SIX-6-
事態は更に大きくなってゆく。
被害は東京だけでなく、関東、東日本、果ては日本全土にまで広がってしまった。都会では犬や猫、鳥等の動物が猛威を振るい、地方では熊や猿が山から下り、次々に人間に襲いかかった。
あの動物園でも、いよいよ人間達に限界が訪れようとしていた。
封鎖したドアが壊れてゆく。その前に無理矢理乗せて固めたベンチやゴミ箱のバリケードが揺れている。
機動隊が楯を構える。だが、皆心の底ではわかっていた。無駄なことであると。既に渋谷に向かった部隊は壊滅している。最後の1人が状況を説明してくれたが、今では誰とも連絡がとれない状態だ。
牧野や彼の部下は携帯で家族や友人に連絡をとっている。まだ電話に出る者もいるが、何度かけても留守番電話サービスに繫がる者もいる。後者の方が多かった。牧野の家族も、その後者に含まれていた。
「牧野さん」
「どうした」
「彼女が、彼女が出ません」
「そうか」
淡々とした答えに、後輩は驚いた。勝手に身体が動いて、牧野の顔面を殴ろうとしていた。が、それは直前で牧野に止められてしまった。
「悲しくないんですか? 何で普通にしていられるんですか! アンタおかしいよ!」
「うるせぇ!」
怒鳴られてようやく平静を取り戻した。自分が涙を流していたこともここでやっと気づいた。頭が熱い。
「気合い入れろよ」
「……はい」
若者には受け止めるのは辛かろう。しかし、自分達が砦にならなければ、犠牲者が、そして同じ思いをする者達が増えることとなる。
この刑事も決心したらしい。立ち上がってドアだけを見つめている。牧野もニッと笑みを浮かべて同じ方向を見た。
ガン、ガンという鉄を殴る音が大きくなる。ベンチが崩れ落ちる。奥に光る扉が、くの字に曲がってゆく。
「来るぞ」
男はただひと言、そう言った。彼の勘はよく当たる。今回も大当たりのようだ。近くにいた全員が目を瞑った。
牧野が言葉を発した、その数秒後、バリケードが破壊され、鉄屑と化したドアが音を立てて倒れた。内部と外とが繫がった。光を認識した動物達が、甲高い鳴き声を上げて飛び出して来た。機動隊が一斉に発砲する。頭部、或いは心臓に弾が直撃した動物はすぐに動きを止めた。だが、それ以外の部位に弾を受けても、彼等は何事も無かったかのように立ち上がり、人間達に飛びかかってくる。白目を向いたトラが警官の1人に飛びついた。鋭い牙が男の首をかき切った。トラだけでなく、大なり小なり様々な動物達が襲いかかってくる。
牧野も所持していた銃を発砲しようとするが、歳のせいか目が霞んで狙いを定めることが出来ない。そうこうしているうちに、2匹のヒョウが彼に噛み付いた。
「牧野さん!」
「ああっ、気にするなぁっ!」
獣の牙が彼の腕に深々と突き刺さり、貫通する。歯を伝って牧野の血液が流れ出る。刑事達がヒョウを退かそうと銃を乱射する。しかし2匹が離れることは無い。牧野も初めは痛々しい悲鳴を上げていたが、とうとうその気力も失われた。
続いて外からネズミの波が押し寄せて来た。空からは鳥の大群。もはや逃げ場は無い。
「くそっ」
獣達に取り付かれ、食事と化す人間達。アスファルトは間もなく赤い血に染まってしまった。
1度は決意したものの、ここにきて再び恐怖心が蘇った。後輩刑事は銃を捨てて走り出した。ネズミが何匹か足にくっついたが、そんなことは無視して、一心不乱に走った。
振り返って後ろを確認すると、メスのライオンやヒョウが追いかけてくるところだった。逃げ切る自信は無いが、兎に角走らなければ死んでしまう。
だが、ここで予期せぬ事態が発生した。前方から向かってくるネズミ達のせいで転んでしまったのだ。そうなれば肉食獣の餌になる前にまずネズミに身体を削られる。小さな猛獣達がいつも通り服の中に入り込んでくる。刑事は身体を転がしてネズミを潰す。しかしそれは、ますます彼等を刺激することになるのだ。
血の臭いに誘われて、別の場所から犬や猫もやって来た。皆白目を向いてよだれを垂らしている。
「おい、おい! どうするつもりだよ、おい!」
人間の言葉等通じる筈がない。背後からはライオンとチーターが追いつき、刑事の身体に爪を突き立てた。鋭い爪が肉に食い込み、引きちぎる。これまで体験したことの無い痛みが彼を襲った。
「やめろ! ああっ、やめろおっ!」
肉食獣が足に齧り付いた。肉だけが抉られて骨が剥き出しになる。
せめて、自分の身体が壊れるのは見ないでおこう。彼は意識がなくなるまでずっと、地面に顔を伏せて耐えていた。
仁科、そして逃げてきた岸田の報告を受けた峰達は衝撃を受けた。あの高田もいよいよ焦りの色を見せ始めた。
ひとまず作業を中断し、獣達の状態の確認、そして他の出入り口を塞ぐことになった。通用口は地下、非常口を含めて全部で6カ所ある。次の行動はひとまず安全を確保してから考えることにした。
「僕は動物の状態を確認してくる。感染の疑いがあれば隔離する」
「じゃあ、俺と峰で地下を閉めてきます。岸田と荻野は上を頼む」
犬とネズミが出現したことを考えると、上の階の方がまだ安全だ。危険な地下は上司である仁科と峰が行くのが良いだろう。
5人はすぐに動いた。まず峰と仁科が地下へ向かう。
「怖いか?」
「まぁね」
「悪いな、巻き込んじまって」
「それ、どういうこと?」
「地下に連れて来ちまったことだよ。俺も、怖いのかもな」
すぐに目的地に到着した。電気はまだ通っているから出入り口を探すのは容易だった。念のために外に何かいないかを確認してから閉鎖する。獣だけでなく、自分達以外の人間がいる可能性もあるからだ。
扉を閉めた後は各部屋の見回りも行う。中に潜んでいる動物がいればこの場で対処する。
1部屋1部屋、分担して見回りをする2人。峰はたった今閉めたドアの付近を調べている。
殆どが書類をしまってある部屋なのだが、その中に1つ、僅かに隙間の開いた部屋を見つけた。何かが潜んでいるかもしれない。隙間から中を覗き込む。が、気配はない。ゆっくりと引き戸を横に引くと、酷い異臭が峰の鼻を刺激した。
廊下の光が、暗い部屋の中を照らす。
中は書斎のようになっている。デスクと椅子、それから棚が幾つか置かれている。
「こんな部屋、あったっけ」
中に入ってみる。臭いは凄まじいが、室内は綺麗な状態を維持している。気になることと言えば、デスクの側に付着したシミぐらいか。デスクは椅子が壁側にくるように置かれている。
嫌な予感がする。足音を立てないように、デスクに近づく。そのとき、いきなり後ろから肩を掴まれた。驚いたとき程さほど悲鳴は上がらないものだ。素早く振り返って相手を見ると、
「あ、ごめん」
仁科だった。ひと通りチェックを済ませて峰を連れに来たのだ。
「ここ、何?」
彼もこの部屋は初めて見たらしい。6年も勤務しているのに、今まで何故気づかなかったのだろう。
「わからない」
「ふぅん。ま、普段俺達は実験室の中だからな……」
フラフラと歩き回る仁科。だが途中でデスクの中を見て飛び跳ねた。何があったのかと峰も確認しようとするが、仁科が慌ててそれを止めようとする。静止を振り切ってデスクの裏側にまわると、
「嘘、何これ?」
本来椅子を仕舞うべき所に、何かが押し込まれている。
シミの原因がわかった。あれは、この遺体から流れた血液だったのだ。
「こいつ、桂じゃないか?」
「えっ?」
遺体はまだ腐敗が進んでおらず、顔も綺麗な状態だった。そのためこの遺体が、連絡が取れなかった桂その人だと断定することが出来た。実験室に顔を出せるわけがない。彼は死んでいたのだから。
体育座りをするようにして押し込まれている桂。峰は遺体に歩み寄って、手や頬に触れた。希望のある職員だった。まだ若かったのに、その最期がこんな有様とはあんまりだ。
遺体の確認をしている途中、桂の尻の位置に何かがあることを発見した。尖った1部分が見える。それを掴んで引っ張ってみると、A4サイズの大学ノートが姿を現した。タイトルは書かれていないが、随分年季がはいっている。
「それは?」
「桂君が座布団にしてた」
ぱらぱらとページを捲る。
そこに書かれていたのは、ある人物の思いと、その人物が考えた恐ろしい計画だった。動物が殺処分された時の記録も印刷され、丁寧に貼られている。
青いペンで書かれた文字を懸命に目で追う。一連の事件の概要が、ここで漸く明らかになった。
幼い頃から、動物が大好きだった。でも、人間は好きにはなれなかった。
人間は動物達を簡単に殺し、土地を奪い、権力者の如く振る舞っている。
本物の権力者は人間ではない。太古よりこの地に住んでいる動物達だ。人間はそのことをわかっていない。
僕がノアになる。
僕が彼等に、再びこの地を取り戻すチャンスを与える。
誤った方向に進んでしまったこの世界を、正しい方向へ導くのだ。
「行くよ」
「え? どこに?」
「全部わかった。今回のこと、全部」
そう言うと、峰は仁科を置いてスタスタと歩き出した。わけがわからなかったが彼も慌てて彼女のあとを追った。