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第8話 「おい女神、結局遅刻じゃねぇか」

 異世界へ転移し、とある世界を救った勇者がいた。


 その勇者は異世界に転移して僅か五日間という期間で魔王軍を壊滅させ、人々の祝福を受ける間もなくさっさと元の世界に還っていく。

 勇者にとって救われた世界などはどうでも良かった。ただ、早く元の世界に還って会社に出勤したい、それだけが勇者を突き動かしていた。


 だが、世界はとても残酷だった。勇者が元の世界に還ってきた頃、時計を確認すると転移前の時間から2時間以上が経過していた。

 異世界と勇者の元の世界では時間の流れが異なっており、その差は60分の1。異世界での1時間は元の世界では1分、1日であれば24分の時間が流れる。

 結果、世界を救った勇者を待っていたのは――


「ふざけるなッ! お前、今何時だと思っている!?」


 ――部長からの罵声と怒号だった。


「申し訳ございません!」


 元勇者――志波 清志は周りの社員に視線を向けられながら、部長の前で深々と頭を下げる。

 黒須木株式会社の本社、システム部では2時間近くの遅刻をした志波への罵声が響き渡っていた。その光景は部内の人間からして見れば、実に奇妙な光景だった。部内でも有名な程の仕事中毒者が連絡無しで遅刻するという摩訶不思議な光景。誰もがキーボードに打つ手を止めて、頭を下げる志波に視線を止めてしまう。


「お前な、今日は午前中ベンダーの人間と会議があったんだぞ! それをお前が来なかったせいでどんだけ恥をかいた思ってんだ!」


「はい……本当に、申し訳ございません」


 部長からの罵声が下げた頭の上で飛び交い、志波は人知れず苦痛に顔を歪ませる。迷惑をかけてしまった。期待を裏切ってしまった。それは仕事中毒者にとって犯罪に手を染める以上に罪深き事。まるでこの世の終わりを引き起こしたかのような罪の意識。


「お前のせいでな、俺は上の連中に言われんだよ。お宅の部署はどういう教育をしてんだって! ええ!? お前は俺の顔に泥を塗ったんだぞ!」


 志波の不在によるベンダーへの来客対応は実に酷いものだった。今回、新サーバ導入の為、ベンダーの担当者が訪れたわけだが、配布する資料も無く、進捗状況を理解している者も一人も無く、挙句の果て説明出来る者も一人も無く。

 結局、社内で代行出来る者がいなかった為、ベンダーの担当者は苦い表情を浮かべながら帰っていった。

 この事はすぐに上の組織に伝わり、部門の責任者である部長が大目玉をくらった為、当然怒りの矛先は志波に向けられる。


「とにかく! さっさとベンダーの担当者に謝罪してこい! それから始末書! 全て自分が悪かった、とちゃんと書けよッ!」


「はい……早急に対応します」


 罪の意識が心を蝕む中、志波は『あの神様』の言葉を思い返す。


――『まずは異世界を救え。そしたら、スキル以上の価値のあるものをオメェは得る事が出来るぜ』


――『別に何か貰えるわけじゃねぇし、特別に面白い事が起きるわけじゃねぇ。極々普通に世界に戻って、普通に会社に出勤するだけだ。しかも、遅刻確定だろうから嫌味ったらしいアホ上司にちくちく怒られるオマケも付きだ』


――『オメェは『それ』をきっかけにある事に気付いちまう。それがスキル以上の価値だと言う事にオメェは気付くんだよ』


 あの筋肉モリモリの色黒の神様――異世界転移課の課長、ボンド・バッカーノの自身満ちた表情が脳裏を過る。あれ程までに自信を持って言っていたが、結果はこの有様だ。

 期待等は最初からしていない。こうなる事は異世界を救う前から容易に想像が出来ていた。やはりあの神達は無能だ。人間の事を何一つ分かっていない。そう思うと心の内側に溜まっていた殺意が外へと溢れそうになる。


(どちらせよ……これでスキルを存分に頂く事が出来る)


 元の世界に戻った時にスキル以上の価値を得るか、否か。異世界へと転移する前に志波とボンドは賭けを行なっていた。しっかりと誓約書も書かせて、退路を塞いだ上でそんな賭けを行なっていた。結果、賭けに勝った。間違いなく勝った。

 それは志波が一番に理解している。やはり異世界に行く事に意味はなかった。スキル以上の価値等、存在していなかった。それが答えだ。

 志波は頭を上げて苛立ちに顔を歪ませる部長の顔を瞳に映す。これが異世界を救った光景だと思うと本当に滑稽だった。もう異世界の事などどうでも良い。救われた世界の事など微塵も興味が無い。少しでも会社からの信頼を取り戻す為に志波は今一度頭を深々と下げて謝罪の言葉を口にする。


「期待を裏切るような真似をして、本当に申し訳ございませんでした」


 歯車は一つでも欠けてしまえば、全ての歯車が無情にも止まってしまう。会社とはそういうものだ。自分という歯車が欠けた事で事業に影響を与えてしまう。

 会社が、上司が、自分に期待をしてこれまでいくつもの仕事を託してくれた。難度の高い案件も、足りない工数も、決まって自分に託してくれた。お前ならきっとこなしてくれると、そんな期待を込めていつもいつも仕事を託してくれた。それにも関わらず、期待を裏切ってしまった事に志波はただただ罪悪感を抱き続ける。


 そう。次の言葉を聞くまでは――


「期待? 期待だと?」


 疑問と嘲笑が混じった声が志波の頭の上に響き渡る。顔を上げると、眉を潜めて「下らん」と言わんばかりの蔑んだ表情を浮かべる部長の顔があった。


「おい、お前何言ってんだ? 俺がいつお前に期待した? ええ?」


「……え?」


 驚きに目を丸くする志波に、部長は得意げな下卑な笑みを浮かべる。


「ああ、アレか? お前、仕事量が多いから自分は期待されていると思ったのか? ハッ、馬鹿言え。お前が扱いやすいから仕事を振ってるだけだ」


「…………」


「深夜作業も、休日出勤もどいつもこいつも嫌がる。けど、お前仕事が好きなんだろぉ? だーから俺がお前の為に仕事を振ってやってんだよ。ありがたいだろ? それをお前、期待されているとか、ハハハ。どんだけめでたい頭してるんだか」


 何だこれは。何を言われている。何を否定されている。分からない。だが、自分の心の中で何かが崩れていくような不思議な感覚に襲われる。


「いいか、志波? お前の代わりなんていくらでもいんだよ。にも関わらず俺の顔に泥を塗りやがって……たく、減給されないだけありがたく思えよ」


 どんなに理不尽な案件も、期間の足りない業務も、急な作業の変更も、全て一つ残らず志波は自身の力で切り抜けてきた。たとえ周りがついて来なかったとしても、自分だけはけして目を背ける事無く、全て、全てをこなした。

 会社での自身の価値が、人生そのものの価値だからと信じて疑わなかったから。


「あ? 何ぼさっとしとる、さっさと仕事に戻れ! 次俺の機嫌を損ねるような真似でもしてみろ。お前はその瞬間クビだからな! 覚悟してけ!」


 それが。それが、八年という長い年月で一度も業務ミスもせず、一言も文句も言わず、誰よりも膨大な工数で業務をこなした志波への言葉だった。


「…………」


 志波は、


「……ク」


仕事中毒者は、


「ク……フフ」


 元勇者は――


「クク、アッハハハハハハハッ!!」


 ――壮大に。盛大に。狂おしい程、高笑った。笑った。笑った。笑った。


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