初会、慮外(Ⅱ)
私は夢を見る。私の王子様のお話。もう子供じゃないのだから、御伽噺は卒業すべきだろう。しかしどうしようもなく焦がれてしまう。雑多な世の中では、綺麗な夢物語はたまらなく輝いて見えるのだ。
先ほどの続き。気高く、凛々しい王子様は私を縛っている縄を解く。
夢見心地だ。自分が自分ではなく、浮いているような感覚。
「お怪我は?」
そう言って私に手を差し出す。朗らかな表情が印象的だ。
私はその手を取り、そのまま彼を押し倒した。
「悪くない。お主、余のものとなれ」
私の意識とは別にこんな言葉を放った。なかなかに大胆で、なかなかに高圧的だ。
「ご冗談を。物思いなどなさらないでしょう」
「おや、余の魅了が効かぬか。―――魔朽だったか、つまらぬ」
「・・・」
彼の顔から表情が消える。魔術の話をしているようだ。
「しかし殊勝だな。お主のそれは争いには向かぬだろう」
「それは御身も同じこと。手を煩わせることがあってはなりません」
「ははは―――」
突然私は笑う。何がおかしかったのだろう。
「戯言を!わかっているぞ、余はお主らの内輪揉めに巻き込まれていると!!」
「ご明察通りでございます」
執事みたいだ。王子様と表現したが、私への傅き具合は、丁寧の域を超えている。
そう夢の中の私も思ったみたいだった。
「つまらぬ、興がそがれた。今宵はもう休むとしよう」
私の一人称が余とか言っているし、彼に対して失礼極まりない。しかし私は悪びれた様子もない。
「この身体、床に運んでおいてくれ」
ここで私の夢は終わる。最後まで私の高慢な態度は崩れることがなかった。潜在的にこんなことを思っているとなると自分でも寒気がする。夢でよかった、と私は目覚めを待つのだった。
×××××
燦々と日の光が私の身体を指す。そうして私は目覚める。未だ働かない脳は放っておいて、私は洗面所へとふらふら向かう。
ふと鼻をくすぐる良い匂いに気付く。このトーストの匂い。まさか―――お母さんが帰ってきた。鼓動は急に速くなり、意識は完全に覚醒する。
私はその匂いの元、台所に急いで向かうのだった。
「おはようございます」
「誰?」
「失礼、私の名は衛。昨夜は申し訳ありませんでした」
息を切らしながら向かった先には、見知らぬ男が立っていた。
私はハッとする。後ずさり、隠れるように台所の入り口から顔を出す。
ここで私の頭はようやく彼の言葉を理解する。昨夜、私はこの人に助けられたのだ。
シチュエーションって大事なんだな、と思った。昨日は夢に出るほどに焦がれた王子様は案外普通だった。いや、悪くはないのだ。むしろ良い。しかし朝食を作る王子様などいてたまるか。今の彼は、執事。これがぴったりだった。
「僭越ながら、朝食を作っておきました。いかがですか」
私のために椅子を引く。こういうところが執事じみているな、と思いつつ、私はその椅子に座る。警戒心の欠片もない、と自分でも思う。
「私も失礼します」
彼は私の向かいに座る。ここは私の家だというのに、私は落ち着かない。
そんな私とは対称に、彼は神妙な面持ちで頭を下げるのだった。
「昨夜は申し訳ありませんでした」
「いえ、助けていただいたわけですから!むしろありがとうございます!!」
彼は少し悲しい顔をする。別に気を使ったわけではない。
「違うのです。貴方を巻き込んでしまった、貴方のその力を利用しようとしているのです」
「巻き込む?私の力?」
「ええ、その膨大な力、今まで気が付かなかったのが驚きです。さぞ強力な結界が張られていたのでしょう」
「ちょ、ちょっと待ってください!私の力?結界?一から説明してください!!」
「まさか―――」
彼は思考する。絵になるなぁ、などとその姿をぼうっと見ていた。
「一つ失礼な質問をさせていただきます。―――魔術はご存じで?」
「え?」
真面目な顔で突拍子もないことを言われ、私は面を食らった。魔法なんてものはファンタジーで、いい大人が言うには憚られるものだ。だというのに、目の前の彼は真面目な顔で言ったのだ。
私は思い出す、昨夜の出来事を。水の刃、そしてそれを破った彼のことを。それは今でも信じがたいが、だからこそ、彼の話に耳を傾けるのだった。
魔術と魔法は似て非なるもの。魔術とは魔を成す術。魔法とは魔を成す法。私には違いがわからなかったが、魔術は技術で魔法は掟のようなものらしい。
魔法使いはすごく少ないようだ。魔法が身体にしみついているような人たちが大勢いるならば、世の中にそれが跋扈するだろう。だから彼らは皆魔術師らしい。魔術という武器を持っているただの人間。とっておきを秘匿するのは当たり前だそうだ。
それは私もらしい。何を言っているかわからなかったが、私のお母さんは魔術師であったらしいのだ。お母さんは結界で私を隠していたそうだ。所謂、膨大な魔力というものを。
私を襲った人たちは私の力を利用して、何かを成そうとしているらしい。責任を取って私を守ってくれるそうだ。そんな必要はなかろうと、私は思うのだった。
「実感湧きませんね。私が魔術を使えるわけでもありませんし」
私は単純に感想を述べる。
彼は私に魔術を見せてくれようとはしなかった。
「守ってくれるのはいいんですけど、ええっと―――」
「衛です。好きなようにお呼びください」
「じゃあ衛さん、もしかしてここに住む気?」
「いけませんか?」
「いけなくはないですけど・・・」
では、と彼は言って、すっかり私が食べ終えた朝食の皿を片づけだす。
久しぶりに早起きした私は学校に十分間に合う時間だった。これで遅刻常習犯からは脱却だ、と私は少し現実逃避するのだった。
「じゃあ、行ってくるから」
「学校ですか?お供致します」
「え?やめてよ」
頑なについて来ようとする彼を説得するのに時間を費やし、結局私は学校に遅刻するのであった。
何も変わらない。日常は秩序に満ち、特別は消え失せる。
私は帰り道を進む。今日も先生には怒られ、友達には笑われ。泣きっ面に蜂、まではいかないでも、踏んだり蹴ったりだ。
ふと私は声をかけられる。
「すみません」
「―――っ!なにか?」
びっくりした。いうなれば私はスイッチを切っていた。一人の世界入っていた。学校を出てしまえさえすれば、誰にも話しかけられることはないからだ。
「驚かせてしまって申し訳ない。私は衛のちょっとした知り合いでして、そちらにお世話になっているみたいで」
「衛?―――ああ!衛さんね!そうなんですよ」
「迷惑していないだろうか?昔から頑固な奴でね」
「いえ、そんなことはないですよ!ちょっと驚いただけで」
知り合いということはこの人も魔術師なのだろうか。そんなことは聞けるわけもなく。
「あいつは護衛について来ようしなかったかい?」
この話が出るということはきっとこの人もそうなのだろう。普通の人の様なのに、わからないものだ。
「そうですね、少し。付き添いはなしの方向で納得してもらいましたけど」
「それは―――ありがたいことだ。手間が省ける」
声も出なかった。私はただ恐怖を感じたのだ。身の危険、社会に飼いならされた人間でも感じるほどの危機。
早く家に帰らなければ、そう思えば思うほど、身体は動かなかった。
「大丈夫、手荒な真似はしない」
安心できるわけがない。決まり文句にしては、抵抗しなければ、などと付くだろう。脳が警鐘を鳴らし続けているにも関わらず、とりとめのないことを考えている。
そう、これは私が招いたこと。力のない私はただ震えるのみ。冴え続ける頭とは対象に、身体は沈黙を続けていた。
「さて、場所を変えよう。ここは少し目立ちすぎる」
私の意識は唐突に奪われる。何も出来ない自分が歯がゆかった。
日中の雑踏に私は紛れ、消えてゆく。通り過ぎる人は、そこで何も行われていなかったかのように、歩みを乱すことはなかった。