トウゴウとソフィア
世界大戦終戦から約半年後。トウゴウ邸。
「んふー! おいしいー!」
祖国の復興を誓った少女は、トウゴウの執務室兼応接室で日本製の黒い菓子を食んでいた。
「これは何というお菓子なんだ、トウゴウ?」
キラキラと目を輝かせ、机上の書類を捌く男に向かって少女訊ねる。
「おはぎです。ってまたあんこをこぼして……」
口の回りや服等にあんこをつけた少女の姿にトウゴウは顔を顰める。
「まったく……掃除するのは貴女ではないのですから、もう少し上品にできませんか、ソフィア殿下?」
「仕方ないだろう。私は箸が苦手なんだ」
手に持った箸でトウゴウを差しながら、ソフィアは文句を言う。
「それに、掃除や洗い物はしようとしても、させてくれぬではないか。せっかく私が奴隷の分を弁えて働こうとしているのに……」
それを聞いたトウゴウは深い溜息を吐いた。
「その意気やよしですが、それは是非ともお止めいただきたい」
「む? なぜなのだ?」
首をかしげ、ソフィアは訊ねる。トウゴウは、自覚がないのか、と言わんばかりの冷ややかな眼差しをソフィアに送ると、その理由を語り聞かせた。
「姫君が何かするたびに仕事が増えると使用人たちから苦情が出ておりますので」
「なっ……私が何をしたというのだ!?」
「色々しているではないですか」
さっきよりもさらに深い溜息を吐くと、トウゴウは使用人からの苦情を一つずつ言っていった。
「掃除をさせれば、廊下の壺をよく割ります」
「ぐっ……」
「さらに、床に撒こうとした水は壁の絵にかけます」
「うぐっ……!」
「洗い終わったお皿もよく割ってますよね?」
「ぐぅ……」
「洗濯物はたまに破きますし……」
「なっ……洗濯物はたまにではないか!」
「破くことがあるのが問題なのです!」
「ぬぅ……!」
辛うじて反論してみるも、一瞬で論破されてソフィアは縮こまる。
「まったく……家財破壊マシーンですか。宮廷でもああだったのですか、貴女は?」
「うぅっ……」
気まずさで顔を反らしたソフィアを見て、トウゴウは深い溜息と共に、背もたれに身体を預けた。
「……まあ、貴女は国にいた頃と同じようにしていればよろしい。私は負かした相手を殊更踏みにじるような行為は好かんのです」
それを聞くと、ソフィアは少し安心したような顔をした。
「……そうか。そなたは変わっているな。初めは人を金で買う人でなしでろくでなしの野蛮人かと思っていたのだが……人を見た目で判断してはならぬと勉強になったぞ」
「……それは褒めていただいたと受け取りましょう」
ソフィアの褒めているのか貶しているのかわからない言葉を受け取ると、トウゴウは椅子から立った。
「ああ、それとこれから明日の夜会用のドレスの採寸がありますので、そこを動かないで下さいね」
「夜会? ドレス?」
ソフィアはトウゴウの言葉に首をかしげた。
「重ねて言うが、本当に変わった男だな。奴隷扱いしないだけでも身に余るというのに、いくら何でも厚遇が良すぎると思うのだが……」
そこまで言ってソフィアは何かに気づいたような素振りを見せると、含みのある笑みを浮かべて、揶揄うように言った。
「ははあ。さてはそなた、私に惚れでもしたか?」
心なしか、トウゴウの眉がわずかに動いた気がした。
「フフン。悪いが落ちぶれても私はヴィルブール公爵家の姫。そう簡単に心まで――」
「ええ、惚れておりますが」
「……えっ!?」
トウゴウの切り返しに、今まで得意気に話していたソフィアが固まった。
「……容姿に『だけ』は」
「だけ!?」
「プライドばかり高く甘ったれた性格で、不器用の役立たずの上、お世話にも貴人とは言いがたい立ち振舞いに閉口いたします。が……」
そこで一度言葉を切るとトウゴウは、
「美しいものは美しいですし、そうであっていただきたい」
優しい声で告げた。
「いつか貴女が祖国に戻った時、民に落ちぶれた姿を見せるわけにはいきますまい」
「そ……祖国……」
トウゴウの口からその言葉が出てきたことが、ソフィアには少し意外だった。
トウゴウは敵国の人間だ。そんな彼から彼女を祖国に戻った時、なんて言うはずもないと思っていたからだ。
「あと正直なところ、大金を出して買ったものが無価値なのは我慢なりなせんので、せめてその価値だけは維持していただかないと」
「うぐっ……」
ソフィアは再び、自分した数々の失敗を思い出す。
「そなた、やはりろくでなしの方に修正したぞ……」
「野蛮人の敵国人ですから。それでは、私はやることがありますので」
トウゴウはひらひらと手を振ると、執務室から出ていった。
◆ ◆ ◆
「もうお話はいいのかしら?」
執務室から出た直後、トウゴウは声をかけられた。
「はい。それで、何かありましたか、エルメスさん?」
エルメスと呼ばれた人物と共に歩きながら、トウゴウは訊ねる。
「しょーじき、わからないわ。一応軍備の横流しのデータは調べられたけどね。はいこれ。死神に渡してきてちょうだい」
エルメスは懐から紙の束を取り出し、トウゴウに渡した。
「そうですか。ご苦労様です。ゆっくり休んでください。私はあの方に報告してきます」
「ええ。がんばってね」
エルメスと別れ、外出の準備を整えたトウゴウは、裏口に停めてあった車に乗り込んだ。