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神影鎧装レツオウガ  作者: 横島孝太郎
#2 最後の魔術師
53/194

Chapter06 冥王 16

 某所。

 高級な調度品と、魔術的な品々が違和感なく調和している執務室。

 その主であるザイード・ギャリガンは、己の机にゆったりと座りながら、バインダーにファイルされた書類を読みふけっていた。

「……」

 一枚、一枚、また一枚。じっくり見据える書類の上には、忙しい筆記体で書かれたアルファベットがぱたぱたと走り回っている。

 書類は随分と古い。古書、と言うより古文書の類いであろう。

 かつて白かったと思われる表面は経年ですっかり色褪せ、四隅はすり切れた雑巾のような有様を晒している。控えめでも紙屑といった感じだ。

 だがこの古びきった紙屑束こそが、今回ギャリガンにこのような介入をさせた理由の一つなのだ。

「……ふぅむ」

 半分ほど読み終え、鼻をならすギャリガン。既に何度も目を通しているので、流石に新しい発見はなさそうだ。

 と、その時小さなノック音が響いた。

 声は無い。だがギャリガンは扉の向こうに誰が居るのか、良く分かっていた。

「来たね。入りたまえ」

 許可するなり、するりと入って来たのは長髪のメイドである。コーヒーセット一式を持ったままお辞儀する彼女は、その肩に一羽のカラスを止まらせていた。

 以前グレンと口喧嘩を繰り広げたギャリガンの使い魔、その片割れだ。

 胸に青い宝石を輝かせるカラスは、赤い方とは対照的に一言も喋らない。口数が少ないのだ。もっとも今はSDカードをくわえている事もあるのだが。

 ともかくカラスは翼をはためかせ、ギャリガンの座る机へ緩やかに滑空。端に置かれていた金時計に止まったカラスは、咥えていたSDカードをギャリガンへ差し出す。

 ここへ来る前、サトウが預けていった諸々のデータ類である。

「ご苦労だったね、アオ」

 SDカードを受け取りながら、反対の手でカラスを撫でるギャリガン。アオと呼ばれたカラスの使い魔は、くすぐったそうに首を振った。

 今頃、サトウは後始末をしている真っ最中だろう。何せ顔が凪守(なぎもり)に割れてしまったのだから。

「ふふ」

 ギャリガンは笑う。苦心に苦心を重ねて練り上げた計画が、概ね予定通りに推移しているのだ。上機嫌にもなるのも無理はない。

「つい懐かしくなって、昔の資料を引っ張り出してしまってね……これが、何だか分かるかね」

 なので、ギャリガンは笑みを浮かべながらバインダーを振った。一ページ目が見えるよう開かれてはいるが、当然メイドはその内容を知るはずも無い。

 てきぱきとコーヒーの準備をしつつ、メイドは小さく首を振る。

「否」

 ぼそりと言いながら、同様に首を振るアオ。そんな一人と一羽を前に、ギャリガンはますます笑みを深めた。

 そして、言い放ったのだ。

「これはね。アイザック・ニュートンが宇宙へ封印した遺産の概要を記した……そうだね、取り扱い説明書のようなものだよ」

 怪盗魔術師に端を発する、今回の一件。その根底を揺るがす一言を、さらりと。

 ――ニュートンが書いた魔術的な書物は、確かに現代にも残っている。資料として、あるいは資産として、様々な個人や組織が断片を所有している。有名なところではBBB(ビースリー)や、ケンブリッジ大学図書館がそうだろう。

 もっとも、そうした資料を全て集めても完全にはなるまい。長い歴史のうねりと、意図的な隠蔽によって、散逸した部分が少なからずあるのだ。

 中でも最も有名な散逸資料が、遺産に関する書物だろう。

 魔術師アイザック・ニュートンが、その秘技と生涯をかけて造り上げた超重力結界。

 なぜ、そんなものを造ったのか。危険なのか、そうでないのか。

 そんな単純な情報すら、現在は失伝してしまっているのだ。

 一体何故なのか。何者の仕業なのか。

 予測、推測、与太話。まつわる逸話は枚挙に暇がないが、その証拠となりうる物品を所持しているのは、世界中探してもこのザイード・ギャリガンただ一人であろう。

 凪守やBBBはおろか、世界中の誰もが知らなかった資料を、この男は極秘裏に所持していたのだ。

 怪盗魔術師エルド・ハロルド・マクワイルドが、それを欲している事を知りながら。

「……」

 その事をメイドは今初めて知ったが、特に驚いた様子は無い。と言うより、そもそも表情筋の動く気配が無い。だがギャリガンは気にも留めず、熱っぽく語り出す。

「あの超重力場内部に封じられているのは、試作された人造人間(ホムンクルス)の、なれの果てなのだよ」

 ぺらり、ぺらり。歴史の空白を埋める資料としても大変に価値があるその古書を、ギャリガンは無造作にめくる。

「不死を造ろう。己の力を試すため、ニュートンはそんな無理難題に挑戦した。他の錬金術師達も協力し、持てる限りの技とヒラメキをつぎ込んだ」

 また資料を一枚めくり、ギャリガンは片眉を上げる。

「だが……結果として途方も無い失敗作が出来上がったのは、いささかスパイスの利きすぎた皮肉だね」

「失敗」

 口、もといクチバシを挟むカラスことアオ。身体ごと首を傾げる使い魔に、ギャリガンは大きく頷き返す。

「そうだ。出来上がった人造人間は、確かに死ぬ事は無かったそうだ。だが何の手違いなのか、周囲にある霊力を含んだものを吸収、同化しながら際限なく膨れ上がるという性質も持ってしまったのだよ」

「ガン細胞」

 呟くアオ。その足場になっている金時計に傍らへ、メイドが音も無くカップを置いた。濃いめのブラックコーヒーだ。

「ああ、ありがとう。そして、アオの言う通りだ。ニュートンが遺したこの資料には、そのガン細胞の危険性、それがもたらした当時の災禍、万一暴走した場合に取るべき対処方法などが細かく記されていたよ。何せ、人間すら食ってしまうほど貪欲だったからね」

 いかなる術式だろうと吸収し、調伏しようとした魔術師すらも捕食同化し、際限なく膨れ上がる悪夢のような肉塊。それが後世、遺産と呼ばれる事になる超重力場に封入されていた物の正体である。

「そして現在、それは神影鎧装バハムート・シャドーという極めて高い霊力の塊に収まっているわけで――」

 コーヒーの香りを楽しみながら、ギャリガンは上を見る。とは言っても、その目が見ているのは天井ではない。

 赤い宝石を胸元に装着していた、もう一羽のカラス型使い魔、アカ。その目を通して、ギャリガンは空を、その向こうに浮かんでいるバハムート・シャドーを見ていたのだ。

 そして今、アカが見上げるその前で、バハムート・シャドーは遺産を射出した。

 本体であるフレームローダーごと、戦闘区域から離脱する――そういう名目で預けられていた脱出の引金を、怪盗魔術師が引いたのだ。ギャリガンの目論見通りに。

「さぁ、いよいよクライマックスだ。冥王のお手並み、オリジナル神影鎧装の力。とくと見せて貰おうじゃないか」

 満足げに笑いながら、ギャリガンはコーヒーへ口をつける。

 それから、不意にぱたんとバインダーを閉じる。

「……おっと、忘れていた。キミ、この資料を処分しといてくれたまえ。もう必要ないからね」

 差し出されたバインダーを受け取り、メイドは頷く。

 かくして数分後、歴史的に高い価値を持ち、ギャリガンと怪盗魔術師の繋がりを裏付けるニュートンの資料は、跡形もなく灰になった。


◆ ◆ ◆


 それは一瞬の出来事だった。

 バハムートの体奥。そこから射出された『何か』――ニュートンの遺産が、フレームローダーに激突したのだ。怪盗魔術師の目論見とは、まったく真逆の方向である。

「な」

 最初にそう呻いたのは、果たして誰だったか。どうあれ、ニュートンの資料に記されていた危惧は、即座に訪れた。

 ぞぶり。

 真空の壁に断絶され、聞こえないはずの音を、しかし辰巳(たつみ)は聞いた気がした。

 それくらいにあっけなく、フレームローダーは『肉』に呑まれたのだ。

 そう、『肉』だ。そうとしか形容できない物体が、レツオウガの眼前で蠢いていた。

 おぞましく、みずみずしく、蠢動し続ける生命力の塊。数百年ぶりに超重力の枷から解き放たれた歪な命は、真空と絶対零度の二重苦などものともせず、全力を挙げて己の欲求を満たすべく動き出す。

 即ち、食欲を。

 ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり。肉塊は喰らう。際限なく喰らう。手近にあった霊力の塊――即ち、己を格納していたバハムート・シャドー、そのものを。

「な、なに、あれ」

 顔を引きつらせながら指差す風葉(かざは)。対する辰巳も眉をひそめずにはいられない。

「さぁな。ロクでもないもんだって事は確かだが……」

 スラスターを噴射し、後退するレツオウガ。だがニュートンの遺産たる異形の『肉』は、そんな鎧装になぞ目もくれずに貪り続ける。霊力の塊を。バハムート・シャドーの巨体を。

 そして貪る程に、肉は大きく膨れ上がる。ニュートンの警告通りに。

 キリも際限も無い。生きる、食べる、増える。単純な三大欲求を忠実に実行する歪な命は、ものの数分でバハムート・シャドーの巨体全てを飲み込んでしまった。

 もはやレツオウガの前に鎮座するのは神影鎧装ではなく、恐ろしく歪でひたすらに巨大な、一個の生命体であった。

 だが、果たしてその姿を如何に形容したものだろうか。

 少なくとも、今のバハムートは魚ではない。全身を覆っていた鱗は、流動する『肉』の中へ全て溶けてしまっている。背びれや尾びれはまだ辛うじて残っているが、果たしてそれもいつまで保つやら。

 泥の色は安定しない。みずみずしいピンクを晒したかと思えば、急速に鈍い茶色となり、またピンク色に戻る。こうした明滅が、体表の至る所で起きているのだ。

 顔もまた同様の泥に埋め尽くされており、以前のような鋭角さは欠片もない。ごつごつした山の中に、辛うじて目と分かる穴が開いたその様は、さながら子供の粘土細工だ。

『……前衛的、だね』

 小さく頭を振った後、(いわお)はモニタ越しの同僚へ問う。

『なぁ利英(りえい)、あれが何だか分かるか?』

『上っ面だけならなんとかな! 驚くなよ! ざっと見た限りアレはどうやらイキモノみたいだぜナンテコッタイ!』

『自分で驚いてるじゃないか』

 モニタ越しに注がれる(メイ)の視線を、当然利英は物ともしない。

 レツオウガから送られる観測データを血走った目で精査しながら、キーボードを乱打し続ける利英。その仕事ぶりを横目に、冥は腕を組む。

『と言うか、生き物だと? 宇宙服も無しに生きてられるのか、アレは』

『そう、そこよ! 真空! 宇宙線! 絶対零度! アイツの体表の色が安定しないのは、そうした要素で死んだ部分を、生きた部分が内側から食う事で新陳代謝してるからなんだナァこれが! ビックリダネ!』

 精査され、組み合わされ、急速に文章として纏まっていく利英の予測と推理と憶測。

 だがそれが形になりきる前に、バハムートは動いた。

『GGGRRR……GGRRRRRRR……!』

 利英の推察、それ自体はまったくの正解だ。バハムートを暗い尽くした異形の『肉』は霊力と、過剰新陳代謝によるカロリーを何より欲していた。

 そして今、バハムートはその補充先を見つけたのだ。

 即ち、眼科に輝く青い星を。その地表にひしめいている、幾億もの生命を。

『GGGGGGRRRRRRROOOOOOOOOOOOOOッ!!』

 ぐるりと巨大な身体を翻し、バハムートはレツオウガに背を向ける。そのまま一直線に、眼下の青い星――地球へと降下していく。目的は三つだ。

 一つ、星から際限なく放たれ続けている虹色、即ち無形の霊力の吸収。

 二つ、新陳代謝せずとも生きられる環境下への退避。

 そして、三つ。霊力よりも効率が良い栄養源の確保。

 脂質、タンパク質、炭水化物、その他諸々。生物が身体を保つために必要な栄養素を、『肉』は確保しようとしている公算が高い――と、利英の推測データは結論づけていた。

 それを斜め読んだ巌は、すぐさま叫ぶ。

『レツオウガ! 今すぐあのデカブツを止めろ!』

「そう来ると思ったよ」

 肩をすくめながら、辰巳はすぐさまスラスターを噴射。図体がでかい上に動きも緩慢なため、追いつく事自体はそれほど難しく無い。問題はここから先だ。

 ほとんど回り込むようにして巨大な顔を覗き込めば、ブレード・スマッシャーで開けた筈の大穴は、盛り上がる肉塊で埋まっている。フレームローダーの姿はもう見えない。怪盗魔術師ともども、食われ尽くしてしまったか。

「エルド・ハロルド・マクワイルドさん……」

 つぶやく風葉。溜息のように小さい声を背に聞きながら、辰巳は逡巡する。

 どう攻めるか。そもそも、レツオウガの攻撃が通用するのか。

「試せば、分かるかなッ!」

 先程ブレード・スマッシャーを叩き込んだ傷跡目がけて、レツオウガは左ブレードを投擲。

 バハムート目がけ、一直線に飛ぶ刃。間髪入れず、辰巳はスラスターを点火。

『GGGRRRROOO?』

 ここでようやく小石の接近に気付いたバハムートが声を上げるが、当然間に合わない。

 ブレードを追うように宇宙を駆けたレツオウガは、バハムートの眉間へ刃が突き立つと同時に、全力の蹴りを柄尻へ叩き込んだ。

()ィッ!」

 質量と運動エネルギーを叩き込まれたブレードは、特に爆ぜ折れる事も無く肉の中へ貫通。

 霊力の刃は柔らかい肉の中をかき分け、対角線上にあるバハムートの後頭部辺りから飛び出し、宇宙へ消えていった。

 呆気ないにも程がある手応えに、辰巳は目を瞬いてしまう。

「いや、ちょっと、柔らかすぎるだろ。圧力鍋で煮たのか?」

 しかして、それが致命打になるわけでもない。サイズ差が違いすぎるのは浸食される前からだが、それ以上に厄介な能力をバハムートが獲得していためだ。

「……!? い、五辻くん! 傷が!?」

 立体映像モニタを指差す風葉。その枠内に映るブレード貫通痕は、二人の眼前で塞がってしまう。

「なるほど、再生能力か」

 舌打つ辰巳。ニュートンによってもたらされた『肉』の不死性は、この程度では小揺るぎもしないのだ。

 塞がった傷を顧みず――と言うより、そもそも傷を負った自覚すらなさそうなバハムートは、巨大すぎる口をゆっくりと開く。

 洞窟のような暗闇の中に、ぼうと霊力のマグマが光る。メガフレア・カノンだ。

「ち、ブレス能力はそのままか!」

 即座にタービュランス・アーマーを発動し、真上に飛び上がるレツオウガ。直後、レツオウガが居た空間を莫大な霊力の光が撫でた。

 照射され続ける極太の光柱は、当然レツオウガを追う。鬱陶しい小虫を叩き落とすために。

「く、あ、あ、っ」

 連続してタービュランス・アーマーを発動し、どうにか射線から逃れ続けるレツオウガ。正確に追って来るブレスが左足を掠め、脚部アーマーが吹っ飛ぶ。

 余波だけでこの威力だ。直撃を貰えば消し炭ですら済むまい。

 欠損箇所を即座に再構成しながら、レツオウガはバハムートの体表上を滑空。敵の長大な身体をもう一度盾にしつつ、時間稼ぎをする算段だ。

 だが、これは悪手であった。

『GGRRRRROOOOOOOOOOOOOッ!』

 鋭い咆哮を上げた後、バハムートは再びブレスを放つ。

「な、ぁ!?」

 慌てて辰巳はタービュランス・アーマーを再発動し、同時にスラスターも全力駆動させる。

 瞬間的に更なる加速を得るレツオウガ。そのコンマ五秒後、まさにレツオウガの居た空間を、灼熱の奔流が薙ぎ払った。

 盛大に空振る灼熱は、当然バハムート自身の身体を貫通した。先程のブレードとは比べものにならぬサイズの穴が開き、炭化した肉が丸い穴を作る。

 が、その穴すらも十数秒ほどで塞がってしまう。ニュートンの遺産の再生能力は、かくも凄まじい代物だったのだ。

 轟、轟、轟。

 照射時間こそ短いものの、ブレス自体は休まる気配が無い。本能しか持たぬ『肉』にとって、霊力はただの燃料でしかないのだ。

 例えその霊力が、怪盗魔術師が最後まで保管していた、大事なものだったとしても。

「ぬ、う、う」

 歯噛みする辰巳、絶えず追尾する灼熱。レツオウガが稲妻のような軌跡を刻む度、空を切る光線がバハムートの体に穴を開ける。致命傷にならないからこそ可能な、強引極まりない迎撃手段であった。

「雑なやり方、してくれるねっ!」

 軽口を叩く辰巳であるが、その背中は冷たいものでじっとりと塗れている。今のところどうにか攪乱出来てはいるが、一撃貰えば終わりなのだ。

 焦る辰巳。その感情を見透かしたかのように、レツオウガの眼下を流れるバハムートの体表が、ごぼりと泡立った。

 煮えたぎる泡はすぐさま間欠泉の如く噴出し、異形の花となって花弁を伸ばす。

 バハムートのサイズも相俟って、その様はさながら噴火か、あるいは花火か。どうあれその火の先端は、消えるどころか積極的にレツオウガを追跡し始めたのだ。

 しかも、先端に巨大な刃を生やしながら。

「い、五辻くん後ろ!?」

 目を丸め、風葉は叫ぶ。レツオウガと同じ大きさの刃が、十本近く追いかけてきているのだ。そんな顔にもなろう。

「分かってる! まったく、どいつもこいつも料理に便利そうな技を――うおっ!?」

 毒突く辰巳の前方で、新たな泡が虚空に咲いた。レツオウガの進行を阻むように。

 即座にバレルロールする辰巳。そのコンマ三秒後、レツオウガが居た空間を刃が滅多刺した。

 刃の攻勢は尚も続く。レツオウガがどれだけ複雑な軌道を描こうとも、その先々で泡の噴出が動きを阻むのだ。

 縦、横、斜め。斬撃の機動自体は単純なものの、いつ現われるか分からない致命打は、それだけで辰巳の神経を削った。

 更にそれとは別に、メガフレア・カノンは未だレツオウガを狙い続けている訳で。

「これ以上、至近に陣取るのは返って危険か――!」

 幾度目かになる刃とブレスをかいくぐった加速の勢いを殺さず、レツオウガはバハムートから大きく飛び離れた。

『GGGRRRRRRROOO……』

 ようやく羽虫を追い払えて満足したのか、バハムートはすぐさま踵を返す。大量の霊力源がある地球へ、降下するために。

「ぬうう」

 眉間に皺を寄せる辰巳。現状ではどうあがいても太刀打ちできないのだから、さもあらん。

 ちらと横手の立体映像モニタに視線を移すが、中の巌は小さく首を振るのみだ。天来号の主砲使用申請は、まだ時間がかかるらしい。

「獣退治するにも手間がかかるもんだな……」

 独りごち、辰巳はふと納得する。

 獣。

 何気なく洩れた一言だが、現状のバハムートを的確に表してもいる。

 知識、理性、言葉。生身の身体はとうに無く、限界まですり切れていたとはいえ、それでも幾許かは見えていた、怪盗魔術師の意志。

 エルド・ハロルド・マクワイルドの、意志。

 今のバハムートには、その欠片すら見当たらないのだ。

 遺産から生じた『肉』に、霊力体だった彼等は完全に食い尽くされてしまったのか――そんな懸念を、風葉の発見が否定する。

「ええと……あ、あそこか! 五辻くん、あれ、あの背中! 背びれ近くの吹き出したトコ! 拡大して見てよ!」

「だから、ファントム4だって」

 小さく息をつきつつも、辰巳は風葉が指差すバハムートの背中を拡大。他の箇所とまったく同じ、ひたすらな新陳代謝を繰り返す肉の鎧。

 鈍くくすむ古い筋繊維が、内側からせり上がる新たな筋繊維に飲み込まれ、入れ替わる。これまで幾度となく行われた、歪かつ過剰な新陳代謝。

 だが。

 その営みに抗うかのように、一箇所だけ古い肉が、背びれの脇へこびりついていた。

 ともすれば、見落としてしまいそうな小さい異常。しかして確かに留まり続けているその肉は、短い文章を形作っていた。

 それを、辰巳は読み上げる。

「kill、me」

 殺してくれ。

 誰の言葉なのか。何故、そんな言葉を刻んだのか。

 理由は、考えるまでもなかった。

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