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ただし、使うとズボンが濡れる  作者: 溝のライター
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イリスとアリスと始まりの村

 「お…お邪魔します」

「はい、いらっしゃいませ」


程なくしてイリスの家についたハジメは、うやうやしくその玄関をくぐる。レンガと木材でできた家は、まるで中世の欧州のようだった。

娘を呼んでくるから、とハジメをテーブルに座らせ部屋を出て行くイリス。その姿を見送った後、ハジメはこれからのことを考える。目標はもちろん日本に帰ること。その為の方針としてこの世界に来た原因を調べないといけない。しかし、この世界のことも知らず、先立つものすらないハジメには調べることができない。したがって、ハジメがすべきことはこの世界での生活手段を探すことであった。


「この世界でも無職か…」


ポツリと呟く。日本でも無職、この世界でも無職。自分が情けなくなり、落ち込みそうになっていたときにイリスが帰ってくる。後ろには水色の長い髪を両端でくくっている可愛らしい子供が、母親に隠れるようにしてこちらを伺っていた。


「ハジメさんのおかげで熱もすっかり下がったの。娘のアリスよ。ほら、アリス」

「…アリス…です」


イリスに背中を押されながら前に出たアリスは、小さな声で名前を言うと、すぐにイリスの後ろに隠れてしまった。む、この年頃の娘はシャイなんだな、と無職の男は考え、


「こんにちは、アリス。お…私はハジメといいます」


この年頃の女の子とまともに話したこともなく、なるべく丁寧な挨拶を心がけたハジメは出来るだけの笑顔を造って見せた。しかし、アリスの反応はいまいちで少し落ち込んだ。


「はい。それじゃ、お昼にしましょう」


嬉しそうにぱちっと手を合わせてイリスが言う。これ以上何を話したらいいんだと思っていたハジメは、助かったと思った。しかし、そう言って料理を作り始めたイリスとは別に、自分の向かいの席にちょこんと座るアリスがいた。

気まずい、これは非常に気まずいぞ。とハジメが冷や汗をたらしていたとき、やっと聞こえるような大きさの声でアリスが話しかけてくる。


「あの…」


それを言ったきり、しばらく俯いて話さない。それを見てイラッとするハジメではない。どうしたんだい?と優しく声をかけ、アリスが話すのをじっと待つ。時間にして三分程だろうか、じっと下を向いていたアリスが、意を決したようにこちらを向き、赤くなった顔で、小さな声で、しかし、はっきりとした口調で言う。


「お母さん…助けてくれて…ありがとう」


それはお礼の言葉。あまり人と話すことに慣れていないのか、アリスはまたすぐ下を向いてしまう。お礼を言われると思わなかったハジメは少し驚いたあと、今度は心からの笑顔で、


「うん、どういたしまして」


と、答えた。それから二人はぽつぽつと、料理ができるまで何気ない会話をしていた。

お昼をご馳走になり、熱こそ治ったが、まだ体力の戻らないアリスは部屋で休むといい、イリスと部屋を出た。一人になると、これからどうしようとまた考え始める。生きていくためにはやはりお金が必要である。地球でないこの世界で、財布の中の金は使うことはできないだろう。大学まででた出た学歴があるが、無職のハジメには特殊な技術があるわけでもなく、パソコンの無いこの世界では、彼の持っているスキルも活かせない。いかにしてお金を稼ぐか。そう悶々と悩んでいると、イリスが帰ってくる。


「ごめんなさい、アリスを寝かしつけていたの」

「いいえ、いいですよ」


食べてすぐ寝ると健康に悪いですよ、と思ったが、とりわけて言うことでもないと思い、胸のうちに隠した。


「アリスが知らない人とあんなに話すのは初めてのことだわ」


と嬉しそうに言う。あんなに話すといっても、ハジメにとってみればとても少ない会話であった。しかし、嬉しそうなイリスの顔を見ていると、本当にシャイな女の子なんだな、とアリスに対して思う。


「ハジメさんがあの時助けてくれなかったら、アリスとこうしてご飯を食べることもできなかったのね…ハジメさん本当に―」


といったところで、ハジメはその言葉をさえぎる。このままではまたお礼合戦が始まってしまうからだ。


「あぁ…あの、イリスさん、旦那さんはお仕事ですか」


そう聞いてみた。毎日お見舞いに来てくれてたときから思っていたことだが、旦那に悪いな、と。それを聴いた瞬間、ハジメは自分が地雷を踏んだことに気がつく。いつも笑顔でいたイリスの表情が少し悲しげになった。


「アリスは…私の娘ではないんです」


しまった。と、とっさに思ったハジメは慌てて誤ろうとするが、いいえ、と言葉を逆にさえぎられ、聞いてくださいとお願いされた。

アリスは、イリスのお姉さん夫妻の娘であり、まだ赤子だったアリスを残して病で亡くなったこと、そのことをアリスは知っていることをハジメに告げた。しかし、娘を思い、薬を取りに行った母親、今、自分にお礼を言った娘。二人を見ている限り、お互いを思いやっている親子にしか見えない。そのことを伝えると、少し赤くなった顔で、先ほどとは違ったありがとうを言われた。

 そうやってしばらく他愛も無い話をしているとイリスが質問をしてきた。


「ハジメさんは、どこから来たんですか」


来た、来てしまった。この質問が。心の中でハジメは悩む。本当のことを話すべきなのか、と。

 あまりかみ合わない日常会話をしていたときにされたこの質問、入院していたときは、ハジメに気をつかってかハジメに関することを聞いてこなかったイリスだが、ふと気になって尋ねてみのだ。しかし、急に会話の止まったハジメを見て、聞いてはいけないことだったのかと思い内心焦る。二人して会話がなくなった頃にハジメが口を開いた。


「イリスさん、実は、私は気が付いたら森にいたんです。それ以前の記憶がなくて…。森を彷徨っているうちに悲鳴が聞こえたんです…」


記憶喪失作戦をとることにした。森での出来事からイリスに出会うまでを話し、話し終えると出された水を飲む。しばらく黙っていたイリスがまじめな顔をしてこちらを見る。不審がられただろうか、怒らせてしまったのだろうか、怖がられてしまったのだろうか、いきなり私は記憶がありませんなんで、怪しさ以外の何物でもない。逆に自分が言われたのならまずは疑ってかかるだろう。しかし、イリスの口から出た言葉は、ハジメの予想を超えていた。


「でしたら、しばらく家に住んでください」


真面目な顔から一転、いいこと考えたわ、と言わんばかりの笑顔で、癖なのか手をパチっと合わせハジメに言う。ハジメにとっては願ってもないことだが、ちょっと待てとも思う。この女性、危うい、と。


「ちょっとイリスさん、いいですか。その提案は俺にとってはすごく助かります。嬉しいです。記憶がない俺にとっては非常にありがたいですけど、ちょっと無警戒過ぎます。もしこれで俺が危険な人物だったらどうするんですか!それに女性だけの――」


ハジメの説教が始まった。ハジメは、イリスにとって命の恩人だが、ハジメにとってもイリスは命の恩人だった。そんなハジメは、恩人がこんな性格なことに危機感を覚え、柄にもなく説教していた。しかし、終始笑顔のイリス。聞いているのか聞いていないのかわからない。


「聞いてるんですか!イリスさん!」


と、少し強めの口調で言うと、ハジメさんだから言ってるんですよ。といわれた。ぐうの音もでないとは今のハジメのことを言うのであろう。そんな殺し文句を言われては、もう黙るしかなかった。

お世話になります。とイリスに伝えると、部屋を一つもらった。娘と二人暮らしをするには広いんですよ、と笑顔で言うイリスに、もはや何も言えなくなった。それからしばらくしてイリスは、夕飯の時間までは、自分の好きにしてください。私は長老に伝えてきますので、と言って家を出て行った。


もらった部屋はつかってなかったと言う割りに手入れはきちんとされていていた。この家はもともとイリスのお姉さん、アリスの本当の両親のものだったらしく、お互い天涯孤独になってしまったのを見て、長老が、親子になり、そこに住めと提案したとハジメは聞いていた。

ベッドに寝転がる。この世界に来てからのことを振り返る。今まで生きてきた25年の中で一番濃い時間だった。これからもそうなるのだろうか、と多くの不安と、ほんの少しのドキドキを胸に抱えながら、ハジメは眠りについていた。


ゆさゆさと身体が揺れている。きっと双葉が自分を起こしているのだろう。そう思いながら、後五分、と伝えると、小さな声で答えが返ってきた。


「…だめ、ご飯できてる…」


その声に反応して、ガバッと起きる。急に起き上がったことに驚いたのか、キャっと可愛らしい悲鳴が聞こえた。


「ご…ごめん!大丈夫?」

「ん…」


大丈夫、と言うアリスはもう一度ご飯できてると伝えると、ハジメの手を引いて食卓へと向かう。寝すぎたな、と思いながらもハジメは引かれる手を見ながら笑顔になった。双葉も昔はこんなんだった、と懐かしむように。


手をつないで登場した二人に少し驚いたイリスは、あらあらと笑顔になり、お昼よりも少し豪華な食事をお皿に持っているところだった。


「すみません、いつの間にか寝てしまっていて…」


と言うと、いいんですよ。それよりお腹すいてますか、と帰ってきた。さっき食ったばっかりだけどなと思ったが、どれくらい寝ていたのか、腹は減っていたので、ぺこぺこですと伝えると、シチューのようなものをたくさんよそってくれた。

食事はとてもおいしく、森を彷徨っていたときに食べていたものとは比べ物にならなかった。おいしいおいしいとばくばくと食べていると、やっぱり男の人は食べるのね、とイリスがいうので、少し自重するべきだったか、と反省した。


お昼のときよりも会話は弾み、アリスともなかなかに話せたハジメは、今日から家に厄介になることを伝えると、もう知っていると言った。イリスがすでに伝えてあったようだ。これからよろしくと伝えると、ん…と相変わらず小さな声で答えた。


食事が終わり、明日長老のところに行くことになったことをハジメに伝え、イリスはアリスと共に寝室に行った。まだ眠たくないハジメは静かに外に出た。

街灯などが無いこの村では夜空の星が夜の光だった。満点の星空など、日本にいたときには見たことなかった。三つある月が明らかに地球じゃないことを示していて驚いたが、それももう、どうでも良くなってきた。いまさらじたばたしてもしかたない。そう思ってしばらく夜空を見上げていたが、また眠くなってきたので、今日はもう寝るか、と部屋に帰っていった。


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