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神影鎧装レツオウガ  作者: 横島孝太郎
#2 最後の魔術師
38/194

Chapter06 冥王 01

 それから二日が経過した。

 怪盗魔術師エルド・ハロルド・マクワイルドの犯行予告日が、遂に訪れたのだ。

 現在時刻は午後二時二十分。懸念事項は数あれど、合同防衛部隊は既に所定の配置へついている。幻燈結界(げんとうけっかい)の向こうでは、探査用の術式やら何やらが休み無く動いている事だろう。

「がんばれがんばれ」

 投げやり気味に応援しながら、ウェストミンスター区の町中をのんびり歩く凪守(なぎもり)職員が一人。

 ファントム・ユニットの3番、(メイ)・ローウェルである。

 服装は制服では無く、コートとチノパンだ。私服である。

 五月とは言え、北海道より北にあるロンドンはまだまだ寒い。納得できる格好ではある。

 だが他の凪守職員が冥を見たなら、きっと眉をひそめただろう。今から始まる怪盗魔術師の捕縛作戦に、ファントム・ユニットの参加予定はないのだから。

 それでも冥がここに居るのは、偏に(いわお)から頼み込まれたからである。帯刀(たてわき)の結託と同じく、非公式の指令という訳だ。

 私服姿なのは、万が一見つかった時の追求を避わす為でもある。『有給休暇中、偶然ここに来ている』という建前だ。

 もっとも、その冥を咎められる者などそうそう居ない。何せ冥は人間ではない上、ある意味辰巳(たつみ)よりも忌まれている存在だからだ。

 しかして、冥は辰巳と違って他者の評価など一切気に止めない。今もそうだ。

「~♪」

 目元に微笑、口元にサミング、手には小さな花束。

 上機嫌である。冥は任務が、正確にはこれから起こるであろうゴタゴタが、非常に楽しみなのだ。

 因みにこの花束は、任務に必要なので雷蔵(らいぞう)に買って来させた代物である。

 少々遠回りさせてしまったが、雷蔵がタクシーを拾ったのは一時間近く前だ。向こうもいい加減所定の位置についているだろう。

「さて、と」

 花束をがさりと揺らしながら、冥は巌に指定された場所へやって来た。

 テムズ川に幾本もかかっている橋の一つ、ランベス橋。二百メートル近くある橋の西口に立つ冥は、北に建つゴシック調の建物を眺める。

 建物の名は、ウェストミンスター寺院。

 同じ名前を冠したウェストミンスター区を代表する教会だ。国会議事堂でもある隣接したウェストミンスター宮殿も含めて、世界遺産として登録されている有名な建物でもある。

 数世紀の時をかけて建築されたゴシック様式は、荘厳な美をもってロンドンを見渡すと共に、埋葬された数多くの国王や重鎮達の眠りを守っているのだ。

 故にこの場所は多くの人々の関心が、引いては無形の霊力が集まりやすい場所の一つであった。

 そして現代のような霊地を建設する技術が無かった当時、ニュートンはそこに目をつけた。

 錬金術師と言う事を差し引いても、ニュートンは高名な科学者であり、造幣局長官だ。この寺院に埋葬されるのは、ほぼ必定であった。

 故に彼は成層圏上へ葬った超重力場への霊力供給術式に、己の遺体を組み込むよう弟子に命じたのだ。

 目論見は功を奏した。有名な場所であるため霊地並の霊力が常に流れ込み、身命を賭したニュートンの術式は現代に至るまで朽ちる事を知らない。

 もしこのサイクルが途切れる日があれば、それは祖国が超重力場内部のモノへの対処を決めた時だろう――そう、ニュートンは予見していた。

「けど、その天才もこんな状況になる事まで予想してたのかな?」

 意地悪な笑みを浮かべながら、冥は懐から取り出した眼鏡をかける。更に愛用のタブレットPCを起動し、プログラムを実行。

 電子制御された術式が眼鏡に組み込まれたシステムと連動し、液晶画面とガラスレンズから淡い霊力光が立ち上る。

 かくして術式が発動した眼鏡越しに、冥は見た。

 ウェストミンスター寺院の周囲、幻燈結界の向こう側。十数体の機械巨人――もとい、大鎧装が警護を固めている光景を。

「ほほう。利英(りえい)のオモチャにしては、中々実用性が高いんじゃないか?」

 眼鏡のブリッジを押し上げる冥。今冥がかけている眼鏡には、幻燈結界の向こう側が見られる透視術式が組み込まれているのだ。術式自体は以前からあるものだが、それを組み込んだこの眼鏡は利英謹製の一品である。

 因みに製作以来を受けた際、利英はひたすらテンションを上げまくったりしていた。

『冥に眼鏡ッ!! なんとすばらしい組み合わせの提案をしてくれるんだ盟友!!』と言う感じだ。

 もちろんかけている冥本人は知る由も無い。知らぬが仏である。

 何にせよ、冥は眼鏡と同期したタブレットの画面を見下ろす。帯刀の方から回って来た地図によると、大鎧装の部隊は寺院を囲むように円陣を作っているようだ。まぁ妥当な配置だろう。

 地図でも肉眼でも、日本から派遣された零壱式れいいちしきの姿は見える。武器は手持ちのアサルトライフルに、霊力で刃を延長出来るコンバットナイフ、牽制用の胸部バルカン砲。

 これらの標準装備に加え、どの機体も右肩部に分厚いプレートを増設している。裏側にグレネード弾を二発懸架したこのプレートは、用途に応じた術式を内蔵出来る多目的シールドだ。今回は利英が組み上げたある術式を内蔵している。

「ま、実際役に立つかどうかは未知数だけどね」

 橋の欄干に寄りかかりながら、冥は部隊の大部分を担っているBBB(ビースリー)の機体、ディスカバリーⅢに視線を移す。

 端的に言うなれば、ディスカバリーⅢは少々変わったシルエットの機体でる。

 どこかヘリコプターを連想させる細身の体躯を包むのは、薄い青色の複合装甲。

 あるギミックを内蔵する脚部は逆間接であり、腕部は肘から先が銃器になっている。

 一見するとマシンガンのようだが、銃身下部の発信機部分からは剣や盾といった近接霊力武装を展開出来る、複合兵装システムなのだ。更にこの上腕部は作戦目的に応じて換装する事が出来、作業用のサブアームも肩部に内臓されているので不便はない。

 近衛兵を連想させる円筒形の頭部は単眼であり、指揮官機には通信用のアンテナが羽飾りのように揺れている。

 以上、零壱式六機、ディスカバリー十二機。

 この一団こそ、怪盗魔術師エルド・ハロルド・マクワイルドを迎え撃つべく待ち構えている合同警護部隊なのだ。加えてレーダーにこそ映っていないが、件のフェンリル憑依者ことオラクル・アルトナルソンが組み込まれた歩兵部隊もどこかに待機している筈だ。

 たった一人の犯罪者の警戒目的としては、むしろ過剰なほどの布陣である。

「なるほど、そこそこの所帯だね。似たような配置を突破された前例がある事を除けば、ね」

 油断無く警戒を続ける大鎧装部隊を一瞥した後、冥はちらと腕時計に視線を落とす。

 午後二時二十九分。ニュートンの遺産がこの上空を過ぎるのは、午後三時丁度の予定だ。仕掛けて来るならそろそろの筈――そんな予想は、長針が6を指すと同時に的中した。

 寺院の東、テムズ川の中ほど。淀みなく流れ行く水面へ、唐突に巨大な術式陣が現れる。日乃栄(ひのえ)高校でも使われた、グレンの転移術式だ。位置は丁度ランベス橋の正面である。

「おや、気の利く位置取りじゃないか」

 欄干に頬杖をつく冥。その眼前で、川幅の七割くらいはある大きな青色の紋様が、脈動するように輝く。

 そして八発の霊力弾が、白い尾を引きながら薄墨色の空を駆け上った。

 空気を劈く弾丸に、すぐさま身構える大鎧装部隊。零壱式は肩部にマウントされた盾を構え、ディスカバリーは複合兵装システムからシールドを展開。

 しかして、それらの防御が役に立つ事は無かった。

 炸裂、炸裂、炸裂、炸裂。

 立て続けに炸裂する霊力弾の群れは、盛大な爆音と大輪の花で墨色の空を彩った。花火だったのだ。先日、洞窟の広間でエルドとサトウが話していた準備の一つがこれである。

 困惑しながら防御を解く大鎧装部隊。その眼前へ、きらきらと降りしきる光の粒。花火の残光だ。

 雪のように舞い踊る光は、なかなか消えずに術式陣の上を乱舞する。更に一部が意思を持ったように寄り集まると、空中に新たな術式陣を二つ形成した。

 直径五メートル。転移術式の両端へ凝集した二枚の円陣は、一際強く明滅すると――まず、勇壮なファンファーレを鳴り響かせた。

 次いで、アップテンポのBGMが幻燈結界内をかき鳴らし始める。

 スピーカー、だったのだ。

 大鎧装部隊はますます困惑し、大音量はいよいよもって一帯を埋め尽くす。

 そしてその曲が最高潮に達した瞬間、満を持して怪盗魔術師は現れた。

『レディースッ! アァァァァンドジェントルメン!』

 爆発するような挨拶を叫びながら、メートル単位で立ち上る巨大な火花を背後に、怪盗魔術師エルド・ハロルド・マクワイルドは転移術式の中心からせり上がって来た。

 満面の笑みを隠そうともしないエルドの背後には、端正な顔立ちの女達が横一列に並んでいる。

 そして、おもむろにダンスを開始した。

「派手な挨拶だなー。あのバックダンサー共はニンフ……いや、フェアリーか」

 尖った耳、ふわりとした服装、背中に生える半透明の羽根。冥の見立て通り、彼女達は妖精フェアリーの分霊だ。

 華麗という単語を具現化したようなバックダンサー達を侍らせながら、いつものステッキをマイク代わりに、エルドは声を張り上げる。

『やぁやぁやぁ! 本日は僕達こと怪盗魔術師エルド・ハロルド・マクワイルドのショーにお越し頂き、まずは感謝の意を現させて頂きたい!』

「どこかで見たようなテンションだな」

 脳裏を掠めた顔見知りの坊主の顔を、冥は頭を振って追い出す。それから欄干から身体を離し、おもむろに歩みを再開。待ち合わせ相手が居るのはもう少し先だ。

『動くな! 怪盗魔術師エルド・ハロルド・マクワイルド! お前は完全に包囲されている!』

 隊長機と思しきディスカバリーⅢが叫ぶ。音楽に対抗するハウリング気味な大音量の降伏勧告に、やはりと言うかエルドは聞く耳を持たない。

『今まで世界の色んな場所でパフォーマンスして来た僕達だが、今回は一味も二味も違うぞ! 何せ今回が最後の公演だからだ!』

『人の話を聞――何ィ!?』

「ほう、引退セレモニーか。それはまた興味深いが……」

 どよめく結界側とは正反対に、冥は淡々とランベス橋を進む。因みに音声はフレームが骨伝導で伝えている。

「……やぁ、待たせちゃったかな」

 かくて橋の中程で立ち止まり、冥は片手を上げる。

「いえ、お気遣い無く。待つ事は嫌いでは無いですし」

 対する待ち合わせ相手は、物腰柔らかに冥へと向き直る。

「それに、今丁度ちょっとしたショーをやっとる最中でしてね。暇潰しには事欠かんのですよ」

 灰白色のテーラードを揺らしながら、彼は笑う。

 ――端的に言えば。彼はやや太めで、中年の白人男性で、全身白ずくめであった。

 日乃栄の温井(ぬくい)先生ほどでは無いが、それでも服の上から分かってしまう丸い腹。顎も大分たるんでいる。

 髪は真っ白で額は広く、彫りは深いがシワも深い。当然肌も白いため、筋彫りでもされているかのように見える。

 しかしてそれ以上に目を引くのが、彼の右目そのものだろう。

 術式にも似た紋様を走らせる、銀色の瞳。気を抜けば全身の白を霞ませてしまいそうな光を蓄えた目を、冥はじっと見る。

「資料で存在は知っていたが、どうやら魔眼は健在なようだな。スタンレー・キューザック卿」

「おや。貴方のような有名な方に名前を憶えて貰えるとは、光栄ですな……冥・ローウェル殿」

 白ずくめの紳士ことスタンレーは、そう言って笑みを深めた。

 ――スタンレー・キューザック。BBB職員ならばまず知らぬ者は居ないであろう、数々の事件を解決に導いてきた敏腕魔術師だ。エルドが起こした事件にも幾つか関わった事がある。

 第一線から退いて久しい身であるが、それでも数々の怪異を退けてきた銀の魔眼は、幻燈結界側で繰り広げられている騒ぎを正確に認識していた。

 同時に、向かって左手。ウェストミンスター寺院側の岸辺に、ぞろぞろと現れる十数人の男達。揃いも揃って屈強な体躯をスーツに押し込める彼等は、待機してた確保用の歩兵部隊だ。

 テムズ川沿いに並ぶ歩兵部隊は、慣れた手付きでリストコントローラを操作。霊力光が立ち上り、全員のスーツ上へ精密回路のような光の線が走る。

 そして、彼等は一斉に叫んだ。

「鎧装! 展開!」

 一際強烈に閃く霊力光。同時に、彼等の姿がテムズの岸辺から消える。

 しかして、彼等は変わらずそこにいる。冥は透視術式の眼鏡で、スタンレーは銀の魔眼で、それぞれ彼等を認識していた。

 彼等歩兵部隊は、幻燈結界側へ移動していたのだ。鎧装展開時に発生する霊力を反応させ、自ら結界へ取り込まれたのである。

 かくて濃緑色の鎧装に身を固めた歩兵部隊はテムズの水面を駆け抜け、未だ消えぬ転移術式の手前で陣を組み、アサルトライフルを構えた。

 ――こちら側へ歩兵戦力を置き、必要に応じて幻燈結界側へ送り込む。防衛戦における基本戦術の一つだ。攻める側から見ればどこから来るか分からない、それこそすぐ目の前に現れても不思議では無いため、相当な抑止力となる方法である。

 更にダメ押しとばかりに部隊の背後には大鎧装部隊が展開し、エルドの周囲をぐるりと取り囲む。

『どうだ、観念しやがれ! これだけの戦力の他に、この俺様、オラクル・アルトナルソンが居るんだからな! もうお前の勝ち目は全然無いぞ!』

 そんな歩兵部隊の中央、一人だけ銀色の鎧装を装備している男が朗々と声を張り上げる。

 ついさっき自分で名乗った通り、彼がオラクル・アルトナルソンだ。以前日乃栄高校へ来る筈だったフェンリルの禍憑(まがつ)きであり、今まさに人造Rフィールドへの抑止力として配備されている戦力の要である。

 彼がここに居る以上、もはや人造Rフィールドは切り札たりえない、筈。

『ンンーフッフ! そう! そうだよ! もっと近くで見てくれたまえ! その方が楽しい!』

 だというのに、それでもエルドの興行は止まらない。ダンサー共々音楽に合わせ、元気に跳ね回っている。

『クソッ、聞けよ人の話! フェンリルだぞ俺は!』

『投降しろ、エルド・ハロルド・マクワイルド! 次は警告では済まんぞ!』

 叫ぶオラクルと隊長機だが、エルドはやはり聞く耳持たない。

 頭がおかしいのか、何かアテでもあるのか。

「あるいは、ああして騒ぐ事自体が目的なのか――」

 興味の尽きない奇妙な鉄火場(ショー)を眺めながら、スタンレーは小脇に抱えていた茶封筒を手渡す。

「ともあれ、まずはこれを」

「ああ、ありがとう」

 封筒を受け取るなり、すぐさま中身を取り出す冥。

 A4の紙に書かれていたのは、手のひらサイズの術式陣が一つだけ。前にアリーナが出したものと同じ暗号処理だ。

 冥はこれをタブレットのカメラで読み取り、データを巌へと転送。これでもう、今日の仕事は半分が完了した。

 後は巌の解析が終わるまで、エルドの引退ショーでも観戦していれば良い。

『埒が明かないか――やむを得ん、構え!』

 痺れを切らした怒号と共に、オラクルを含む歩兵部隊が一斉にアサルトライフルを構える。

()ぇい!』

 そして、火を噴いた。

 放たれるはただの霊力弾、ではない。衝撃を抑える代わりに高電圧を帯びた、非致死性のスタン弾だ。

 ダース単位を軽く越えて殺到する雷撃弾。しかしてその雨は、エルドへ届く前に霧散する。

『何ぃ!?』

「ああ、やっぱり撹乱術式だったか」

 歩兵部隊が狼狽える様を、冥は冷静に観察する。

 ――最初に打ち上がった花火と、執拗に振りまかれたフェアリー達の鱗粉。そこから生じた霊力のきらめきは、霊力を撹乱、いわゆるチャフの効果を含んでいたのだ。

「まぁ、何かしら防護措置をとっていなければ、あんな愉快なショーは続けられませんな」

「まったくだね」

 頷き、冥は傍らの観客をちらと見る。

「しかしまさか、キミのような有名人が連絡員とはね」

 断続的に怒号と銃火が降りしきるが、怪盗魔術師エルド・ハロルド・マクワイルドとダンサー達はパフォーマンスを止めない。妖精の舞は羽根を用いた三次元の動きに変わり、音楽は更なる盛り上がりを引き立てる。

「なに、たまたま手が空いてるのが私だったのですよ」

 楕円、三角、×印。霊力光の軌跡で様々な図形を描くダンサー達を眺めながら、スタンレーは笑みを浮かべる。

「私としてはむしろ、貴方の存在そのものが不思議なのですけども」

「そうかい?」

 にやり、と冥も笑う。

 結界側の怪盗魔術師もまた、同じような笑いを顔に貼り付けていた。

『ンンンーッフッフフゥ! 熱烈な拍手! ありがとうございます皆さん! いよいよ第一幕もクライマックスですよぅ!』

『なにが拍手だ! ちくしょう馬鹿にしやがって!』

 虚しく霧散する銃火に合わせるかのごとく、ますますテンポを速め始めるBGM。ダンサー達の描く紋様も精緻なものへ変わっていき、エルドも複雑かつ縦横無尽なステップを転移術式上に刻み続ける。

 そんな軽快さとは対照的に、歩兵部隊は動かない。大鎧装部隊も動かない。動けないのだ。

 理由は二つ。一つは、未だ展開している転移術式の存在だ。

 特設ステージのようにエルドのショーをライトアップしている青い円陣は、しかし部外者である防衛部隊からすれば、何があるか分からない地雷原と同じだ。

 転移術式はかなり大きく、エルドの位置へ辿り着くには、大鎧装でも数歩かかる。

 踏み込んだ途端にどこかへ飛ばされる、だけならまだ良いだろう。半身だけ術式の向こうに取り込まれ、そのまま転移術式を消されれば、空間ごと裁断される可能性もある。

 何があるか分からない以上、迂闊に踏み込めない――奇しくも、こちらの歩兵戦術と同じ抑止力が働いている訳だ。

 もう一つは、先程から途切れぬ撹乱術式の壁である。あの壁が途切れぬ限り、スタン弾はまず通らない。通常の鎮圧用ゴム弾等ならば通るだろうが、恐らく通用はするまい。

 以前、ギノアが見せた防弾術式。十中八九、あれと同じもので防御を調えている筈である。

「ふざけたように見えて、実は中々堅牢な防壁を作っていた訳だ……おや」

 片眉を吊り上げる冥。ステージ西側を固めていた零壱式三機が、不意に距離を取ったのだ。

 同時に東側へ居たディスカバリー三機も、それとなく後退る。明らかに何か示し合わせた動きだ。

「仕掛けるつもりのようですな」

 そうスタンレーが言うなり、一機の零壱式がシールド裏のグレネード弾を外し、ライフル下部に装着。照準をステージの鼻先に合わせ、発砲。

 狙い違わず炸裂し、爆風を撒き散らすグレネード弾。衝撃で術式陣のスピーカーが砂嵐のごとく揺らぎ、そばに居た四、五人のフェアリーがたたらを踏む。

 そして、ステージ上を彩っていた霊力の燐光が、瞬く間に吹き飛んでいく。

 攪乱術式の壁が、消えたのだ。

 無論ショーのクライマックスは続いており、数秒もしないうちにチャフはステージ上を満たしてしまうだろう。

『今だ! 撃ぇぇい!』

 だが火線を通すには、その数秒で事足りた。

 攪乱術式の妨害に阻まれぬ弾雨が、今度こそエルドのステージに突き刺さる。

『AAA――ッ!』

 人語ではない悲鳴を上げ、消滅していくフェアリー達。スタン弾とは言え、彼女らは霊力体だ。身体を構成する術式が破損すれば、消え去るのは当然である。

「ほう」

「なんと」

 だが、そんなダンサー達の最後の舞を、冥とスタンレーは見ていない。引き金を引いた歩兵部隊も見ていない。

 エルドの正面。転移術式から唐突に現れた巨大な手のひらが、スタン弾の雨を全てせき止めたと言うのであれば、さもあらん。

『ンッフッフ、際どい所でしたね!』

 シルクハットを脱ぎ、怪盗エルドは嫌味なくらいに恭しい礼をした。

『では多少のトラブルはありましたが、ショーの第一幕はこれにて終了です!』

 拍手は無い。代わりに、困惑する防衛部隊のざわめきがあった。

 一体エルドは、いつの間にあんな巨大な禍の召喚術式を組み上げていたのか。

「あのステップ、でしょうな」

「ああ」

 スタンレーがつぶやき、冥が頷く。

 ――今の今まで、休む事無く踏み続けていたエルドのステップ。その動きが禍の召喚術式を組み上げていた事を、この二人は見抜いたのだ。

『それでは第二幕……始めさせて頂きましょうか!』

 シルクハットを被り直し、エルドはステッキを打ち鳴らす。

 鳴り響く乾いた音。それを皮切りに、巨大な手が転移術式の縁を掴んだ。そのまま懸垂するかのように、巨大な頭と山脈のような筋肉が、転移術式の奥から盛り上がる。

 そして、吠える。

『WOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!』

 漲る獣性を隠す事無く辺りを睥睨するのは、一つ目の巨人――キクロプスだ。

 しかも、一体ではない。二体、四体、六体。まだまだ出て来る。

「GRAAAAAAA……ッ!」

 更にその足下。びぢゃりびぢゃりと粘っこい足音を立てながら現れたのは、細長い頭で辺りを睥睨するトカゲ頭の戦士、リザードマンである。しかも装備は以前見た剣だけでなく、銃火器を持った個体も散見出来た。これもサトウの準備である。

 転移術式の縁を挟み、二つの軍勢は睨み合う。

「ぬぅ」

 スタンレーは歯噛みする。旗色が悪い。戦力比自体は互角……いや、防衛部隊側が少し優勢だろう。だが気迫が負けている。エルドの手勢の底が見えないせいだ。

「うんうん、盛り上がって来たね」

 そんなスタンレーとは対照的に、冥は楽しげな笑みを隠さない。

「貴方は――」

 流石に眉をひそめるスタンレーだったが、その続きはリストコントローラの着信音に遮られる。巌の通信が入ったのだ。

「ん、いいタイミングだ」

 鍵盤を弾くように、冥はコントローラを操作。すぐさま立体映像モニタが浮かび上がり、大分やつれ気味な巌が小さく手を振る。

『やぁ冥。そっちの状況はどーだい?』

「大分盛り上がって来た所さ。巌も調べ物は終わったんだな?」

『まーね、概ね予想通りだったよ。資料を提供してくれたキューザックさんには、ホント感謝してます』

「お構いなく。此方としても、ヤツらの仕業にはほとほとウンザリしているのでね。良い機会さ」

 笑うスタンレー。実際、その言葉に嘘は無いだろう。こうして今、非公式に協力しているのが何よりの証拠だ。

 例えエルドの背後に何が関与していようと、ケリをつける――そんな決意をスタンレーの横顔に見出しながら、冥はリストコントローラは操作する。

「さて。必要な脚本が揃ったんだだし、そろそろ特等席に移動させて貰おうかな」

 術式の音声入力モードを起動し、冥はそっと告げる。

「セット、ゲート」

『Roger HellGate Emulator Ready』

 途端、リストコントローラから投射される霊力光。精密回路のように枝分かれする幾条もの光は、僅か数秒で身長と同じくらいの術式陣を冥の正面に投射する。

 紫色の光で構成されたそれは、以前何度かオウガローダーを転移させた、あの術式と同種のものであった。

「んじゃ、この下らん三文芝居の舞台裏へ文句を言いに行くよ」

「よろしくお願いしますよ、ファントム3」

 柔らかく笑うスタンレーだが、その目だけは笑っていない。彼とエルドの因縁を考えるなら、むしろそれは当然だろう。

 だが冥は気に留めた様子も見せず、ただ呑気に手を振りながら、紫の光を潜った。

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