第17話 安息の地
「元就君……気が付いたのね。良かったわ……」
オレ寝ながら右を見た。そこにはエレーヌさんの顔が有った。もう間近にあった。彼女の吐息が聞こえる。
「すっごく、心配したんだからね!」
「すみません……」
とりあえず謝る。まだ、少し、ボーっとする。考えを巡らす事が出来ない。
バッふっと、オレの顔の上にタオルが掛けられた。オレは右手でタオルを取ろうとしたが、エレーヌさんに押さえられた。
「こっち、見ないで……恥ずかしいから……私達、裸なのよ……」
エレーヌさんは本当に恥ずかしそうに喋っている。どうやら、本当に裸らしい。
「何で裸なの?」
ストレートに聞いてみた。タオルの下で喋る。話しづらい。
「しょうがないじゃない。ここは特殊無菌室よ……服は着られないわ」
なんだか設備上の理由で、服を着るのはご法度のようだ。
「この、赤と青の管は何?どうしてエレーヌさんと繋がっているの?」
「この管は、私と元就君を繋ぐ大事な管よ」
「どう言うことですか?」
「元就君、貴方の心臓は佐原さんに刺されて壊れてしまったの。今、貴方の心臓は工作室で修復中よ。その間、私の心臓で貴方の命を繋いでいるのよ。この赤と青の管は私の心臓から血液を貴方に送っているのよ。まあ、血管って所かしら」
チョッと解らなかったけど、考えて見る。オレの心臓は工作室で修復中。って事は……。
「オレの身体には心臓が入っていないの?」
「そうよ、だから私の心臓で貴方を生かしてあげているの」
チョッと解らなかったけど、考えて見る。エレーヌさんの心臓でオレは生きているんだろ。と、言う事は……。
「エレーヌさんの心臓とオレの身体が繋がって、エレーヌさんの心臓は二人分の仕事をしているの?」
「そうよ」
エレーヌさんは、あっさりと言う。最近、オレの心臓はぞんざいな扱いを受けている。桜子さんにオレの身体から引き抜かれたり、佐原さんに剣を突き刺されたり、挙句の果てには工作室で修復中?なにか?オレの心臓はプラモデルか?
「エレーヌさんの心臓って二人分の仕事をしても大丈夫なの?」
オレに医学的知識は全く無いけど、一人の心臓で二人分の血液を循環させるって出来るの?素人が思っても可能とは思えない所業だ。
「私、第五世代戦闘天使の心臓には、ハート・ブースター・ポンプが装備されているの。戦闘中に心臓のパワーを上げる為に。だから、少しだけブースター・ポンプの力を借りれば二人分の血液を循環させるのは全く問題ないわ」
それ以上は聞きたくなかった。とりあえず、オレは彼女に厄介になっている訳だ。まるで寄生虫みたいじゃないか。
「なあ、あと、どれくらいでオレの心臓は直るんだい?」
「五日は掛りそうよ……この無菌室は窮屈だけど我慢してね」
「な、五日?……そんなに?」
オレは色んな意味で我慢できるか心配だ。出来る事なら、心臓が直るまで、気を失ったままで居たかった……。だって隣りに素っ裸のエレーヌさんが居るんだぞ。
「ああっ!今、いやらしい事を考えたでしょう!」
「あっ、いや、その……すまん」
誤魔化せば、誤魔化す程、エレーヌさんにオレの心の中を見透かされそうな気がして……素直に謝った。
「うふふ……元就君も、普通の男の子だったのね。安心したわ」
オレは深呼吸をして、冷静さを取り戻す。変なのは心臓が無いせいか、全然ドキドキしない。
「五日間もここに居ていいのか?早く宝玉、レオンを取り戻さないと大変なことになるんじゃないか?……あの屋上での出来事から、何日経っているんだい?」
「大丈夫よ。ほら、この前、魔天使を一人逮捕したじゃない。その魔天使がヤツらの計画の全容を話したのよ。切り札はまだこっちにあるわ」
「それは何だ?教えてくれ!」
切り札はこっちにあるって?その切り札って何?じゃあ、その切り札を何としても守らなきゃならないんじゃないか?オレは。
「まあ。いいじゃない。どの道、元就君の心臓が直るまで何も出来ないわ。それに、時間はたっぷりあるもの。これから、五日間はどうあがいても、元就君は私から離れられないわ。いっぱいお喋りしましょうね」
それを聞いて……諦めた。その通り、どうにもならん。オレとエレーヌさんは文字通り、一心同体なのだから。
クルナス城の本丸から、少し離れた塔の最上階。そこの一室をあてがわれたイリア達。三人と執事一人はその部屋を一生懸命に掃除していた。
「フン♪フン♪……」
イリアは鼻歌交じりで楽しそうに雑巾がけをしている。窓、テーブル、机、丁寧に雑巾を掛けている。忠勝はモップで床を磨く。クランツは照明器具や換気扇の掃除をしていた。ペッター執事は花瓶に花を差している。
「クランツ!掃除が終わったら、この部屋にカーペットを敷きたいの。土足禁止ね。手配出来る?」
「カーペットを敷くのか?此処はただの会議室だろ、カーペットまで敷く必要はないんじゃないの?」
「この部屋は私達【イリア団】の司令本部になるのよ。私の野望の出発地点となるの。やっと手に入れた、小さいながらの私の城なのよ。綺麗に使いたいの」
イリアの剣幕に何も反論出来ないクランツだった。
「わかりました……ペッター、カーペットの手配を頼む」
「かしこまりました。若様」
ペッターは花瓶をテーブルの中央へ置き、クランツへ一礼して部屋を出て行った。
「あの執事君、動きが良いわね……決めた!彼もイリア団のメンバーに加えるわ!」
「そ、それは父上に許可を貰わないと……」
「あんた、そんな事まで、いちいち、父上様の許可を貰わないとイケナイ訳?『俺が決めた!』って言えないの?」
イリアはクランツの頭を箒の柄で小突く。クランツは頭を押さえ、部屋の隅へ逃げた。
「しょうがないわね!私が直接、フランク様に言って来るわ!」
イリアは雑巾とバケツを片づけ、イリア団司令本部室を出ようとした。ドアのノブに手を掛けて、一瞬立ち止まった。
「島田先輩、私と一緒に来て。どうやらフランク様は先輩に一目置いているようだから、先輩が私の後ろに居てくれると交渉がし易いの。お願。」
イリアは忠勝に向かって両手を合わせる。そしてウインクする。
「わかった。俺も行く」
忠勝はモップを片づけ、愛刀の伊舎那を手に持ち、イリアの後を追った。
イリアと忠勝はエレベータで一階まで下りている。この棟はクルナス城の使用人たちが住まう塔だった。その最上階にイリア団の司令本部があり、その最上階から一つ下の階に忠勝とイリアの部屋が有った。
エレベータの中、忠勝とイリアは無言だった。二人は扉の上にある階の表示が一階に向かって墜ちて行くのを見つめていた。
一階に到着するまで、ものの一分。「待つ一分は長いな……カップめんにお湯を注ぐのと同じか」と思う忠勝であった。ふとイリアの背中の透明な羽を見る。腰の辺りまで下り下げられているが少しだけパタパタと動いている。彼女も一階に到着するのが待ち遠しいようだ。この世界に来て一週間。忠勝はイリアを見て気付いた事が有った。彼女は感情がすぐ羽の動きに出る。怒っている時、イライラしている時、それは顕著に羽の動きとなって現れた。
チン!とベルが鳴り、エレベータの扉が開いた。忠勝とイリアはエレベータを出た。一階は広いホールとなっていて。出入り口には受付のカウンターが有った。城へ生活物資を納入する業者の受付となっていて。老紳士が一人カウンターに座っていた。
忠勝とイリアはその受付の老紳士へ挨拶して塔の外へ出た。眼の前に城の本丸が大きく聳えている。綺麗に手入れされた芝、整然と並んだ石畳の道を歩いて城へ向かう忠勝とイリア。日差しの暖かさを感じながら、ゆっくりと歩いていた。
ヒュウン!空を切る音を忠勝は聞いた。そして反射的に身体を動かす。前方から何か飛んでくるのが見えた。
ガッ!伊舎那の鞘で飛んで来た物を叩き落した。イリアの足元に転がったそれは拳大に丸められた【紙】だった。忠勝が叩き落さなければ、イリアの頭に命中する所だった。
忠勝はその紙が飛んで来た方を見た。走り去って行く黒い影が一つあった。追いかけようとし、一歩踏み出した所で服の背中をイリアに摘ままれた。彼女は首を横に振り「追うな」と言っているようだった。
彼女は紙を拾い上げ、それを開いた。それは石を包んだ紙だった。中に文字が書いてあったが、忠勝には読めない文字だった。天使語のようだ。
「何て書いてあるんだい?俺には読めない」
イリアは大きく深呼吸してからその紙の文字を声に出して読んだ。
「『汚らわしい下賤の輩達、この美しいクルナス城から出て行け!』って書いてあるわ」
「そうか……」
「まあ、別にいいけど。私達は別に頼んで此処に居させて貰っている訳じゃないから。いつか……この城だって私の配下にしてやるんだから」
「俺も、別に気にしてないけど。ここはアウェー感があるよな。俺達の事を疎ましく思っている奴らが多い。さっきの奴だって、こんなくだらない事する位なら、野球のピッチャーになった方がいいと思う。石を投げるコントロールは良かった。能力の無駄遣いだよ」
「行きましょう。構っている程、私達は暇じゃないですものね」
イリアは石を捨て。紙をポケットに入れ歩きだした。忠勝も一緒に歩く。
「ねえ、手繋いでもいい?」
イリアは忠勝の右手を握った。忠勝は驚いた。イリアの手は冷たく少し震えていた。強がっているが、本当は怖かったのだろうと想像が付く。だから俺の手を握って来たのだと。
暫らく歩くと城の裏門へ到着した。城の使用人が出入りをする門。槍を持った衛兵が一人、門番をしていた。忠勝とイリアの前に出て、行く手を阻む。ギラリと光る槍の先を二人に向かって突き出した。
忠勝はイリアの手を離し、伊舎那の柄を握る。
「フランク・サーベリオン様に用事が有って来たの。お城へ入れてくれないかしら!私は佐原イリア。フランク様の軍師よ!」
イリアの言葉には怒気が込められていた。彼女の背中の翼は斜め四五度上方に付き立っていた。
イリアと衛兵が睨み合う。忠勝はいつでも衛兵を斬れる体制を取っている。この至近距離では槍より、刀の方が有利だった。
衛兵は槍を引き、イリアの前から後に下がり、門を開けた。イリアと忠勝は門をくぐり、城の中へ入って行く。
衛兵の横を通り、すれ違う瞬間、衛兵が口を開いた。
「下賤の成り上がり者達め!城を汚すな!いつまでも調子に乗っているなよ!」
イリアはそんな言葉を無視して先へ進んだ。忠勝も城へ入る。
衛兵が見えなくなった所で、イリアは再び忠勝の手を握った。
「私達、そんなに汚らわしいのかな?あの衛兵は天使、私は妖精、違いはそれしかないのに……」
イリアは悲しい顔をして俯いている。今にも泣きだしそうな感じだった。それを見た忠勝は居ても立ってもいられなくなって、イリアへ励ましの言葉を掛けてやろうとした。なんだかこの娘を放って置けない気がして来た。
「なあ……気にするなと言っても気になるんだろう。あれは言葉の暴力だよな」
イリアは俯いたままだ。何も喋らない。忠勝は覚悟を決め、イリアに尋ねる事にした。彼女の真の目的を。
「佐原、君の本当の目的を教えてくれないか?最初に会った時はか弱い女の子、次は性悪女。次はクランツの涙を拭く優しい娘。そして、今は天使の暴言に心を痛める妖精。野望を抱いているのはわかる。それは、女子高生が抱く夢や妄想ではなく、相当な覚悟と信念がある野望なんだろ。元就を殺すもの止むを得ない位、重要な何か。話次第では力を貸すぞ。ただの意地悪女ではないようだからね」
イリアはその場で立ち止まった。忠勝の手を握ったまま、忠勝を見上げる。忠勝はイリアの顔を見下ろした。
「島田先輩、困ります。私の決意が揺らいじゃいます。島田先輩もクランツ先輩も私の手駒の一つとして使い切ってやろうと思っていたのに……。どんな、犠牲を払っても野望を成し遂げようと思っていました。でも、こんなんじゃ、手駒に情が移っちゃって、犠牲を強いる事が出来なくなっちゃいます」
イリアは目に涙を浮かべていた。忠勝も胸が締め付けらていた。彼女も相当悩んでいる事がわかったから。
「話せば楽になると思うよ。その小さい胸にしまい込んだら破裂する位大きな野望なんだろ」
「先輩、私の胸の事を言うなら、セクハラで訴えますよ。でも、有難う御座います。この場で話すと誰に聞かれているかわかりません。で司令本部に戻ったら、話します」
イリアに笑顔が戻った。忠勝も少しホッとした。
「もう暫らく、先輩の手を握っていてもいいですか?あの扉の前まで……」
イリアは正面を見据えた。行く先の扉の向こうにフランク・サーベリオンが居る。
「いいよ、別に。ここは学校じゃないから、誰かにからかわれる心配もないからね」
イリアと忠勝は扉の前に到着した。