第16話 魔天使達の企て
屋上での事件から一週間が経っていた。
そこは小さな窓が一つだけある狭い部屋だった。その窓には鉄格子が四本組み込まれていた。部屋には小さな事務机が一つ。杖の上には裸電球の電気スタンドが一つ。
ここは、取調室だった。
机の前のパイプ椅子に座らされているのは、魔天使アランだった。顔に絆創膏を貼り、腕には包帯の痛々しい姿だった。一週間経っていても、まだ癒えていない傷が身体のあちこちにあった。
彼はエレーヌ達に身柄を確保されて、神界にある戦闘天使部隊第一特殊部隊の取調室に連れて来られていた。
「さあ、話して貰おうか?お前たちは人間界で何をしようとしているんだ?」
アランは真正面を見詰めたまま、何も喋らなかった。アランの真向かいに座り、電気スタンドの温かい光越しに、尋問を担当しているのはキャラハン捜査官だった。白髪混じりのオールバックのヘアスタイルが特徴的だ。
「じゃあ、この男は知っているか?」
キャラハン捜査官は胸のポケットから一葉の写真を取り出し、アランの前に置いた。
このアランと言う魔天使の身柄確保により一週間、彼の身辺調査をしていた。そこで得た情報をアランに確認している。彼は逮捕以来ずっと黙秘を続けていた。
キャラハンは何としても、アランから情報を引き出したかった。
「・・・・・・」
写真は青い翼を背負った男の写真。アランの表情が少し曇るのをキャラハン捜査官は見逃さなかった。
「この男は?」
キャラハンは二枚目の写真をアランの前に出した。写真は白いマントを身体に纏っている男の写真だった。
「・・・・・・」
アランは無言を貫き通した。キャラハン捜査官はジッとアランの顔を見つめる。
そして、電話を何処かに掛け始めた。
「そうだ。キャラハンだ。……第三取調室に一つ頼む」
チン!と言う音をたて、黒電話の受話器を置いた。
「なあ、アラン・アンダーソン。話してくれると有難いのだが……俺もこの人に色々訊きに行かなきゃならんのだから」
キャラハン捜査官は三枚目の写真を胸のポケットからゆっくりと取り出し、丁寧にアランの前に置いた。
その写真には年配の女性が写っていた。アランは突然、大粒の涙を流し出した。
「母さん……」
この取調室に来て、アランが初めて話した言葉だった。
「お前は、母さんと二人、苦労して来たそうだな。その苦労が報われて、魔天使に召集され、魔界のスパイ活動を担っていたんだろう。それが、ミイラ取りがミイラになってしまったんだからな。母さんに合わす顔が有るのか?このままじゃ、母さん、悲しむぞ」
キャラハン刑事がさらにアランを追い込んだ。アランは涙を流しながら、机に突っ伏した。
「仕方が無かったんだ!サーベリオン家に逆らったら、いまの地位を失ってしまう!」
アランを見たキャラハン捜査官はニヤリとほくそ笑む。
「話してくれるか?司法取引だって可能だぞ」
アランはその言葉を聞き逃さなかった。顔を上げ、キャラハンを見る。
「喋れば、司法取引で、減刑されるのか?」
キャラハンは深く頷いた。そして確かな手ごたえを感じていた。「コイツは墜ちた」と。
コンコン!
取調室のドアがノックされた。若い女性の捜査官がお盆を持って取調室に入ってきた。キャラハン刑事はお盆を机に置くよう、女性捜査官に指示を出した。彼女は音を立てずにお盆を机に置くと取調室を退出した。
「腹へったろ、それ食って、話してくれよ。まずは、お前達の計画の全容を」
アランの前に置かれたお盆には湯気を立てた美味しそうなカツ丼が置かれていた。キャラハン捜査官は一時、取調室を出た。アランがカツ丼を食べている間は一人にさせて、気持ちを落ち着かせてやろうと思った。
お尻のポケットから、携帯電話を取り出し、話し始める。
「キャラハンだ……ああ、クララお嬢ちゃんか?アランは墜ちた。もうすぐヤツらの企みがわかるだろうよ……ああ、もうちょっとだけ待ってくれ……ん?あの見習いお嬢ちゃんか?……そうか、そうだな遅かれ早かれだからね……おう、いいぜ。待ってるよ」
ピッと携帯を切り、お尻のポケットへ入れながら、呟く。
「これからが忙しくなるぞ……」
キャラハンは取調室へ戻って行った。
アランがカツ丼を食べ終えた。本格的な取り調べが始まった。取調室にはアランを課囲む数人の捜査官が居た。その中には深井澪の姿もあった。
澪はエレーヌとクララに神界に連れて来られて以来。戦闘天使情報局捜査班の見習いをしていた。今は、学校の制服ではなく、真新しく、折り目が付いている、ネービーブルーの情報班の制服を着ていた。まだ、見習いの雰囲気を出しているので、情報班のタイトスカート、ネクタイが全然似って無かった。
澪の仕事は録音係。手に持っている。ボイスメモ・レコーダーを操作し、アランの自供内容を録音している。
「レガリアの宝玉だけでは人間達や悪魔、天使を操る事は不可能です。全世界、全時空に済む者を操るにはパワーが足りません」
アランは堰を切ったように喋り出した。自分がジェイソンと進めていた計画。人間の数を減らし、人間は天使を崇め、天使達を万物の頂点へ立たせる計画。その全容を語り出した。
「では、何故そんなにレガリアの宝玉を手に入れたがるのだ?そんな不完全な物を使ってもお前達の壮大な計画は実現しないだろう」
机を挟んで眼の前に座るキャラハン捜査官が難しい顔をしながら、質問している。キャラハンに対して、アランは薄笑いを浮かべながら計画を話す。自分達の自信の程をひけらかすように。
「宝玉の魔力を増幅し、次元を超え発動させるマシーンをジェイソン・アトキンソンが開発したのです。そのマシーンは巨大で扱いが難しい物ですが、間違いなく機能するでしょう。そのマシーンには燃料と操縦者が必要なのです」
捜査官達は互いに眼を合わせて、信じられないと言うような顔をした。キャラン捜査官も「うーん」と考え込んでいる。誰もが口には出さないが「そんな物が作れるのか?」と思う。
「その、燃料とは何だ?操縦者とは誰だ?」
キャラハンはそのマシーンに付いては想像が付かなかった。だから、まず、自分の思い付く事を聞いてみた。
「燃料が宝玉です。あの宝玉には人間の憎しみの念が凝縮されています。その宝玉に神気を反応させれば途轍もない魔力となって発動されます。そして操縦者は……」
捜査官達の視線がアランに集まった。
「操縦者は宝玉に憎悪と怨念を詰め込んだ伝説の魔導士。人間でありながら魔導士となった貴島晋作の遺伝子を持つ者です」
「息子の……貴島元就か?」
キャラハン捜査官は机の上へ身を乗り出し、アランに迫った。アランはその脂ぎって凄まじい迫力のキャラハン捜査官から逃れようと、後ろへ仰け反った。
「そうです。貴島元就が必要です。初期の開発段階では操縦者は必要なかったのですが、途中、制御が困難になり当該操縦者が必要になったのです。これはジェイソン・アトキンソンの目論みから大きく外れるものでした」
カシャーン!と床にレコーダーを落したのは澪だった。慌てて拾い上げた。
「そうか、そして、そのマシーンの開発のパトロンがフランク・サーベリオンと言う訳だな」
「はい。フランク・サーベリオンは特権階級である事を利用し、自分には咎が及ばない事をわかった上でこの企みに参画しています」
取り調べ室が重苦しい空気が支配した。
キャラハンは「休憩しよう」と立ち上がった。捜査官達は取調室から一時退室した。
澪も取調室を出た。廊下を歩いていると不意に後ろから声を掛けられた。
「どうでした?深井さん」
声を掛けたのは大人モードのクララだった。澪と同じ情報局捜査班の制服を着込んでいた。澪と違い、クララは制服を完全に着こなしている。そのグラマラスボディが尚の事制服を引き立て、彼女自身の美貌の一部となっていた。それを見た澪は、先祖代々から伝わる深井家の遺伝子と神様を呪った。「どうしてこんなに違うの」と。
「大事な事をいっぱい聞けたわ……まだまだありそうね。今、休憩中。午後から再開だって」
クララは少し、考え込んだ。そして澪の手を引く。
「私達もお昼休みにしましょう。お腹がすきましたわ。桜子さんも誘って、食堂へ行きましょう」
澪は慣れない仕事をしている中で頼りになる知り合いはクララと桜子だった。クララに手を引かれ少し安心した。
「どうですか?こちらの世界は?」
「まだ、慣れないけど、学校で経験できない貴重な体験をさせて貰って感謝しているわ。私の将来の為、参考にさせてもらいます。それに……」
「それに、なんですの?」
「私達の世界とは余り変わらないのね。もっとファンタジーな世界を想像していたのよ」
クララは「うふふ……」とほほ笑んだ。
「そうですわ。殆ど変はありませんわ。科学技術は私達、神界の方が人間界よりも進んでいますケド、武器や兵器は人間の物の方が遥かに進んでいますわ。私達が人間の武器を使うのもその理由なのですよ。あのような強力な武器は私達では作れません」
澪は少し、残念な気持ちになった。自分も武器を振るう者だが、武器は人を傷つける道具。人を幸せにする道具ではない。その道具がクララ達の世界よりも進んでいる事が凄く残念だと思った。
「そうよね。私達の世界は戦争が絶えないのだから、必然的にそうなるわ……でも、この神界に来たお陰で、哲学も勉強できるようになるなんて。来て良かったと思うわ。何事も経験する事には、かなわないのよね」
「少しでも、澪さんのお役に立てて嬉しいわ。無理やり、こちらの世界へ連れて来たのですから、そう言って頂けると私も助かります」
二人は外に出た。小春日和と言う感じが一番合うかなと感じる澪。日差しは暖かく、頬に当たる風は少しひんやりしていて気持ちがイイ。職員休憩所兼、食堂は特殊部隊の庁舎から少し離れた所にあった。
「あら、食堂行くの?」
前から桜子が歩いて来た。彼女はクララ澪とは異なる意匠の制服を着ていた。濃い緑色のブレザー、ロングスカート。赤いベレー帽を被っている。魔界情報局の制服であった。手にはブリーフケースを持っていた。
「丁度良かったですわ。桜子さんもお誘いしようと思っていたの?」
「私もよ、二人に話したい事が有ったの。一緒に行きましょう」
三人ならんで歩く。道すがらすれ違う他の天使達は皆振り返って三人を見入る。
「私達、目立っているわね」
澪は少し不安になっていた。自分は場違いな所に居るのではないかと。
「まあ、そうよね。諸般の事情とは言え、天使の特殊部隊の屯所に悪魔と人間がいるんだもん」
桜子は開き直っていた。自分は魔族だが、正式な外交条約の下、天使達と共同でこの事件に携わっていたからだった。
「そうね、すれ違って、振り返った天使達はビックリするんじゃないかしら?天使の翼と悪魔の羽と羽の無い人が居るのですから。でも、人を外観や出生の違いで区別するのは、もう古い考えですわ。人間も、天使も、悪魔も、妖精も、その人柄で判断されるべきだと思いますわ」
クララは楽しそうに話す。気が気ではない澪は「他人事と思って……」と呟く。桜子はそんな澪を気にして、差障りの無い話題に変えた。
「そう言えば、最近、クララは子供の姿にならないわね。しかも、急に大人っぽく色気が出ちゃって……どんな魔法使ったの」
それを聞いたクララは頭と腰に手を当てて、お尻を振り振り、銀髪をサラサラさせて「イイでしょ!」と自慢をする。
「元就さんの家の冷蔵庫にあった【カツゲン】とか言う飲み物を飲んで以来、調子が凄くイイのですわ。多分、あの飲み物は凄く栄養価が高いのですわね。早速、ネットショッピングで五リットルも買ってしまいましたわ」
そんな、クララを見て、澪はニヤニヤと笑った。少しクララをからかってやろうと、意地悪心に火を付けた。
「クララさん、あのカツゲンって飲み物は凄く糖分が高いのよ。糖尿病に気を付けた方がいいわ。それよりも重大な副作用があると思うわ」
クララは驚いて澪の方を向く。少し焦りの表情が出て来た。そんなクララを見て澪は更に追い打ちをかけた。
「糖分が高いから……太っちゃうかも」
クララはドキッとした。そう、カツゲンが甘くておいしい。最近はお茶代わりに飲んでいるくらいだから。
「だ、大丈夫よ。ほら、私は戦闘天使として毎日、激しい運動をしてカロリーを消費しているから。それに、余分な栄養は、胸とお尻に行っているから、だ、大丈夫よ」
澪と桜子はジト眼でクララを見る。そして呆れ顔だ。
「まあ、いいけど、また、戦闘中に子供に戻らないでよ。抱えて走るの大変なんだから」
「わ、わかっていますわよ!」
桜子の余計なひと言にクララはぷうっとほっぺを膨らませて抗議した。
「ねえ、今日も、元就君とエレーヌの病院へ行くんでしょ」
澪が今、三人が一番気にしている事を口にした。クララも桜子も真顔になる。
「ええ、行きますわ。澪さんも桜子さんも一緒にいきますわよね」
「勿論よ。元就とエレーヌは今、とんでもない事になっているから、放って置けないわ!」
「そうですわ。もしも、あの二人に間違いが起きたら……」
クララの「間違い」と言う言葉の意味を深く考えてしまった澪はゆでダコのように顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「そうよね、あの二人に釘を刺しておかないと……」
桜子はギュッと右手の拳を胸元で握った。
そして三人は食堂へ入って行った。