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流れ星と未完のレクイエム  作者: 千秋蛍維都
6/8

Fourth

 どうしたらティムの願いは叶うんだろう。最近は、そればかり考えている。

 結局、ティムはしばらくしたらまたチェロを取り出して、何事もなかったかのように作曲を始め、当たり前だった日常はふらりと戻ってきた。

 一日三回食事をして、間にチェロを弾き、夜になったら寝る。相変わらずの毎日だ。僕は僕で、時間は無限にあることだしバスケの試合中継でも観たいのだけど、ティムはスポーツなら野球派らしく、たまにテレビがついても、オレンジ色のボールを追いかけ回す姿は映らない。

 バスケの試合は、目まぐるしく点数が加算されて、一瞬も油断できない。あの、スピードにのってバッシュが床を擦る音は心地良い。積み重ねて来た努力の全てを四十分に込めて、ゴールだけを狙ってひたすら走り続ける。ブザービートが鳴り、勝利の歓声に場内が沸く。一緒に戦ったチームのみんなをコートの中で抱きしめて、喜びや悲しみを共有する。その何もかもが好きだった。


 チェロの音をBGMに、考えごとに気を取られていたら、あっという間に時間は流れ、惑星に来るまで期間をあけすぎた。

 そして今、到着するなり老人に拾われて、机に置かれた自分に黒い影が落ちる。

「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ?」

まずい。とんでもなく怒ってる。傷の確認のために、今までにないスピードでぐるぐるとひっくり返されて、目が回りそうだ。しつこいくらいに何度も確かめられると、やっと落ち着いたようで机の上へと戻される。

「行こうとは思ってたんだよ。でもタイミングを逃しちゃって」

 大げさだなと思いつつ、さっそく修理に取り掛かった老人の強張った顔を見て少し反省する。こちらに来ない時間が長かった分、たしかに見た目はいつも以上に痛々しいはずだ。老人は手際よく傷を塞いでいった。

「ほら、これで完成だ」

 大きくヒビが入っていたところを、バシバシ叩かれる。

「ちょっと、痛いって」

「痛いわけないだろう。痛覚がないんだから」

「そうだけどさあ、気持ちの問題だよ」

「それを言うなら私の心労をいたわってくれ」

「悪かったって。心配してくれてどうもありがとう」

 はいはい、と軽くいなしながらでも言えば老人は安心したようで、やっと少し表情が和らいだ。

「それにしても便利な身体だよね。どんなにボロボロになっても元どおりだ」

「感じなくてもしっかり負担がかかってるんだから、もっと自分に注意を払ってやりなよ」

「わかったよ。もうしない」

 老人が椅子に腰かけたのを見て、早速本題に入る。

「ねえ、どうしたらティムはレクイエムを完成させられるんだと思う?」

「あんなにどうでもよさそうだったのに、前向きに検討する気になったか?」

「別にそういう訳じゃないけど」

 ジョージは、ティムが少しのあいだ作曲を辞めたことを話した。

「まあ、長く続けていればそんなこともあるだろう」

もっと驚いたりするかと思ったら、あっけらかんとした返事だった。僕にとっては大事件だったのに。

「でもさあ、なんで今さら?何かきっかけになるような事もなかったし、突然すぎるよ」

「そうだな。心配だな」

「なんでそういうことになるのさ」

「違うのか?」

「違うとは言わないけど、なんとなく、せっかくならティムの願いが叶ってすっきりしたいと思っただけだよ」

 老人がにやけた顔で「いいことだ」とつぶやく。含みを持たす言い方に、文句の一つでも言おうかと思ったところで老人が話を続けたので大人しくした。

「どうしたら完成させられるかってことだけど、結局ティムがどこかで満足しないといけないんじゃないか。音楽は永遠に改変できる。仕事じゃないから締め切りだってない。明確なゴールは、ティム以外の誰も決めることができないんだよ」

「僕は音楽の専門家じゃないけどさ、ティムのレクイエムはすでにいい曲だよ。もう何年も前から」

 そう、僕が感じるようにティムも思えたら、少しは救われるのだろうか。一人きりで長年に渡って散々磨き上げてきたチェロの旋律は、日の目を見ない愁いを纏い、これ以上ないくらい洗練されていた。

「私が思うに、レクイエム作りは素晴らしい曲を書くことが目的なのではなく、ニーナを失ったことと上手く折り合いをつけるための手段なんじゃないか。作曲し続けることが心の拠り所になっているんだ」

「心の拠り所?悲しいことを思い出すだけだろう」

「どうだろう。ニーナの死から目を逸らしたところで、感情はついていかないだろう。気が済むまで向き合って、しっかりと弔うことでしか救われないよ」

「それ、僕にできることってないよね?」

「周りはひたすら待つしかない。君みたいに、見守るしかないんだよ」

 ティムはずっと、ニーナのことを思い続けてきた。自分の人生を投げうってまでして、そばに寄り添おうとしている。心からは賛同できないけれど、ティムには必要なことだったんだと少しだけ納得できた。

 ただ、やっぱり何年もそばにいるのに、何もできないもどかしさは変わらない。

「ねえ、今更だけど、流れ星ってあまりに無力じゃない?」

「さあ。私は流れ星に願い事をしたことないからな。でも、少なくとも、ティムが願い事をしたとき、彼には流れ星()が必要だったんじゃないか?」

 〝流れ星に願い事をしたら叶う〟なんて所詮はジンクスだ。誰だって、流れ星が何の助けにもならないことに気づいている。それでも、願う人が後を絶たないのは、噂に流されてみるだけか。それとも、藁でも星でもと、承知の上で縋りついているのか。自分はどうかと振り返れば、そんなこともあった気がするけど、かなり昔のことで何もヒントは得られない。

「ティムには、ニーナの死を乗り越えてほしい」

 長い間、激しく燃やし続けた僕の願いは、他人の僕が介入できない問題で、流れ星である僕からは決して届くことのない、果てない祈りだ。

 ニーナがティムの現状を知ったら、どう思うのだろうか。

「ニーナは今、どこにいるんだろうね」

 そう言うと、老人が引き出しから分厚いノートを取り出し、素早くページをめくっていく。

「何それ?」

「流れ星の名簿だよ。ここに星が来ると、勝手に名前が追加されていくんだ。ほら、これが君のページ」

 僕の名前とこれまで担当した人数、初めてこの惑星に来た日が記されている。——僕が流れ星になった日だ。

「まさか、ニーナをティムのところに行かせる気?」

「君も知っての通り、それは無理だよ。ただ、私もニーナが今何をしているのか気になって——ああ。あった。この前白い星になったから、空に送り出していたみたいだ。二人目に担当した人間が願いを叶えたらしい」

「どんな星だった?」

「さあ。全然覚えてない。一つひとつなんて、ちゃんと把握してないよ」

「でも、僕のことは知ってたじゃないか」

「刷り込まれたんだよ。数字が変わらないまま何度も来るんだもの。直した傷の形には覚えがあるからね。個体として認識していたのは、君くらいってだけだ」

「それはそれは」

 僕らを包む宇宙は、夜の海のように深く澄み渡り、ずっと見てたら吸い込まれてしまいそうだ。そこに散らばる星は、まるで浜に流れ着くガラス片のように鋭く輝いている。

「あれのどこにニーナはいるんだろうね」

 ティムも、同じようにこの空を見上げていてほしい。ニーナはちゃんと、そこにいる。


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