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第5話 「おい女神、学習しろよ」

「課長を呼んで参りますので少々お待ちください」


 そう言ってジャッジが六畳半の和室から退室したのは今から十数分前の話。ちゃぶ台が置かれた和室には社畜の眼鏡と正座の女神が対峙していた。

 女神ことハピネスは実に気まずいそうに右を見たり左を見たりと落ち着かない様子で視線を泳がせている。

 対して志波はすっかりぬるくなった茶をすすりながらジャッジが戻ってくるのを待っていた。


「あの……志波様。すみませんでした……」


 静寂な空間に響いた細い声。ハピネスは膝の上に置いた両手を握りしめながら申し訳なさそうな表情で肩を落とす。一時間程前は満開に咲く桜のような笑みを浮かべていた彼女だったが、今は親に叱られる子供のように萎んでいる。


「私……異世界に行くって光栄な事だと思っていたんです。誰もが憧れるって……それを信じて疑わなかったんです」


 神という超越した存在からして見れば、下界である人間界はひどく退屈な世界に映る。特に社会人というスーツを身に纏った人間達。毎日毎日動く箱に押し込められ、いつもと同じ道を通り、いつもと同じ建物に入り、いつもと同じ端末を触り、自分と似た人間と花のない言葉を交わし、そして、いつもと同じ道で帰る。

 それが何年も何十年も繰り返される日常は神の目からして見れば、実に退屈で空虚な光景。


「だから……志波様に喜んでもらえるって思ってました……。それは、本当なんです……」


 有無を言わさず、意思も確認せず、強制的に世界を救う勇者として呼び出したのは事実だが、ハピネス自身に悪意はなかった。志波からクレームを受けるその瞬間まで勇者召喚は善意であると信じて疑わなかった。


「だから一方的だと、俺は言ってんだよ」


 咎めるような口調ではなく、事実を事実として伝える抑揚のない声音で志波は言葉を紡ぐ。


「俺は今の世界で生きる事に恥じた覚えはねぇよ。俺もそうだが、どいつもこいつも倒れようが、何だろうが、泥水をすすってでも、必死に生きてんだよ」


 きっと、神には人間が退屈な生き物に見えるのだろう。同じ事が繰り返される世界に対して理解が出来ないだろう。けど、そんな世界に人間は生きている。それは、自分が生きる為だけではない。


「自分の誇りの為に働いている奴もいれば、家族を養う為に働いている奴もいる。何かの夢の為に働いている奴もいて、誰かの為に働いている奴もいる。そんな奴らばっかの世界だ。……それをお前らは勝手な都合で壊そうとしてんだよ。分かるか?」


「…………」


 これまで神界の長い歴史の中で多くの人間が異世界へと旅立った。旅立ったのがどのような人間だったかは新米であるハピネスには分からないが、少なくともその人間には繋がりがあったはずだ。

 両親は捜索願を出したかもしれない。妻や子供がいたとしたら毎日悲痛な想いで帰ってくるのを祈っていたかもしれない。けれども待ち人は帰っては来ない。『勇者』という役目を終えるまでは。永遠と。


「……。お前、新人か?」


「え?」


 無感情な志波の瞳には驚きに目を瞬かせるハピネスが映る。質問の意図が分からない彼女は戸惑いながらも「そうですけど……」と控えめに頷くと、志波は鼻で笑う。


「ま、そうだろうな」


 分かり切った質問をした自分に対して嘆息しながら、志波はぬるい茶を口に運ぶ。正直、渋みが強く客人に出すような茶ではないが、苛立ちに帯びた熱を冷ますにはちょうど良かった。


「たく、神も人間も大して変わらねぇな」


「……? えっと、それは……」


「新人って奴は空回りばっかすんだよ。張り切ってアホする奴もいれば、受動的になり過ぎて身動き一つ出来ない馬鹿もいる。お前は前者だな」


 今の会社に就職してから丸八年。システムエンジニアという人の入れ替わりが激しい世界ゆえに志波は多くの新人を目にしてきた。極度の緊張で言葉を詰まらせる新人。手順書が無いと何も動けない新人。聞く姿勢だけは良く見せようとする新人。学生気分が抜けていない新人。

 ハピネスは『学生気分』の新人に該当する。緊張感もなく、謙虚さもなく、顔色を伺うという事をしないタイプの新人だ。


「そういう奴を俺は何人も見てきた。特に自分は有能だと思い込むアホが多かった」


 過去、高学歴で自信満々の大卒新入社員がいた。有能である事を証明したかったのか、常に正確性よりも効率性に重点を置き、他者との差を見せつけようとしていたが、それが災いして誤って顧客のデータを消してしまう事件を起こす。

 テスト処理を開発環境で実施していたつもりが、実際は本番環境で実施してしまった為、上司が取引先に頭を下げに回る事態に発展した。

 

「ミスって居た溜まれなくなって逃げる奴もいた。居残っても腐る奴もいた。だが、全員がそうなるわけじゃねぇ。自分の考えが楽観的だった事に気付き、そっから顔付きが変わった奴も稀にいんだよ」


 逃げる事は簡単だ。実に楽だろう。周りから後ろ指を指される事もないのだから。それでも、逃げ道を蹴って前に進む者が稀にいた。

 その者は今も志波と同じ職場で奮闘している。少々臨機応変に欠ける後輩ではあるが、会社にとって無くてはならない人材へと成長していた。


「……だから、今日の事は忘れんな。お前は一つ学習しただろ? お前らの考えが善だろうが悪だろうが、結局のところ相手の事を理解していないと何も意味を成さない。そういう事なんだよ」


「……はい」


「お前はミスをした。これは事実だ。だが、そっから腐るか、それとも前に進むかはお前次第だ」


 そう言って湯呑に入った茶を飲み干す志波を、ハピネスは只々茫然と見つめていた。

 これまで威圧感と殺気を部屋に充満させていた志波だったが、今は無表情であるその顔から殺意は無く、澄んだ空気が部屋を満たしている。


(あれ……もしかして……)


 理解が少し遅れてハピネスは気付く。志波は不器用ながらも新人である自分に対して励ましの言葉を投げたのではないだろうか。

 そう思うと、冷たい瞳を持つ彼の言葉が今は不思議と暖かく感じた。


「あの、志波様! そ、それでは!」


 始まらない物語。終わらない憎しみ。六畳半で繰り広げられた人と神の戦い。そんな終わりの見えない負の連鎖に差し込む希望の光。

 そして、万感の想いを込めてハピネスは志波に――勇者に問う。


「では、異世界へ行って下さるんですか!?」







「は? なわけねぇだろ。馬鹿か、お前は?」


「……ですよね、すみません」


 勇者、まだまだまだまだ君臨せず。

 


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