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秘書と属国王子

「詐欺師だったんですよ、詐欺師!」


 身を乗り出す俺の前、重厚な執務机の向こうで、社長はゆっくりと煙草を燻らせている。すでに多額の契約金を渡していた演奏家が姿を眩ませたと知っても、それほど焦った様子はない。


「あの人の経歴にあったコンクール、過去の受賞者を検索しましたが彼の名前はありませんでした。社長、そんなことも調べないで契約しようとしたんですか?」

「いや……あまりに見事な演奏だったから、完全に信用した」


 甘い。ビジネスにはシビアなこの男らしくもない。

 確かに演奏は素晴らしかったのだろうが、あのチェリストには社長の元で働く気などなかったのだろう。自分の美貌と演奏に釣られるスポンサーを騙して、小金を稼いで遁走だ。


「あのままデビューすれば確実にもっと稼げたものを……金より自由を選んだということか……」

「何を遠い目して人のいいことをおっしゃってるんです。だったら金返すでしょう普通。たぶらかされたんですよ!」


 そんな趣味はない、と言っていたものの、やはり社長はあの綺麗な容貌に惑わされたのだ。まあ、惑わされない人間の方が少ないと断言できるが。


 社長は灰皿で煙草を揉み消した。


「投資にリスクはつきものだ。諦めるしかないな。幸い、使ったのは俺の個人資産で、会社の金には手をつけていないことだし」

「警察に被害届は?」

「出さない」


 さばさばした様子に、俺は肩を落とした。もうサリエルは国内にはいないだろう。確かに後を追って取り返すことは難しそうだ。


 ――結局副社長には、社長はシロだったと報告した。どれだけ調べても愛人のいる形跡は見つからなかったと。嘘ではない。

 副社長はひどく失望した様子で俺を追い払ったが、俺が左遷されたり出向元の実家へ戻される気配は、今のところない。秘書の人事権は社長にあるので、彼がその座にいる限りは大丈夫なのかもしれない。

 社長の方も、妻である副社長の企みを知っても、彼女を遠ざけることはなかった。何だかんだ言っても愛し合っているのか。信用していないだけで。


 もうこんな一族には二度と関わりたくない――俺は心底うんざりした。だが、そうも言っていられない事情がある。リリンスは、そんな一族のど真ん中にいるのだ。


 今回の騒動で唯一僥倖だったのは、俺が社長に貸しを作れたことだ。彼が無名のチェリストに結構な金を持ち逃げされたことも、内緒で会社を設立しようとしていたことも、俺は誰にも話していなかった。


「おまえには迷惑をかけたな、ナタレ。口が堅いことにも感謝している。何か……望みはあるか? 待遇とか」


 案の定、社長は報酬をチラつかせてきた。

 ここぞとばかり、俺は大きく肯く。すでに覚悟は決めてある。


「では、ひとつお願いがあります」


 俺は社長室の出口に向かい、ドアを開けた。そこにはあらかじめ打ち合わせをした通り、リリンスが待機していた。

 いきなり登場した娘の姿に、社長が椅子から立ち上がった。紛れもない驚愕の色を浮かべている。


「リ、リリンス、おまえどうして……?」

「パパ、この前、会ってほしい人がいるって言ったよね?」


 制服姿の彼女は恐れ気なく部屋に入って来て、俺と並んで父親の前に立った。


「この人なの。私、ナタレと付き合っています」

「何!?」

「本当です、社長。黙っていて申し訳ありませんでした」


 俺は深く頭を下げて、勢いをつけて言い放った。


「この機会にお願い致します。お嬢さんを俺に下さい! 絶対に幸せにしますから。一生大事にしますっ」


 沈黙が下りた。凍るような静寂が重苦しい。俺は下げた頭を上げられずにいた。


「そうか……」


 社長の、疲れたような声が聞こえた。


「リリンス、おまえはこの男が好きなのか?」

「はい、愛しています」

「分かった」


 恐る恐る顔を上げた俺の前で、社長はひどく穏やかな表情をしていた。


「そういうことならば、仕方がない」


 認めてもらえるのか――俺の手が震える。リリンスも俺に寄り添って、父親の様子を窺った。

 社長はおもむろに机の抽斗ひきだしを開けた。


 そこから出てきたものに、俺はどう反応していいのか分からなかった。

 それはどう見ても、拳銃――映画やドラマに出てくるような。モデルガンだろう、と高を括るには、その黒い金属塊はあまりにも重々しかった。


「おまえにはここで死んでもらおう。邪魔者は即排除する主義だ」

「社長、それ銃刀法違反……」


 カチャ、と音がして、彼の指がグリップにある安全装置を外した。


「ナタレ逃げて! パパは本気よ!」


 血相を変えたリリンスが俺を押しやり、よろけたところへ凄まじい破裂音が耳を打った。鼓膜が破れそうだった。

 俺のいた場所の真っ直ぐ後ろ、白い壁に小さな孔が穿たれている。


「おっ、お父さん! どうか落ち着いて下さい!」

「誰がお父さんだ! 娘に手を出した罪、死んで償え」

「パパやめて! お願いだから!」

「リリンス! おまえのことは大事に大事に育ててきたのに……こんな男に引っ掛かってパパは悲しいぞ。今すぐ殺してやるから、目を覚ますんだ!」


 社長の声も目つきもごく平静で、だからこそ明確な殺意がひしひしと伝わってきた。

 アノルト常務とは違う意味で、やはりイッちゃっている。どいつもこいつも、この一族は!


 彼は勢いよく執務机を踏み越え、俺との距離を詰めて銃を構える。本気で俺を仕留めようとしているらしい。

 もうここは逃げるしかない。

 俺は必死でドアに向かって走った。背後でまた銃声が響いた。





「勘弁して下さいっ……!」


 自分の声で目が覚めた。


「おおっ、びっくりした! 何やおまえ」


 聞き慣れた声がして、見慣れた顔が視界に入って来る。フツだった。


「珍しく遅いから起こしにきたら……凄いうなされとったぞ?」

「え? 俺は……」


 身を起こすと、自分の部屋の寝台の上だった。

 留学生が寝泊まりする寮の中の、小さな一室だ。すでに高く昇っているらしい朝日が、窓から眩しく差し込んできている。

 体中に寝汗を掻いていて、まだ心臓が跳ねていた。夢だと分かって、心底ほっとした。


「何や? 悪い夢でも見たんか?」

「ああ……凄く変な夢で……」


 言いかけて、俺は夢の内容を何ひとつ覚えていないことに気付いた。

 恐ろしかった印象だけが生々しく残っている。しかしその感覚もまた、意識の覚醒に伴って徐々に薄れつつあった。


 身近な人間が次々出てきたような気がするが、本当に思い出せない。王女や国王や楽師や……それでいてどこか遠い場所の夢だったような。


「……何だか疲れた」

「あんだけ寝とって何言うてんねん。ほら早よ支度せえや。講義に遅れるで」


 フツに肩を叩かれて、俺は溜息をついた。

 今朝は朝食を諦めなければならないようだ。


                           -了-

夢オチでした。

キャラクターのイメージを壊してないかと心配ですが、楽しんで頂けたら幸いです。

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