Chapter06 冥王 09
「霊力の、確保、ですって?」
一語一句を区切りながら、サトウは怪盗魔術師の言葉を繰り返す。
「そんなものを、いつ、どうやって……」
と、そこでサトウは気付く。怪盗魔術師の輪郭が、陽炎のように揺らいでいる。立体映像モニタの不調、ではあるまい。
では理由は何か。脳裏を掠める疑問符と同時に、鳴り響く携帯端末。取り出せば、画面に表示された名前はグレン・レイドウ。サトウはすぐに通信を繋ぐ。
「グレン君、どうしました?」
『どうもこうもあるかよ、五番ゲートの近くでいきなり霊力が増え始めたんだよ! そっちで何かしたのか!?』
今グレンが言った五番ゲートとは、これから雷蔵が立体駐車場の階下で発見する事になる、転移術式陣のコードネームだ。
そしてグレンが言うには、その近くで霊力が発生しているらしい。しかし五番ゲートの近くには、怪盗魔術師の霧しか無いはず――と、そこでサトウは電撃に撃たれた。
「まさか」
端末の向こうで騒ぐグレンをまったく無視し、サトウはウェストミンスター区へ繋がる立体映像モニタを見た。
四角く切り取られた薄墨色を背景に、陽炎のような怪盗魔術師が相変わらず笑っている。
サトウは、理解した。
「削った、のですか」
何を、とは問わぬ。
怪盗魔術師も答えはせず、しかし口角が更に吊り上げる。
それで、サトウの心は決まった。
「――作戦を最終段階へ移行します。グレン君、五番ゲートをフレームローダー格納庫へ繋いでください」
『はぁっ!? マジで言ってんスか!? 霊力が足りなかったんじゃ――』
「足りたんですよ。足りさせたと言った方が正しいようですが」
後には引けぬ状況と、並々ならぬ決意に裏打ちされた怪盗魔術師の決断。それに、サトウは動かされたのだ。
「とにかく、早く繋いで下さい。何かあった場合の責任はワタクシが持ちます」
『……あぁーもう、ままよ!』
半分ヤケクソ気味に、グレンは転移術式を操作。五番ゲートの紋様がにわかに輝きを増し、接続先がフレームローダーの格納庫へと切り替わった。
◆ ◆ ◆
「……あぁーもう、ままよ!」
コンソールを操作し、グレンは立体映像モニタ上へ転移術式を呼び出す。
今グレンが居るのは、某所にある殺風景な格納庫の中だ。打ち出しコンクリートの床に、真っ白な床と天井。照明は最低限しか無く、重たい影が部屋中を押し潰している。
そんな室内の片隅で、黙々と稼働している四輪車が一台。
霊力光で影をはね返しているその車輌は、かつて雷蔵がレツオウガのコアユニットだと判断した大鎧装、そのビークルモードだ。運転席に座っているのは、無論そのパイロットことグレンである。
外観こそスポーツカーのような流線型の四輪車だが、その装甲の下に詰まったメカニズムは、自動車とは根本的に異なっている。
霊力による駆動機構、人型大鎧装への可変システム、そして合体用ジョイント、等々。例を挙げれば枚挙に暇が無いが、とりわけ目に付くのは操縦席そのものだ。
まず、そもそもハンドル操作ではない。シートには大鎧装のコクピットとほぼ同じものが使われており、グレンは左右のアームレストにそれぞれ腕を置いている格好だ。
左アームレストは掌部分にグリップ型の操縦桿が備え付けているが、これはあくまで補助用だ。この機体の主な操作は、右腕側のアームレストに装備された、あるシステムがほぼ全てを担っている。
その、右側。
今現在レツオウガのコクピットで、辰巳が左腕を納めているコンソールと良く似たくぼみ。
その中に、グレンは右掌を納めていた。
そしてその右掌は、辰巳の左腕と良く似た銀色の機械義手であった。
義手は長袖の中へするりと収まっており、ファントム4のような装甲で膨れてはいない。少なくとも今は。
システムはレツオウガのコクピットと同様、搭乗者の思考を直接反映するように出来ている。故に、グレンは即座に転移術式を呼び出した。
対象は五番ゲート。イーストエンドにあった転移術式と同じ紋様が、正面の壁に灯る。
繋がる空間。だがそんなものより目を引くのは、霊力光によって影を拭き取られた巨大車輌だろう。そもそもこの格納庫は、この車輌のためにあったのだ。
グレンの車よりも遙かに巨大なこの車輌こそ、怪盗魔術師の切り札、フレームローダーである。
白く、四角く、ひたすらに巨大な装甲車じみたトレーラー。それがフレームローダーの正体だ。ダンプカーよりも遙かに巨大なその車体は、しかしどことなくオウガローダーにも似ている。
もっともサイズ自体はオウガローダーより少し小さく、可変機構と連動している装甲の継ぎ目もそれほど見当たらない。
だが、それもその筈だ。このフレームローダーは、オウガローダーの設計データを流用した簡易生産機だからだ。
そんな簡易生産機の正面、鼻面を照らし出している五番ゲートから、もうもうと霧が溢れ出す。
数百年もの間重ねられてきた、怪盗魔術師としての活動記憶。それを解体する事で生み出した、膨大な量の霊力だ。
「うはぁ、そういう手で来たのか。サトウさんが動くワケだ」
呆れ半分、感心半分にグレンは鼻をならす。
霊力の塊である怪盗等魔術師達にとって、記憶とは己を再定義する重大なパーツだ。それを解体したならば、確かに大量の霊力を生み出す事は可能だろう。
だが代償として待っているのは、当然ながら自己の消滅だ。再定義の礎が無くなれば、薄まった自我を回復させる事は出来ないのだから。
それ程の覚悟に裏打ちされた霊力が、フレームローダーの待機する格納庫内に充満し――その決意に応えるかの如く、フレームローダーの側面装甲が音を立てて開いた。内部から現われたのは、放熱フィンにも似た霊力吸収機構だ。
本来ならウェストミンスター区の霊力を吸い上げる筈だったフィンが、唸りを上げる。
周囲に渦巻く霊力、即ち怪盗魔術師が命と引き替えに生み出した霊力を、容赦なく飲み込んでいく。
そして飲み込む度に、フレームローダー内部のシステムが着々と目覚め始める。
その原動力となった者達の悲願を、成就するために。
◆ ◆ ◆
その様子をモニタ越しに確認し、怪盗魔術師はもう一つの術式を起動させる。
「Rフィールド、展開」
ぼそりと、吐息のように吐き出される起動命令。今までのようなユーモアはまるで無い、無味乾燥な一言である。彼等に余裕は無いのだ。
どうあれ使用者の状況などお構いなく、術式は刻まれた文言通りに駆動を開始する。
今の今まで、ルートマスターから吸い上げられていた莫大な量の霊力。多少は巌に吸われてしまったが、それでも十分な量が堆積している霊力の水面が、にわかにさざめき始めた。
理屈としては、先程巌がクリムゾンキャノンを使った時と同じだ。起動した術式が、霊力を吸収しているのだ。
しかして、その規模は余りにも違う。吸収時に巌が起こしたような渦が、ウェストミンスター区全体に広がっているとあらば、規模の違いも分かろうと言うものだ。
その渦の中央。竜巻のように霊力を吸い上げるステージ下部の赤い術式、もとい人造Rフィールドの術式が、瞬く間に活性化。
それに呼応して術式を構成するラインが輝きを増していき――その光が周囲を埋め尽くした直後、Rフィールドは発動した。
本来なら日乃栄の時のように放射状に広がっただろう赤色は、しかしコネクターに沿ってウェストミンスター寺院へ直進させられ、霊力供給術式へ流入。直後、寺院の壁全体に血管のような、葉脈のようなラインが浮かび上がった。
寺院内部に刻まれていた術式とRフィールドが混ざり合った結果、余剰や拒絶反応を起こした部分が浮かび上がったのだろう。明らかな異常に蝕まれながら、それでも霊力供給術式は健気に職務を全うし――これまでにため込んだ霊力を、遙か上空を周回している遺産目がけて、一直線に放出した。
平素であれば、その霊力光は純白だっただろう。だが人造Rフィールド術式に侵食された今、その輝きは鮮やかな赤に染まっていた。
上へ、上へ。成層圏の更なる彼方を目指すだけである筈の光は、しかし今、轟々と唸りを上げて広がり始めた。明らかに人造Rフィールドの影響だ。
赤色は広がる。更に飲み込む。ウェストミンスター寺院を。そして隣に浮かんでいたステージと、そこに立っていた怪盗魔術師を。
◆ ◆ ◆
「よーしよし、まずは上手くいってるな」
断線し、黒一色に染まってしまった立体映像モニタを見ながらグレンは頷く。Rフィールドに飲まれるその瞬間まで、怪盗魔術師のステージから映像が転送されていたのだ。
こうしている今もなお、人造Rフィールドは空へ、ニュートンの遺産に向かって伸びている。途中で止まる事はまずあるまい。
と、そんな雑感と共に眺めていたモニタが再び繋がる。一面の黒を押しのけて現われたのは、人形のように無表情な怪盗魔術師と、その背後で流れる膨大な赤色の壁であった。
――基本的に、Rフィールドは外部干渉の一切を受け付けない。
例外は二つ。フェンリルを保持した禍憑きが干渉するか、管理権限を持つ魔術師が認証するか。このどちらかだ。
そしてウェストミンスター区のモニタが再び繋がった理由は、後者であった。
『フレームローダーを、早く』
赤い霊力光に照らされるは、淡々とした、しかし有無を言わさぬ怪盗魔術師の無表情。
人形よりも生気が薄いその顔に、グレンは頷く。
「わーかってますよ、っと」
グレンはコンソールを操作し、壁面に灯る転移術式の座標を再度変更。イーストエンドの立体駐車場から、怪盗魔術師のいるステージへと空間を接続。
更に、グレンは別の立体映像モニタを呼び出す。表示されるのは、フレームローダーのシステム状況だ。
素早く目を通すが、不備は特にない。霊力は起動するに十分足りており、状態は万全。
「んじゃ、やるか」
迷う事無く、グレンはフレームローダーを遠隔起動。オウガローダーと同格のエンジンが唸りを上げ、輝くヘッドライトが一文字に影を切り裂く。偽神の雛型となる大鎧装が、遂に動き始めたのだ。
ごうん。タイヤだけでグレンの車の高さを軽く越える巨大な車輌が、ゆっくりと音を立てて回転する。四角く巨大な鋼鉄に押し込められた、神の影を駆るための鎧が、転移術式の向こうへと消えていく。
いずれオリジナルであるオウガローダーごと、アイツから奪い取る必要がある、力。自分の存在意義そのもの。
その片鱗を、グレンは無表情に見送る。
「……行ったな」
モニタを見やれば、ステージの中央からぬうと顔を出すフレームローダーの姿が映っている。
潜った途端に重力方向が変わったため、赤色の壁へ前輪を預ける格好になるフレームローダー。そのコクピットに、怪盗魔術師は滑り込んだ。
フレームローダーはすぐさまパイロットを認証し、轟然とタイヤを回転。Rフィールドの外壁を噛む四輪は、そのまま赤色の上を走り始めた。目指すは雲の更に向こう、供給術式が目指すニュートンの遺産である。
だがその疾駆が数メートル進んだところで、立体映像モニタは再び黒一色に戻った。怪盗魔術師が接続を切ったのだ。
「ま、ここまで来りゃ大丈夫だろうがな」
BBBが対抗手段として用意していたフェンリル保持者、オラクルは未だに行動不能だ。Rフィールドが遺産に到達するまで動けないだろう。計画通りだ。
次は、凪守が用意していたフェンリル保持者の対策をする番である。
「で、次はモーニングコールか。小姓だな俺は」
やる気のないぼやきとは裏腹に、高速でスクロールする立体映像モニタ。術式による暗号処置がなされ、通信回線が確立。
レツオウガへのカウンターとして、今の今までずっと待機していた彼女の姿が、立体映像モニタに映り出す。
紫色のバイザーで目元を覆っている、ウェーブがかった金髪の少女、サラである。
身体のラインを浮き彫りにする、ライダースーツ然とした緑色の鎧装に身を包むサラは、口を真一文字に結んだまま微動だにしない。
緊張している訳では無い。そんなタマでは無い事を、グレンは良く知っていた。
「まったく、良く寝てやがるぜ」
頬杖と悪態を同時につくグレン。それに答えるかのように、サラの首が傾いて口が半開きになった。
そう、彼女は今の今まで熟睡していたのだ。
さりとていつまでも寝ていられては困るので、グレンはアプリケーションを起動。
立体映像モニタの右下に目覚まし時計が表示され、けたたましい音をがなり出す。
「おーい、起きろサラ。仕事の時間だぞ」
片耳を塞ぎながら、グレンは名前を呼んでみる。
『むにゃむにゃ、もう食べられないよう』
「ベタい寝言いってんじゃねぇよ! つーか起きてんだろテメェー!」
『あ、バレちゃいました?』
イタズラっぽく舌を出すサラ。同時にコクピット内のモニタが点灯し、サラの居る場所が写り出す。
大きなモニタに映り出すのは、清水よりも透き通った夜の海。
サラは今、乗機の大鎧装と共に、成層圏の上に居るのだ。
『は、ふ、ぅ。それにしても、よく寝ましたよー』
小さくあくびをした後、軽く伸びをするサラ。何とも呑気なその仕草に、グレンは仮面の上からコメカミの辺りをつつく。
「そりゃよかった。んじゃ寝起きついでに一仕事頼むぜ」
『あぁ、はい、わかりました……ところで、何をするんでしたっけ』
「忘れたのかよ!? 寝起き悪いなお前! レーダーにレツオウガが映ってる頃合いだと思うんですがよ!?」
『……、あ』
バイザーで隠れているが、それでも目に見えて分かるほどサラは目を覚ました。
『そーでしたそうでした! ファントム4君をダンスに誘う予定があるんでした!』
パン、と手を打つサラ。目元以外のあらゆる部分に喜びが浮かんでいる。
「デートじゃなかったか?」
『どっちでも良いじゃ無いですか、そんな事! では早速――』
すぐさまサラはセンサーを起動、しない。その代わりどうしたわけか、しげしげとコクピットの内壁を見回している。
実のところ、彼女は内壁など視ていない。
バイザーに隠された双眸で彼女が視るのは、霊力の流れそのものだ。彼女の目は、超広範囲の霊力を捉えるレーダーのようなものなのだ。
『あ、見えました。あれですね』
そんなサラのレーダーが、程なくして敵を捉えた。
絶えず地球から発され、嵐のように渦を巻く無形の霊力。その上を滑るように人造Rフィールドを目指す、人型の流れ星。
間違いない、レツオウガだ。
怪盗魔術師が遺産を手に入れるまで、その接近を妨害する――それがサラに与えられた役目であり、そのために偽装していた装備が今、解かれた。
ばさり。
マント状に全身を包んでいた光学迷彩術式が、大きく宇宙に翻る。
あらゆる光線を透過していた術式の下から現れたのは、以前格納庫でフレームローダーの隣に立っていた、白色の大鎧装であった。
『それじゃ、ちょっと行ってきますね。うーん楽しみ!』
地面があったらステップを踏んでいそうな足取りで、サラの駆る大鎧装は宇宙を駆けていく。
「おうおう行ってこいよ、と」
投げやり気味に手を振るグレンだが、モニタは既に断線して何も写っていない。仮面を被った自分の顔が、黒い画面に反射しているのみだ。
「……あー、やれやれだな」
とりあえず、これでグレンに宛がわれていた仕事は概ね終わった。ずっと接続していた右腕をコンソールから離し、グレンはごきごきと首を回す。
後はサトウを安全な場所へ離脱させれば任務完了だ。予定外のアクシデントこそあったが、結果的には概ね計画通りに推移した。
後の進行は、全て怪盗魔術師達に委ねられた。グレンに出来る事はもうない。
「……だったら、ちょいと寄り道しても良いよな」
ばきばきとグレンは指を鳴らす。目元こそ仮面で隠れているが、口元には引きつり気味の笑いが張り付いている。
端的に言えば。グレンは今、とてもイラついてるのだ。
本来ならレツオウガと戦うはずだった役目をサラにとられ、今までずっと転移術式制御という裏方に回っていた。
そして今、そのサラが足止めとは言え、ファントム4に戦いを挑むのだ。
グレンが倒さねばならない、ファントム4と。
不満にならない、筈が無かった。
「時間にも少しは余裕があるようだし……いい加減に運動しないと、鈍っちまってしょうがねぇんだよな」
歪な笑みをなお深めながら、グレンは地獄の火洞窟へ繋がる立体映像モニタを見やる。
そこにはエスコート対象であるサトウの後ろ姿と、敵組織たる凪守の一員、ファントム3こと冥の姿が映っていた。




