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2.訪問者

翌日、透子の高校は終業式だった。


夕方に昼過ぎには家に戻って家を掃除し、一人分の夕食をつくる。

夜になって、透子はタンスの奥から貯金通帳を引っ張り出すと、罫線の上に印字された数字を上下に追う。

多分、数日のうちには透子は慣れ親しんだ家から追い出される。

父が生前遺し、祖母が多くはない年金の中から少しずつ貯めてくれていた透子名義の貯金だ。三百万弱という数字が果たして一人暮らしをしながら高校に通える金額なのか、透子にはわからない。

そもそも、一人暮らしをしながら高校に通うことを、高校は許してくれるのだろうか。

透子が「妙なもの」視える子なのだというのがばれてからは、中学時代は仲の良かった友人たちからも距離を置かれている。

深夜まで考え込んで、資金のことは担任に相談してみようと決めて、仏壇に手を合わせてからリビングに戻り、透子は見慣れぬ人影に悲鳴をあげそうになった。

――従兄の圭一がリビングに我が物顔で座っていてビール缶を片手に濁った眼でこちらを見ていからだ。距離を取りながら、透子は従兄を問い質した。


「……圭一さん、なにか御用ですか」

「新しい保護者として、様子見だよ。祖母ちゃんは死んだし、透子は未成年だし。保護者がいるだろ?」


圭一は、市役所で働く自慢の息子だ。爽やかな外見だし学歴もある。

だが、透子は伯母の目を盗んではいやらしい目つきで絡んでくるこの従兄がどうにも好きになれなかった。


「透子ぉ、おまえこれからどうすんの?」

「圭一さんにはご迷惑かけません。……だいたい、いつの間に家に入ってきたんですか」


「いつの間にって、ここは俺の家だし、そもそも家族なんだし。可愛い顔して祖母ちゃんみたいに煩いこというなよ。母さんに働けとか言われたんだろ? ひどいよなあ。ここにいればいいよ、なんなら俺が一緒に住んでやろうかあ?」


頭を撫でられそうになって、あまりの気持ち悪さに透子はさっと身を引いた。


「おい、なんだその態度!」


二の腕を掴まれてすごまれたのを睨み返す。

これ以上何かするなら金切り声をあげて刺し違えてやる、と透子が覚悟を決めた時――


「未成年相手に何やってんだよ、クソ兄貴。信じられない」


スマートフォンのシャッター音とともに、冷たい声が割り込んできた。


「すみれ! おまえ、今……なにとった!」

「犯行現場の写真、と動画」


圭一の背後にいたのは、従姉のすみれだった。

目鼻立ちのくっきりとした美人の従姉は腕を組んだまま狼狽する兄を無視して、眉間のシワを深くしたまま、兄の臀部を蹴り上げた。


「イッテェ! 犯行って、な、なに人聞き悪いことを言ってやがる。そもそもお前、今日は旅行中じゃなかったのかよ!」

「家を開けたくなくて日帰りで帰って来たのよ。お土産ないけどごめんね、お兄様」


すみれは、今度は兄のスネを蹴った。


「痛っ! なにする」

「それはこっちの台詞。さっさとここから出ていきなよ、酔っぱらい。これ以上ここに留まるんなら、あんたの借金、ママに全部ばらすよ」

「……ばっ」

「それとも匿名で、暴行罪とかで警察呼んでやろうか? 市役所におつとめの圭一君はぁ、未成年の従妹に痴漢する姑息な性犯罪者でーす、って。なんならご近所様にいまの写真を添付して回覧板まわしてやってもいいよ。もしくはあんたの職場にいる私の友達に、おまえの悪行全部ばらして明日から出勤できなくしてあげようか? どれがいいか選んでよ、お兄ちゃん。――もしくは全部実行してあげようか?」

「こ、この……い、妹のくせに生意気なんだよ、このっ」


圭一が振り上げた拳をすみれはためらいなく手の甲で打って、更に兄の腹を素早く蹴り上げた。予期せぬ痛みに、圭一が情けない声で呻く。


「望んであんたを兄貴にしてない。今のデータ、クラウド上に保存したから。あんたが透子に何かいけん事したら、あんたの同級生全員に送り付ける。五秒数える間に出て行かなきゃ玄関先で、朝まであんたの名前を叫び続けてやる、ほら、五―――」


妹の剣幕に、圭一の酔いはすっかり醒めたらしい、

悪態をついて、母屋に戻っていった。


「す、すみれちゃん……」


へなへなと座り込んだ透子を、すみれの手が掴んで立たせた。


「ごめん、大丈夫……じゃないよね?」

「だ、大丈夫。……ちょっと揉めただけ……」

「さっきの一部始終の動画、あんたにも送っとく。あの馬鹿が何かして来たらばらすぞって脅してやりな。私も持っておくけど。お守り代わりにね」


透子は、うん、と頷いた。

すみれは、と透子は年齢が四つも離れているから、べったりと仲がいいというわけではない。

だが、透子は彼女が好きだ。

伯母家族の中で唯一離れに出入りしていたし、透子や祖母が伯母から攻撃を受けそうになると弾避けになってくれたり、逃してくれたりと気遣ってくれていた。

昨日のように、妙なものにあって困っている時も何も言わずに手を差し出してくれる。

すみれは透子をリビングの椅子に座らせると、冷蔵庫から麦茶を出して、コップに注いでくれた。透子が落ち着くのを待って、それから言葉を探してゆっくり問いかけた。


「父さんから聞いたんだけど。母さん、透子にここから出て行けって言ったんだって?」

「うん……知り合いの会社を紹介するから、高校をやめて、働いたら、どうか、って」


すみれは、そっか、と言って頭をかいた。


「祖母ちゃん、この家を透子名義するって言っていたけど、間に合わなかったんだね。で、どうすんの? 働く? ……母さんのおすすめに、いい職場とかあった?」


透子は迷ったけれど、首を振った。

社名を聞いたこともない会社ばかりだったし、やりたいと思える業務はなかった。

透子は俯いたまま、言った。


「……皆に迷惑かけるなら、一人暮らしをしたいと思う。高校卒業まではなんとか、通えないか、費用含めて明日学校に相談しに行くつもり。高校出たら……就職先を探す」


透子が、自分名義の貯蓄が少しあるんだ、と言うと、すみれは母屋の方角を見た。


「うちの母さんに、それ申告しちゃったりした?」

「ううん、まだ」

「言わない方がいいよ。なんとかして金を巻き上げようとするから。別に、うちもそこまでお金に困っているわけじゃないんだろうけど……、母さん、透子が持っているもの、全部欲しがるみたいだし」


それに、と。

すみれは淡々とした口調で付け加えた。


「透子の担任、山本先生じゃん? 山本先生、私の高三の時の担任だったんだよね、今でも結構仲良くしているんだけど、さ」


山本先生は、まだ三十前の若い男性教諭だ。

ひょろりとした長身でさわやかな人なので、男女共に人気がある。すみれと仲がいいのは初耳だった。


「う、うん」

「……今日、あんたの退学届け、母さんが提出してきた、って」


透子は驚愕で立ち上がった。


「そ、そんなの私、同意してない!」


今日は一学期の終業式で、普通に高校に行ったというのに、どうしてそんな横暴がゆるされるのだろうか。

すみれは、どうどう……と透子をなだめた。


「退学届なんて、このご時世本人の同意なしに受理できないから。預かります、で帰らせたって。母さんは手続き終わったってホクホクしているかもしれないけど」

「そんな」

「大丈夫だよ、受理されてないから……だけど」


すみれは透子の目を見ながら言った。


「あんたの味方だった祖母ちゃんはいなくなったし、私はしょせん頼りにならないし、遺産だけで一人暮らししつつ高校に行く、のは現実的には難しいと思うし……。透子、転校するつもりない?」

「え?」


すみれの思わぬ提案に、透子は間抜けな声をあげてしまった。


「ちょっと先方に連絡するから待っていて」

「て、転校? ――先方?」


すみれは、スマートフォンを取り出すと、おもむろに電話をかけはじめた。

「はい、すみれです。どうも。今は二人なのでいらしていただいても……」


数分話していたすみれは通話を終えると、透子の真向かいに座って髪をかきあげながら、言った。


「実は私、祖母ちゃんから遺言を預かっていたんだ」

「お祖母ちゃんが、すみれちゃんに遺言?」

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