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社長令嬢とランチ

「へーえ、パパの浮気調査ねえ。面白そうじゃない」


 リリンスは大きな目を丸くして、テーブルの上に頬杖をついた。

 何でそんな依頼を飲んだのよ、と文句を言われるかと思ったのに、怒りの気配など微塵も見せない彼女の態度が、俺は意外だった。


「怒らないの? 君の父親のことだよ?」

「怒んないわよ、その程度で」


 リリンスは明るく笑った。清楚に整った顔立ちに笑みが浮かぶと、暖かな日差しを浴びたような気持ちになる。俺もつられて笑った。


 昼休み、会社から少し離れた所にある定食屋のテーブルで、俺たちは向かい合って座っていた。

 豚生姜焼き定食と唐揚げ定食を注文した後、彼女は俺の様子が少し不自然なことに気づき、何があったのかと問い詰めてきたのだ。この勘の鋭さは父親譲りというか、とても隠しおおせる気がしない。


 リリンスはチャコールグレーのベストとスカートという、会社の制服姿だ。

 社長令嬢でありながら、なぜか総務部総務課に籍を置く一般職のOLなのである。社会勉強のために本人が望んだらしく、その出自は上司も同僚も知らされていないのだそうだ。当然、俺も知らなかった。

 秘書室の備品管理は下っ端の俺に任された数少ない業務で、消耗品を総務課に依頼して、引き取りに行ったり持ってきてもらったり、俺とリリンスとは最初から接点が多かった。美人で気さくで頭のいい彼女に俺はあっという間に惹かれて、彼女もまた俺を気に入ったらしく、俺たちが親しくなるのに時間はかからなかった。先にランチに誘ってくれたのは彼女の方だった。

 それから会社帰りに一緒に飲みに行って、休日にも会うようになった。


 上京したばかりの俺はいわゆるデートスポットという場所に疎かったが、リリンスは喜々としてお気に入りの場所に俺を案内した。映画を見たり買い物をしたりカラオケに行ったりゲーセンで遊んだり、たまにはのんびりと公園の芝生で寝転んで半日過ごすようなこともあった。

 何度目のデートだっただろうか――故郷では見たこともないほど巨大な観覧車の中、眼下に広がる夜景にはしゃぐリリンスに、俺は初めてキスをしようとした。彼女はびっくりしたように肩を震わせたが、すぐに瞼を閉じて、俺に身を寄せた。

 そして唇が触れる寸前に、こう言ったのだ。


「私、社長の娘なんだけど、いいよね?」

「は?」


 実に卑怯なタイミングでのカミングアウト。唖然とする俺にリリンスは自分の正体を告げた。

 正直、詐欺だと思ったのだけれど、じゃあ遠慮しときますとは言えなかった。もう逃げ出すことができないくらい、俺は彼女が好きになっていたのだ。


「よかった! ナタレに引かれちゃったらどうしようかと思ってたの」


 彼女は心底安堵したように笑って、俺の首に両腕を回し、柔らかいその唇を重ねてきた。


 それから数ヶ月、交際は続いているが、俺は少し慎重になっていた。俺たちが付き合っていることを知られるのは、やはりまずいと思ったのだ。子会社から出向している俺の立場では、よからぬ目的があって社長令嬢に近付いたと勘繰られても仕方がない。リリンスも、家族にはまだ内緒にしといた方がいいかもね、と納得してくれた。


 それでランチにもわざわざ会社から遠い店を選んでいるのに――社長夫人にはどうやらバレてしまっていたらしい。


「ママの脅しなら気にしなくていいわよ」


 リリンスは生姜焼きを美味しそうに口に運びながら、肩を竦めた。


「あの人、私には興味ないから、そこまで本気で邪魔しないと思うわ」

「興味ないって、どうして?」

「あれ、言ってなかったけ? 継母なのよ。私ってお妾さんの子なの」


 俺は味噌汁を噴きそうになった。箸を置いて咳込む俺にハンカチを差し出しながら、リリンスは苦笑した。


「私の本当の母親は、あれ、二号さんってやつ? パパと長く付き合ってた愛人だったのよ。私が小学生の頃に死んじゃったんだけどね」

「そ、そうなんだ……」

「だからさ、今さらパパに特定の愛人がいるって分かっても、びっくりはしないな。むしろどんな女と長く続いてるのか興味がある」


 あっけらかんとした言葉に、俺は何だか力が抜けた。

 確か、セファイド社長は婿養子だったはずだ。タルーシア副社長と結婚することで、彼女の父親の会社を継いだのだ。そんな立場で愛人に子供を産ませて許されているのは、ひとえに彼の力で会社が大きくなったからだろう。でもリリンスは、相当に肩身の狭い思いをしたのではないか。

 俺なんかには想像もつかない家庭環境で、よくもまあいい子に育ったものだと思う。彼女が時折見せる物凄くシビアな価値観――その理由が分かった気がした。


「私にできることは協力するからね。ほら、早く食べないとお昼休み終わっちゃうよ?」

「うん……唐揚げ、ひとつ食べる?」

「もらう!」


 リリンスは今日いちばんの笑顔で、俺の皿に箸を伸ばした。





 俺はとりあえず、最近の社長のスケジュールを調べてみることにした。


 各役員のスケジュールは、秘書室のパソコンから編集と閲覧ができる。俺は始業時刻の二時間も前に出勤し、誰もいないオフィスでソフトを立ち上げて、社長のここ三ヶ月ほどのスケジュールを眺めた。朝食代わりのメロンパンを牛乳で流し込みながら、だ。


 毎日の業務の他に、外出や来客が頻繁だ。相手は銀行の頭取や取引先企業のトップ、関係省庁の役人、代議士もいた。それから経済紙の取材も多い。この辺りは秘書や他の重役が同席しているから、まず間違いはないだろう。

 毎週水曜日は定例の役員会――会が終了した後、役員同士で食事をして直帰することが多いみたいだ。送迎は社有車だから、誤魔化しようがない。


 画面をスクロールしながら、俺はふと思い至った。

 そうなのだ、社長には専属の運転手がいる。会社から出た後、たとえば愛人宅へ社有車で寄り道をするようなことがあれば、その事実は運転手の口から社長夫人へ告げられるだろう。事実、これまで社長は外で女と会う時も堂々と会社の車を使っていたらしく、何も隠してはいなかったようだ。


 俺はパンの袋をゴミ箱に捨てると、デスクから離れてキャビネットを開けた。確かここに運転手のタイムカードの写しと業務日報がファイルしてあるはず……。

 思った通りだった――毎週水曜日、役員食事会が行われるレストランや料亭へ社長を送り届けた後、運転手の業務は終了している。食事会には秘書は同行しないから、会が終わった後は社長は完全フリーになっているということだ。


 怪しいとしたら、ここだな。少しだけ道が開けた気がして、俺はほっと息をついた。

 次は、事情に詳しそうな人物に探りを入れてみるか。

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