頷く。パトリシアは続けた。
「私のドレスも、最低限の枚数があればいいのです。王国が滅びる今、王族が着飾る必要はありません。生きていくために、小さな別荘がひとつ。畑を作れる庭があればよい。それ以外の財産は民に分配して、彼らの未来に役立てるのです。わかりましたね?」
「……はっ」
承知したと跪いたファレル伯爵が、悔しそうに言葉を絞り出した。
「無礼を承知で……言わせていただきたい。そこまでのお覚悟があるなら、なぜ先代を止めていただけなかったのか」
「……ナイジェルとキャサリンを、人として扱ったからですわ。夫の愚行は私の責任です」
「詮無いことを申しました」
悔しそうに唇を噛んだファレル伯爵は、ヘイゼン国王を王妃パトリシアが制していたら、こんな事態は起こらなかったと詰る。それが簡単でないことも理解していた。
現在はヘイゼン不在で、キャサリン妃やナイジェル王子がいないから動ける。彼らが邪魔をしていた中で、正妃パトリシアは役割を果たし、それ以上の成果も上げてきた。責めるのは間違っている。わかっていても……これほどの覚悟と手腕を見れば、思ってしまう。
――この方が女王であったなら、フィリップ王の後見人として辣腕を振るっていたら、現在は全く違う形であったはず。
残ってくれた貴族を労いながら送り出し、戴冠式を終えたばかりの息子を抱き寄せる。
「母の決断の遅れが、この状況を招いた。フィリップはこれを教訓になさい。迷ってはいけません。王の地位にある者は、人ではないのですから」
彼女の言う「人」とは「情け」だ。同情して憐れみ、愛情があるから人は間違う。それらを切り離して政を行う者が王であり、頂点に立つことを許された。
「……はい、王太后陛下。僕はじいに褒めてもらえる王として、この国を最後まで背負います」
この覚悟に対し、謝罪を向けるのは無礼であろう。パトリシアは微笑みを浮かべ「そうね」と相槌を打った。
戴冠式から3年後、オリファント王国は地図の上からその名を消す。領地はエインズワース公国の一部となり、また帝国の支配域を広げる一助となった。
地下牢に投げ込まれた元側妃と元第一王子の、その後の消息は誰も知らない。閉じ込めた後、誰も地下牢に訪れていない。牢番もなく、光の差し込まない沈黙の地下牢は、人々の記憶から消えていった。




