第13話 信頼の血判状
ここ数日、魔天使たちの騒動が無く、実に平和だった。当然、学校へ通う。部活にも行く。
電気ショック以来、レオンからの応答も無い。アイツ死んじまったのかな?憎めない奴だったけど。成仏してくれや。
陽が傾き、影が長くなった。オレは今下校中。久しぶりに忠勝と二人で歩いている。女性陣は居ない。エレーヌさんは先に帰った。桜子さんは生徒会。クララさんは留守番。深井キャプテンは薙刀部。静かでいいね。
「おい、元就よ。最近変なんだ。見えない物や、見たくない物が見えるようになって来たんだ」
「それは、魔物だろ。オレもそうだ」
その先は言わなくてもわかる。エレーヌさん達と関わってるからだろうな。
「そうなのか?澪姉もそうなのかな」
「さあ、オレは特に聞いていないな」
他愛の無い会話をする。女の子と違って気を遣わなくていいから楽だ。
「中央公園をショートカットして行こうぜ」
中央公園を横切る。もう夕暮れが迫っているせいか、誰もいない。オレ達は公園の中央にある行けの周りの遊歩道を歩いた。
「元就、なんか叫び声が聞こえないか?」
忠勝のがそう言うので、耳を澄ませてみた。
『やめてえ……さい』
「おう、確かに聞こえるな」
忠勝は声のする方へ駆けだした。
「行ってみようぜ」
オレも忠勝の後を追い、声のする方向へ向かった。こう言う場合十中八九トラブルに巻き込まれるとオレのカンは囁いている。
池の周りには大きな木が囲むように植えられてる。その木の合間を縫って、オレ達は駆けた。
「いた!」
忠勝が池の突端に有る巨木の陰に貼りつき、その先の様子を伺っている。オレは忠勝の後へ付いた。
「元就、あそこだ、あの貸しボート屋のプレハブの前」
オレも巨木から覗き込む。そこで繰り広げられていた光景は、やっぱりフツーの人には見えない光景だった。
一人の女の子を五人の若い男が取り囲んでいた。男たちは全員白い翼を生やしているから天使だろう。もう驚かねえぜ。その男たちは真っ白なジャンパーに真っ白な革のパンツを履いて全員おそろいだ。何の集団だ。
一方、女の子はプレハブを背にして、地面にへたり込んでいた。その顔は恐怖に慄き、真っ青だ。そりゃ、あんなガラの悪い男五人に絡まれりゃ、そうなるよ。
「おい、あの娘、うちの学校の制服だぜ」
良く見るとそうだ。エレーヌさんや桜子さんと同じ見慣れた制服。徽章から一年生だな。
「元就、鞄を頼む」
「助けに行くのか?」
「当然だ。同じ学び舎に通う仲間を助けるのは義務だ。それにか弱い女性を男が集団で囲むのは、それはもう、暴力に等しい」
忠勝は竹刀袋から、愛刀を一振り取り出した。手加減するつもりなのか忠勝は二刀流を使わないらしい。
「オレも行くか?」
左手から神威を抜く。相手が天使なら、こちらもそれなりの武装が必要だ。
「いや、ここで待機してくれ、ヤツらの援軍が来たり、ヤツらの中で逃げ出す者が出たら、始末してくれ」
「わかった。時間差攻撃だな」
忠勝は一人残らず成敗するつもりだ。そこで打ち漏らした敵はオレが相手をする作戦。
「行くぞ!」
忠勝は天使たちの輪の中へ飛び込んで行った。
「止めて下さい……お願いですから、お家へ帰して下さい……」
「ケッ!妖精風情が天使に逆らうんじゃねーよ!」
「まあ、オレ達を楽しませてくれたら、家に帰してやるよ!」
男たちが薄笑いを浮かべながら、少女へ近寄って行く。少女は逃げ場が無く。ただ、ただ、怯え、泣き叫ぶだけだった。
「おい!……この娘の代りに俺がお前たちを楽しませてやるぜ!」
少女と男たちの間に割って入る影。忠勝だった。
「おっ?下等生物のくせにオレ達が見えるのか?」
中の一人、緑色の長い髪を振りまいた男が忠勝の前に出て来た。忠勝の襟を掴み、凄み、顔を近づけた。
「カッコつけるなよ、下等生物のくせに!」
「今なら、謝ってこの場を去れば、お前たちは無事に帰れる。それ以外は……たたじゃ済まんぞ!」
忠勝も負けじと睨み返す。その鋭い眼光に緑髪の男が一瞬ひるむ。忠勝の眼光は武士としての本気の怖さを感じさせるものだった。
「チッ、調子に乗るんじゃねえ!」
緑髪の男は懐から折り畳みナイフを取り出した。忠勝の前でチラつかせる。ナイフを見せればこちらの勝ちと言わんばかりに。ナイフで痛い目に合わせるぞと。
「ひっ!」
忠勝の後の少女が小さな悲鳴を上げた。緑髪の男が出したナイフに恐怖を感じ、震えだした。
「下等生物、お前の顔に一生消えない傷を付けてやろうか」
男はナイフを構え、忠勝との間合いを詰めて来た。
「わ、私の事ならだ、大丈夫ですから、逃げて下さい」
少女が消え入るような小さな声で忠勝を庇う。忠勝は後手に少女へOKサインを出した。
「抜いたな……刃物の大小に関わらず、抜いたな。良い覚悟だ」
シャン!
忠勝が愛刀伊舎那を抜き、一閃。男のナイフの刀身を斬り取った。忠勝の得意技だった。
「なっ!」
緑髪の男はそれ以上言葉を吐く事が出来なかった。男の手元には刀身の無いナイフの柄が手の中に残っているだけだった。
「この野郎!下等生物の分際で!やっちまえよ!」
リーダーらしき金髪の男が指示を出した。男たちは皆、左手から剣を抜き、忠勝に向かって構える。
「めんどくさいから、全員纏めて掛って来いよ」
忠勝は伊舎那を構え、反対にひっくり返した。刀背打ちにするつもりだ。
「この野郎!」
「遅い」
緑髪の男がロングソードで斬り込んで来た。それを見てから忠勝が動く。
ドッス!
鈍い音を立てて、緑髪の男が倒れた。忠勝は男が斬りつけるよりも早く、胴を薙いだ。
「遠慮しないで掛って来い!」
忠勝の挑発に敵が二人動いた。忠勝の前と後から同時に斬りつける。
キン!
忠勝は前から斬り掛る男のロングソードを伊舎那で弾き、振り向きざま、後の男の右型に刀を叩きこんだ。
「ガッ!」
その場に崩れ倒れる。さらに前の男が弾かれた体制を戻す間に、胴を薙ぐ。二人倒すのは一瞬の出来事だった。
残り二人。忠勝は伊舎那を構え二人へ歩み寄る。容赦する気は全くない。
「お、お前行け!」
リーダーらしき男がもう一人の手下の背中を押し、忠勝に向かわせる。
「うわあああああん」
背中押された男は、恐怖で鳴き声となっていた。破れかぶれで忠勝を突き刺しに行く。
「未熟者め」
ガキッ!
忠勝は軽くあしらう。突き出された剣を伊舎那で叩き落とした。剣は男の手を離れ、地面に転がる。
「た、助けて」
男は膝を突き、忠勝に許しを乞う。
「ダメだ」
バッシ!と伊舎那を振り、男の左肩に打ち込んだ。男はその場に倒れた。
残るはリーダーらしき金髪の男。
「チクショウ!覚えていやがれ!」
手下を見捨てて逃げだすリーダー。忠勝の前から一目散に逃げ出した。数十メートル走った所で行く手を阻む影が現れた。
「おっと、ここは通行止めだぜ……リーダーさん」
金髪の男の前に立つのは元就だ。既に神威を抜いている。
「忠勝は逃がすなと言っていた。仲間を置いて逃げるとは、貴様にリーダーの資格はない!」
敵はロングソードをオレに投げつけた。神威で軽く叩きとしてやった。剣士の魂を投げつけるとは。
「覚えていろよ!」
敵は純白の翼を広げて飛び去ろうとした。オレは神威を振るう。だが、宙に浮かんだ敵までは刃が届かず空を斬った。空振りだった。
「下等生物!俺は空を飛べる。それがお前たちとの違いだ!胸に刻んでおけ!」
敵は飛び去った。言わせておけばいいさ。
オレは戦利品のロングソードを拾い、忠勝の所へ歩いて行く。
「元就、逃がしたのか?」
「ああ、済まん。飛んで逃げられた。オレは飛べないからな。だか、アイツには一発ぶちかましてやったよ。無事に帰りついたら自分の姿に驚くだろうよ」
ヤツの去り際にチョッと悪戯してやった。
オレはへたり込んでいる少女へ手を伸ばした。
「大丈夫だ、悪漢達は追っ払ったよ……って君は?」
またもや不思議なものを見つけてしまった。その女の子の背中には四枚の透明な羽が生えている。
「なっ?えっ?見えるんですか?私の羽が」
オレと忠勝はその娘を送って行くことにした。逃げた敵が何処かに待ち伏せしていたらこの娘を危険に晒すことになるから。
帰り際、叩きのめして気を失っている悪漢達を木の周りに座らせ、彼らの額に「僕は掃除をさぼりました」と書きこんでやった。勿論、油性ペンで。これに懲りて悪さをしないように。
彼女の家まで三人で歩く。オレは彼女の横。忠勝は少し離れて後を歩いている。敵に襲われた時、固まって警護するより、一人は離れた方が応戦し易い。
「あの……助けてくれて有難う御座います」
少女は俯いて恥ずかしそうに話す。その顔には少し安堵の表情も読める。
「まあ、同じ学校だからな。気にしなくていい。オレは貴島元就。そっちの仏頂ズラのヤツは島田忠勝だよ。二年A組だ」
少女はハッとして顔を上げた。同じ学校の生徒だって事に驚いているのかな。
「あっ、済みません。お二人は私の先輩なんですね。私は一年D組の佐原イリアです」
佐原さんが「そこの交差点を左です」と言うので左に曲がった。
「チョッと!また他の女の子にチョッカイ出して!酷いわ、元就君!」
左に入った路地の真ん中に立っていたのはエレーヌさんだった。朱鷺色の翼を大きく広げ、頭の上にはロートドームが廻っている。さらに左手には天使の弓ガ握られていた。
「そうですわね。元就さんは少々弛んでいらっしゃるようだから、少し引き締めないと」
エレーヌさんの隣りに立つのはクララさんだ。薄黄色の翼を広げ、頭には金の輪。右手には彼女の身長を遥かに超える大鎌をそなている。
そう、天使の戦闘スタイルであり、臨戦態勢で有る事が伺える。
「元就!敵襲か?」
忠勝は伊舎那を抜き、飛び出して来た。
「敵襲?何言ってんのよ。帰りが遅いから迎えに来たのよ。そうしたら、所属不明の反応が有るじゃない。本当に心配したんだからね!」
何だかエレーヌさんに申し訳ない気がして来た。彼女は本気でオレ達の事を心配していたんだ。
「レイセオン先輩、待って下さい。貴島さん達は私を助けてくれたのです」
佐原さんがエレーヌの前に駆け寄った。エレーヌの手を掴み必死に訴えている。
「イリアちゃんじゃない。さっきの所属不明の反応はイリアちゃんだったの?」
おっ、エレーヌさんと佐原さんは知り合いだったのか?
警護の人数が一気に増えて総勢五名の軍団となった。エレーヌさんは佐原さんと並んで歩いている。クララさんも佐原さんの隣りへ並ぶ。何やら神界のお話をしているようだ。
「そう、たまたま通り掛かった元就君たちに助けられたのね」
「そうです。私の事を見て「妖精は目障りだ」といって、転ばされて、怖かったです」
「そう、イリアさん。その天使達に見覚えは有るかしら?チョッと見過ごせない事態になっていますわ」
ほう、流石特殊部隊のクララ隊長さんだ。ワル共を検挙するつもりかな?
「彼は知りません。ですがあの服装は知っています。神界のセントラース・パブリックスクールの制服でした」
「ははーん、あの悪ガキの学校ね」
「そうですか、それは……なかなか難しい問題ですね」
オレと忠勝にとってはさっぱりわからない話になって来た。オレは我慢できず、エレーヌさんへ質問した。
「その何とかって学校は何なんですか?ヤツら随分と偉そうな態度だったけど」
女性陣三人は顔を見合わせて、そしてエレーヌさんとクララさんが話してくれた。
「セントラース・パブリックスクールは……そうね、天使の権力者階級の子息が通う名門学校って所かしら」
「そうですわね。でも実態は秩序が無く、風紀の乱れた学校になってしまってますわ」
オレは更に質問を続けた。色々と聞きたかった。
「その学校の生徒が何で人間界に来て、佐原さんを襲ったんだ?……そう言えば、「妖精風情が、天使にさからうな」とか何とか言ってたっけ」
佐原さんが俯いてしまった。まずい事言っちまったか?しまったよ、最近忠勝並みに空気が読めなくなって来ている。オレは「ごめん」佐原さんに謝った。
「いえ……その、大丈夫ですから気にしないでください。貴島先輩」
「元就君、違うのよ。彼らが言った「妖精は天使に逆らうな」ってヤツは特に意味は無くて……そうね、元就君にわかりやすい感覚で話すと「ひとめぼれはコシヒカリに逆らうな」ってくらいかしら?意味は無いわ。あいつらは、ただ、自分たちが特権階級だって言いたいだけなのよ」
「彼らは、暇なのですよ。神界で相手にされないから人間界に来て憂さ晴らししているだけですわ」
そうか、じゃあ簡単な話で、気にする必要は無いのだけど……エレーヌさんの例えはわかりやすい。意味不明だが。なんでお米なの?
最後に一つ。
「佐原さんは妖精なの?その透明で小さな羽は?」
佐原さんはエレーヌの後へ廻って隠れてしまった。また、やっちまったのか?
「元就さんは本当に空気が読めないと言うか、デリカシーが無いですわね。イリアさんが恥ずかしがっているじゃないですか」
そうか、また、「ごめん」と謝った。まあ、彼女の態度から妖精である事が肯定されたと思う。
「元就君、人間界に溶け込んで、生活の基盤を築いている天使、悪魔、妖精が沢山いるのよ。自分たちの正体を隠してね。わかってあげて」
エレーヌさんに頭をコツンと軽く叩かれた。
「先輩、私の正体を学校の友達へ言わないで下さい。お願いします」
佐原さんが涙を浮かべながら真剣な顔でお願いして来る。こんな姿見せられたんじゃ、この約束は絶対に守らなくてはならないし、彼女が妖精である事は完璧に秘匿しないとならない。
「わかったよ、佐原さん。貴女が妖精である事は秘密にするよ」
と言ったものの、佐原さんは沈んだ表情のままだ。そうか、オレ達の事が信用できないのか?無理もない。さっき出会ったばかりだからな。どうするか?
「元就!ちょっと来い!」
忠勝がオレを呼ぶ。ヤツは自分の鞄から、ノートを一冊取り出し、一ページ破り取った。ペンでその取った一枚に「下記に記す者、佐原イリア殿との約束を違わぬ事を誓う」と書いた。その横に「島田忠勝」と「貴島元就」と署名した。
「よし、書いたな元就。後はこれだ」
忠勝は伊舎那を鞘から五センチ程、少しだけ抜き出した。その抜いた伊舎那の刃に右手の親指を当てた。血がにじむ。その親指を自分の署名の下に押した。
そう、血判状だ。オレも同じように神威を引き出し、親指を押しつけた。チョッと痛い。親指から血が滲んだ。忠勝の横のオレの署名の下に赤く染まった親指を押しつけた。
「ちょっと、あんたら、なにしてんのよ!」
「そうですわ、イリアちゃんが怯えているじゃないですか」
「血判状だよ。俺たちは約束をは絶対守りますよ」
女性陣はドン引きだ。だけど、オレと忠勝には覚悟があった。偽りの無い覚悟だ。
忠勝は血判状を佐原さんへ差出した。
「俺たちの覚悟だ。受け取って欲しい。佐原さんの秘密は守るし、悪漢どもからも護って見せる。約束を違えた時、俺達は腹を切る」
「……わかりました。受け取ります。そして島田先輩と貴島先輩の事を信じます」
「有難う、感謝する」
忠勝は佐原さんに向かって礼をした。
「まったく、信じられない。血の付いた紙を差し出したのよ、貴方達は。女の子に向かって……」
エレーヌさんは抗議をしながら、オレと忠勝の親指に絆創膏を貼ってくれた。
「有難うエレーヌさん。実は結構痛かったりして」
「痛い話はキライよ」
エレーヌさんは首を横に振りながら俺達から離れて言った。
それから、数分歩いた所で、佐原さんの近くに到着した。オレ達は皆、佐原さんとケータイ電話番号とメアド交換した。緊急事態対応の為に。
その場で解散。佐原さんは自宅へ。忠勝ともここで別れた。オレはエレーヌさんとクララさんと共に自宅を目指し歩く。
「うあああああああ!なんだ?これは?なんでこんな事に!」
町はずれの小さな教会の御堂。教会は数百本の松の木に囲まれ全体を伺い知る事は出来ないようになっていた。ただ松の木より高い教会の屋根とその先に掲げられた十字架が遠くからでも確認できる。ここに教会が有る事を知る唯一の手掛かりだった。
その教会の中から悲鳴に近い叫び声が聞こえて来た。
叫び声の主は背中に純白の翼を持った少年だった。その少年は教会の礼拝堂に備え付けられた大きな姿見に自分の姿を見て泣き叫んでいた。
「クランツ様、その御姿は?」
その少年をクランツと呼ぶ青羽を背負った男が、少年の背後から歩み寄って来た。ジェイソンだった。
「ああ……ジェイソンか。人間にやられたんだ。畜生!あの野郎、ぶっ殺してやる!」
クランツの頭はてっぺんの部分だけ髪の毛が綺麗に刈り取られていた。まるで歴史の教科書に出てくる宣教師の様な髪型にされていた。
こんな事が出来る人間はヤツしか居ない。その髪型にした張本人は貴島元就とすぐに解った。元就がクランツの去り際にした悪戯だった。
「クランツ様、直ぐにその人間を始末するべきです。人間にやられたのであれば、名門のサベーリオ家に傷を付けるような物。もし、父上の耳に入るような事があれば、クランツ殿もタダでは済まされますまい」
クランツの顔から一気に血の気が引いた。ガタガタと震えだし、目はうつろとなっていた。
「まずいぞ、父上の折檻は受けたくない。ジェイソン、助けてくれ、俺の手下は皆、倒されてしまった。盾にする者が居ない。俺が頼れるのはジェイソンしか居ない」
クランツは泣きながら、ジェイソンの胸を掴み必死に訴える。そんなクランツをジェイソンは哀れな者を見るよう目で、見つめた。そして大きくため息をひとつ。
「クランツ様、落ち着きなされ。相手はタダの人間ではないですか。名門の跡取り、クランツ・サーベリオ様が剣負ける訳がないではないですか。自信を持たれよ。若殿」
「そ、そうか、そうであろう。俺が人間に剣で負ける訳はないよな。そうだよな、ジェイソン!」
クランツはジェイソンの言葉にすがる。自分の様な高貴な者が下等生物に負ける訳が無い。冷静に考える。相手はタダの人間で自分は天使。崇め、奉られる存在なのだと。
「クランツ様、貴殿はあの父上から剣術を直々に習った。言わばエリートです。自信を持たれよ」
ジェイソンはクランツに諭す。人間は蔑む存在であり、我らの相手にはならない事を諭す。それを聞いたクランツはジェイソンに諭された事により無意味な自信を持ってしまった。
「わ、わかった。父上には黙っていてくれ。俺が小賢しい人間に天使の神々しい姿を見せてやる。ジェイソン、お前も一緒に来てくれないか」
ジェイソンは無言で頷く。
「早速出撃準備だ。俺はかつらと剣を取って来る!ジェイソンも準備を頼む!」
クランツは礼拝堂から飛び出して行った。ジェイソンはその姿をニヤリと笑みを浮かべて見送った。
「ジェイソン殿、良いのですか?クランツ様の力ではあの化け物を倒せないとおもいますが……」
礼拝堂の奥からもう一人の青羽の天使が現れた。礼拝堂の奥で今のジェイソンとクランツの話を聞いていた。
「アラン、お前の思う通りだよ。クランツのガキじゃ、あの鬼神には勝てない。勝てないどころか全く勝負にならんよ」
「ジェイソン殿、サーベリオ家を裏切るのですか?」
アラン薄笑いを浮かべながら、ジェイソンと話す。
「アラン、わかっていて聞くなよ。もうサーベリオは邪魔なんだ。息子が窮地なら、親が出てくるだろう。親子纏めて鬼神の餌食になれば、俺は楽だ」
「可能性が低いですが、サーベリオと鬼神が相討ちになれば、なお良い」
ジェイソンとアランは高笑いをする。
「可能性は低いがな」
教会の礼拝堂はどす黒い笑いに包まれていた。
オレ達は忠勝と佐原さんと別れて、エレーヌさんとクララさんと三人で帰る。陽は落ち、もう辺りは暗い。エレーヌさんは相変わらず頭の上でロートドームを回して警戒を緩めていない。
「ねえ、元就君、今晩は私が夕食を作って上げる。廃病院での約束よ」
ん?そう言えは、あのトールって化け物と対決した時にそんな約束をしたけど。あの時は味噌汁とかホットケーキを頼んだっけ。
「じゃあ、何を食べさせてくれるんですか?」
オレはエレーヌさんの好意に甘える事にした。彼女はどんな料理を作るか楽しみだ。
「じゃあ、何食べたい?リクエストある?」
そうだな、これは一種の博打とも言える。彼女の料理の腕は未知数。味の保障は何もない。難しい料理は出来るのかな?簡単な料理を頼むとエレーヌさんの自尊心を傷つけてしまうかも知れない。無難な料理を頼もうかな?カレーライスとか、スパゲッティとか。うーん、これは悩むな。エレーヌさんは期待を大きく膨らませ、オレの顔を覗く。ここは一発勝負にでるか!
「じゃあ、ホワイトカレーでお願いします」
オレは賭けにでた。幻のカレーライス。ホワイトカレー。さあ、エレーヌさん貴女には作る事が出来るか?
「ホワイトカレー?何それ」
「これですわ。私にはシチューに見えますけど」
クララさんがスマホでホワイトカレーの画像を出していた。そう、見た目はご飯にシチューをかけた様な感じだが、食べるとちゃんと辛い。不思議なカレーだ。
「それってどうやって作るの?」
「作り方は……これですわ」
クララさんのスマホにレシピらしき一覧が表示されている。【らしき一覧】と言ったのは、天使語で書かれているから、オレには解読不能。急に不安になった。このレシピは正しいのだろうか。
「じゃあ、買い物行こう!材料を揃えるわよ!」
エレーヌさんはオレとクララさんの手を引き、家の近所のスーパーへ直行した。
月明かりに照らされた教会。
「ジェイソン、どうだ?俺にも似合うだろう」
「そうですね」
ジェイソンは肯定とも否定とも受け取れる返事をした。それは青く染まったクランツの翼を見ての感想だった。
「じゃあ、ジェイソン明日頼む。アランも来てくれるんだろう?貴島元就の学校へ乗り込むとしよう。手下たちと使い魔はどうだ?」
「クランツ様の御学友は、残念ながら協力を拒まれました。使い魔の方は準備完了です」
「そうか、腰抜けは放っておけ。ジェイソンが居れば安心だ。人間を始末したら、手下どもにはキツイ罰を与えるとしよう」
コイツにはリーダーの資格が全くないとジェイソンは思った。家督を継いでも、そう長くは無いうちに家は潰れるであろうと思う。
「では、明日、クランツ様の学校が終わったら、この教会に集合と言う事で」
「ああ、頼む。父上を驚かしてやろう」
クランツは翼を羽ばたかせ、教会の天窓から飛び去って行った。跡にはジェイソンとアランが残った。
「ジェイソン殿、クランツ様は魔天使になったのですか?あの、青い翼は……」
ジェイソンは腰に手を当て、大きなため息を吐く。
「いいや……あれは自分で翼を青く染めただけだよ。あの甘えん坊に魔天使になる根性はない。自分は天使の名門だからな。いつでも天使の姿に戻れるように……。それに魔天使になったら父親に殺されるだろうよ。しかも染るのに使ったのは人間のヘア・カラーだ。滑稽だろ」
「そうですね。何も考えていないと言うか、それとも人間の優秀さを褒めるべきか」
二人揃って大きなため息をつく。
「人間を下等な生き物とみて侮るのは危険だ。万全の準備で対決しないと身を滅ぼすぞ。サーベリオンの様な古い考えは通用しない。その証拠にあの家は没落の階段を転げ落ちている」
ジェイソンは思う。エレーヌ・レイセオンが人間に肩入れするのは、人間の優秀さを認めているからだ。だか、最後には此方に振り向けさせてやると自分の心に誓う。
「我ら、魔天使が世界を握れる?」
「魔天使は天使と悪魔のイイとこ取りだ。負けはしない。まずは古い体制には滅んで貰おう」
そう、特権階級の天使は汚れ仕事を魔天使へ押しつける。悪魔との仲介をさせる。そんな隷属的な扱いはもう御免だ。
ジェイソンとアランは青い翼を羽ばたかせ、教会の天窓から飛び去った。
「ホワイトカレー楽しみだわ」
スーパーで買い物を済ませたオレ達三人。食材選びはオレも介入させてもらった。間違った食材を買われると、その時点でゲームオーバーになっちまう。少なくとも食材はまともな物を買わないといけないと思いオレが選んだ。カレーライスの基本的な食材。後はカレーのルーの箱に書いている【カレーの作り方】の通りにやれば、誰もが美味しいカレーライスが出来る。
隣りではクララさんがスマホでカレーの作り方を調べている。ふと、思った。もしかして……。
「エレーヌさんとクララさんはカレーライス作ったことないの?」
「ええ、ないわ」
「そうですわ。ありませんわ」
不安が増大する回答だった。
「料理しないの?」
「料理?食事は特殊部隊から支給される戦闘糧食戦闘食だもの。調理済みよ」
こりゃあ……先が思いやられるな。
オレの目の前に繰り広げられる光景は、まさに戦場その物だった。オレは今、その戦場に立ち、中立な目で真実を映し出す、戦場カメラマンの気分に浸っていた。
「きゃああークララ!お鍋が噴き出しているわ!どうしよう!」
「慌てないで、エレーヌ。消火器で鎮火させなさい」
そんな事したら、キッチンがめちゃくちゃになるだろう!
「それよりもこの玉葱、微塵切りにするにはどうやってやったら良いのですか?」
「そんなのは手榴弾で木端微塵になるわよ!」
微塵の意味が違うだろ!
「肉はどの位の大きさに切ったらイイの?」
「そうね角切り肉って説明が出ていますわ。お肉の角を削り取って丸くしちゃえばイイのです」
クララさん。それはミートボールっぽい物で、ミートボールじゃないからね。
「お米ってどうやって炊くのかしら?」
「とりあえず、電子レンジへ入れちゃったら?」
オレは見るに堪えなくなった。これ以上彼女達に任せていたら、死人が出そうだ。もう、既に彼女達の着ているエプロンはドロドロに汚れている。
「二人とも、有難う。オレが作るから、リビングでテレビでも見ていてよ」
台所に立つ二人は揃ってオレを見る。ジッと見ている。彼女達のプライドを傷つけちゃったかな?
オレは二人に「ごめんなさい」と謝ろうとした時だった。
「そうね……」
「そうですわ……」
以外にも彼女達は素直にキッチンを明け渡してくれた。リビングへ行き、テレビを見始めていた。
オレはキッチンでカレーライスを作り始めた。
なんか変な感じだ。あんなに鼻息荒く、カレーを作ると言っていたけど、こんなに簡単に諦めてくれるとは。なんだかオレの心の叫びを聞いて、それに従ってくれたような感じ。言霊ってやつか?まさかね。
ホワイトカレー完成。三人で思いっきり食べた。お腹一杯胸いっぱい。
「ねえ、クララ。今日は私達が夕飯を作るんじゃなかったけ?」
「そう、そうだわね。そのつもりだったのですけど……いいえ、私達はお料理していましたわよね」
「そうよね……なんだか変な感じ」
彼女達は不明瞭な会話をしている。オレも良くわからん。なんで彼女達はオレの言った事に従って途中で料理を止めたんだろう。
深く考えてもしょうがないかな?だって料理をオレと交代してくれたから、被害を最小限に留めることが出来たのだから。
ピロピロピー♪
オレの携帯電話が鳴った。発信者は……佐原イリアだと?オレの心臓がバクバクと激しく高鳴って来た。オレは慌てて電話に出た。もしかして緊急事態か?
「貴島です」
『佐原です!先輩助けて!私の部屋に……』プッ。
電話が切れた……不良天使達の襲撃か?オレは刀掛け台に置いてある神威を掴み、左手へ納めた。
「エレーヌさん、クララさん、チョッと出掛けてくる。佐原さんがピンチみたいだ」
「元就君……ロングレンジレーダーに敵の反応は無いわ……不良魔天使の仕業かも。私も行くわ」
「いいや、エレーヌさんとクララさんは家に居て下さい。オレ一人でイイです。あのガラの悪い不良天使達ならオレ一人で十分です」
「元就君!」
「元就さん、これを持って行ってくださいな」
クララさんはポーンと黒く長い物体を投げてくれた。マグライトだった。有難い。外はもう真っ暗だ。漆黒の闇夜での戦いになるなら、必要だ。
オレは、ヘルメットを被り、佐原さんの家に向かってバイクを飛ばした。