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神影鎧装レツオウガ  作者: 横島孝太郎
#2 最後の魔術師
25/194

Chapter04 交錯 01

 日本でレツオウガがRフィールドを食い尽くしていた、丁度その頃。

 遙か西方、北極圏に位置する島国アイスランドの首都、レイキャビク。

 未だ深夜の帳に沈む町並みの一画、整然と立ち並ぶ建物の内の一つ。

 その屋上へ、唐突に青い光が瞬いた。霊力光である。

 光源は扉。少し錆が浮く蝶番を軋ませながら現れたのは、凪守(なぎもり)西脇雷蔵(にしわきらいぞう)であった。転移術式でエッケザックス本部から跳んできたのだ。

 今日も筋肉質の体躯を制服に押し込める雷蔵は、一歩踏み出すなり大きな身体を縮ませた。

「くぉぁぁ、寒っ」

 さもあらん、四月下旬とはいえまだまだ寒いのだ。加えて元々寒いのが苦手な雷蔵は、一九〇センチ近い巨体をぶるりと震わせた。

 両手をこすり合わせながら、雷蔵は月光に照らされる町並みをきょろりと見回す。

「……静かなもんじゃのう」

 明かりが途切れる気配こそないが、人の姿はほとんど無い。元来人口の少ない国ではあるが、その気になれば片手で数えられそうなくらいだ。途方も無く静謐で、静寂な空気がそこにあった。

 見渡せば赤、青、白と色とりどりの屋根を被る家々。空から降り注ぐ透き通った夜の帳。それを撹拌する街灯の光。

 日本の夜とはまた違う、実に風情のある眺めだ。しかし残念ながら雷蔵の仕事は写真撮影ではない。

「西脇さん、ここで良かったのですか?」

 雷蔵の背後、まだ繋がっていた転移術式から声が響く。振り向けば、そこには一人の白人女性がたたずんでいる。

 バレッタで小さく纏められた金髪。赤いフレームのメガネ。スーツの下からでも自己主張している胸。

 一応目付役として同行している、エッケザックスの職員だ。

「おや、アナタも来られたのですな。シル、ル……えーと」

「シグルズソンです。アリーナ・シグルズソン」

 事務的な口調で名乗る職員――もとい、アリーナ・シグルズソン。危うく噛みそうになる舌を巻きながら、雷蔵は頭をかく。

「おお、そうでしたなシルルソンさん」

「シグルズソンです。それで、本当にここで良いんですか?」

 レンズの奥にある青い目が細まったが、雷蔵は気にせずぬははと笑う。

「良いですとも。何せファントム1の予想ですからなぁ」

 レックウが発進する前後、ひっきりなしに(いわお)がしていた電話。そのうち一本が雷蔵に繋がっていたのだ。

 曰く、レイキャビクのどこかにギノア・フリードマンの協力者が潜んでいる可能性がある、と。

 ――ギノアが纏った神影鎧装、オーディン・シャドー。北欧神話の主神たるその術式を準備するには、やはり地球上で最もルーツが色濃く残っているアイスランドこそが最適だろう。

 だから恐らくこの国のどこか、十中八九首都レイキャビクのどこかに協力者が潜んでいるはず、と巌は踏んだのだ。

「でも現状、幻燈結界(げんとうけっかい)は働いていませんよ」

 不満顔で眼下を一望するアリーナ。実際町並みを覆うのは相変わらず夜の濃紺のみで、幻燈結界はどこにも見えない。

「ふぅむ、まぁ仕方ありますまい。そもそも半分はカンですからのぅ」

「不確かですね」

 眉根を寄せるアリーナを余所に、雷蔵は左袖をまくる。露出した手首には辰巳(たつみ)のものと良く似た腕時計型の装置、リストコントローラが巻かれていた。

 雷蔵はそれを慣れた手つきで操作し、小さな立体映像モニタを表示。送られてきた地図データと照らし合わせながら、レイキャビクの町並みをじっと睨む。

 ――ギノアは転移術式を使って日乃栄高校に現れた。恐らくは利英(りえい)のように独自の技術を用いているのだろうが、それについてはとりあえず無視して良い。

 今重要なのは、その痕跡をどうにか見つける事だ。

 どんな隠蔽を施したとしても、何らかの痕跡は生じる。例えば利英だ。独自の転移術式を造るにあたり、あの天才ですら霊力消費量の増加という足跡を残していた。

 ならばこの敵も同じ何かを、ノイズをどこかに生じさせるはず――巌はそう踏み、そして見つけたのだ。

 レイキャビクのリアルタイム霊力分布図。照らし合わせた一週間前のデータには無い、僅かな、しかし確かな霊力の減衰を。

 その地点を睥睨出来るのが雷蔵の今いる場所であり、雷蔵は地図に従って道をなぞる。

 ずっといったT字路の突き当たり。白壁のアパートが一軒、月光を跳ね返していた。

 幾つかある窓の内、明かりがついているのは一階にある両端の二部屋。その内、向かって右側にある窓の色が、ぼんやりと揺らいでいる。

 あれは、霊力光ではなかろうか。

「ふふ。中々どうして、カンも馬鹿にしたものではなさそうですぞ」

「? それは――」

 どう言う事ですか。

 そうアリーナが言い切る前に、きしりと空気が震えた。

 弾かれたように雷蔵は立体映像モニタを消去し、アリーナは辺りを見回す。

 ――異変は、やはりT字路の突き当たりから巻き起こった。突如現れたモノクロの空間が、アパートの窓を中心に膨れ上がり、瞬く間に夜を切り取ったのだ。

 幻燈結界である。未登録の霊力を感知した一帯を、通常空間から擬似的に断絶し始めたのだ。

「な」

 眼鏡の奥で目を丸めるアリーナ。それとは対照的に、雷蔵は声もなく笑う。

 歯を剥き出しにするその笑顔は、喜色と言うより獲物を見つけた肉食獣に似ていた。

「どうして、いや、まさか……」

 思考を埋め尽くした混乱を、しかしアリーナは二秒で振り払う。事務仕事が中心とはいえ、彼女もまたプロなのだ。

 目を細め、口元に手を当て、幻燈結界とその向こうにいる敵の狙いを考えるアリーナ。

 結論は、すぐに出た。

「ひょっとして、囮?」

「で、しょうなぁ。ファントム1もそう予測しとりましたよ」

 ――事前登録がなく、かつ一定値以上の霊力を保持した存在を、通常空間から否応なく隔離する幻燈結界。

 一般人の目を遠ざける方策としては大変に便利だが、時たまそれを逆利用される場合もある。今がまさにそれだ。

「ふむ。アレはリザードマンですな。ファントム4の話に出たヤツだ」

 横隊を組み、堂々と歩いてくるトカゲ頭を見下ろす雷蔵。幻燈結界のモノクロは未だ広がり続けており、雷蔵とアリーナのいる地点を既に飲み込んでいる。

 ――このように(まがつ)を意図的に発生させ、幻燈結界をわざと発生させる。すると雷蔵のように霊力装備を持った者達は、除外登録が無い限り幻燈結界側へ移ってしまう。

 その隙に禍を発生させた術者は通常空間を悠々と逃げる、と言う寸法である。

 無論、仕掛けた術者まで幻燈結界に引き込まれては元の木阿弥だ。なので術者は自分と独立した術式と霊力供給手段を用意する必要があるのだが、それはそれで手間がかかるのだ。

「だがまぁ、今はそれを考えとる場合ではないのう」

 凶暴な笑みをますます深めながら、雷蔵はリストコントローラに手をやり、上部パネルをスライド。機構こそ辰巳のそれと同じであったが、内部に青石――Eマテリアルはない。

 代わりにあるのは小さな、しかし精緻な円陣であり、その紋様に霊力の光が灯る。

 金というにはやや鈍い、けれども明確に夜を斬り裂く山吹色。

 雷蔵は、鎧装展開(がいそうてんかい)をするつもりなのだ。アリーナは慌てて声を上げる。

「ちょ、ちょっと待って下さい! 今応援を――」

「待っとる時間はありませんな。あのトカゲどもは可能な限り遠くへいく。そうやって幻燈結界を広げるつもりですからの。勝負は秒単位で進行しとるのですよ」

 ――ざわり。

 瞬間、雷蔵が総毛立った。ような錯覚を、アリーナは受けた。

 目をこらして良く見るが、雷蔵の背中に変わった様子は無い。ただ左腕をゆっくりと、輝くリストコントローラを眼前に持ってくる。

「叱責は後で受けましょう。ですが、今は――セットッ! プロテクターッ!」

『Roger Get Set Ready』

 鎧装展開術式が起動、霊力が円陣の中にきらめく。

 同時に雷蔵は左腕の五指を力強く開き、夜空へ一直線に突き上げる。

「鎧装ッ! 展開ィ!」

 直後、リストコントローラから噴出する山吹色。幾状もの線となって迸る霊力光は、精密回路のように枝分かれしながら雷蔵を包んでいき――仕上げに、一際強い閃光が闇を焼いた。

 そうして再び現れた雷蔵の姿は、三秒前とは何もかもが違っていた。

 巨体と筋肉を浮き彫りにする黒いボディスーツ。肩、肘、膝と言った要所を保護するプロテクター。左腕が普通なのと、足と腕を走るラインが山吹色をしている以外は、おおむね辰巳と同じファントム・ユニットの標準装備だ。

 違うのはEマテリアルに似た握り拳大の石が、両手の甲と背中にはめ込まれている点だろうか。

「え、ちょっ、西脇さん……?」

 だが、アリーナを絶句させたのはその服装ではない。

 毛むくじゃら、という言葉ですら生ぬるい黒と黄色の毛皮。丸く小さい、しかし獰猛な色を隠さない双眸。そして途方もなく大きく裂けた口と、腰の辺りから伸びる縞模様の尻尾。

 肉食獣のような笑みを浮かべていたその顔が、本当の肉食獣の、虎のそれに置き換わっていたのだ。

「クォォォ……」

 ごろりと喉を一つ鳴らせた後、虎人間は吠えた。

 轟。

 月下の北極圏。もっとも似つかわしくない獣の叫びが、モノクロの夜を引き裂いた。

 びくり、と反射的に硬直するアリーナとリザードマンの群れ。

 それを横目で見た雷蔵は、ようやくアリーナが自分の姿を初めて見た事に気付いた。

「おお、申し訳ない。そういえば説明しとりませんでしたな。まぁ、見ての通りのナリなのですが」

 鋭い牙を剥き出しにしながら、虎が雷蔵の声で笑う。

「アナタは、まさか……禍憑(まがつ)き、なのですか!?」

 ずり落ちかけたメガネを直すアリーナに、虎はぎしりと笑った。

「ご明察」

 そしてリザードマンの群れが発生したアパートに向き直り、両手を大きく広げる。

「セット! シールド!」

『Roger Break Shield Etherealize』

 左腕、リストコントローラから響き渡る電子音声。両腕に走るラインが光を放ち、連動する両手の石が空中に山吹色を投射。

 山吹色は針金細工ような骨組みを成し、その上を更なる山吹色が装甲となって塗り潰す。

 ――このEマテリアルに似た働きを見せる石もまた、酒月利英謹製の一品だ。

 名をI・Eマテリアル。Iとはすなわち疑似(イミテーション)の頭文字である。とは言っても基本的な性能――封入された術式を高速かつ高効率で運用できる点は、ほぼ変わらないのだが。

 今も山吹色のI・Eマテリアルは指示に従って霊力を編み上げ――そうして完成した二つの塊を、雷蔵は掴み取る。

 それは、盾であった。

 一枚だけで簡単に半身を覆える、大きな霊力塊。霊力武装であるとはいえ、まったく重さを感じさせずに振り回すその様は、どこかボクサーグローブにも似ていた。

「では行ってきますかのう」

 がつんと両腕の盾――ブレイク・シールドを打ち合わせた後、雷蔵は屋上の縁から迷い無く身を躍らせる。

 ずしん。幻燈結界がなければ砂塵をまき散らしていただろう、重厚な足音が夜闇を揺るがす。

「GRAッ!?」

 真正面、道路を堂々と歩いていた六匹のリザードマンが目を剥いた。突如現れた虎顔の侵入者に、トカゲ頭達はすぐさま身を固める。

「GRAA!」

 隊長格と思しきリザードマンが剣を振り上げ、残る五匹が横一列に並び、盾を構える。即席の密集陣形(ファランクス)である。

 幻燈結界越しとはいえ、やはり術者は自分の姿を見られたくないらしい。極力防戦し、一秒でもこの状況を永らえるつもりか。

「じゃが、そうは問屋が下ろさんのでな! セット! リフレクター!」

『Roger ReflectorWall』

 雷蔵の声に従い、にわかに輝きを発する背中のI・Eマテリアル。山吹色の霊力光を投射するそれは、僅か四秒で大きな魔法陣を編み上げた。

 自身の背丈よりも一回り大きな円陣を背後に、雷蔵は両盾を構える。

「往くぞ……! モード・バッシュ!」

『Roger AggressiveReactiveArmour Ready』

 不穏な電子音声が響くと同時に、盾の上へ現れたのは無数のスパイクだ。端から端までびっしりと、剣山のごとくに生えたその様は凶器以外の何物でもない。

 そんな右手を上に、左手は下に。身体ごと大きく引き絞るその姿は、まさに跳びかからんとする虎の姿そのものだ。

「GR、AA?」

 異様な武器と構えを見せる雷蔵。またもやうろたえるリザードマン達だったが、もう遅い。

 目の前の木っ端のみならず、目的地点であるアパートをも見据えながら、雷蔵は叫んだ。

「タイガー突撃パァンチ!」

「台無しだぁ!?」

 反射的にツッコむアリーナであったが、その威力は伊達では無い。

 背後へ展開したリフレクター・ウォールに己自身を反射させ、爆発的な推力で雷蔵が跳ぶ。跳びながら、鉄塊じみた剣山盾を叩き込む。

「――!?」

 恐るべき霊力と撃力を纏う両手突きに、リザードマンの群れは吹き飛んだ。

 まともな悲鳴は上がらなかった。当然だ。瞬間的にはヴォルテック・バスターを上回る破壊が跳び込んだのだから。

 そんな破壊を成し遂げた雷蔵は、白煙を刻みながら地面を滑った後、滑らかに残心する。

「しゅうう……」

 盾を構え直し、雷蔵はごきりと首を回す。気付けば、あれだけあった盾のスパイクは残らず消えている。

 まぁ当然だ。あれは、リザードマン共を吹き飛ばした爆薬だったのだから。

 ――今、雷蔵が装備しているブレイク・シールド。またの名をアグレッシブ・リアクティブアーマーと言い、正式名称は酒月式試製一型攻性爆発反応装甲術式と呼ぶ。

 その名の通り試製二型烈風装甲術式タービュランス・アーマー以前に開発され、叩き台ともなった術式である。

 装甲内部に爆薬を仕込み、外部からの衝撃を爆発によって相殺軽減させるリアクティブ・アーマー。その資料を何かの拍子に見た利英が、開口一番にこう言ったのだ。

『イィ事考えた! その爆発を拡大すれば敵を一掃出来るんじゃない!? デキルんじゃない!?』

 そんな利英のヒラメキの元に産声を上げた一型装甲であるが、その爆発を敵にどう浴びせるのだという話になり、一時はお蔵入りになりかけた。

 しかして、それに異を唱えたのが雷蔵だ。リフレクター・ウォールを併用して自らを弾丸とし、拳と共に爆発を叩き込めば突破口を開ける。

 そして、何よりも。

『攻撃は最大の防御という。ならば、防御は最大の攻撃ではないか?』

 大真面目にそんな事を言った雷蔵は同僚から絶句と、約一名から大爆笑を貰った後、正式に譲渡してもらったのだ。

 かくしてブレイク・シールドは今日まで結構な戦果を叩き出してきた。形はどうあれ両立された高い防御力と攻撃力に、雷蔵の獣性ががっちりと噛み合った結果である。

「さぁて」

 準備運動にすらならないゴミ掃除に鼻をならしつつ、獣の眼光が辺りを見据える。

 路地のずっと向こう、こちらを伺いながらも離れていくリザードマンの群れが二組。あくまで幻燈結界を広げる腹積もりらしい。

「やれやれ。もうちょい気骨のあるヤツはおらんのか」

 だがまぁ、別にいい。どのみちエッケザックスの増援が来れば一掃されるだろう。

 それに雷蔵が今すべき事は、別にある。

「んでは、代わりに仕掛け人へ挨拶しようかの」

 のしのしと歩く雷蔵。そのまま壁を通り抜けようとして、しかし強かに鼻をぶつけた。

「あばっ」

 たたらを踏む虎頭。両腕に盾を持っている現状、迂闊にさする事は出来ない。なので雷蔵は少し屈み込み、尻尾で鼻をさする。

「……えっきし! あー、すっきりしたわい」

 少々くすぐり過ぎた鼻をすすり、雷蔵は改めて左腕リストコントローラへ告げる。

「セット! スキャナー!」

『Roger Scanner Mode Ready』

 音声認識によってヘッドギアのフェイスシールドが遮蔽。それから一拍おいて、シールド内部に解析データが表示される。

 詳細を看破するにはまだ時間がかかりそうだが、それでも壁の中に葉脈のような術式が張り巡らされている事は、すぐに分かった。

「対幻燈結界用の攪乱術式、か。手の込んだマネをしよる」

 繊細なガラス細工にも似たそれは、やろうと思えば一撃で壊せるだろう。だが中に何があるか分からない以上、迂闊な事は出来ない。

「どうしたもんかの」

 尻尾で背中をかきつつ、とりあえず雷蔵は葉脈をぐるりと回り込んでアパートの反対側に出る。

「……うん?」

 そこに、居た。

 幻燈結界越しであると言う事を差し引いても、いささか黒すぎる身なりをしたサラリーマン風の男が、一人。

 雷蔵が見えているのか、いないのか。路肩に止まる乗用車を挟んで反対側に立つ男は、能面のような笑顔を貼り付けていた。

「――」

 直感する。コイツだ、と。この黒ずくめは神影鎧装オーディンに関わっている、と。

 雷蔵はすぐさまリストコントローラに告げる。

「セット、録画モード! 並びに通信、緊急、エッケザックス!」

『Roger Call Mode Ready』

 通信機のコール音を聞きながら、己の網膜に男の姿を焼き付ける雷蔵。それは実際に正しい判断だ。何せこの男こそ、ギノアの記憶を改竄した張本人、サトウなのだから。

 だがこの時、雷蔵は本当に注目すべき相手を見落としていた。

 アパートから回り込んだ直後、二人の間に止まっている車の運転席に滑り込んだ、仮面の男の姿を。

「    」

 幻燈結界の向こうで、何事かをサトウが言う。それは運転手への了承だったが、当然雷蔵には聞こえない。

「なんじゃぁ?」

 訝しむ雷蔵。その眼前で、予想だにしない事が起きた。

 自動車が、跳んだのだ。

「な」

 凄まじい急加速をかけたのだろう、路上には二本の筋が刻まれている。だが、雷蔵を驚愕させたのは更にその先であった。

 ボンネットを中心とした車体前部が二つに割れ、内部機構が複雑に変形し、二本の足が完成。

 トランクを中心とした車体後部も二つに割れ、内部機構が複雑に可変し、二本の腕が完成。

 更に内側から頭部がせり出し――ものの数秒で、車は大鎧装に姿を変えてしまった。

「馬、鹿な」

 言葉を失う雷蔵。通信の繋がったリストコントローラから声がしていたが、雷蔵の耳には届かない。

 幻燈結界に引っかからないのは、恐らくバッテリーによる電力駆動中だからだろう。

 正確な色彩は、モノクロ越しであるため判然としない。だがその鋭角的なシルエットを、前立ての無い武者兜のような頭部を、雷蔵は知っていた。

「これは――」

 呆然とする雷蔵の眼前で大鎧装はしゃがみ込み、右手を地面に付けた。その上に、サトウは悠々と座る。

 そのまま大鎧装は立ち上がり、風のように走り出す。

「――ッ! 逃がすか!」

 慌てて後を追う雷蔵。スーツによる補助と、憑依した禍がもたらす身体変化。二つの相乗効果によって凄まじい走力を生み出す雷蔵の足は、しかし追いつけない。

「GRAAA!」

 リザードマン達が道を阻んだからだ。

「邪ァ魔だぁぁ!!」

 撃、撃、撃。遮二無二振るわれる鉄塊のような双盾が、小石か枯れ枝のごとくトカゲ頭達を吹き飛ばす。

「GRAッ!?」

「GRAAAA!?」

 一、二、三匹。並み居るリザードマンがひしゃげ、ねじくれ、宙を舞う。

 かかる時間は一匹につき二秒。それは実際見事な手並みだが、しかし悲しいかな、その度に大鎧装との距離は開いていく。

 そうして十六秒の距離が開いた時、大鎧装はおもむろに跳躍、手近な建物を跳び越える。逃走経路を攪乱する算段か。

「ええい!」

 煩わしげに建物を突き抜け、向かいの通路に躍り出る雷蔵は、そこで舌打ちした。

「GRAA……」

「GAAAA……」

「GRRRAAA……ッ」

 軽く見ただけで一ダースは居るリザードマンの群れが、道を塞いでいたためだ。そして大鎧装はトカゲ頭達の向こうを悠々と走り去っていく。

 ――わざわざバッテリーを用意してまで、大鎧装はこのトカゲ頭達のいる道を目指していた。何故か。恐らく雷蔵のような幻燈結界側の追跡者を振り切るためだろう。

 幻燈結界を囮にしただけで慢心せず、このような保険まで用意しているとは――

「なかなかの策士じゃのう」

 人気のまったくないレイキャビクの夜を睨みながら、雷蔵は構える。

「セット! リフレクター!」

『Roger Reflector Wall Etherealize』

 構えながら、あの大鎧装を思い返す。

 あの背中。あの形状。色こそ分からないが、あまりにも似ている。

 二年前、ファントム・ユニットが成立するきっかけとなったあの事件。

 巌と共に破壊したはずである、災いの元凶の名を、雷蔵はつぶやく。

「レツオウガの、コアユニット……」

 そのつぶやきにあわせたかのごとく、山吹色のリフレクター・ウォールが完成。同時に痺れを切らしたのか、リザードマン部隊が剣を閃かせて走り出す。

「GRRRAAA!!」

 思考を乱すリザードマンの咆哮。それを配置した黒ずくめの手腕と、走り去っていった大鎧装の背中。

「……ええい! モード・バッシュ!」

『Roger AggressiveReactiveArmour Ready』

 そうした全ての苛立ちを一緒くたにして、雷蔵は叫んだ。

「タイガー憤慨パァァンチ!!」

 爆音が、幻燈結界を揺るがせた。


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