Chapter06 冥王 07
轟。
爆音と共に、光の奔流が迸る。
クリムゾンキャノンから発射された膨大な霊力が、月面を劈いたのだ。
途切れる事無く吹き上がる灼熱は、正面に浮かぶ巨大な転移術式陣へ直撃。そのまま地球のウェストミンスター区へと転送されていく。
直径ギリギリの霊力を強引にねじ込まれ、悲鳴じみた火花を上げる術式陣と周囲の機材。
更にその悲鳴を代弁するかの如く、立体映像モニタの向こうで狂乱している者が一名。
『ぬあーっ! 分かってたけども負荷限界が予想以上に早い過ぎるぅ! あっちを外してこっちを繋ぎ直して……はいっ干渉する部分が変わっただけです! 大ィ変だッハァ!』
言わずもがな、転移術式をリアルタイムで制御している酒月利英である。奇声を上げながらキーボードを叩き続けるその様は、中々に鬼気迫るものがあった。
『なぁ盟友! ほんの五秒でイイから出力弱める気になったりしない? というかしてくれませんか色々アブナイ感じがなんかもうアレだ!』
機関銃のようにキーボードを乱射しながら、モニタ越しに巌を見る利英。地味に上目遣いである。
だが二重のシールドに遮蔽された巌の顔は、ぴくりとも利英の方を見ようとしない。放出される霊力量も変わる事無く、淡々と転移術式を灼き続けるのみだ。
『チクショー! 確かにこう言う状況を想定して組んだ術式だけどさぁ! テスト無しぶっつけ本番でこんな激しい行為をされるとタイヘンな部分がモリモリ湧いて来るんだよねホヒョヒョー!』
半狂乱な利英であるが、巌は微塵も気にかけない。どうせいつもの事だ。
確かに利英の言葉通り、ぶっつけ本番の一発ではある。だが巌はまったく心配しない。そもそもこの転移術式は、クリムゾンキャノンによる砲撃の転送を視野に入れて開発したものだからだ。
――そう遠くない将来、ともすれば訪れるやもしれない、最悪の事態。それに、備えるために。
「出来れば杞憂に終わって欲しい備えだけど、ねー」
小さな溜息は、本人の耳にすら届く事無く霊力の爆音にかき消えた。
◆ ◆ ◆
時を同じくしてウェストミンスター区。
零壱式の陣形を崩すべく、周囲から攻撃を仕掛けていたレギオン達。
その接近を阻むべく、各々の銃火器を乱射していた零壱式達。
籠城戦のような攻防を見せていた彼等は、その目に見た。
轟。
零壱式のスクラムによって組まれた術式。その中央から唐突に、莫大な霊力の奔流が打ち上がった瞬間を。
『な、っ』
そう絶句したのは、一体誰だったか。その場に居る全員の目を釘付けながら、薄墨色の空を駆け上がる霊力の流星。
その正体は、言うまでも無く月面で発射された巌の切り札、ハンドレッド・バスターだ。
流星は昇る。轟々と昇る。今まで吹き上げていた怪盗魔術師の間欠泉など、歯牙にもかけない高度まで昇り詰める。
そして幻燈結界の限界高度まで達しかけたその瞬間、流星は弾けた。
爆発したのでは無い。幾条もの細い光線に分裂したのだ。
その数は、優に百を越えている。ハンドレッド・バスターの由来はここにあったわけだ。
そのまま、百本の光線は孤を描く。さながら噴水のように、ウェストミンスター区へと降り注いで来る。
『おいおい、笠なんて持ってないんだけどな』
軽口を叩きつつ、レギオンの内の一体が防御姿勢を取る。また別の一体は上体を屈め、回避の予備動作を造る。
だが、光線はどちらにも届かない。そもそもこの一撃は、レギオンを狙ったものではない。
まっすぐに落下する流星は、月面で照準された瞬間から決まっていたターゲットに、今、狙いを定めた。
即ち、霊力を放出し続けていたルートマスターへと。
より正確に言えば、その内部で霊力を放出させられていた禍憑き達へと。
『ッ! しまっ――』
この照準に気付いたレギオン数体が身を翻すが、もう遅い。
ただでさえ細まっていた赤い光線が、更に分裂。もはや髪の毛数本程度にまで細まった流星は、針金のように歪曲しながらルートマスターへ接近。
そして窓から、扉から、あらゆる隙間から。光の軌跡を引きながら車体へ進入した流星の一本一本が、禍憑き達一人一人へと狙い違わず着弾。
額、胸、肩、その他。着弾箇所こそ人それぞれだが、反応は皆一様に同じだ。
まず怪盗魔術師と同じ昂揚を浮かべていた乗客達の表情が、雲霞のように消失する。
『あ あ あ』
次に全てのルートマスターから、声ならぬ声が一斉に立ち上る。それに呼応し、雲霞のような霊力が禍憑き達の身体から抜けていく。
そして最後に、全ての乗客が一斉に昏倒した。
死んだ訳ではない。そもそも乗客達は弾痕どころか、火傷の一つすら負っていない。
光線は、破壊したのだ。乗客達に憑依していた禍――すなわち、レギオンとの繋がり、そのものを。
より正確に言うなれば、今撃ち込まれたのは禍憑きを元に戻す浄禍術式の一種だ。今し方見えた雲霞は、破壊された禍の残滓だったのだ。
「な、なんと……」
あれだけ居た禍憑き達を、あれだけ苦労した下準備を、たった一撃で洗い流されたサトウは、思わずよろめいた。
無論サトウとて、防衛部隊が浄禍術式を使ってくる状況を想定していなかった訳では無い。
だが、いくら何でもこうまで迅速に、かつ一瞬で全ての禍憑きを失うとは思っていなかったのだ。
――程度や方法に個人差はあるが、浄禍術式とはそもそも憑依者に負担がかからぬよう、入念な下準備の元に行使される術式だ。状況の逼迫によって手順の簡略化こそあれ、使用の決定には時間がかかる筈だろう。
更に使用が決定されたとしても、区内各所に散らばったバスを一つずつ回るのは時間がかかる上、周辺には本性を現した怪盗魔術師こと、レギオンが控えている。
その戦闘力は折り紙付きだ。何せその気になれば一撃で大鎧装を分解出来る上、別のモニタ内では単騎でファントム2と互角に打ち合っているだから。
そんな歩兵部隊を押さえながら、市内各所に散らばる禍憑き達を救助して回らねばならないとあれば、神影鎧装の起動まで十分な時間が確保出来るはずだ――と、サトウは踏んでいた。
だが。
今し方巌が放ったハンドレッド・バスターは、そうしたサトウの目算を、ことごとく吹き飛ばした。
まず、明らかに正式な手順では無い。何せ術式陣の類いを敷設せず、浄禍術式そのものを憑依者に撃ち込んだのだ。
確かに浄禍術式の手順を単純化すればこうもなろう。だが浄禍とは、本来なら外科手術のようにデリケートな作業なのだ。一つ判断を誤れば、最悪憑依者が死に至る事もある。風葉のフェンリルが放置されている理由の一つもそれだ。
だが巌と利英はその手術を、たった一撃で終わらせた。
解析したのは利英だ。
巌の伝手で集められた資料と、零壱式およびディスカバリーⅢから送られるリアルタイムデータ。それらを摺り合わせ、解析し、開発し――最適な浄禍術式を組み上げたのである。この短時間で、だ。
行使したのは巌だ。
自身の霊力こそ規約で封じられているが、だからといって技量そのものが落ちる訳でも無い。
発射の直前、フェイスシールドへ転送された浄禍術式。調整されたばかりの、精妙な霊力調整が求められるそれを、巌はものの数秒で把握した。
そして、躊躇いなく引金を引いたのだ。
結果は、今し方見た流星の通りだ。霊力の流出は跡形もなく止まってしまい、再開の目処は望むべくも無い。
かくして、趨勢は決した。サトウ達が造り上げた手札は、巌の繰り出した切り札に負けたのだ。
ルートマスターから抽出した霊力量そのものは、実は相当に溜まっている。だがサトウ達が欲しているのは、あくまで人造Rフィールドと神影鎧装の同時起動だ。要求量には、遺憾ながらまだ足りない。
どちらか片方なら起動出来るだろうが――。
「片方だけでは、どうにもなりませんね……!」
奥歯で密かに苦虫を潰しながら、改めてポケットに手を入れるサトウ。携帯端末を取り出し、グレンへの緊急メールを画面に呼び出す。
後はボタンを押すだけで送信――という所でサトウは振り向き、怪盗魔術師ハロルドを見やる。
「エルド……いえ、ハロルドさん。誠に残念です、が……?」
撤退します、ご準備を――その一言を、しかしサトウは言えなかった。
振り向いた背後、ウェストミンスター区を見るハロルドの横顔。
そこに、予想だにしなかった表情を見つけたからだ。
「ン、フ」
歓喜、である。
「ンフ。ンフッフフフフ、フフフ――!」
口元を押さえ、両肩を振るわせ、押さえきれぬ笑いを隠そうともしない怪盗魔術師の異様に、その場の全員が眉をひそめた。
◆ ◆ ◆
またもや時間は遡り、イーストエンド、クライストチャーチ・スピタルフィールズ付近の立体駐車場。
その屋上で、雷蔵とレギオンの戦いは終局に向かっていた。
「オ、オ、オッ!」
裂帛の気合いに猛りながら、果敢に攻めるは騎士甲冑のような異形を晒す禍、レギオンだ。
今までの使っていたククリよりも一回り大きい両刃剣を、レギオンは指揮棒か何かのように振り回している。
刺突、斬撃、振り下ろし、薙ぎ払い。嵐のように、竜巻の如くに、レギオンの両手に握られた刃が銀光を刻む。
この銀光も、ただ刃が光を反射しているわけではない。斬撃が孤を描く度、刃から瞬間的に高い霊力が射出されているのだ。先程ディスカバリーⅢを分解したのもこれである。
加えて、レギオンはジャックだった時よりも身体能力が大幅に向上している。鎧装展開と似たようなものなのだから、まぁ当然ではある。
「ア、ア、アァッ!」
咆哮、斬撃、銀光。振るわれる二振りの刃から、断続的に襲い来る致命打の雨。
「ぬぅおおおおおおおっ!」
その雨を前に、雷蔵は吠える。更に、スパイクが生えた両手のシールドを構える。
「タイガーッ! 相殺パァンチ!」
そして裂帛の気合いと共に、鉄拳を銀光へと叩き込んだ。
炸裂、爆音、乱れ飛ぶ霊力光。それら全てが雷蔵の左右へ拡散し、後ろに流れて消えた。
雷蔵は試製一型攻性爆発反応装甲術式の爆発力を叩きつける事で、レギオンの斬撃を相殺したのだ。
「ふふん。知らんかったかもしれんが、実はこのシールドは防御にも使えるのじゃよ」
にぃ、と牙をむき出す雷蔵。
「ソイツぁ初耳だな」
ちぃ、と仮面の下で舌打つレギオン。
一秒。残心によって生まれた僅かな静寂は、当然即座にかき消える。
「おぉっ!」
「あぁっ!」
同時に跳躍する二人。
雷蔵はシールドを叩き込むため、前に。
レギオンは間合いを保つため、後ろに。
そのため、距離は縮まらない。だが乱れ飛ぶ咆哮と、銀光と、霊力光とが、周囲の薄墨色を秒単位で引き裂き続ける。
ディスカバリーⅢを縫い止め、あるいは銃撃を防いでいた霧の壁は、既に消失している。というよりも、足下を這っていた霧そのものが既に無い。ある目的のため、レギオンがここから移動させたのだ。
つまりはこの戦いそのものが移送を隠す目眩ましなのだが、生憎とそれを咎める余裕がある者は、この場に一人も居なかった。
『く、っ』
ディスカバリーⅢのモノアイ越しにその光景を見下ろしながら、女パイロットは歯噛みする。
霧壁に束縛されていたサブアームは既に自由であり、肩部装甲内部へ収まっている。僚機ともども、もう自由に動けるのだ。
順当に考えれば、ファントム2こと雷蔵へ援護射撃をするべき状況だ。
レギオンへスタン弾の援護掃射でも見舞えば、それだけで勝敗は決するだろう。だが両者の動きが早すぎるため、彼女の技量では照準に捉えきれないのだ。
ならば撤退すれば良いのだろうが、それも出来ない。
――今も雷蔵が振るい、銀光を相殺しているシールド。一見するとただがむしゃらに振っているようだが、そうではない。例えば、今がそうだ。
銀光、鉄拳、相殺爆発。それによって巻き起こる霊力光が、一瞬雷蔵の姿を覆い隠す。
時間にすれば一秒にも満たない間隙。だがほんの一瞬だろうと相手の視界を阻める事は、白兵戦において大きなアドバンテージになる。
故に雷蔵は霊力光を隠れ蓑に、決定打となるリフレクターの発動準備にかかり――舌打ち、すぐにそれを中断。
真後ろ。レギオンと自分を結ぶ直線の先に、ディスカバリーⅢが居る事に気付いたからだ。
雷蔵が得意とする突撃殺法は、知っての通りリアクティブアーマーそのものを打撃に使う攻撃だ。故に雷蔵は銀光をかいくぐってレギオンへ肉薄する必要がある。
雷蔵の戦闘センスにリフレクターの加速が加われば、そう難しくは無いだろう。だがそうすれば、相殺されなかった銀光はどこへ行くのか。何に激突するのか。
考えるまでも無い。その背後に立つ大鎧装、ディスカバリーⅢだ。レギオンは、そこまで読んだ上で銀光を放っているのだ。
簡単に撤退できない理由が、ここにある。撤退のために背中を見せたならば、即座にその銀光が襲いかかって来る事が、目に見えているからだ。
『計算高いですね、怪盗魔術師……!』
操縦桿を握る手に力が籠もる。救援に来た筈が、気がつけば足を引っ張る結果になっていたとあらば、さもあらん。
『このままじゃ、ただの足手まといだ……!』
「おぅ、それが分かっとるなら話は早いわい」
その悔恨に、あろう事かファントム2が応えた。何故か通信が繋がっていたのだ。
『え、えぇっ!? ファントム2!? どうして!?』
「うむ、ちょいと伝手を辿って、教えて貰ったんじゃよ!」
爆発、爆発、爆発。相殺によって生じている轟音は、しかしまったく聞こえない。いつの間にか遮蔽したフェイスシールドが、ノイズを遮断しているからだ。
『伝手、って――』
「細かい疑問は、後にしてくれい! いかんせん、状況が状況じゃから、なぁっ!」
返答と共に放たれる、雷蔵の右シールド。空気を割く程の速度を乗せた鉄拳が、もう幾度目かになる銀光を撃墜。形を失った霊力光が爆煙のように膨れ上がり、それをかいくぐりながら雷蔵は突貫。
「甘いぜドラ猫さんよ!」
だがレギオンはその突貫を見透かしており、絶妙な距離を保ちながら後退。そしてまた射線にディスカバリーⅢのどれかが入る位置取りをしながら、銀色の斬光を見舞ってくるのだ。イタチごっこである。
「この状況を、どうにかしようと思って、のう!」
かつて自衛隊出向部に所属していた西脇雷蔵は、帯刀と個人的な伝手があるのだ。巌が面会した際、『西脇は息災か』と聞いてきたのはそれが理由である。
作戦の都合上、本来なら巌を経由して連絡しなければならない相手ではある。だが一分一秒すら惜しいこの状況下で、そんな悠長な事をしている余裕などありはしない。
故に雷蔵は処罰を承知で帯刀に直接連絡を取り、背後のディスカバリーⅢに無線を繋いだのだ。
かくて雷蔵はレギオンと立ち回りながら、状況打開の一手を女パイロットへ伝える。
「チャンスは一回こっきり、まぁ良くある話じゃの。問題は――」
『ありません』
彼女としても、こんな状況に黙っていられる訳が無い。タイミングは随分とシビアだが、それ以外の方法も思いつかない。
ならば、乗るだけだ。
『要するに、外さなければ良いだけでしょう』
「……ぬはは! うむ、その通りじゃの!」
破顔する雷蔵。だがその笑顔はフェイスシールドの下であり、相対するレギオンにうかがい知る事は出来ない。
「どうした、さっきからだんまりじゃねぇか! 逃げる準備でもしてたのかよ!」
故にレギオンは挑発する。雷蔵の動揺を誘うために。
だが幾度と無い死線を潜った雷蔵が、この程度の罵声で揺らぐ筈も無く。
「ふふん、まぁ似たようなもんじゃよ」
フェイスシールドを開きながら、雷蔵はシールドを構え直した。
流石にフェンリル程では無いが、雷蔵も禍憑きであるため、霊力量は常人に比べて高い。
だがそれを差し引いても、短時間に些か霊力を使いすぎた。
仕掛けられるタイミングは、恐らく次が最初で最後。だが――。
「せいぜい良く見ておく事じゃ!」
威勢の良い啖呵と共に、雷蔵はかけ出した。今までと同じように。
「おぉ、ならよーく見させてもらおうか!」
レギオンも今までと同じように銀光を放ちつつ、雷蔵の一定距離を跳び回る。やはり間合いを詰めさせないつもりだ。
幾度か回避と攪乱を行った後、レギオンはまたもやディスカバリーⅢの正面に着地。一拍遅れてその直線状に雷蔵が入り込み、それを狙ってレギオンが刃を振り上げる。今までと同じ、銀光を放つ構えだ。
対する雷蔵も、やはりシールドを構える。装甲に霊力が循環し、ブレイク・シールドの核たるスパイクを形成する。
違ったのは、そこから先だ。
「今じゃ! 撃ぇい!」
唐突に叫んだ雷蔵は、おもむろにレギオンに対して半身に構える。そして強く足を踏みしめ、大の字になるように両手を掲げた。
前と、後ろ。レギオンと、ディスカバリーⅢに対して掲げられる霊力の盾。
その目論見が何なのか――思考が回答を導き出すより先に、レギオンは刃を振り抜いていた。
斬線を具現化した銀光が迸り、同時に一瞬だがレギオンの動きが止まる。
『それを、待っていました!』
同時に真正面に立つディスカバリーⅢが、両腕の銃を全力で掃射した。
轟音と共に吐き出されるは、スタン弾の雨、雨、雨。
「な、にっ!?」
味方ごと斉射するという暴挙に出たディスカバリーⅢの弾雨を、レギオンは思わず跳躍回避。コンマ数秒遅れて、牛乳瓶ほどある弾丸の群れがレギオンの居た空間を抉り削る。
とんでもない所行だ。汗腺など無いはずの背中に、冷たい何かをレギオンは錯覚する。
「だが、これで――」
ファントム2は、行動出来まい。
そんな予測を、レギオンはすぐさま改める。
見下ろす眼下。斉射を終え、白煙をたなびかせるディスカバリーⅢの銃口、その正面。
つい数瞬前にスタン弾が荒ぶったその射線上へ、しっかと立つ雷蔵の姿を認めたからだ。もっとも、流石に無傷ではないが。
まず流れ弾が掠めたのか、ヘッドギアは割れている。生成したスパイクは左右とも消し飛んでおり、素地となったシールド自体にもヒビが入っている。
だがもっとも深刻なダメージを負ったのは、やはり雷蔵自身の身体だろう。いくらシールドがあるとは言え、前後から巨大な衝撃を一度に受けたとあれば、無傷で済むはずが無い。
牙の隙間を縫い、つぅと一筋漏れ出る赤色。だが雷蔵は意に介さず、構え直しながら叫ぶ。
「セェット! リフレクターッ!」
『Roger Reflector Wall Etherealize』
背中のI・Eマテリアルが今こそ輝き、雷蔵の背後に等身大の術式陣を投射。輝く橙色の霊力光を背景に、口角からこぼれた牙がぎらりと光る。
「そう、か!」
薄墨を照らす橙色の曙光を見下ろしながら、レギオンは理解した。
雷蔵は、この状況を狙って造り出したのだ、と。
実際、その予測は正解だ。今まで散々切り結んだ相手なのだ、その挙動の癖を読む事は、雷蔵にとってそう難しい事では無かった。
後方へ逃げる都合からか、どうも跳躍して逃げる癖がある――雷蔵はそれを看破し、自分ごと撃たせるこの戦法を編み出したのだ。考えつく雷蔵も雷蔵だが、それを躊躇無く実行した女パイロットも中々に無茶苦茶である。
そしていかに身体能力が強化されていようと、翼やスラスターを装備していない身体が、空中で切磋に動ける筈も無く。
「タイガァァーッ! 対空パァァァンチ!」
対空砲の如く射出された雷蔵の巨体が、ブレイク・シールドという牙をもって、レギオンを引き裂いた。
「が、っ」
途方も無い衝撃、及び爆発。その二つを同時に直撃したレギオンは、霧よりも細かい霊力光の粒となって四散した。
それを頭上に仰ぎながら、雷蔵は着地しつつ残心。
かくてこの状況を打開した虎頭の背中に、ディスカバリーⅢの女パイロットはつぶやく。
『なんか、こう。個性的な技名ですね』
「うむ、カッコよかろう?」
胸を反らす虎頭。因みに正式名称はリフレクター・ブレイクなのだが、雷蔵は個人的嗜好によりタイガー○○パンチと叫び続けている。因みに○○の中はその時の気分や状況で変わったりする。
『……そう、ですね。感性はひとそれぞれですよね』
ヂチチ、とディスカバリーⅢのモノアイが細かく動く。パイロットの表情を代弁しているようでもあったが、雷蔵は見上げるどころか気付きもしない。
その代わり、弾かれたようにタンクへ振り向いた。
「と、こうしてはおれん! 新しいヤツが出て来る前に、大元の確保、を……お?」
雷蔵の早口は、そこで止まった。
さもあらん、今まで霧を吐き出していたタンクが、既に空になっていたとあれば。
更に一帯を覆い尽くしていた霧も消えていれば、言葉を失うのも無理はない。
「あんれー」
ぱちくり、と瞬きする雷蔵。その背後で、ディスカバリーⅢは付近をサーチする。
『……お気持ちは察しますが、少し時間がかかりすぎましたね。怪盗魔術師の霧は、既に転移術式を経由してどこかに消えました』
おもむろに指を指すディスカバリーⅢ。その指先は立体駐車場の階下を示しており、雷蔵は首を捻りながらもアスファルトを透過。
そうして着地した下の階で、雷蔵は見たのだ。
床一面に描かれた、巨大な術式陣――すなわち、グレンの造り出した転移術式を。
更に周囲には幾枚かの立体映像モニタと、レーダー代わりと思しき探知術式もあったが、そのどれもが雷蔵の目前で霊力の粒子となって消えた。証拠隠滅の一環だろうか。
これもまたサトウが用意していた準備の一つであり、レギオンが今まで頑なに足場をすり抜けようとしなかった理由である。
この転移術式を用いて、レギオンは己の本体たる霧を全て転移させていたのだ。だが、それが何のためなのか――今の雷蔵達に分かる筈も無い。
『無念です。私にもっと力があれば、こんな事には……』
もう一度、操縦桿を握り締める女パイロット。
「んー、あー、そうじゃのぅー」
その声に相槌を打ちながら、雷蔵は尻尾でポリポリと鼻をかく。
戦闘に夢中になりすぎて、霧の事なぞまったく眼中に無かったとは、口が裂けても言えない雰囲気であった。
「しかし、連中はこれで一体何を」
するつもりだったんじゃ、という疑問の続きは、しかしかき消された。
イーストエンドからでも見えるほど巨大な赤い柱が、ウェストミンスター区から噴出したからだ。




