第18話 自分の意思
「元就君、楽しいね。二人っきりだもの。何だか久しぶりよね。二人っきりになるの」
オレは今、白い空間に居る。そう特殊無菌室の中。白い空間だけどオレの視界は真っ暗。理由はエレーヌさんにタオルで目隠しされているから。オレも彼女も素っ裸で一つのベッドに寝ている。オレが重体患者で、ここが特殊無菌室でなければ、素晴らしいシュチュエーションなんだけど。目隠しのお陰で、彼女の姿は全く見えず。声と吐息と甘い匂いと体温を感じられるだけだ。これは、生殺しと言うのだろう。
そんな事を考えていると、目隠しタオルが取られた。急に明るい所へ放り出されて、明るさで眼がくらみ、おまけに眼の奥がズキズキと痛い。
明るさに目が慣れて視界が戻ってきた。怒られたらどうしようと思いながらゆっくりとエレーヌさんの方を見る。彼女はタオルに包まってニコニコしていた。そのタオルの隙間からは相変わらず赤い管と青い管はオレの胸に突き刺さっている。
「やっぱり、顔を見ながらお喋りしたいわ」
視界が開けて、色んなものを見たい欲求を叩き潰す為、オレはエレーヌさんにこの神界と呼ばれる場所に付いて聞いて見る事にした。こんな異世界に来るなんて、めったに出来る経験じゃねえと、前向きに考えて見た。
「エレーヌさん、聞きたい事が有るんだけど」
「なあに?」
「ここは神界って場所なんだろう?人間が来る事が出来ない場所なんだろう?」
「そうよ。人間はその自身の力では来る事が出来ない場所よ。だけど、大昔から、交流が全く無かった訳じゃないから、人間の世界では、神話とか伝承と言う形で神界の存在が語れているようね。かなり、ねじ曲がった話しになっているけどね」
「ねじ曲がっているって何?」
「うーん、人間界で良く聞く、例えば、ローマ神話とか北欧神話とかギリシャ神話とかに近い話しがこの神界の歴史に有るけど、神話の方の事実とはかなり異なるわね。なんか脚色され過ぎて、原作を無視したドラマ見たくなっている感じよ」
良くわからんが、ニュアンスは伝わった。
「天使と悪魔の関係って?やっぱり仲が悪いのかい?エレーヌさんと桜子さんって喧嘩したてろ?」
「ええ、仲が悪いわよ。でも、人間達に伝わっている天使と悪魔のイメージとは随分違っちゃているわ。神話の話と一緒で」
「そうなのかい?オレのイメージは『悪魔は人を貶める悪い存在』で『天使は人間を救う聖なる存在』ってイメージが有るんだけど」
「そうね、確かにそうイメージはあながち間違いじゃない所もあるわ。悪魔達は商売上手でそう言う人の心に忍び込んで誘惑する。そして利益をむさぼる。天使はお人好しが多いのよね。人助けが好きな民族よ」
悪魔って言い方が合わないのかもな。商売上手な上に自分の利益の為に他人を踏み台にする見たいな感じか。悪魔じゃなくてもそんな人間そこら辺にいっぱいいると思うけど。
「この前聞いたけど、『いい悪魔』、『悪い天使』が存在しているんだろ」
「どちらかって言うと、天使と悪魔の対立ってイデオロギーの対立が大きいのよ。そうね……昔、人間界で【冷戦】って世界構造が有ったでしょう。それにそっくりね。天使と悪魔の対立って」
「戦争しているのか?天使と悪魔って」
「にらみ合いが続いているけど、ここ十年はだいぶ雪解けムードよ。そう……そのせいで第三勢力が台頭して来たのよ。天使と悪魔の隙間で世界を混乱させようとしている集団」
「ジェイソン達か?」
オレはふと気が付いた。何だか、凄い事に巻き込まれていないか?と
「そうよ。悪い天使と悪い悪魔、魔天使達がこの世界を混乱に巻き込んで自分達、高貴なる者による支配を実現させる。彼らは既に魔物達を支配下に置いているわ。何とか対抗していかなと、神界も人間界もめちゃくちゃになってしまうわ。今の枠組みが壊れてしまう」
エレーヌさんの話は全世界規模になっている。もしかして、オレってそのジェイソン達の野望達成の中心近くに居たんじゃないのか?なんか寒気がして来た。
「その魔天使達が操る魔物って?エレーヌさんの言葉から想像ずると、凄く脅威な存在のように聞こえるけど。最初にエレーヌさんの天使の姿を見た時、魔物と戦っていたよね」
エレーヌさんは真剣な顔になっている。そう、あの魔物と戦っている時の険し顔になっている。
「神界の魔物って、人間界にいる害獣や猛獣と違うのよ。人間と同じくらいの知能を持っているわ。狡猾で、悪知恵が働き、それで身体能力は人間達より遥かに上。そんな奴らが人間界に降り立ったら……人間は餌食になってしまう。そして稀に人間界へすり抜ける魔物が居る。人間を餌にする為……私達、戦闘天使はその魔物を倒す為に作られたのよ」
そうだよな、相手が強大で有れば、こちらもそれに対する力を持たなきゃいけないのだよな。その中で生まれたのが戦闘天使なんだな。
「妖精って……どう言うポジションなの?ほら、佐原イリアさんって妖精何だろ。彼女達って天使であるサーベリオンから虐げらていたようだけど」
エレーヌが得意の顎に人さし指を当てるポーズで「うーん……」と唸りながら考え込んでいる。さあ、妖精について上手く説明してくれたまえ。
「妖精さん達って天使や悪魔とは別な民族ね。簡単に言うと」
「天使、悪魔、妖精って民族の事なのか?」
「見てわかると思うけど、外見、特に翼の形が違うだけで、基本的にみんな一緒の生き物ね。人間を含めて。人間は天使の翼が無い人達って所かしら」
これは衝撃の事実だ。天使も、悪魔も、妖精も、そして人間も、同じ生き物だったとは。これは生物学者や人類学者へ、物凄い衝撃を与えそうだ。
「でも、妖精さん達って可哀想なのよね……大昔、神の言い付けを破ったとかの罪を着せられて一族郎党全員が魔物と神界の間の緩衝地帯に移民させられたって伝承が残っているの。だから魔物が住む場所の隣で彼らは怯えながら生活しているのよ。その難を逃れて人間界へ降りてくる妖精もいっぱい居るわ。佐原さんのようにね。もう伝承の話しなのに、天使も悪魔も妖精さん達をなかなか受け入れようとしないのよね。特に、魔天使達の猛反発で。私は全然気していないけどね」
エレーヌさん達の世界も複雑なんだな。それに、人間の世界とは倫理観が随分と違っているようだし。
「どうしたの?元就君。急に対極的な物の見方になって。まさか、元就君も魔天使達と戦うって言うんじゃないよね」
「もう、戦っているよ。本気にならないとね。本気になったからには、敵の事も良く知って置かないと。【敵を知り、己を知れば百回勝てる】ってね」
「意味わかんないわよ。でも、元就君。貴方が戦うのはダメ。戦うのは私達、戦闘天使の役目なのよ。だからこんな風に身体を戦闘用に作ってあるの」
エレーヌさんは胸を隠しているタオルをばっと広げた。その見事な二つの膨らみの他に間には赤と青の管が接続されている。そう、オレに血液を送る為に。
オレその胸に触れて見た。エレーヌさんは「きゃっつ」と小さな悲鳴を上げて美しい胸をタオルで隠した。顔は真っ赤に染まり、頬を赤くして猛抗議の視線をオレに送っている。
「ごめんなさい。エレーヌさん。でもそうやって恥ずかしがるのは、戦闘天使と言う前に、女の子なんだろ。戦うのは俺達武士の役目だ。武士道は死ぬ事と見つけたり」
「もう、元就君のエッチ。でも……元就君は私達と違って【心】の方を戦闘用に改造したような感じがするわ」
ん?そうなのか?
「今度は元就君の事、教えてよ。そんな鋼鉄の様な意思と心を持った経緯をね」
「特別、話すような事はないんだけどね……」
「そんな事言わないで、話してよ。私、元就君の気になるし、知りたいわ」
何を話していいかチョット考える。だって特別な事無いんだもん。ただ……大切な人を守りたいだけなんだから。
そう思っていると。僕達を囲っている白い壁に三人の影が映った。その陰の並びから正体は大体わかってしまった。
「澪ちゃん!クララ!桜子!」
エレーヌさんはもう誰だかわかった様だ。だって頭の上でロートドームがグルグル回ってるんだもん。探知能力抜群なんだね。
「元就さん、眼が覚めたのですね。良かったですわ」
「その声はクララさん。大人バージョンですね」
「元就、お見舞いに来たわよ。この変態!」
「その声は深井キャプテン。オレは今、目隠しされて何も出来ない」
「元就君、エレーヌに変な事してないわよね。二人っきりなのをいい事に……」
「桜子さん。オレは……」
「二人じゃないわ。三人よ」
何?三人?エレーヌさん、何をいってるんだ?この無菌室の中にはオレとエレーヌさんしかいないじゃないか?幽霊でも居るって冗談なのか?
「私のお腹には小さな命が宿っているの。私と元就君の愛の結晶が。だから三人よ」
えっ?いや……いやいや……何を言ってるんだ?この女は。
「なっ!なっ!なんですってぇぇぇぇ!……エレーヌ、貴女、私の事を【淫魔】とか言って散々コケにしてくれたけど、アンタの方がよっぽど、いやらしいじゃない。元就だって、私と言う恋人が居るのに……酷いわ!」
三人の影の内、一つが蹲ってシクシクと鳴き声が聞こえてくる。「桜子……大丈夫?」と深井キャプテンの声も聞こえる。
ギュワワワワン!激しい金属音と共に、もう一人の影が巨大な鎌を取り出したのが見えた。間違いない、クララさんだな。何をする気かわからんが、寒気と殺気を感じるぞ。
「元就さん……浮気は許せません。けじめを付けさせて貰います……」
大鎌を持った影が大きく振り上げるのが見えた。
「あわわわわ……クララさん!ここは病院ですよ!何してるんですか!」
「元就さん……貴方を殺して、私も死にます……これが私のけじめです」
三つの影がもみ合うのが見えた。当事者のオレは……何もする事が出来ない。
「エレーヌさん……そんな見え透いた嘘をついたの?」
「冷静に考えれば、そんな一週間で新たな生命が宿ったかなんてわかるものじゃないって気が付くと思うんだけどなあ……あの二人はからかうと面白いわね。普段は冷静沈着なのに、元就君の事になるとね……」
「オレはその言葉に喜んで良いのか悪いのか返答に困るよ」
無菌室の外の影が段々と小さくなって行く。
「エレーヌ!貴島君、また来るわ。今日はこの二人を連れて帰るから。全く、病院で暴れるなつーの!」
クララさんと桜子さんにゴン!とゲンコツを入れた深井キャプテン。さすが薙刀部の部長。統率力が抜群だ。
「静かになったわね……良かった」
「エレーヌさんがけしかけたんでしょーが!」
「てへっ!」
エレーヌさんは小さくベロを出してほほ笑んだ。「てへっ!」じゃねーよ。
「おお。佐原イリアか!今お前を呼ぼうとしていた。丁度いい!」
忠勝とイリアはフランク・サーベリオンの執務室に入っていた。二人の前には大きな両袖の机。大きな書棚、綺麗で清楚で清潔感が溢れるその部屋の奥にフランク・サーベリオンが居た。
コンコン!とドアがノックされた。忠勝とイリアが振り向くと、青い翼を背負った男が執務室に入ってきた。
「呼んだか?何のようだ?フランク」
「ジェイソン、宝玉を手に入れたのは聞いただろう。これから次のステップへ進める」
青い翼の男はジェイソンだった。忠勝とイリアは目を細めて彼を見つめた。
「三人共、こっちへ来い!」
忠勝達はフランク・サーベリオンに案内され、執務室から続く隣りの部屋に入った。そ円卓に椅子が並ぶ会議室であった。それぞれが席に付いた。
「ジェイソン、マシーンは何処まで出来た?予定ではとっくに完成しているはずだ!」
「焦るなよ、フランク、あと二週間くれ!なんでも予定通りに進むとは限らない。万全な物を造る為だ」
「そんな言い訳はもう、聞き飽きた。一日でも早く完成させろ!あのマシーンにどれだけ金を注込んだと思っている。早く結果を出せ!」
「わかったよ!」
ジェイソンはフランクの顔を見る事無く、勢いよく部屋を出て行った。残された忠勝とイリアは二人の剣幕に唖然としていた。
「佐原イリア。宝玉は持っているな」
「はい、有ります」
「ならば、次は貴島元就を手に入れろ!魔法増幅装置の鍵となる者だ。生死は問わない」
「はい、ですが、彼は天使達に守られています。魔族も手を結んでいると情報が入っています。」
フランクはニヤリと笑う。立ち上がり、忠勝の後ろに立つ。突然、忠勝の肩をグイグイ揉みだした。忠勝は堪らず「イテテテ……」と声を漏らす。彼は特に肩は凝っていないようだった。
「聞いただろ……後、二週間ある。マシーンが完成するまで。それまでに貴島元就を仕留めれば良いのだ。どんな手を使っても構わないぞ」
はっはっはっはあ!と大笑いをするフランク・サーベリオン。イリアは「何が可笑しいのかしら」と不思議に思う。
「オッサン、悪い気がしないが、肩が痛てえよ。それにオッサンに揉んで貰っても嬉しくない。美少女に揉まれたいぜ!」
「おーこれは済まん。お前達には期待しているぞ。ジェイソンは口だけの野郎だ。未だ結果を残せず、部下を失う失態ばかりだ。お前達は宝玉を手に入れた。結果を残している。これから、オレの家臣として重用するからな」
フランクの勢いにキョトンとする忠勝とイリア。名門の当主お抱えの家臣となった。
そんな二人をよそに、フランクは執事にジュラルミンのアタッシェケースを持って来させた。執事はイリアの前にジュラルミンのキラキラ光るケースを置いた。執事はイリアに一礼して部屋を去って行ってた。
アタッシェケースには札束がビッシリ詰まっていた。
「何だそれ?お金か?見た事無いお札だな」
忠勝がケースを覗きこんだ。見た事が無い紙幣だった。帯で紙を束ねているのでお札と判別出来た。図柄は日本の紙幣とはだいぶ異なり、忠勝が読めない文字がビッシリと印刷されいた。
「当面の活動資金だ。自由に使いたまえ」
フランクはイリアの前にVサインを出した。
「あ、有難う御座います。あ、あの、無礼ついでにお願が有ります」
「何だ?」
「し、執事のペッターを我々の仲間に加えたいと思います」
大金を手に入れたイリアは緊張していた。まさか、フランク・サーベリオンがこんなにも自分達の事を買ってくれていたとは思わなかった。そう思うと、軽蔑していたクランクが急に尊大な存在に見えて来た、
「ペッターが何故必要なのだ?」
「そ、それは……」
イリアはテンパッテいた。なかなか次の言葉が出てこない。イリア団司令本部から来る時、フランクとは有る程度の問答をそうていしていたのだが、全て、宛てが外れた形となっていたからだった。
「ペッターは細かい気配りが効いて、動きが良い。俺達に必要な人材なんだよ。オッサン」
忠勝がイリアの代りに話す。フランクはニッと笑った。
「そうだな。ペッターは優秀だ。将来、執事長を任せても良いと思っている。そんな彼に色んな経験を積んで貰いたいから、お前達に預ける」
「有難うよ。オッサン」
フランクは横柄な態度の忠勝を責めたりはしなかった。その忠勝の横の椅子に座り、忠勝へ向かい合った。
「俺は……お前達に頼みたい。クランツの事を頼みたい。島田忠勝、君はアレを友達と呼んでくれた。なんだかんだ言って俺も息子を何とか跡取りに据えたいと思っている。鍛えてやってくれないか?頼む」
フランク・サーベリオンは忠勝に向かって頭を下げた。
忠勝は姿勢を正して、フランク・サーベリオンと対峙する。
「そうさ、クランツはクラスメートで友達だ。相違は無い。ただ、オッサン。これだけは言わせてくれ。クランツは自分で進む道を見つけるハズだ。それはオッサンの意思にはそぐわないかも知れない。それを認めてやってくれ!それと、クランツの思いに応えてやってくれ。オッサンはこの家の当主である前に、クランツの父親なんだぜ!」
忠勝の意見に一瞬眉をひそめたフランクだったが、忠勝の鋭い眼光にその思いを呑みこんだ。
「わかった考えとくよ」
忠勝は椅子に座ったまま、廻れ右をしてイリアに向き合った。
「他に用事はあるのか?イリア司令官殿」
「い、いいえ。もうないわ」
急に忠勝に話掛けられてビックリした。
「じゃあ、司令部へ戻ろう」
忠勝は円卓の椅子から立ち上がった。右手にジュラルミンのアタッシェケース。左手に愛刀の伊舎那を持ち、部屋を出た。慌ててイリアも後に続いた。
長い廊下を歩いて、出口へ向かった。
「島田先輩も私に話してくれませんか?さっき、フランク・サーベリオンへ言い放った言葉の裏には何か強い思いが有るのでしょう?それには貴島先輩も絡んでいるって所かしら?……私も、私の思いを全部話します。だから島田先輩も話して下さい」
忠勝は「うーん」と唸って黙考した。
「佐原の言った事は全部正しいよ。俺は何故だか、フランクとクランツの親子関係に口を挟まなくてはならない気がしてしょうがない。それには、元就も絡んでいると言えば絡んでいるな。まあ、俺の思い込みだけかもしれないけど」
「じゃあ、話してくれるのですね」
「そうだな、実は、俺の方としても誰かに聞いて欲しいのかも知れない」
忠勝とイリアは司令部へと続く廊下を二人並んで歩いて行った。
クルナス城の地下へ続く石畳の螺旋階段。明かりが一切ない。LED懐中電灯の白い明かりが一つ、階段の先を照らし、下へ、下へ降りて行く。
「フランクの奴め、電燈ぐらい設置してもイイだろうに。転んで階段を転げ落ちたらどうするつもりだ。労災になるぞ。天魔労働基準監督署から是正勧告を受けて、従わない場合は罰金若しくは操業停止になるぞ」
ジェイソンは一人で階段を下りていた。暗く、不安定な石畳の階段にビビりながら降りて行く。自分は天使で空を飛べるのだが、生憎と階段自体狭く、背中の翼を広げるスペースは無い。足を滑らせ、転倒イコール、階段の下へ紐なしバンジーだった。
一歩、一歩、階段を踏みしめながら、ビビりながら降りて行く。その間、フランクに対して悪態を付く。
「気に入らねえ……何もかも……」
それが、最後の呟きとなった。ジェイソンは最下層に辿り着いた。最下層は照明が点いて明るい。石畳の廊下から、純白のタイル張り。白い壁。分厚い金属の扉の横にはセキュリティカードを翳すセンサーが有る。
ピッ!と言う音がした。ジェイソンがセンサーへセキュリティカードを翳した。ゴオオオと地響きのような音を立てて、扉が左右に開いた。
「こんなセキュリティ、意味が無いな……」
ジェイソンは扉の奥にある白銀のマシーンの前に来た。ブーンと低周波の低音を発し、それは慟哭のように聞こえる。
マシーンと呼ばれているが、外観は白銀の大きな板だった。高さは五メートルはあろうかと言う巨大な一枚の銀色の板だった。厚さは全体から比べると薄く、二〇センチ程度しかなかった。マシーンと呼ぶには非常にプレーンな外観であった。
「魔王、起きろよ。フランクが怒って居やがる。早く、本気を出してくれよ」
『黄泉の世界から無理やり、引き戻されたのだ。機嫌も悪くなる』
白銀のマシーンが喋り出した。低い男の声だった。
「魔王、お前の元気が出るネタを二つ手に入れた。一つはレオンを手に入れた。もう一つはお前の息子がこちらの世界に来たぞ」
『何と……レオン、我の左脳が戻ってくるのか?早く持って来い。我が左脳は別な人格として動くよう、お前らに改造されたのだ。余計な事をしてくれる』
ジェイソンはマシーンへ背中から、寄りかかった。
「息子とは会いたくないのか?一人息子だろ?」
『会わす顔が……無い。こんな姿である事と、親らしい事は一つも出来なかった』
「フン!そうか。だが、会わなければならないな。これは避けられない運命だ。肉体の滅びたお前が、その能力を発揮する為には、身体が必要だろ。それに一番、適しているものは……お前の息子だ」
ジェイソンはほくそ笑む。このマシーンの本当の姿は俺しか知らん。あのフランクさえも知り得ない。
『ジェイソンよ、そんなにも我の魔力を使いたいのか?その身が滅ぶと知っていても』
「滅ばないさ。滅ばないようにする為にこんな廻りくどいマシーンを造る羽目になったんだ」
ジェイソンはマシーンの上に立ちあがり腰を掛けた。
「見ているがいいさ。この俺が全知性の頂点に立つ瞬間をな!そして史上最大の柱が折れる瞬間を見せてやる。この世に生きる全ての者に……」
「わあ!綺麗なカーペットね。素敵ね。いいセンスだわ。有難う、クランツ先輩とペッターさん!」
忠勝とイリアは司令部に戻ってきた。忠勝達が居ない間にクランツとペッターがカーペットを敷いてくれていた。真っ赤なカーペットにミステリーサークルを模したような幾何学模様が織り込まれていた。
司令部の中央に供えられた綺麗なテーブルと格調高い椅子がある。イリアはその場にいた全員に対してテーブルに付くように促した。
イリアを上座にして、忠勝、クランツ、ペッターがテーブルに付いた。
「皆、聞いて欲しいの。私の最終目標を」
イリアはいきなり確信に迫る話を始めた。
「私の目標は、私達、妖精の真の解放を目指しているの!虐げられるのはもうこれまでにしたい。だから、私は宝玉と、マシーンを手に入れて、世界を変えて見せるのよ」
クランツは椅子にふんぞり返ったままの姿勢で、イリアの話しを聞いていた。「フン!」と嫌味な笑いをうかべた。
「無理じゃねえの?妖精が天使に勝てる訳が無い。少なくともイリアが俺に勝てないのと同じだからよ」
イリアはキッとクランツを睨んだ。そして笑みを浮かべた。とても自信ありげな笑みだった。
「勝てるわよ!楽勝よ!あんたなんかひと捻りでプーよ!」
イリアは舌を「ベー」と出してクランツを挑発した。
「上等だ!また泣かせてやる!そして、妖精が天使に勝てないと言う事を思い知れ!」
クランツが椅子から立ち上がった。そのままイリアに殴りかかろうとした。
「大人しく、座っていろ!」
ダンと大きな音と共に、クランツは椅子の上に尻もちを付いた。忠勝がクランツの襟首を掴んで、無理やり椅子に座らせた。
「何しやがる!……」
粋がるクランツは襟首をつかんだ相手、忠勝を睨むが、忠勝の鋭い眼光が撥ね返って来た。その眼光に驚き、クランツは椅子の上で小さくなってしまった。
「ほら、御覧なさい!私には、今、守り神が付いているんだからね。私に手を出すと、命を失うわよ!」
指令部は静まりかえった。ペッターは訳もわからず、オロオロしている。
「まあ、聞けよ!クランツ。人の話は最後まで聞くもんだぜ」
忠勝はクランツを諭す。彼は「うーん」と唸る事しか出来なかった。
「佐原……教えてくれないか?俺はこの世界の事は全くわからんし、人間とこの天使と化妖精とか、悪魔とか、魔物の関係も全くわからんのだ」
イリアは背後にあったホワイトボードを引き出した。黒いマーカーペンで地図を書きだした。
「何だそれ?寝小便の後か?」
「酷いわ、島田先輩。これは世界地図よ。これがアメリカ。これがオーストラリア……ヨーロッパ」
イリアの書いた世界地図は説明がなければ、世界地図には見えないものだった。ただ、それぞれの大陸の位置関係は微妙に合っている。
「メルカトル図法……って言うか、佐原図法だな」
「そこ、島田先輩!黙りなさい!」
そして太平洋のど真ん中に一本の大きな柱を書いた。その柱の頂点にまた世界地図を書いた。
「いい?良く聞いて。特に島田君は!」
イリアは先生になった気分だった。出来の悪い落ちコボレに授業をしている気分だ。
「この下に有るのは【テラ】と呼ばれる世界。島田先輩達人間が住む世界。そしてこの上に有るのが【テイア】と呼ばれる大陸。私達のいる神界ね」
「真ん中の棒っこはなんだい?」
「ぼっこって……島田先輩は何処の出身ですか?……これはセンターピラーと呼ばれる柱です。【テラ】が【テイア】を支える柱です。かつてこの柱は大陸の上に立っていましたが、その大陸は【テイア】の重さに耐えられず、太平洋に沈んでしまいました。人間界では【ムー大陸】とかって言われているでしょ?」
忠勝はキョトンとしている。イリアの言葉に想像も妄想も追いつかない。
「しょうがねえな、人間には理解できないだろうよ。【テイア】を見る事も出来なのだから」
イリアは大きくため息を付いた。詳しい事を忠勝へ説明するのを諦めた。
「この【テイア】は別の空間に有るの。だけど、空間に隙間がいくつもあって、こっちとそっちは行き来できるのよ」
「まあ、わかった事にする」
「あ、あの……僕は、お茶を淹れて来ます……」
執事ペッターが席を立ち、司令部を出ようとした。すぐ下の階に有る給湯室へ行き、お茶を淹れる為。
「注目して欲しいのはこの【テイア】よ」
イリアは大陸の左側に赤い囲み、右上に青い囲い、右下へ緑の囲いの線を引いた。
「このティアの赤いエリアには魔物が棲んでいる。青いエリアには天使達が住んでいる。緑のエリアには悪魔が住んでいる。私達、妖精が住んでいるのは……この真ん中。感傷地帯に追い遣られているの。天使や悪魔の争いがある度に巻き込まれ。日常から魔物の脅威に晒され、絶えず犠牲を払っているのが妖精たちよ。その妖精の憂いを無くす為、私は力を手に入れたいの」
イリアはバンバンと白板を叩いた。妖精が住まうと言うエリアを叩いた。
「そんな事が出来るのか?お前は人間界へ逃げた妖精じゃねえかよ……」
クランツがイリアを否定するが、忠勝の視線が怖く、言葉の最後の方が小さな声となっていた。
「おい、クランツ。お前も仲間なら、佐原に手を貸すだろう?そうだよな!」
忠勝はクランツの背中をバシッと叩いた。クランツは「いてっ!」と声を漏らす。
「な、何で俺が妖精に手を貸さなきゃならないんだよ?」
クランツは顔を背け、椅子に踏ん反り返る。そんな様子を見た忠勝はクランツの襟を握り上げ、強制的に自分の方へ向けた。
「クランツ、英雄になりたくないのか?自分の父親を超えたくないのか?」
「英雄?何で妖精の手助けでそうなるんだ?父上を超えるとはどう言う事だ?」
「お前の父親は、いずれ英雄となるだろう。ヤツの心に描いている計画を成功させたならば。だが、それを阻止して、妖精を解放する事が出来れば……佐原の計画を成功させたなら、お前は歴史に名を残すだろう。妖精たちの英雄として。お前の父が英雄となったら、クランツ、お前は永遠に父を超えられないだろう。どうするよ?やるのか?」
忠勝を見つめるクランツの表情がドンドン険しくなって行く。そして、口を真一文字に結び、目付きが変わる。それを忠勝は見逃さなかった。
「クランツ・サーベリオン。お前の意思を見せろ!そうすれば俺達はお前に手を貸す。だから俺達に手を貸せ!」
忠勝はクランツに迫った。クランツの心は揺らぐ。忠勝の言葉が心に突き刺さったのは事実であった。
忠勝はクランツの襟を離し、イリアの方を向いた。
「ま、まあ、そう言う事で、皆、私に強力して欲しいの。もう、人間界から自分の故郷の惨めな姿を見上げたくないから」
「俺は良いぜ。佐原は自分の思いを話してくれた。俺も話すよ」
忠勝は深く椅子に座りなおし、テーブルの上で手を組み、話し始めた。
その後ろでは紅茶を淹れたペッターが戻って来ていた。紅茶をテーブルの上に配って行く。紅茶の芳しい香りが司令部に漂っている。
「簡単な話だよ。俺は剣の腕を磨いて、師範である父や、紫苑流の後継者の元就を越えよと考えていた。それしかなかった。だが、俺の剣で世の中を変える事が出来るなら、それをやりたい。父や元就と競う事が途端にどうでもいい事に思えて来たんだ。世の中を変える事が良い事か、悪い事かわからないけど、俺の剣が少しでも役に立つなら、やり遂げたいと思うよ。それだけだ」
イリアも椅子に座りテーブルに付いた。自然と優しい笑顔となった。
「ペッター君!君はどうするんだ?フランク・サーベリオンの許可は取っている。が、君の意思を聞きたい。強制はしたくないから」
今度はペッターに向く忠勝。ペッターは驚き、表情が強張る。
「ぼ、僕はどうすれば良いかわかりません。クランツ様に従うと言う事は、フランク様に背く事になります。僕は……」
ペッターは俯き、考えた。フランク、クランツどちらも、自分にとっては仕えるべき相手、そのどちらかを選ぶ事なんて出来ない。
「ペッター君、君はどうしたいのかが聞きたい。このまま、執事として仕事を続けるのか、俺達と突き進むのか。フランク・サーベリオンが勝っても、このサーベリオン家はタダじゃ済まないと思う。最悪、この城も無くなっているかもな」
「そ、そんな!」
大声を出して立ち上がったのはクランツだった。
「クランツ先輩のお父様はそれだけ大変な事をしようとしているのよ。誰にでもわかるじゃない」
ペッターは忠勝の席に付いた。そして、自分の思いを打ち明けた。
「僕は……このお城が好きです。このお城は僕の家と同じです。先祖代々仕えたこの城。城の主は何人も変わりました。だけど、主が変わっても僕はこの城に居たいのです」
忠勝とイリアは狼狽するクランツを見る。二人の視線が突き刺さり、クランツは心拍数が上がった。また、やり込められるのではないかと。
「サーベリオン。だから父を超えろと言っているんだ。お前がこの城を継ぐ……いや、奪い取り、主として立たなくては、城は無くなる。ペッターの思いや、この城で働く人達の思いに応えてやれ!それが出来たら、お前を高貴な天使とて認めてやる!誰が何と言おうと!」
「お、俺が……が主になるのか?」
「そうだ。父から城を受け継ぐのではなく、自分で奪い取れ。男は血筋を超えて戦わなくてはならない事があるんだよ!」
クランツは蒼白の顔面に汗をかき、その回転が早いとは言えない頭で、考えて見た。このままでは、父に蹴られ、なじられ、馬鹿にされ、生きて行くしかない。忠勝は父と言う血縁を切り、一人の男として、自分の妨げとなる者と戦えを言っている。そして、忠勝はその素晴らしい剣の腕を携え、協力してくれると言っている。ペッターも自分にとっては無くてはならない存在。
他に選択できる道が有るとも思えなかった。
「やるよ……俺。父上を越えて歴史に名を残して見せる。天使の立場として、妖精達を解放した英雄として」
「良く言った。頼むぜ、サーベリオン」
「有難う、皆。これから頑張りましょう。テイアの歴史に名を残すのよ」
忠勝達は、スタートラインに立ったと思った。そしてペッターが淹れてくれた紅茶で乾杯をしてみた。
あれから結構長い時間が過ぎたと思う。クララさんや桜子さんや深井キャプテンが四回程、お見舞いに来てくれたから、五日は経っていると思う。この無菌室には時計も暦も無い。オレの時間の感覚は完璧に失われている。
オレの隣りにはエレーヌさんが寝ている。
「何だか、残念ね。明日、元就君の心臓を戻す手術をするのよね。この、私と元就君を繋ぐ管も無くなっちゃうのよ」
エレーヌさんが残念そうに話すけど、オレは早くこの状況から脱出したかった。なぜなら、オレは自分の置かれている状況が全く把握出来ていない。もう、イライラして限界だ。
あの学校の屋上での一件はその後どうなったのか?忠勝は?佐原イリアは?サーベリオン達魔天使は?この神界って何なのか?知りたくて、知りたくて。もう、早くここから出たい。
隣のエレーヌさんは気持ちよさそうに寝ている。逆にオレは全然寝られない。真っ白な空間にも飽き飽きしてきた。
そんな事を考えていると、暫らく、だいぶ久しぶりに妙な感じが身体を襲った。本当に久しく忘れていた感覚だ。言葉に表すなら【殺気】と言うヤツ。
「元就……生きてるか?生きているよな。そう聞いてここまで来たんだぜ」
「その声は……忠勝!お前も神界に来ていたのか?」
忘れもしない。その殺気と声の主は忠勝だ。色々訊きたい事が有るが、忠勝の殺気は尋常じゃない。オレは警戒していた。だが、左腕には愛刀の神威は無いし、隣りではエレーヌさんが寝ている。彼女は頭にロートドームを出していないから、忠勝の殺気は感じ取れないみたいだ。いざとなったら大声で叫ぶしか手は無い。
「元就、今日はお前と剣を交えるつもりはない。ただ、俺の覚悟を聞いて欲しくて見舞いに来てやった。」
「覚悟、何だそれは?」
「俺は戦う目標が出来た。だがそれは、元就とは道を違える事になる。今からは共闘出来ない。場合によっては【敵】となる」
「どう言う事だと詳しく訊きたいけど、忠勝の言葉から察するに、もう、紫苑流や師範の事や、新しく流派を立ちあげる為にオレと勝負すると言うのは、どうでも良くなったと言いたげだな」
忠勝の表情は全く見えないが、ヤツの声と殺気から本気である事が伺える。これは、忠勝と師範が絶縁した時以来の感じだ。本気って事だな。
「そうだ、もう、流派とか継承とかはどうでもいい。全く興味は無くなった。俺はこの件で新たな道を開く。その時、俺の前に元就、お前が現れたら、敵として斬る。その覚悟を聞いて欲しかった……今まで有難う。友達としての付き合いは凄く楽しかった。だけど、もう終わりだ。さらばだ。元就」
「そうだな、忠勝。もう、楽しいひと時は終わった様だな。いつかこうなるんじゃないかとお互いに思っていて、でも、それは腹の奥底へしまい込んでいた。そう、楽しかったからな。オレからも言わせて欲しい。有難う、そしてサヨナラだ」
オレが話し終えると忠勝の殺気が消えた。ヤツは去って行った。
何だか凄く寂しくて悔しい気持ちが湧きあがってきた。もう忠勝とは一緒に笑ったり、馬鹿やったり出来なくなった。そう思うと凄く寂しい。こう言う別れって突然来るもんだな。
同時にこの病院でオレが寝ている間に、周りでは容赦なく時が過ぎて、皆、自分の運命に向かって動いている。それなのにオレは此処で寝ていただけなんて、悔しくて情けない。
早く、ここから出たいな……。