プロローグ
人間と魔物が対立する世界の中心、イ・セカー大陸は混沌の闇へと沈んでいた。
数十年前、人間と魔物の力が均衡していた世界は、魔王の誕生により戦況は一変。魔を統べる魔王の統率により各大陸は一つ、また一つと魔物によって支配され、人間は無残にも蹂躙されていく。
そして、世界の中心であるイ・セカー大陸にて世界の一、二位を争う大国ラノベールは各国と協力し、腕の立つ精鋭を揃えて防衛線を張ったが、ひと月と持たず陥落。
陥落したラノベール城は禍々しい魔王城へと姿を変えられ、今も尚人々の絶望を象徴する存在となっている。
大国ラノベールが敗戦した要因は、魔王にも劣らぬ力を持つ臣下の存在だった。灼熱のガーマジン、水獣のゲッティーアーマー、雷帝のキングガイ、風神のダイダインの四人の四天王。更には魔王軍の脳と呼ばれ、最上級の階級「元帥」を持つ黒闇のザザルボッドの存在。
大国ラノベールを支配した魔王はイ・セカー大陸を中心に東西南北に「魔」を崇める神殿を建設し、四天王をそれぞれ展開させた。神殿は魔王城の結界の役割を果たしていた為、人間軍は魔王城に近づく事も出来なかった。
手も足も出せない戦況、防戦一方どころか魔王軍は更に領土は拡大し、世界の崩壊は目前まで迫っている。
――はずだった。本当につい最近までは……。
「ま、魔王様! 一大事にございます!」
禍々しい装飾に満ちた魔王城の玉座の間では、巨大な黒い翼を背に生やし、黒鳥の顔をした魔物――黒闇のザザルボッドが息を切らしながら駆け込んでくる。
ザザルボッドの赤い瞳に映るのは漆黒の鎧と黒炎の外套に身を包んだ巨躯な男。全ての魔を統べる王――魔王の姿がそこにあった。
「ザザルボッドよ、貴様が取り乱すとは何事だ?」
玉座に腰掛けていた魔王は、冷静さを欠いたザザルボッドの姿に眉を潜める。ザザルボッドは息を乱しながらも片膝を付き、深々と頭を下げながら口火を切った。
「さ、先程入った情報ですが、北の方角にございます炎の神殿に人間が攻め込んで来たとの事です!」
「ほう……驚いたものだ」
顎に手を乗せながら重圧な声でそう呟いたが、魔王の口元は微かに吊り上がっていた。まだ無謀にも立ち向かう愚か者がいたのか、と。
「だが、実に無意味だな。炎の神殿には四天王の灼熱のガーマジンがおる。奴の炎は全てを燃やし尽くす。人間の肉も、骨も、何かもだ」
無謀にも立ち向かった愚かな人間に僅かだが賞賛を送ろう。きっとその人間は既にガーマジンによって炎の海の藻屑となっただろうが。
しかし、そんな魔王の思惑はザザルボッドの次の言葉で消え去った。
「そ、そのガーマジンですが……人間によって討ち取られたとの事です」
「……は?」
思わず間の抜けた声が魔王の口から零れ落ちる。魔王にとって、人間とは何の力も持たない虫けら同然の存在と思っていた。そんな虫けらに四天王である灼熱のガーマジンがやられたとは耳を疑いたくなる。
「クク……。ハーハッハッハッハ!」
響き渡るのは魔王の禍々しき笑い声。ザザルボッドは驚きに頭を上げると、そこには愉快に笑う魔王の姿があった。
「面白い! 実に面白いぞ! 人間にまだそんな力が残っていたとはなぁ」
戦う力も、意思も、もうこの世界の人間には何一つ無いものだと思っていたが、これは愉快。実に愉快だ。
「ザザルボッドよ! 貴様ほどの者がその程度で狼狽えるではない。我ら魔王軍にとって殺しがいのある獲物が現れたのだ。我は退屈していた。ゆえに素晴らしい余興ではないか! さぁ、次は四天王の水獣のゲッティーアーマーが相手となるだろう」
東の方角に建設された水の神殿。主は四天王の知将と呼ばれる水獣のゲッティーアーマー。果たして業火を潜り抜けた人間達は知将の前にどう立ち向かうのか。
人間対ゲッティーアーマーの戦いの幕開けに魔王は邪悪な笑みを浮かべるのだった。
「あ、魔王様。話はまだ終わっていなくてですね……」
「ぬ?」
「その……水獣のゲッティーアーマーなんですが……」
実に言いにくい事なのか、ザザルボッドは口を開いては閉じて、開いては閉じてを繰り返し、やがて意を決して言葉を紡ぐ。
「ガ、ガーマジン同様に人間の手によって討ち取られ……死亡しました」
「…………」
禍々しき玉座の間に訪れた静寂。呆然と部下を見下ろす魔王と空気に耐え切れず滝のような汗を流す元帥。しばしの沈黙の後、先に沈黙を破ったのは呆然としていた魔王だった。
「……それは、まことか?」
「……はい。それどころか炎の神殿と水の神殿の配下達も全て根絶やしにされております」
「…………」
今度は魔王の笑い声が玉座の間に響く事はなかった。灼熱のガーマジンが討ち取られたのは、彼が四天王の中で一番最弱だった為、何となく笑い飛ばす事は出来た。しかし、水獣のゲッティーアーマーでは話が別だ。彼は四天王の中で三番目の実力者とはいえ、ガーマジンとは『格』が違う。人間で例えるなら子供と大人くらいの差だ。
「……まさか、他の四天王が裏切ったわけではあるまいな」
威圧的な魔王の声に、ザザルボッドは「ひっ」と短い悲鳴を上げ、深々と頭を下げる。
「め、滅相もありません! 我々は忠実なる魔王様の部下! 裏切るような真似など!」
もし水獣のゲッティーアーマーを倒せる者が存在するとしたら、それは同じ『格』を持つ存在と考えられる。それは人間ではない、魔族だ。雷帝のキングガイ、風神のダイダイン、彼らは圧倒的な実力者だが、噂では心の中に黒い野心を抱えているという。
「雷帝のキングガイと風神のダイダインを今すぐ呼ぶがいい。奴らに直接確認せねばなるまい」
「…………」
「どうした、ザザルボッドよ」
「……魔王様、それは、出来かねます」
ザザルボッドの言葉に魔王は思わず目を見開く。魔を統べる王の命令は魔族にとって絶対。逆らう事がどれ程の重罪となるか、それは側近であるザザルボッドが一番に理解している。理解は、している。
しかし、ザザルボッドの言葉は決して魔王に対する反旗ではなく、事実を事実として口にしているに過ぎない。それは彼の次の言葉で理解する。
「何故なら……キングガイも、ダイダインも……既に死んでおります」
絶句。状態異常を全て無効化する魔王だが、この時のザザルボッドの言葉は詠唱を無効化する口封じ魔法と同等のものだった。
そして、長きに渡る沈黙の後、魔王はようやく呻くような声で尋ねる。
「死んで……る、だと?」
「はい……。具体的には今から四日前、ガーマジンが死亡。三日前、ゲッティーアーマーが死亡。二日前、キングガイが死亡。昨日、ダイダインが死亡したとの事です」
「との事って……ば、馬鹿を言うなッ! たった四日で四天王が死んだと申すのか!? 一日一討伐なぞありえんだろう!」
「わ、私も初めは耳を疑いましたが、部下の証言から間違いないとの事……。そして、魔王城に情報が回って来なかったのは、あまりにも短時間で四天王が撃破された為、現場の魔物は大混乱に陥っていたと……」
圧倒的な戦況で人間軍を壊滅に追い込んだ魔王軍。防戦一方だったはずの人間軍が息を吹き返すなど、誰もが想像しなかったはず。
魔王軍の勝利を信じて疑わなかった魔物達は、四天王が一人また一人と消えていく事態に阿鼻叫喚の大混乱。
魔王には何が起きているのか、理解が追い付かなった。世界を混沌へと沈めようとした魔王は、皮肉にも彼自身の頭の中が混沌で渦巻いている。
そして、渦巻く闇の中である事実に気付き、自然と言葉が零れた。
「四天王が敗れたという事は……人間共は魔王城に向かおうとしておるのか?」
各四天王によって張られた結界は魔王城の守りの役目を果たしていた。しかし、それは昨日までの話。結界を失った魔王城は、本日より出入り自由の城と化す。
ならば、人間軍の向かう先が魔王城である事は言うまでもない。
「恐れながら、二つ程、修正させて頂きたく……。正確には人間『軍』というより、相手は……一人です」
「は……?」
「そして、魔王城に向かっているにはいるのですが……既に城内に侵入しております」
物語は始まった訳ではない。もうすぐ終わりを迎えようとしている。それを証明するかのように、ザザルボッドの報告の直後、玉座の間を閉ざす巨大な扉に横一文字の銀閃が瞬く。
崩壊する扉。瓦礫から舞い上がる白煙。その奥から現れた人影。
そして――
次回、魔王死す。




