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神影鎧装レツオウガ  作者: 横島孝太郎
#3 プロジェクト・ヴォイド
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Chapter08 挑戦 04

 サメのような乱杭歯が、唸りを上げて辰巳(たつみ)に迫る。レックウの前輪から展開したその霊力刃は、言うまでも無くサークル・セイバーだ。

 本体であるレックウの車体ごと、真正面から迫る巨大な裁断装置。その異様に、しかし辰巳は動じない。

「やっと出したか」

 むしろ、小さく鼻すらならした。

 マリアの方はともかく、風葉(かざは)は今まで攻め方を遠慮していたように辰巳は見ていた。まぁ同じクラスメイトである上、今まで何度も死線を潜った同僚なのだ。無理もあるまい。

 だが残り時間が三分を切ったのと、あと一撃で敗北が決まってしまう状況が、風葉の戦意にようやく火を付けたようだ。フェイスシールドの奥で輝き始めた金の目も、その証左であろう。

 だが。

「まだ、隙が多いなっ」

 言い放ち、ハンドガンを投擲する辰巳。

 風葉は目を見開いた。銃弾程度でどうにかなるレックウの車体では無いが、ハンドガンほどの大きさがある物体となると、流石にまずい。

「くっ」

 ほんの少し車体を傾かせ、ハンドガンを切り払う風葉。高速回転する乱杭歯に晒され、一瞬で霧散する銃型の霊力塊。その対応のため、ほんの少しだけ揺らいでしまうレックウの車体。

「良い反応だな」

 などと言ってはいるが、辰巳からすればそれは隙以外のなにものでもないのだ。

 例えそれが一秒にも満たない、極々僅かな動作の隙間だとしても。

「それだけに、動きが読みやすいッ!」

 踏み込む辰巳。コンマ数秒でも躊躇すれば直撃していたろうサークル・セイバーが、ヘッドギアの塗料を削り取る。レックウの車体の影に、辰巳の姿が消える。

 起死回生の一撃を空振りさせられたレックウは、体勢を立て直すため一旦通り過ぎ――る事は適わず、いきなり空中へ跳び上がった。

「へ? うわ、わあっ!?」

 くるくると回転しながら真空中を泳ぐレックウ。ライダーの風葉はハンドルを放さないが、その様子は明らかに狼狽のそれだ。

 果たして今の一瞬の交錯に、何が起こったのか。

「冗談、でしょ」

 少し離れた場所で一部始終を見たマリアは、乾いた呟きをもらす事しか出来なかった。

 結論だけ述べるなら、ごく単純な話だ。

 辰巳は、風葉を、レックウごと投げ飛ばしたのだ。

 タイミングは、サークル・セイバーが掠めかけたあの時。

 普通のバイクで言うなら、丁度エンジンがある辺りに左手を。フットレストのやや後ろに右手を、辰巳はそれぞれ添えた。

 そして、どうにかして、投げ飛ばしたのだ。

 マリアも一応、ある程度の武術を嗜んではいる。だが、それでも今辰巳が見せた一連の動作は、摩訶不思議としか言い様が無かった。

(確かに投げ技ってのは、相手の重心をコントロールするものだけど……!)

 だとしても人型でない、しかも超高速で突っ込んでくる鉄塊を相手に、何をどうすればそんな芸当が出来るのやら。

(つくづく、信じられない事をするなぁ)

 だが、だとしても隙はある筈。例えば今。レックウを投げ飛ばした残心が決まり切っていない、この瞬間ならば。

「仕掛ける価値は、ある!」

 マリアの指揮棒に従い、回転しながら飛んで行く二振りの斧。ブーメランさながらの速度と鋭さを備えた刃が、辰巳を挟み込むように強襲。更にそれから一秒おいて、マリアはライフルを乱れ撃つ。

 並の相手ならば、まず間違いなく撃破確定するだろう連続攻撃。

 しかしながら残念な事に、照星の向こうに居るのは、やはり並の相手ではなかった。

「……だから、なんでそんなにも、危なげないのかなあ!」

 思わず愚痴るマリア。それくらいに、渾身の攻撃はかすりもしなかったのだ。

 霊力によって思念誘導される斧は、当たる一秒前に身体が逸れる。休み無く続いている銃撃は、稲妻のような回避運動によってことごとく外れる。いっそ面白くなるくらいに当たらないのだ。

「想定通りとは言え、ちょっと自信無くなっちゃうなぁ……!」

 それでも斧とライフルを指揮しながら、マリアはじっと待ち続ける。

 ほんの少しで良い。辰巳が、隙を見せる瞬間を。

「く、ぅ」

 五秒、十秒、十五秒。水飴のような瞬間をかき分けるように、マリアは銃を撃ち、斧を操作し続ける。

 だがやはり辰巳はそれを避け、あまつさえじりじりと近付いて来る。

 分が悪すぎたかな――そんな弱気がちらつき始めた矢先、辰巳が小さく跳躍した。

 足下、ぽっかりと空いた直径一メートルほどのクレーター。それを跳び越えたのだ。

 マリアは目を見開く。何らかの推進装置がない限り、跳んだものが空中で方向転換する事は出来ない。辰巳がそれを成すためのブーストカートリッジは、先程射出元であるハンドガンごと投擲した。再構成はしていない。

 好機だ、千載一遇の。

「い、まっ!」

 マリアはそれを逃がさない。間髪入れず指揮棒を振り、左のライフルを呼び寄せる。銃把を握り、霊力を急速充填開始。

 同時に、ライフルを構成していた霊力が解けた。マリアが解いたのだ。針で突かれた風船の如く外装が弾け飛び、土台のワイヤーフレームすら霊力光となって還元されていく。

 まばたきにも見たぬ一瞬で、霊力の塊へと戻るライフルだったもの。辛うじて照星の方向性だけは残っていたそのエネルギーを、マリアは照準。

「貰ったッ! フォルテシモ・アローッ!」

 真一文字に振り抜かれる指揮棒。それに呼応し、ライフルだった霊力塊は光の矢となって迸った。

 これこそマリアの奥の手、フォルテシモ・アローだ。武装を構成していた霊力を、巨大な弾丸として再構成速射するのである。

 無論、引き替えとなった霊力武装は消滅してしまう。だがそんなものは霊力が続く限りいくらでも補充出来るし、何より威力と速度は通常弾の比では無い。しかも今回は、術師のマリアが射出直前まで霊力を充填するというオマケつきだ。威力も、速度も、最大限まで高まっている。

 そして辰巳は、瞬間的にとはいえ、自由に身動きがとれる状況では無い。まさに必殺を期した状況と言う訳だ。

「ほう」

 だが、その必殺を目前にしてさえ、尚も辰巳は動じない。片眉を吊り上げるのがせいぜいだ。まぁこれ以上の鉄火場を幾度も潜っている上、(メイ)の訓練はいつもこれ以上にキツイのだから、さもあらん。

「そこそこいい手だが――」

 丁度その時、右手から襲い来ていた回転斧。必殺の瞬間に気を取られ、マリアがそのままにしていたブーメラン。

 その、高速回転しているはずの柄を、辰巳は苦も無く掴み取る。

「――キミも詰めが、甘いなっ!」

 そして、身体を捻りながら投擲する。進行方向をねじ曲げられた斧は、真正面から突き進んでいたフォルテシモ・アローと衝突。生じた爆発が粉塵を撒き散らし、飛び散る霊力光がまたもや辰巳の姿を覆い隠す。

「うっ」

 しまった、と思ったところでもう遅い。こうなれば先程と同様、辰巳はブーストカートリッジを使うだろう。現状、あの凄まじい突貫から逃れる手段はない。ならば迎撃は――。

「――ちょっと、厳しい賭けになる、かな」

 膝を立て、ライフルを構え直すマリア。いずれ霊力光から飛び出すであろう、辰巳を撃ち落とすための構えだ。

 だが、果たして上手く行くのか。先日日乃栄(ひのえ)高校で戦車を狙撃した時とは訳が違う。標的はいつ現われるか分からぬ上、超高速で突っ込んでくるのだ。

「まるで、早撃ち勝負ね」

 そもそも、本当に正面から来る保証すら無い。だが、それでもマリアは待ち構える。移動速度で劣っている以上、そうする他ないのだ。

 だが、結局その引き金が引かれる事はなかった。

 辰巳の突貫が捉えられなかったから、と言う訳では無い。

 視界の外、もうもうと立ち上る霊力光の更に上。そこから降り注いだ五発の円錐が、更なる爆発と霊力光を撒き散らしたからだ。

「えっ」

 思わず立ち上がってしまうマリア。その驚愕を、横合いから跳び込んで来た通信が塗り潰す。

「乗ってっ!」

 向かって右側、乱舞していた霊力光の手前。連鎖する爆発を背に疾走する二輪とそのライダーの名を、マリアは良く知っていた。

「レックウ……ファントム5!?」

 ブーストカートリッジ並の速度で疾走していたレックウは、マリアの目前で一瞬だけ減速。

 マリアはすぐさまその意図を読み取り、シートの後ろにひょいと腰を預ける。

「飛ばすよ! しっかり捕まって!」

「分かってます!」

 ライダーの胴にしっかと腕を回すマリア。直後、ライダーはアクセルを全開。正面にそびえる山のようなクレーターの裾をなぞりながら、全速力でその場を離れていく。

「おやおや」

 かくて一人後に残された辰巳は、晴れ行く霊力光の只中で、レックウの後ろ姿を見据えた。

「あと二分切りそうだが、どうする気かな」

 独りごち、辰巳はブーストカートリッジを通常弾倉に入れ替えた。



 大きく回り込んだクレーター、丁度辰巳が居る反対側。そこでようやく停車したレックウの背から、マリアはひらりと飛び降りた。

「まずは二つ、言っておきたい事があります」

 そして、真正面からライダーを見据えた。紅白の、巫女服然とした鎧装に身を包む運転手、霧宮風葉を。

「ん、何?」

 首を傾げる風葉に、マリアは指を立てる。

「一つ目。ありがとうございます、助けてくれて」

「ん、ん。まぁね」

 恥ずかしそうな、バツが悪そうな。頬の代わりにフェイスシールドをかきながら、目を逸らす風葉。

 そこへ間髪入れず、マリアはもう一本指を立てる。

「二つ目。どうして助けてくれたのですか?」

 何か、奥歯にものが挟まったような表情でマリアは風葉を見つめる。

 まぁ、その疑問も当然ではある。そもそもこうなった原因は、風葉がマリアを認めなかった事が原因なのだから。

「ん……ん。まぁ、ね」

 似た顔をしながら、風葉もマリアを見据え返す。

 風葉のマリアに対する評価は、先日日乃栄高校で疑念を抱いた時から変わっていない。

 風葉はマリアが気に入らない。ひょっとすると、オーディン・シャドー戦の辰巳以上に気に入らないかもしれない。

 飄々としている割には本当に言いたい事を隠してる感じだし、髪の色がフェンリルを発動した自分と似ているし、その割には胸のサイズが自分と反比例しているというか下手すると(いずみ)よりも――。

「――って、いやいやいや。そこは関係ないよ。今は。あんまり」

 ぶんぶんと首を振る風葉。不思議そうな顔をするマリアに、風葉は提案する。

「とにかく! ……このままバラバラにやってたら、絶対に勝てないよね」

「それは、まぁ、確かに」

 冥・ローウェル。理論上人類最強の師がついている事は知っていたが、実際に味わった技量差は、あまりにもかけ離れ過ぎていた。

 それを踏まえた上で、風葉は言い放つ。

「だから、さ。なんていうか……そう、賭けの勝率を上げてみたくない?」



「す、ぅ」

 風葉達が消えていったクレーター。それにあえて背を向けながら、辰巳は全方位を警戒する。

 右手にハンドガン、左手に鉄拳、そして口元には規則正しい呼吸。やや半身になって構えるその出で立ちに、隙や油断は微塵も無い。

「は、ぁ」

 細く息を吐きながら、辰巳はフェイスシールド裏の時計をちらと見る。

 残り時間は一分を切ろうとしている。このままでは辰巳の勝ち――もとい、引き分けになってしまう。

 そうなったらどうするのか。改めて仕切り直すのだろうか。

 そんな結果をあの二人が、特に風葉が納得するだろうか。

「そんな筈は……」

 思わず独りごちる辰巳。直後、視界が少し暗くなる。影が差したのだ。

 そして辰巳は、その影の形を良く知っていた。

「……ないよな、やっぱ」

 すぐさま振り返り、辰巳は上を見る。

 光を発する中天の地球、それを背負いながら落下してくる二輪が一台。前輪から乱杭歯の円刃を展開させたそのバイクは、まごう事なきレックウだ。クレーターの反対側斜面をジャンプ台代わりに、最大加速で突っ込んで来た訳か。

 ライダーの姿は良く見えない。地球光を背負っている事に加え、ハイビームのライトがこちらを容赦なく刺してくるのだ。

 強襲、目眩まし、サークル・セイバー。なるほど悪くはない。だがその程度の組み合わせでは、まだまだ辰巳が対応出来る範囲である。

 故に、風葉は更なる手札を切った。

「行けっ!」

 そう風葉が叫ぶなり、レックウの後ろへ並んでいたらしき円錐が、扇状にぞろりと広がった。ジャンプする直前に弾帯を敷いていたのだろう。

「なんと」

 射出される円錐。それを見据えながら、辰巳は目を見開いた。そんな芸当が出来たのか、と。

 しかして、驚いたのはほんの少しだ。冥によく訓練された辰巳の反射神経は、迷う事無くハンドガンをランチャー弾へ振り上げる。

 照準、射撃、着弾。爆散するランチャー弾の群れ。生じた衝撃と霊力光がレックウを揺らし、サークル・セイバーの乱杭歯が先程以上に揺れる。もはやまともな狙いは付くまい。

 後はさっきと同じように投げ飛ばすか――そんな算段を決めた辰巳の視界に、ようやく風葉の顔が映り込む。

「なんだ?」

 訝しむ辰巳。フェイスシールドの向こう、風葉の口端。そこに小さな笑みが浮かんでいる。

 まだ何か策があるのか。そう辰巳が警戒するよりも先に、風葉は叫んだ。

「キューザックさんっ!」

 風葉の背後、シートの後ろからにわかに立ち上がる人影が一つ。身体をしっかりくっつけていた上に、ライトの逆光でその存在を隠していたのだ。あるいはこれ見よがしなサークル・セイバーすら視線誘導の一環だったかもしれない。

「わかってますっ!」

 どうあれ落下中のバイクの背という不安定極まりない場所に立った人影は、更にそのまま高く高く跳躍する。術式の補助はもちろんあるだろうが、だとしても見事な身のこなしに辰巳は感嘆する。

「なるほど。そこから――」

 ――どんな軽業を見せてくれるんだ、ファントム6。そんな雑感を辰巳が呟くよりも先に、マリアは鋭く指揮棒を振った。こんな軽業だ、と返答するように。

 直後、その背後からずらりと現われたのは、二丁のライフルと二振りの斧。再編成されたカルテット・フォーメーションだ。先程のレックウ同様、背後に並べて隠していた訳か。

 あるいはあの精密誘導もマリアの差し金だったかもしれないが、どうあれそんな事は後でも確かめられる。今重要なのは、マリアの行動の真意を測る事だ。

「そ、こっ!」

 揺れる指揮棒の指示に従い、雨のように弾丸を振らせてくる二丁のライフル。凄まじい弾幕だ。

 対する辰巳は動かない。動く必要が無いのだ。マリアの直下、辰巳の頭上。丁度中間地点にいるレックウが、障害物になってくれているために。 

 十中八九、辰巳が動かぬ事は二人も承知しているだろう。足止めの牽制射撃という訳だ。

(だから、本命は)

 素早く視線を巡らせば、予想通りブーメランのように旋回している二振りの斧があった。サークル・ランチャーとライフルで動きを止め、間髪入れずに左右の斧、更に直上のサークル・セイバー強襲という三段攻撃が彼女らの本命か。

 なるほど、即席にしては良く出来た連携だ。

 だが、それでも一手足りない。

「す、ぅ」

 短く呼気を調えながら、辰巳は三方から迫る刃の軌跡を読む。一秒程度の差であるが、どうやら左の斧が一番早いようだ。

 下段、足下を掬うように迫り来る回転刃。これを小跳躍でやり過ごし、次いで右を――と視線を向けかけた矢先、ようやく辰巳は気付いた。

 今まさに、自分の真下に回り込んだマリアの斧。その表面が、青く輝いている事に。

 とある術式を構成する幾何学模様を編み込まれた青色は、間違いなくサークル・ランチャーの弾帯であり。

「サークルッ! ランチャァァーッ!」

 叫ぶ風葉、至近距離から射出される霊力の円錐。まっすぐに胸元を狙うランチャー弾に対し、辰巳は今度こそ回避も防御も取る事が出来ない。

「お見事」

 ランチャー弾の直撃を受け、レックウとすれ違うように宙を舞う辰巳。それと同時に、模擬戦終了を報せるサイレンが鳴り響いた。

「まぁね。私だって、がんばって考えたんだから」

 蚊の泣くような辰巳の賞賛を、それでも耳ざとく拾い上げながら、風葉は着地する。

 一回、二回。軽くバウンドして衝撃を完全に逃がした後、静かに停車するレックウ。その傍らへ、ひらりと優雅にマリアは着地した。

 二人とも息が荒い。ともすれば、あれだけ動いていた辰巳以上に。それだけ神経を張り詰めさせていたと言う証左だ。

「残り、あと、一秒でしたね」

 大きく息をつきながら、マリアは指揮棒を振る。カルテット・フォーメーションが解除され、四つの武器が霊力に戻って消える。

「ん」

 頷く風葉。フェイスシールドの裏に灯ったモニタ内、映りだした(いわお)が何か言っている。模擬戦終了に関した何かだろうが、今の風葉は聞く耳を持たない。

「……ん」

 おずおずと、しかし高々と、風葉は手を上げる。それが何を意味するのか、マリアは四秒ほど時間を要した。

「――あ」

 破顔し、同じように手を上げるマリア。

 掲げられた二つの手。その掌が軽く、朗らかに打ち鳴らされる。ハイタッチだ。

 後はもう、堰を切るという言葉の通りであり。

「なんか、ゴメンね。今まで変な事でつっかかっちゃってさ」「いえ、霧宮さんが疑問に思うのも無理はないですよ。もっとうまく説明出来れば良いのですが……色々と、事情が」「ん、いいよいいよ。それより仲直りっていうか、名前の方で呼んでくれない?なんかくすぐったくてさ」「そうですか? じゃあ、敬語も止めさせてもらおうかな。どうにも堅苦しくて――」

 きゃいのきゃいの、と盛り上がる風葉とマリア。止まる気配の無いおしゃべりに、巌は小さく息をつく。

『なーんだかな。というわけで辰巳、二人が落ち着いたら改めて連絡頼むわー』

 途切れるモニタ。途切れる気配を見せないお喋り。着地した片膝姿勢のままでそんな一部始終を眺めていた辰巳は、遂に盛大な溜息と共にあぐらをかいた。

「……勝手にしてくれ」

 見上げた空。相変わらず中天に座している地球だけが、辰巳の苦労を労ってくれた。


◆ ◆ ◆


 同日深夜、日付がそろそろ変わる時間帯。

「~♪」

 遠い遠い昔に古代ギリシャで作られた、しかし歴史の影に埋没してしまった流行り歌。歴史的な価値が非常に高いそれを適当にハミングしながら、冥・ローウェルは天来号の廊下を歩いていた。

 目的地は無論、ファントム・ユニット執務室である。

 通路は大分暗い。いつも点いている天井の照明は現在眠っており、代わりに廊下の壁際へ等間隔に埋め込まれた非常灯が、淡く辺りを照らし出すに留まっている。

 故障では無い。地球から遠く離れた天来号に、昼夜という概念を再現するための配慮である。

「お、やっぱり居たな」

 だから、すこぶる良く見えたのだ。執務室の扉、下の方から漏れている照明の明かりが。

 静かに、冥は扉を押し開く。

「どれ。なにやってんのかなー?」

 廊下と違い、煌々と灯っている天井の照明。それが照らし出す室内に居るのは、僅かに一人だけだ。

 部屋の最奥、責任者用に設けられた机。書類が山を成すどころか周囲に散乱し始めている只中で、静かに瞑目している男が一人。

 言うまでも無く、五辻巌である。

「寝てるのか? んなワケないよな、巌」

 肩をすくめ、近付く冥。対する巌は静かに目を開く。

「目を休めてたのさ、瞑想もかねてな」

 いつにない、真剣な双眸。平素のように弛緩した雰囲気など微塵もない、剃刀のような空気を、今の巌は纏っている。昂ぶっているのだ。

 まぁ無理からぬ事だ。こうまで巌が張り詰める理由を、冥はもちろん知っている。しかして、それをわざわざ指摘するような無粋はしない。

 ただ、花のように淡く微笑むのみだ。

「それにしても、狙い通り風葉とキューザックくんが仲直りしてくれて良かったな」

「ああ」

「若人特有のすれ違いを正すには、やはり同じ困難に立ち向かわせるのが一番良いと言う事だな」

「ああ」

「的になった辰巳には、少々酷だったかもしれんがね」

「ああ」

「……聞いてるのか?」

「半分」

「ああそう」

 つまらなさそうな顔をする冥だが、巌は気にも留めない。

 二年前、神影鎧装レツオウガによる霊力暴走――プロジェクトI.S.F.事件。

 今、巌の思考は、知る限りの全貌を改めてなぞり直しているからだ。

 あの日から、五辻巌は全てを賭けて準備を進めて来た。

 当時はまだ姿すら見えなかった「敵」に、対抗するために。

 その目的を、完膚無きまでに粉砕するために。

クロス・ザ・ルビコン(賽は投げられた)、か」

 言いつつ、巌は懐から一枚の写真を取り出す。もうすっかりくたくたになってしまったそれは、五辻巌を五辻巌として繋ぎ止めてくれている、楔の一つだ。

 小さい印紙の中には、二人の人物が写っている。

 一人は巌。当時無理矢理ファインダー前に引っ張り出された彼の笑顔は、随分と固くぎこちない。ミルクケーキみたいだ、と一緒に映った彼女は言っていた憶えがある。

 その、もう一人。巌の腕を引きながら、太陽のような満面の笑顔でVサインを作っている女性の名を、巌は知っている。とても良く、知っている。

「……ヘルガ。ヘルガ・シグルズソン」

 アリーナ・シグルズソンの姉。かつて背中を預け合った相棒であり、何よりも大切な――大切な、想い人同士だったひとだ。

「これは、最初の一歩だ」

 他の誰でも無い、自分自身に巌は言い聞かせる。

「敵が、グロリアス・グローリィがどう動くかは不明だが……それでも」

 それでも、巌は仕掛ける事を選んだのだ。

 二年前から続く全ての因縁に、本当の決着を付けるために。

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