ONE-1-
日差しが強い。
太陽が僕の邪魔をしているかのようだ。
でも、この計画は絶対に実行する。そしてその瞬間は、もうすぐそこまで迫っているのだ。
さて、最初の1人は何処かな。必要なものは、意識して探しているときほど見つからないものだ。だからといって意識しないようにしても上手くいかない。
場所が悪いのだ。彼等は人間に対して何らかの敬意を払っている。だから、人前には姿を現そうとしないのだ。もっと人間の少ない、汚くて、湿っていて、人が寄り付かない場所なら……ほら、いた。
1匹のドブネズミが暴れている。ネズミ捕りに引っかかっていた。近くの店が仕掛けたのだろう。
彼にしよう。ポケットから、とっておきの物を取り出した。注射器の中に入ったソレが、誤った道に進んだこの世界を正しい方向へと導いてくれる。
ゆっくりと歩み寄り、彼の側にしゃがむ。
「少し痛いよ」
注射針を彼の腹にあて、中に入った黄緑色の液体を注入する。ネズミは一瞬ピクッと動いたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
作業は済んだ。ネズミ捕りをいじって彼を自由にしてやった。彼は地下の仲間達の所へ一目散に走って行った。
「頼んだよ」
僕は彼等に方舟を示した。
あとは彼等が、自分達の手で舟を動かすだけだ。
2021年。
世界は若干ハイテク化が進んだ。が、未だに経済的格差があることは否定出来ない。よく漫画なんかで描かれているような世界はまだ完成していない。電子機器ばかりが進化するのみで、大きな変化は見られない。
ここ、日本生物科学研究所でもまだ成果は上げられていない。発足当初は難病を治すためのワクチンを造るということで注目されていたのだが、今ではその存在は風化しつつある。
「峰君、例の薬はどうだい?」
眼鏡をかけた痩せ形の中年男性が、長い黒髪の女性に声をかけた。
「いいえ、残念ながら」
今、この2人の研究者、峰靖子と高田総一郎が話しているのは、近年海外で猛威を振るっているウイルスのワクチンについてである。人体実験は認められておらず、マウスを使って効果を試している。が、今回も実験は失敗。マウスは副作用で死んでしまったらしい。研究所では何匹ものマウスを飼育しているため、1匹死亡したら別の個体が選ばれる。
高田はため息をついて新しいマウスを取りに向かった。この動作もこれで何度目だろう。高田は今年で還暦を迎える。研究にばかり力を注ぎ、家庭は冷えきってしまった。もう妻も子も出て行ってしまった。
峰も今年で34歳になるが、未だ相手はいない。この6年を全てワクチン開発に捧げて来たのだ。彼女の両親は何度も縁談を持ちかけたが、彼女本人は相手がいないことをさほど気にしていない様子だった。
「ああ、見てよこれ」
同僚の仁科浩平が、PCの画面を峰に見せた。そこには研究所を痛烈に批判したニュースが写し出されている。天然パーマの頭をポリポリ掻きながら記事を指差して文句を言う。
「良い気なもんだよなぁ、こっちの気も知らないで」
「でも、結果を出せていないのは本当のことだし」
「まぁね。はぁ……いつになったら万能薬が出来るのやら」
PCをスリープ状態にして仁科がため息をつく。
いつまで経っても良い成果が得られず、研究者達のモチベーションも下がってしまった。人の命を守るという当初の理念を今も覚えている者は少ない。この峰を入れても10人に満たないだろう。
「遅くなりました! ……あれ? 高田さんは?」
たった今やって来た岸田荘太もここの職員の1人だ。研究所内では1番若い。見た目も金髪にピアスという、とても研究者らしからぬ出で立ちだ。
彼は研究よりは趣味を優先するタイプの男だ。ここに就職したのも合コンのための肩書きが欲しかったからに過ぎない。
彼に続いて別の職員が入って来た。荻野祥子、峰の1年後にここに来た後輩だ。手に注射器を持っている。中には半透明の液体が入っている。これが、現在開発中のワクチンだ。
「桂君来てないですか?」
「え? 桂? ああ、そう言えばまだ来てないや」
桂信二。その男もここで働いている職員だ。これまで休んだことがなく、研究にも誰よりも力を注いでいた。
そんな男が急に休むとは少し意外だった。ただ、彼がいなくとも、研究は難なく続けられるのだが。
「ま、アイツも人間だってことだよ」
「なるほどね」
後ろで話を聞いていた近藤春樹と緒方清が笑いながら喋る。この2人は高田の同僚だ。先に出世した彼を疎ましく思っている。
彼等の会話を聞いて荻野が不快感を示した。
「いや、関心してる場合じゃないでしょ。重い病気だったらどうするんです?」
笑い飛ばす一同の中で、荻野だけは不安げな表情を浮かべていた。
いつものことだ。皆気にも留めない。
荻野と桂は交際関係にあるのだ。相思相愛、桂は研究にもこれまで通り力を注いでいるが、荻野の方は研究に手がつかない程彼を愛している。
どうせすぐに元気になる。峰は彼女を無視して作業を続けた。
「ほら、さぼってないで続けるぞ」
高田が白いマウスを掴んで戻って来た。足にはプラスチック製の小さな器具が取り付けられている。この研究室で飼育されている証だ。個体番号が記されている。
次はあのマウスが犠牲か。室内にいる殆どの職員がそう思った。高田も何だか残念そうな目で手の中の動物を見つめている。
これ以上マウスを犠牲にするわけにはいかなかった。研究所に残っている個体数はもう少なくなっている。1回の実験につき1匹死んでしまう、そんなペースが続けば研究が出来なくなってしまう。研究員達はこのことを気にかけている。
「いつまで続けんのかなぁ」
また仁科が愚痴る。峰はそんな彼の頭を机に置いてあったファイルで軽く叩いた。
「そんなんじゃ、いつまで経ってもワクチンは出来ないわよ。私達の薬で、世界中の人々を助けるのよ」
彼女の言葉は高田の耳にも届いていた。高田はマウスを見つめながらニコッと微笑んだ。