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第9話 「おい〇〇、先に失礼させてもらうぞ?」

 黒須木株式会社の本社、システム部に響き渡る愉快で不愉快な笑い声。


「クハ、ハーハハハハハハハッ! そうか、そういう事かよ!」


 愉快に。狂いに。狂って。笑って。笑って。笑って。笑って。笑って。

 負という感情を全て吐き出してしまうような心の奥底から這い出た笑い声に、目の前の部長も、周囲の社員もただただ呆然と高笑う志波を見つめる。


「これがお前らの答えか! ああ、確かにだ! 確かに納得出来たッ!」


 腹を抱えて、八年という歳月に溜め込んだ全てを吐き出すように志波は人目も気にせずゲラゲラと笑った。本当に、どうしようもない程、愉快で。痛快で。堪らないのだ。


「なるほど! 確かにスキル以上だッ! ああ、認めてやるよッ!」


 周囲の人間にとって訳の分からない言葉を口にしながら、志波はただただ狂ったように笑い続ける。その姿は他人からしてみれば狂気の一言に尽きる。


「な……なんだ、急に……」


 下卑た笑みは一転し、部長である彼は部下の得体の知れない姿に恐怖を覚える。あの真面目で、堅物で、仕事には文句一つ言わずに淡々とこなしていた男が、まるで別人のように狂い笑うその姿は恐怖でしかなかった。


「お、おい、志波! なんだ貴様その態度は!? ふざけてんのか!? 貴様クビになりたいのか!?」


「クビ? ああ、そうだな」


 ひとしきり笑う事に満足した志波はゆらりと部長の方に目を向けると、口端を吊り上げて笑う。


「別に、クビにしてもらって結構だ」


 仕事中毒者から放たれた衝撃的な一言。さすがにその言葉を予想していなかった部長は目を見開く。しかし、部長としての責務か、はたまたプライドかは分からないがすぐに毅然とした態度を見せて声を荒げた。


「貴様ッ! ふざけるのもいい加減にしろ! クビにならないと思ってたら大間違いだぞ! 詫びろ、今すぐ俺に詫びろッ!」


「クッ、ハハ。しつこいな、アンタ」


 志波は肩を竦めて呆れ笑う。まるで相手の人間性を否定するようなその態度に部長の怒気は更に膨れ上がったが、志波の態度はけして崩れる事無く、その姿は神界の神達を相手にしていた時と同じものだった。


「俺の代わりはいくらでもいるんだろ? 仕方なく仕事を与えていたんだろ? だったら、勝手にクビにしろよ。俺もたった今、この会社に愛想が尽きた」


「き、貴様……」


 口端を吊り上げて笑う志波に、部長の顔が更に怒りに歪んでいく。一回りも二回りも歳が下の若造にここまで言われて黙り込むわけにはいかなかったが、志波から放たれる威圧感が喉を締め付ける。まさに蛇に睨まれた蛙。

 周囲の社員も誰も口を挟めず、ただただ唖然とした表情で蛇と蛙に目線を止める。この光景を誰が予想しただろうか。


(俺も、実際予想してなかったわけだがな……)


 志波はけして表情を崩さなかったが、実は心の中で酷く疲れ切った苦い笑みを浮かべていた。きっとあの筋肉モリモリの神様だけはこの未来を既に予測出来ていたのだろう、と。


 異世界転移課の課長ボンド・バッカーノが言う『スキル以上の価値』は実にシンプルなものだった。異世界を救った勇者に対して報酬としては実に滑稽なまでに馬鹿馬鹿しいものだった。


 答えは『会社は何もお前を評価していない』だった。それだけ。たったの、それだけだ。


 冷静に考えればすぐに分かる事だった。難度の高い案件も、足りない工数も、決まって自分に託されたのは、会社が、上司が、自分を期待していたわけではなく、ただ『黙って言う事を聞いてくれる扱いやすい人物』だったからに過ぎない。

 仕事中毒者なら尚の事都合が良く、仕事量や質とは見合わない安い給料でも喜んで引き受けてくれる。それは会社にとって非常に便利な人間だった。

 だからこそ、システム部に所属する社員の中で志波の工数は群を抜いている。志波が様々な仕事を引き受けてくれるおかげで、他の社員の残業時間は全体的に少なく、社員にとっても志波はちょうどいい身代わりだった。


 その証拠に志波が不在となると、今日訪れたベンダー相手に何も出来なくなる。誰一人として志波の業務に携わろうとしていなかったからだ。


 そんな彼が、今、黒須木株式会社へ牙を向ける。志波がいなくなるという事は、今キーボードに打つ手を止めていた社員達に全て降り注ぐ事になる。

 否、あるべき姿に戻ると言うべきだろうか。


「それじゃ、俺は失礼させてもらう」


 そう言って志波は首に下げていたICカードの社員証を外し、部長の席の上に放り投げ置く。入室機能を兼ねていた社員証を返却するという事は、この会社にはもう訪れない事を示していた。


「……っ、貴様! こんな真似タダで済むと思うなよ! 退職金など一切出さん! 訴えられた場合に泣き喚くのは貴様だからなッ!」


 何故だろうか。誰が聞いてもそれは負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。苦し紛れに放った部長の一言に、やはり、志波は冷淡に笑う。


「ああ、結構だ。好きにしろ。やるなら俺は徹底的にやるぞ」


 それは忠告だった。警告だった。宣告だった。どのような権力が立ち塞がろうとも全てを跳ね除けてしまいそうな程に、恐ろしい言葉だった。

 そんな志波の言葉が本来電話応答やキーボードを打つ音で埋め尽くされるはずの事務所を静寂へと導く。恐怖と焦燥により誰も言葉を発する事が出来なかったからだ。


――誰か止めろ。止めろ。止めろ。止めろ。こいつを手放したら仕事はどうなる?

――部長に考え直してもらうように誰か言え。言え。言え。言え。誰か言え。


 恐怖と焦燥は志波が生み出したものではない。志波が抜けてしまった後、誰も業務に対処出来なくなってしまうという恐怖による焦燥だった。

 それもそうだ。社員一同も志波を都合良く利用していたのは事実。しかし、彼を止める事は部長の考えを否定する事になる。無理だ。とてもじゃないが、声を大にして彼を止める事は出来ない。そんな事をしようものなら、今度は自分のクビが宙を舞う。


 事務所内では外線の電話が鳴り響いていたが、誰一人応対する者はいなかった。会社として実に失礼な行為と知りながらも、唖然と全員の視線が志波に集まる。志波は自分のデスクから必要な物だけをビジネスバッグに入れると、職場の人間に別れの挨拶を交わす事無く、出入り口の方へと足を進める。

 出入口の扉に手を掛けると、肩越しに事務所を振り返る。


 眼鏡のフレームの奥の瞳に映るのは、怒りに顔を歪ませた部長の顔、様々に複雑な感情を浮かべた社員の顔、そして八年間という長い年月を過ごした職場。

 もう二度と視界に映す事は無いであろう景色に、志波は口端を吊り上げながら最後の言葉を放った。




「世話になった。先に失礼する」











 呆気ないものだ、と志波は会社の外に出て清々しいまでに晴れた青空を見上げながら、心の中で呟く。

 八年という長い年月をかけて積み上げた物を手放したにも関わらず、特に哀しい事も無く、嬉しい事も無く、虚無感に襲われる事も無く、ただ終わったのだと自分でも驚く程に淡々としていた。

志波は冬の冷たい空気を一度吸い込んで、静かに吐き出すと、ビジネスバッグを片手に歩き出す。昼前のオフィス街は人通りも少なく、吹き抜ける冷たい風が頬を撫でるなか、志波は無意識に言葉を溢す。


「なんか、腹減ったな……」


 不思議な感覚だった。今まで食事など『ひとまず胃に溜まればいい』と総菜パンを胃に収めていたが、今は、何故か不思議とちゃんとした物を口にしたい気分だ。

 人間にとって当たり前の思考なのかもしれないが、志波にとっては。恐らく人生初めてのこと。


(ラーメン……いや、カレー……か? 違うな。もっと、こう、味の濃い……なんだろうな)


 横断歩道の信号が赤く点灯すると志波は足を止めたが、彼の昼食に対する思考は止まる気配を見せず、赤く灯った信号を見つめながら、志波は思考を巡らせていた。

 しかし、ある事に気付くと、その思考は赤信号同様に止まる。


 志波の視線の先。対面の歩道用信号機の傍らに立つ二人の男女。地毛とは思えない桜色の長い髪を側頭部の片側のみで結んだ女と、テンガロンハットに季節外れのアロハシャツを着た筋肉モリモリの色黒の男。

 目が合うと女は慌てて頭を下げたが、対照的に色黒の男は馴れ馴れしくこちらに手を振った。


「おーい、元勇者さんよぉい。会いに来てやったぜー! ガハハハハハハハ!」


 


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