FIVE-5-
通報を聞き再び動物園に急行した牧野達。
現場は地獄絵図のようになっていた。流石に今日は開園していない。
檻の入っている建物は扉を閉じられており、中の生物達が隔離されている。その周りには血まみれの職員が4名倒れている。皆出血が酷く、中には身体の部位が欠けた者もいる。扉も所々盛り上がっている。あんな応急処置ではどうにもならないだろう。
「おい、あそこ塞げ」
牧野が他の捜査員に指示する。男達は職員と協力して、扉の前にあらゆる物を運ぶ。ベンチ、ゴミ箱、兎に角重そうな物を選んで持って来た。
更に遅れて機動隊も到着した。非常事態ということで駆り出されたのだ。……人間ではない相手に楯が通用するとは到底思えないが、何も無いよりはマシだ。
「やっちまったな」
「何がですか?」
「昨日、嫁とケンカしちまったんだよ」
「それが何です?」
「今日が、最後の日になるかもしれねぇってことだよ」
牧野の言葉が、いつも以上に重く感じられた。
「あれ? あの人達まだ?」
「ああ、来てない」
「誰のことだ?」
牧野はまだ研究員達がここに来るのを知らないのだ。
「日本生物科学研究所の人です。何でも、あの動物にウイルスが感染してるとかどうとか」
「馬鹿なことしやがって」
「え?」
「防備もろくに持ってねぇ野郎が、こんなときに外に出たら死ぬに決まってんだろ」
時を同じく、渋谷にも警察機動隊が急行した。皆楯を構えてスクランブル交差点の辺りを囲んでいる。
その様子を、緒方はビルの屋上から窺っている。近藤に連絡している最中、彼等が現れて逃げ出した。しかし場所が悪かった。他の客と同じように、外に逃げれば良かったのだが、何故か彼だけは屋上に逃げてしまったのだ。とっさの判断が出来なかった。
「誰か、誰か来てくれよ……」
下ではまだ機動隊が様子を窺っている。その後ろには銃を持った隊員達が。まるで戦争ではないか。
「駄目だ、そんな物じゃ、アイツ等は止められないんだ」
涙目で、緒方がそう呟いた。ここに居るのは彼1人。誰も彼の言葉など聞いていない。
と、ここで、下でも事態が進んだようだ。隊員の1人が悲鳴を上げたのだ。そのすぐ後に銃声が聞こえた。始まったのだ、人間とネズミの戦いが。
緒方の予想通り、戦いはネズミが優勢だ。隊員が暴れているのを見るに、楯の間から侵入して人間を食べているらしい。
屋上から冷静に戦いを分析している自分が恐ろしい。勝負は目に見えている。緒方は場所を変えることにした。動物達もワケがわからず暴走しているらしいし、逃げるのは案外簡単かもしれない。
下へ降りる出口へ行こうと立ち上がったとき、あるものが視界に入った。
1羽のカラスだ。カラスはじっと緒方を見つめている。更に続けて別のカラスやハトが屋上に集まってくる。
「お前等もなのか?」
人間が言葉を発した。
それを合図に鳥達が一斉に緒方に向かって飛んで来た。彼等は男の肉をついばんでいる。
「いっ、痛っ! ふざけんなよ、おいぃ!」
鳥の大群を追い払って入り口へと急ぐ。鍵は開いているからすぐに入ることが出来た。開いた隙間めがけて鳥達が向かってくる。緒方は大慌てでその扉を閉めた。鉄の扉に切断され、カラスの首だけが中に落ちた。
「はぁ、た、助かった……」
階段を下りようと振り返った瞬間、絶望が彼の心を満たした。
自分が進むべき道を、大量の黒い何かが占領している。そう、ネズミだ。
「ふざけるなよ」
新しい餌を見つけて、今度はネズミ達が緒方に跳び掛かった。服の中に侵入した小動物達が柔らかな肉を齧る。削られる感触が恐ろしくて、彼は咄嗟に扉を開けてしまった。だがそこには、あの鳥達が待っている。
鳥がネズミと緒方に襲いかかる。彼等には仲間意識など無い。同じウイルスに感染していたとしても、鳥にとってネズミは格好の餌なのだ。
青い空の下、1人の男の悲鳴が響き渡った。
研究所。
焦っているせいか全く作業が手に付かない。峰は何度も壁やデスクに当たっている。荻野も恋人を犯人扱いされて苛ついている様子だ。
仁科はその思い空気に耐えられなくなり、部屋の外へ出た。こんなときに不謹慎だろうが、こういうときは好きな缶コーヒーを飲んで落ち着くのが1番良い。
自販機は建物の入り口付近にある。口笛を吹きながら自販機へ向かい、ポケットから財布を取り出す。
「はぁ、俺等帰れるのかな」
独り言を言った後、周りを確認する。が、誰も居ない。
中に犯人がいるかもしれない。そのことが彼も怖いのである。
自販機に辿り着き、小銭を入れてコーヒーを買う。ボタンを押した数秒後、ゴトンという大きな音とともに缶が落ちて来た。それを取り上げようとした瞬間、
「うっ!」
後ろから誰かに押さえられた。いったい誰だ、まさか桂か? 恐る恐る振り返る。
「静かに」
いいや、桂ではない。先程近藤と一緒に外に出た筈の岸田だった。岸田は仁科を連れて物陰に移動した。辺りをキョロキョロ確認してから、仁科を離して自分もひと息ついた。
「何だ? どうした? 近藤さんはよ?」
「静かに! 気づかれる」
気づかれるとは何なのだろう。
岸田が外を指差す。出入り口のドアはガラス張りだから、外の様子が見える。物陰に位置を変え、意識した途端、ソレがはっきりと見えるようになった。
中型犬2頭が何かを食べている。その下ではネズミ達も何かに齧りついている。
「あれは?」
「近藤さんです」
動物達が夢中になって食べているもの。それは、数時間前まで近藤だったものだ。
岸田の話によると、2人が準備をして外に出た瞬間、あの2頭が物陰から現れて跳び掛かって来たそうだ。持っていた道具で殴っても、彼等は痛みを感じていないのか、怯まず向かって来たという。岸田は早く中に逃げたのだが、近藤は犬達に捕まって助けられなかった。なので、取り敢えず鍵を閉めて隠れていたのだ。
あの犬もここの所有している個体だ。足にネズミと同じくプラスチック製の器具がついている。となると、もうここも安全ではなくなったということだ。中の動物達も感染している可能性がある。
「これから、どうします?」
「3人に知らせよう」
「はい。でも、まずは入り口を塞がないと」
確かに鍵だけでは頼りない。痛みを感じないのであれば、彼等は躊躇わずにあのドアを突き破ってくるだろう。
2人は同時に、ドアの脇に目をやった。あそこにはシャッターを下ろす装置が付いている。それで入り口の防御を固めるのだ。しかしあのドアでは、動けば犬達にもこちらの存在が知られてしまう。
やるしかない。2人は壁伝いに移動する。なるべく音を立てないよう、慎重に。幸い動物達は食事に夢中で2人に気づいていない。
「俺が押す」
先に先輩である仁科が装置に近づき、透明なふたを開けた。中に緑色のボタンがある。犬達の様子を窺いつつ、仁科はゆっくりとそのボタンを押し、すぐにその場から離れた。
シャッターが音を立てて降りてくる。この音に反応して犬達が吠え始めた。しかし、彼等が向かって来る前にシャッターが閉まり、ガラスが破られることはなかった。
「よ、よし。高田さん達の所に行こう」
「はい」
2人はおぼつかない足取りで、研究室へと向かった。