Chapter06 冥王 02
何気なく、すたすたと。
気まぐれに入った店を冷やかすように、冥は紫色の転移術式を潜る。
目的地はとある洞窟の内部。構造自体はBBBから提供された資料で理解していたが、座標の設定自体は割と適当だ。
ただまぁ、大がかりな出し物をするならここだろう、と。
冥は洞窟の深部――かつてここを根城にしていた連中が、大ホールと呼んでいた場所に転移先を指定した。
「おや、ドンピシャか。僕の読みも捨てたもんじゃないな」
そして、鉢合わせたのだ。
今もどこかへ繋がっているらしい、壁面の転移術式。合同防衛部隊を絶賛攪乱中である、各種術式群。
それらを管理する多数の立体映像モニタに囲まれながら何かの作業をしていた二人の男、サトウとエルド・ハロルド・マクワイルドに。
そう。巌は資料を総合して割り出した怪盗魔術師の指令拠点――地獄の火洞窟に、冥を送り込んだのだ。
サトウ達は硬直している。関係者以外立ち入り禁止の舞台裏に、呼びもしない観客が殴り込んできたとあれば、さもあらん。
「な、なぜここに……?」
呆然とつぶやくエルドに、しかし冥は眉一つ動かさない。怪盗魔術師は分霊でしか姿を現さない――もとい、現せない事は分かっている。同時に複数のエルドが存在していたとしても、何も驚く必要は無い。
「さーて、と」
あまり花束を揺らさぬよう注意しながら、ひとまず冥は辺りを見回す。
本来なら暗闇がうずたかく降り積もっている洞窟は、しかし今、光に溢れていた。
フォースアームシステムによる転移術式は、四方の壁だけでなく天井にも追加されている。天井に張られたあの円陣が、テムズ川のステージと繋がっているのだ。
円の中央には籠のような霊力のワイヤーフレームが繋がっており、大ホールの床の中央まで一直線に伸びている。傍らに立つサトウ達から目算して、直径は一メートル強くらいか。こちらは昇降機である。
転移術式の直下では二つの術式が盛んに稼働しており、リザードマンとキクロプスが生み出された傍からロンドンへ姿を消している。特にキクロプスの方はほぼ通過点になっているため、常に身体の一部しか見えない有様だ。
「ワケわからん事になってるなー、てかキモイ」
術式の狭間で蠕動し続ける巨大な筋肉から、冥は更に視線を下げる。
一メートルほどの間を置いたそこには、更に二枚の円陣が音も無く浮遊していた。
サイズは転移術式とほぼ同じで、色彩は赤と白。やはり霊力のワイヤーフレームで構築された術式陣は、ときおり明滅しながら起動の瞬間を待ち構えている。
「まるでディスクとスピンドルケースだな」
言いつつ、連中の本命はこれだろう、と冥は検討をつける。
実際、それは正解だ。つい今し方、ロンドンにいる方のエルドがステップで構築した術式が、この二つの円陣だったのだ。
この二つの術式は、一体何なのか――予想するのも一興だが、冥は取りあえず視線を左手に向ける。
そこに浮かんでいたのは、一メートル四方くらいの大きさがある立体映像モニタだ。いよいよ火蓋が切られたロンドンの様子を納めるその正方形は、恐らく向こうのエルドかフェアリー辺りが中継を担当しているのだろう。
「うん、こんな辺鄙な場所にしちゃ悪くない画質だな」
「ありがとうございます。丁寧に敷設するのが映りを良くする秘訣ですね」
一歩。冥へ歩み寄りながら、サトウは小さく眉根を寄せる。
「……しかし、困りましたね。実は今現在、ワタクシ共は少々立て込んでおりまして。申し訳ありませんが、お引き取り願えますでしょうか」
言いつつ、懐から携帯端末を取り出すサトウ。スマートフォンに良く似た画面から立体映像モニタが投射され、通信相手の名前がずらりと並ぶ。応援を呼ぶ段取りだ。
だが、果たして誰を呼ぶべきなのか。怪盗魔術師の分霊は論外として、すぐに連絡がつくのはやはりサラとグレンだろう。
だがグレンは転移術式にかかりっきりであり、なるべく動かしたくない。サラの方も月面で動き出した神影鎧装レツオウガを警戒する役目がある。
ならば禍を、リザードマン辺りを呼ぶべきか。だが相手はファントム・ユニットだ。役不足ではないのか――等々。めまぐるしく回転するサトウの思考を、冥が意外な一言で押し止める。
「ああ、待ってくれ。僕は観客だ。別に君等が何をしようと止める気は無いよ」
「そうでしょうね。一個人で転移術式を行使できる貴方は、戦力の水先案内人だ。戦列に加わる筈が無い」
「だからここへ応援を呼び寄せるつもりだろう、か? まぁそう思うよな。けどね、僕はそんな興醒めるような真似はしないよ」
くつくつと笑いながら、冥はすうと花束を差し出す。
「今、証拠を見せよう」
言って、冥は花束を手放す。
支えを失い、花束は重力に従って落下。
そのまま地面への衝突し――同時に、塵となって砕け散った。
粉々、という表現すら生温い。砂をこぼすよりも乾いた音を立てて、花は形を失ったのだ。
まるで、生命を揮発させてしまったかの如くに。
後に残ったのは、かさかさになった包み紙のみである。
「……!」
この世ならざる死の形に、息を飲むサトウとエルド。その絶句に頷きながら、冥は肩をすくめる。
「僕が使ってる転移術式――ヘルゲート・エミュレータは、少々特殊な代物でね。地球上ならどこでも転移できるんだが、この世の生き物が通ろうとすると、みんなこうなっちゃうのさ。応援なんて呼べやしないよ」
「なるほど。その転移術式がオウガローダーの移送にしか使われないのは、前々から疑問だったのですが……それが所以ですか」
「そゆこと。ついでに言えば、徒歩で洞窟の入り口から来るような事も無いよ。そんな事したら探査術式に引っかかって、君らはすぐ逃げてしまうだろうからね」
サトウが仕掛けたトラップをしれりと看破しつつ、冥はタブレットを操作。画面から投射された霊力光は、ワイヤーフレームとなって冥の腰より少し上くらいの高さへ組み上がり、実体化。
かくして完成したのは、一脚の椅子と小さなテーブルであった。
黒い革張りのように見えるその椅子へ、冥はゆったりと座る。きしりと、背もたれが揺れた。
「さて。重ねて言うようだが、僕は基本的に傍観者だ。確かに立場上、凪守に籍を置いてはいる。けどね、実のところ僕としては世の中がどうなろうと、知った事じゃないのさ」
さらりと爆弾発言をしつつ、冥はサイドテーブルにタブレットを置き、立体映像モニタを表示。左手の画面と同じ、一メートル四方の正方形が灯る。
「ただ、キミ達に用があるらしい男が知り合いに居てね。ソイツが面白い出し物をするって言うから、それを見に来たのさ」
更に画面をタップし、冥は立体映像モニタ上へ通信相手を呼び出す。
かくして画面に映りだした男――五辻巌は、いかにも美味そうに茶をすすっている真っ最中だった。
『ふぅー。この一杯のために生きてるナァ』
幸せそうに息をつく巌に、冥は憮然と頬杖を突く。
「それは重畳。その調子で本題に入ってくれるか、巌」
『……やっ、今繋がったのか。これはお見苦しい所を』
湯飲みを大急ぎで画面外に追いやり、巌は、小さく咳払いをする。
『では改めて。どうも、初めまして。機密対魔機関凪守、特殊対策即応班『ファントム・ユニット』隊長――ファントム1」
「同じく、ファントム3」
洞窟の空気を一直線に貫く、刃の如き二つの視線。
思わずエルドは息を飲むが、その緊張は数瞬で溶け失せる。
『……とまぁ、規則上一応名乗らにゃならんのですが、どーも横文字ってのは慣れないもんでして。本名の五辻巌の方でお願いしますねー』
「僕も冥・ローウェルで構わないぞ」
言いつつ巌は頭を下げ、冥はひらひらと手を振る。豹変にも程がある緩みっぷりである。
「これはこれは、ご丁寧にありがとうございます。ワタクシはスティレット所属のサトウと申します」
端末をポケットに仕舞った後、丁寧に頭を下げるサトウ。七三の分け目を良く見せた後、サトウはおもむろに冥へ歩み寄って名刺を差し出す。
「どうぞ、お見知り置きを」
「ああ」
足を組んだまま、尊大に名刺を受け取る冥。小さな厚紙の中には確かにスティレットの表記と、Hutoshi Satouの名が並んでいた。
「解りやすく偽名だな。ま、僕も他人の事を言えた義理じゃないが」
「恐れ入ります。こちらはワタクシ共のビジネスパートナーである、エルド・ハロルド・マクワイルド氏です」
「ど、どうも」
会釈する怪盗魔術師。その周囲には先程から幾枚もの立体映像モニタが回遊魚のように泳いでおり、時折視線が頭上にある紅白の円陣へちらちら動く。やはりあの二つが重要な役目を持っているようだ。
どんなものなのか、気になる所ではある。だがそれ以上に、先程から見せているエルドの態度そのものが、冥の興味を引いた。
ロンドンで見せた快活さはどこへやら。例のマシンガントークで場の主導権を握りに来るかと思っていたが、そんな様子はまったくない。
突然の訪問者に萎縮しているその様は、まるで別人だ。
「ふむ……?」
目を細め、冥はじっくりと怪盗魔術師を見る。
当たり前だが、顔の作りはエルドと同じだ。だが表情のどこを探しても、あれだけ漲っていた自信は見当たらない。ただ当惑ばかりが顔を覆い尽くしている。
それに、服のセンスも少し違う。ピンクでは無く、青いシャツを中に着込んでいる。
「……ふむ」
頷く冥。作戦開始前に聞かされた巌の推察は、どうやら当たっていたようだ。
そんな冥の納得を知るはずも無く、元の位置に戻ったサトウが口火を切る。
「それで、一体何のご用でしょうか? 先程も冥さんへ申しましたが、ワタクシ共は今大きな催し物をしている真っ最中でして。大変危険ですので、外して頂きたいのですけれども」
『や、そうでしたかー。それは知りませんでした』
サトウと巌。モニタ越しに行われる白々しいやりとりを見ながら、冥は口角を吊り上げる。
巌の出し物が、ファントム・ユニットの反撃が、本格的に始まったのだ。
『ですが、こちらにも色々と確認したい事があるんですよねー。それに……何と言いますか。その辺については、エンジニアのハロルド氏が居れば、何とかなるのでは?』
ぴくりと、サトウの眉が動く。
ギクリと、怪盗魔術師エルド――もとい、ハロルドが動きを止める。
「……成程、確かにその通りではありますね。良いでしょう、お話はワタクシが承ります」
言いつつ、サトウは手を振る。その仕草で我に返り、ハロルドは作業を再開。
立体映像モニタと、糸のように細い目。二つの障害に阻まれているため、巌の表情と目的はどうにも見えない。だが少なくとも、今はこちらと話をつけたいらしい――と、サトウは見当を付けた。
確認か、追求か、それとも只の時間稼ぎなのか。
理由はどうあれ、サトウはその計略に乗った。サトウ達としても、時間を稼げるのはむしろ好都合だからだ。
連絡を取る余裕が無くなったのは残念だが、『彼』なら滞りなく次の準備を終えてくれるだろう。
「それで、何のお話でしょうか」
『なぁに、難しい事じゃありません。少々答え合わせがしたいだけです。この状況の、ね』
丁度その時、遠雷のような大音量が大ホールを揺るがした。大鎧装部隊とキクロプス達の戦いが、立体映像モニタ越しに響いて来たのだ。
零壱式が走り回り、ディスカバリーⅢが銃を撃ち、キクロプスが唸りを上げる。加えて連中の足下では、歩兵部隊とリザードマン達が戦っている。
そんな戦場の狂熱を、しかし誰も見ていない。
『ファントム4とエルド氏が接触されて以来、僕達は翻弄されっぱなしでした。突然出された予告状、所持を明言された人造Rフィールド、等々。疑問は数えればキリがありません』
ただの喧噪と化した戦闘を背に、巌は手元へ小さな立体映像モニタを表示。今まで纏めた資料を読みながら、巌は粛々と推論を述べ始めた。
『ので、僕は手っ取り早く根底の疑問を切り崩す事にしました。何故エルド・ハロルド・マクワイルド氏は、こうも長い間大手を振って活動できているのか、という点ですねー』
ちら、と巌は奥の怪盗魔術師に目をやる。
『当たり前の話ですが、活動するには霊力だけでなく色んなものが要ります。場所とか資材とか……まぁ、要するにカネとコネですねー』
「世知辛い話ではありますね。世の中が如何に変わろうと、基本的にモノを言うのはその二つです」
『まったくですなー。僕も薄給にはむせび泣くばかりですよー』
「キミ達仲が良いのか悪いのかどっちなんだ?」
頷き合う巌とサトウに、思わずツッコむ冥。だが巌はまったく気にせず推論を続ける。
『さて。そうした前提で、仮にエルド氏が盗みを働くとしましょう。下調べに始まり、術式の準備、霊力の確保、その他諸々。まさにコネと、そしてカネが必要なものばかりです。なのでそれらを提供してくれた方々に対し、エルド氏は対価を支払う義務があります。盗品などで、ねー』
またも響く爆音。キクロプスが大振りのストレートを繰り出し、それを受けたディスカバリーⅢ隊長機の肩部装甲が無残にひしゃげた。
更なる追撃となるハイキックを繰り出すキクロプス。だがその大振りを、隊長機はかいくぐって回避し、逆にキクロプスと密着。
腹部に右腕複合兵装システムを突き付け、ブレードを発振。
キクロプスの背中から霊力の刃が飛び出し、隊長機はそれを真一文字に振り抜く。
そうした激闘の光景も、地獄の火洞窟にいる面々の興味を引く事は、やはり出来ない。
『さて、ここで矛盾が生じます。怪盗魔術師エルド・ハロルド・マクワイルドの腕前は百発十中です。幾ら愉快かつ有名な方だとしても、成功率十パーセント台の者に仕事を任せられるでしょうか? 僕はNOだなー』
手元の立体映像モニタを見やる巌。推論にじっと耳を傾ける冥。二人の視線が、こちらから微妙にずれた。
今こそ好機。足音を立てぬよう、サトウは静かに体勢を変えた。
左肩を前に、右肩を後ろにした半身の姿勢。更に右手をポケットに突っ込み、身体そのものを盾にして携帯端末を操作。
器用にも指の記憶だけで作成したメールは『すぐきてください』という簡潔な一言のみ。宛先は、転移術式の向こうに控えているグレンだ。
これを送れば、グレンはすぐここに来てくれるだろう。これでもう後詰めの心配は無くなったし、あわよくばファントム3を討ち取れるかもしれない。
だが、今はまだその時では無い。もう一箇所の準備が完了するまで、時間を稼がねば――そんなサトウの内心を見抜いているのかいないのか、巌は推論を重ねていく。
『ですが、エルド氏は現に滞りなく活動を継続しておられる。これが、一体何を意味しているのか』
「どっかの物好きに投資させてるとかじゃないのか?」
足を組み直す冥に、しかし巌は首を振る。
『その線は僕も考えたさー。けど数年ならともかく、エルド氏の活動期間は百年を超えてる。幾ら投資先をハシゴしたとしても限度があるよねー』
不意に、巌は手元の立体映像モニタから顔を上げる。だが、その眼差しがサトウの動きを気にした様子は無い。
『ならばなぜ、エルド氏は万全のバックアップを得た活動を続けていられるのか……突き詰めれば、それはごく単純な話でした』
「――それは?」
促すサトウ。だがもったいぶっているのか、それとも段取りが悪いのか。巌はややしばらくの間、無言で資料を睨めっこを続けた。
その最中にも轟々とキクロプスが唸り、零壱式の重火器が吠え、禍の咆哮が渦を巻く。
足下では歩兵部隊が列を組み、リザードマン達が突撃し、ステージ上のエルドが何やら実況をしている。
爆発、爆発、爆発、爆発。
闘志が、鋼が、霊力が。薄墨に沈むウェストミンスター寺院を中心として、荒れ狂っている。
こんな状況でも遺産への霊力供給術式は律儀に稼働しており、寺院の上を網目状の霊力光がにわかに走り始めた。遺産へのアクセスは、もはや目前だ。
「……」
ちら、と後ろに目をやるサトウ。そこにはすっかり調子を取り戻したエルドが、立体映像モニタをしきりに操作していた。寺院の霊力供給術式と人造Rフィールドを繋ぐ段取りだろう。
あるいは仕事に没頭する事で、巌の存在を思考から閉め出しているだけかもしれない。
どうあれ、次の段階へは問題なく勧めそうだ。
「……」
だが、だからこそサトウは眉をひそめた。
冥が、巌が、本当に喋るだけで何もしてこないからだ。
何故か。
自分達と同じだ。巌は、何かを待っているのだ。
だが、それは何なのか――そんなサトウの推察は、巌によって中断させられる。
『えー……あった、これこれ。まず、結論から述べましょう。怪盗魔術師エルド・ハロルド・マクワイルドの本当の目的は、盗みを働く事ではないのですよ』
さらりと。
笑いながら、巌は盗魔術師の本質を射貫いた。
サトウが息を飲み、冥が片眉を上げ、エルドが目を見開いて作業を止める。
何の因果かロンドン側の戦闘も一瞬静かになり、静寂が大ホールを包み込む。
こつこつと、冥が肘掛けを小突く音がいやに大きく響いた。
「ふむ、興味深いな。だが盗み以外でアイツがやらかした事なんて、そう多くは……」
逡巡しながら視線を巡らす冥。推理ゲームでもしているかのような視線は、うろたえるエルドや敷設された術式群を順番に撫で――やがて、ロンドン市内を写すモニタで止まる。
まだまだ続く一進一退の攻防。キクロプスが放つ豪快なドロップキックを、ディスカバリーⅢは後方に大きく跳躍回避。同時に両腕からブレードを発振し、脚部を折り畳む。
そのままディスカバリーⅢは転倒、しない。正座するように畳まれた膝及び足首からスラスターが展開、背部バーニアと合わせて噴出する霊力が、ディスカバリーⅢを浮遊させているのだ。
これこそ、奥の手のホバーモードである。
結構な量の霊力を消費するため、連続稼働時間は僅かに三分。だが、禍を一匹始末するには十分過ぎる時間だ。
『WOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!?』
さながら刃を携えたトンボのように、縦横無尽な機動を見せるディスカバリーⅢ。対するキクロプスは急激に変わった挙動へ対応できず、四方八方から斬撃を受ける。倒されるのは時間の問題だろう。
そんな攻防を眺めながら、冥は片眉を吊り上げる。
「……ひょっとして、あの馬鹿騒ぎそのものが目的なのか?」
『ご明察。正確には派手な犯行を隠れ蓑にした、要人の暗殺や拠点の破壊だねー』
言いつつ、巌はそれを仕掛けた連中の表情を伺う。
半身のまま動かないサトウとは対照的に、エルドはひっきりなしに視線をさまよわせている。
どうやら図星のようだが、それだけにロンドン側のエルドとの落差が際立った。何せステージ上のエルドは、未だ爆音の中でショーを続けているのだから。
それに習う訳では無いが、巌も推論を再開する。
『ある事件では術式の開発リーダーだった人物が死に、ある事件では霊地が使用不能になり、またある事件では責任を問われた警護主任が辞職を強要されました』
ロンドン側で爆発が起こる。オラクルが何か叫んでいたが、誰も聞いていない。
『それらの事件を皮切りに、関わった退魔組織のほとんどが内部構造の改造に着手し――結果、怪盗魔術師とまったく関わらなかった派閥が勢力を伸ばしています』
ひゅう、と冥が短い口笛を鳴らす。
「そりゃまた露骨な共通点だな」
『だろー? 以上の事柄から、導き出される答えは一つ――』
まっすぐに、巌の視線がエルド達を射貫く。
『怪盗魔術師という肩書きは、ただの方便でしかない。エルド・ハロルド・マクワイルド氏の本質は、依頼主に都合の良いよう、状況を剪定する暗殺者なのです』
長い推論を述べ終え、一つ息をつく巌。画面外に置いていた湯飲みを掴み、すっかりぬるくなってしまった茶を一息に飲み干す。
サトウが表情を隠すように眼鏡を押し上げたのは、その直後だった。
「……成程、成程。興味深いお話でした。ですが、それは全て五辻さんの推論なのでしょう?」
『いえいえ、そう言う訳でもないのですよ。そもそも百年単位で行われて来た事柄ですから、僕以外にも同様の疑問を持った方は数多くいらっしゃいました』
これまでに纏めた、膨大なデータ。その全てが納められている手元の立体映像モニタを、巌はちらと見る。犯行予告直後から、世界中の伝手を辿って集めた情報の数々だ。
『中には僕と同じか、それ以上に真相へ肉薄した方も居りました。が……事あるごとに圧力をかけられ、揉み潰されておりました。エルド氏を囲っている何者か達に、妨害されたりしたんでしょうねー』
つい先程、冥経由で提供されたBBBの内情の断片を、巌はしれりと言う。
「なる、ほど」
表情こそ変えないが、内心サトウは舌を巻いた。下手を打てば巌自身、今まで妨害された連中と同じ轍を踏んでいた筈である。
眠そうなその目でどれだけ際どい交渉と危ない橋を渡ってきたのか、サトウにすら読み切る事は出来なかった。
そしてここまで聞いていれば、巌の行動目的も分かる。
この五辻巌は、ニュートンの遺産強奪作戦を粉砕するのみならず、エルド・ハロルド・マクワイルドを現行犯逮捕しに来たのだ。なまじ防衛部隊に組み込まれていないが故、取る事が出来た強硬手段である。
――ファントム・ユニット自体は上層部から動きを制限されているが、冥だけは特例としてその軛は役に立たない。と言うよりも、厳密な意味で冥に命令出来る人間は、この世に一人も居ないのだ。
しかして、巌は何らかの手段で冥を懐柔し、動かした。そして、資料から推察した怪盗魔術師の本拠地へ送り込んだのだ。
果たして、巌はどこまでこちらの目的を知っているのか。どこまで、怪盗魔術師の本質を知っているのか。
薄ら寒いものが一筋、サトウの背を流れる。
だが、それでも核心までは至っていない。
「五辻巌さん……いえ、ファントム1。貴方の目的は良く分かりました。ですが――」
――最も重要な作業が行われるのは、ここではありませんよ?
そう言いかけて、はたとサトウは気付く。
その重要な作業を行っている筈の『彼』から、連絡が無いのは何故だ。
巌が推論を語り出して結構な時間が流れたが、定時報告を受けた憶えがまったくない。
すぐさまサトウは携帯端末を取り出し、メールは保留したまま通信モードを起動。それに連動してロンドンを切り取る立体映像モニタの脇に、同じ大きさの正方形がもう一枚表示。
果たしてその中に、サトウは見た。
作戦の次の段階を担当している、三人目のエルド・ハロルド・マクワイルド。その分霊と向き合っている、虎頭の巨漢――ファントム2の姿を。




