第3話 「おい女神、上司を見習えよ」
異世界転移課は人間界の組織同様に役職という概念があり、上下関係というものも当然の如く存在している。
神と言えでも万能にあらず。故に不測の事態は上層部である管理職へエスカレーションするフローが設けられている。
「あの……志波様、おまたせしました……」
『上の人間を呼べ』という志波からの要望が出て数分後。一度退室したハピネスは彼の言う通りに上司を引き連れてこの六畳半の和室に戻ってくる。
恐る恐ると出入り口の襖から泣き腫らした顔を半分覗かせ、叱られる子供のような態度を見せる。
実に失礼な態度、と志波の眉が吊り上がった矢先、ハピネスの横を通り抜ける人影が一つ。人影は一切無駄の無い動きで志波の対面に正座で座ると、謝罪の念を全面に出すように深々と頭を下げた。
「この度は部下が大変失礼致しましたようで、誠に申し訳ございませんでした」
ちゃぶ台を挟んで正面に座る男は実に奇妙な格好をしていた。否、ハピネスのような奇抜な格好ではなく、神界という神が集う世界だからこそ奇妙と言えた。
シワ一つ無いスーツに、フレームの細い眼鏡。そして、今時人間界でも珍しいきっちりとした七三分けの髪型に、不思議と鼻に付かない端正な顔立ち。
年齢は恐らく志波と同じか少し上か。どちらにせよ、志波の帯びた熱が僅かに下がる程、その正座の姿勢、謝罪の角度は実に美しいものだった。
「挨拶が遅れまして申し訳ございません。私、神界の異世界転移課に勤めておりますマネージャーのジャッジ・オブホワイトと申します」
男は――ジャッジはそう名乗った後、音を立てずに静かに立ち上がり、志波の対面ではなく横に回り込んで、再び正座で座る。そして、上着の内側のポケットからアルミアタッシュケース型の名刺入れを取り出し、一枚の名刺を志波へと差し出す。
「宜しくお願い致します」
「……っ!」
その時、志波の背中に戦慄が走る。
(こいつ……っ)
和室での名刺の渡し方を完全に熟知している。普段、名刺交換の場は和室ではなく、洋室や事業所といった場所がほとんどを占める為、和室での正しい名刺の渡し方をとっさに出来る者は多くは無い。
しかし、この男はやってのけた。テーブルを挟んで渡すのではなく、きちんと相手のところへ回り込んで渡す。無論、両手を胸の辺りまで上げて名刺を渡すという事も忘れていない。そして、今の時代『相手は自分の社名を分かっている』という認識からか名字だけを名乗って渡す社会人が多数を占めるが、この男は所属とフルネームを口にした。
「……。ああ、失礼」
ジャッジの誠意に応えるように、志波は正座に座り直すと上着のポケットから黒のシックな名刺入れを取り出し、名刺を一枚差し出す。
「黒須木株式会社の志波清志だ。宜しく頼む」
「頂戴致します」
そう言ってジャッジは志波から名刺を受け取った後、一礼して静かに立ち上がり、またちゃぶ台を挟む形で志波の対面に正座で座る。その際、志波から貰った名刺はアルミアタッシュケース型の名刺入れの上に乗せる形でちゃぶ台の左側に置く。自身の名刺入れの上に相手の名刺を乗せることで相手に敬意を表していた。
「なるほど、少しはマシな奴が出て来たな」
威圧的な態度を緩めない志波だったが、ちゃぶ台の上にはきっちりジャッジの名刺が置かれていた。無論、自身の名刺入れの上に乗せながら。
「さて、志波様。状況につきましてはハピネスより聞いております。今回の件、志波様にとって納得の出来ない部分が多々あったと」
「ああ。むしろ、納得出来ない部分しか存在していない。アンタの部下はどうもまともな語彙力が無いようだが、どういう教育してんだ?」
「それは大変失礼致しました。何分ハピネスは新米ですので、適切な対応が出来なかったかと存じます。これにつきましてはマネージャーである私の教育が至らなかった事が原因です。今後のこのような事が無いように改善に努めます」
ジャッジが今一度深々と頭を下げると、彼の隣で正座しているハピネスも慌てて頭を下げた。人間界同様に神界でも自分の失敗で上司が頭を下げるという光景は、さぞ息苦しいものだろう。
「ハピネス」
ジャッジは隣にいるハピネスに目配せをすると、ハピネスは腕に抱えていたA4サイズが数枚の紙でまとまった資料の一つを志波の前に置き、もう一つをジャッジの前に置く。
「では、部下に代わりまして私から説明させて頂きます。まずはお手元の資料をご覧下さい」
ジャッジによる説明はおよそ三十分に渡って続けられた。『神界とは何か』『異世界転移課とは何か』『何故、神に選ばれた人間は元の世界にすぐに還れないのか』等、全て資料に沿ってジャッジが一つ一つ説明する。
その光景はまさに営業と取引先のやりとりそのもの。志波は意外にもジャッジの説明には口を挟まず、資料に目を通しながら耳を傾ける。
意見やクレームは相手の言い分を全て聞いた後に行うのが、志波なりの流儀だった。
「――以上です。志波様。ご理解頂けましたでしょうか?」
ジャッジはフレームの細い眼鏡を人差し指で持ち上げながら、終始冷静な態度で志波に問う。変におどおどしたり、感情的に話したりする事が話し合いにおいて不利になる事をよく心得ているのだろう。
志波はジャッジからの問いに返事もせず、口を閉ざしたまま資料に目を通し続ける。ジャッジは特に返答を催促する事もなく、ただただ志波からの事を待ち続けた。
「……なるほど」
しばらくの後、志波は資料をちゃぶ台の上に置き、一呼吸置いてから言葉を紡ぐ。
「つまり、俺はお前ら異世界転移課に選ばれた結果、勇者として登録された。んで、勇者に選ばれた奴は対象の世界を救うまでは契約上、元の世界に還ることが出来ないってわけか」
「はい。おっしゃる通りでございます」
「はっきり言って強制労働だな。そもそも何故俺なんだ? そこら辺の暇そうなニートにでも世界を救ってもらえばいいだろ?」
数十億人という人間が存在する地球で、勇者として選ばれる確率は宝くじの一等を当てる以上に奇跡的な出来事。大方、そんな奇跡に感動してあっさりと承諾してしまうシステムなのだろうが、志波にとっては迷惑この上ない話。
「いえ、そう言うわけにはいかないのです。確かに近年、神界側の神為的なミスにより、選定されるケースもございます。『ついうっかり神様ビームで人間を殺してしまった』『つい人間の行いに感動してしまい選定しまった』など、ミスや独断により勇者召喚してしまう神が後を絶ちませんが、実際は違うのです」
ジャッジの言葉はどこかミスを犯した神に対しての皮肉が込められていた。恐らく、異世界転移課のマネージャーという立場上、色々と後処理をさせられたに違いない。
「実際は幾度も会議を繰り返し、厳重な審査を重ねに重ねて決定されます。そして今回、厳選の結果志波様が選ばれたのです」
「選考基準はなんだ?」
「色々とありますが、決め手となったポイント3つです」
ジャッジの声量が微かに上がる。予めこの話の流れを読んでいたのだろう。彼にとってここが社畜眼鏡を説き伏せる最大の好機なのだから。
「まず、一つ目。貴方が普通の人間とはかけ離れた精神力をお持ちなっている事です。どんな困難な出来事に遭遇したとしても、どんな理不尽な仕打ちを受けようとも、貴方は心に闇を抱える事無く歩を進み続ける。これは大変素晴らしい事です」
ちなみにその精神力は全てブラック企業から学んだ事だった。全体が見えていない無能上司の采配、残業を前提とした案件、逃げ出す社員によるしわ寄せ。並の人間ならとっくに壊れているところだが、志波は全てを受け入れている。
仕事大好き人間にとっては取るに足らない小事に過ぎなかった。
「次に、二つ目。貴方には支配欲が無い事です。どんなに有能な人間でも支配欲の強い者は独裁者となります。弱き者の声は耳に届かず、自分にとって都合の良い言葉しか聞こえない。そんな悲しき人間が地球には多く存在していますが、志波様には一切の支配欲がございません」
ジャッジの言葉の通り、志波には昇任願望が一切無かった。お高い椅子にふんぞり返って座っているよりも、安い椅子に座って長時間キーボードを叩いている方が心を満たしてくれる。平社員で結構、会社の歯車で結構、仕事さえあればそれで十分。会社から正当な評価がされていればそれで充分。
そんな社畜に支配欲が生まれるわけがなかった。
「そして、最後に。人間とは思えない不死身の身体を持っていることです。病気、怪我などの異常が発生した場合でも一切のパフォーマンスの落とさずに業務を遂行するお姿はまさに勇者そのものです」
社畜は会社を休まない。これは「馬鹿は風邪を引かない」と同じ意味を表している。志波曰く「手足が動くなら出勤して当たり前だろ?」という世間を敵に回すような持論を持っていた。
しかし、会社の為、又は自己欲求を満たす為に出勤し続けた結果、勇者として選ばれるとは世も末である。
「さて、志波様。如何でしょうか?」
ジャッジはフレームの細い眼鏡を指で持ち上げながら、冷静な態度で志波に問う。しかし、その瞳には勝算が宿っていた。人間は「自分は特別な存在」と分かるとこちらの要望に対して首肯する傾向がある事をジャッジはよく知っている。
的確な言葉で相手を褒めて、要望を伝える。それでどれだけの人間が異世界に旅立った事か。そして、目の前にいる志波も――
「は? 行くわけ無いだろ」
一刀両断。その切れ味は聖剣を振るう勇者の如く。
「……。なるほど。では、次のお話に移りましょう」
勇者、まだまだ君臨せず。




