春の風にのって
これは、企画小説「春小説」です。「春小説」で検索すると、他の先生方の作品を読むことが出来ます!
本当はみんなと別れたくなかったんだ。お母さんに守られて、ずっとみんなと一緒にいたかった。でも、いつかは行かなきゃならないんだね。
「さようなら」
ヒューッと、一陣の風が吹いてきて、ボクとみんなは大空に舞い上がった。春風に乗って飛んでいく。気持ち良い。空からのながめは最高だよ。途中まで一緒に飛んでいたボクの仲間達も、やがて散り散りに別れていった。
ボクはどこへ行くんだろう? 出来るだけ遠くがいいな。遠い場所の土の中に落ちて、綺麗な花を咲かせるんだ。そう思いながら気持ち良く飛んでいたら、突然風が止んだ。あっ、まだ嫌だ。もっと遠くへ行きたい。だけど、風が吹いてくれなきゃ、ボクは飛んでいけない。ボクは、ふわっと草むらに落ちていった。
キャンキャン! 近くで子犬の鳴き声がして、ドシンドシンと地面を蹴る音が聞こえた。ボクの直ぐ近くで、子犬がはね回り嬉しそうに吠えている。
ボクを押しつぶさないでよ! そう思った瞬間、子犬が地面に寝ころび、ボクの上にのっかかった。わぁー苦しい! 潰されるかと思ったけど、子犬は直ぐに立ち上がり、また駆けていく。ボクも一緒に子犬と跳ねる。ボクは子犬の背中にくっついたみたいだ。
やがて、飼い主が子犬を呼ぶ声がして、子犬は全速力で駆けていく。ボクは振り落とされないよう必死でしがみついた。子犬は飼い主と一緒に、自動車の中に乗った。大きなエンジンの音がして、自動車が発車する。空を飛んでるみたいに速いスピードだ。はしゃぎ疲れた子犬は、シートの上で眠りだした。ボクも子犬の毛の中で一休み。
気付いた時、ボクはまた子犬の背に揺られていた。さっきみたいに、子犬ははしゃいでいるけど、今度は別の場所みたいだ。石ころがゴロゴロしていて、近くでせせらぎの音が聞こえる。子犬は不安定な石の上を跳ねるから、バランスを崩して転んだ。
あっ! ボクは子犬の背から落っこちて、小石の上に降り立った。子犬は飼い主に名前を呼ばれ、急いで走っていった。ここには土がない。ここにいたってボクは花を咲かせられないよ。
風吹いてくれないかなぁ……。ボクが石の上で風を待っていると、どこかから声が聞こえてきた。
「君はタンポポの種だね。そんなとこにいたって花は咲かないよ」
声のする方をたどっていくと、土手の石垣の隙間に一輪の小さなタンポポが咲いていた。石垣と石垣の隙間から黄色い花を覗かせている。とても窮屈そうだ。
「ボクはまた飛んでいくんだよ。君はなんでそんな所に咲いちゃったの?」
「ちょうど、石垣の隙間に種が入り込んだのさ。確かにここは狭いけどね、ここなら人に踏まれることはないよ」
「そうかもね。でも、ボクはもっと遠くへ行きたいんだ」
ボクはじっと風を待つ。やがて、川辺に風が吹いてきて、ボクの体を持ち上げてくれた。ボクはまた、ふわふわっと空に舞う。けれど、今度の風は弱くて、すぐに止んでしまった。
あっという間にボクは下降し、川の中へ落ちていく。ああ! ボクは泳げないんだよ。川の上では花は咲かせられない。ボクは川に落ちた。ふわふわの毛のお陰で沈まなかったけれど、ボクは川の流れにどんどん流されていく。どこまで行くんだろう? ボクが不安になってきた時、水面をピチャッと叩く音がした。ボクの目の前に大きな口が現れる。鯉だ。口をパクパクさせ、ボクについて泳いでくる。
「なんだ、餌かと思ったら、タンポポの種か」
鯉はボクが食べられないから、残念そうだ。
「ねえ、この川をずっと行ったら、どこに行くの?」
「何だって? 川の先は海に決まってるさ。ボクは海じゃ生きられないから、海には行かないけどね」
鯉はまたピチャッと水面を跳ねた。
「タンポポの君は、水の中じゃ生きられないだろ? もちろん、海の中でもね」
「そうだよ。ボクは土がなきゃ生きられない」
「そりゃかわいそうに」
鯉はそう言って、水中にもぐろうとする。このまま流されるのは嫌だ。
「ねぇ、待って。鯉さん、君のその大きなしっぽで、ボクを飛ばしてくれない? そしたら、ボクは水の外に出られると思う」
「やれやれ、世話のかかる坊やだね」
鯉は顔を出し、口をパクパクさせて言う。
「お願いだよ。ボクは、綺麗な花を咲かせたいんだ」
「しょうがないね」
鯉は水面を大きく跳ねると、しっぽでボクの体を思い切り叩いた。鯉のしっぽは痛かったけど、ボクは飛ばされて、川から脱出する事が出来た。大きく弾んで、ちょうど吹いてきた風に乗る。風は強く吹いてきて、空へ空へと舞い上がる。
鯉のいた川が、下の方に小さく見える。ボクは鳥になったみたいに、ぐんぐんスピードをあげて、大空を飛んでいた。道路、家、ずっと向こうには、大きな海も見えた。春の日差しに照らされて、青い海はキラキラと光っている。
海は綺麗だけど、ボクは海には行きたくないよ。ボクは土の上に着陸したいんだ。
どこまで飛んだんだろう? 強く吹いていた風がようやくおさまってきた。それと同時に、ボクの体も下降していく。ふわりふわり、ゆっくりと地上に向かって舞い降りる。ボクはどこに行くのかな?
人の住んでる家が見える。小さな赤い屋根の家。広い庭があればいいんだけどな。その家には庭がないみたい。コンクリートの上じゃボクは咲けないよ。あの、石垣のタンポポみたいに、ボクも隙間で咲くのかな……。
ふわりふわり、ボクが考えている間に、ボクの体は地上に到着した。そこは柔らかな土の上。あまり広くはないみたいだけれど、なんだかとても温かくて気持ちがいい。ここはどこだろう? ボクの体は土の中に沈み込んだ。ここがどこか分からないけれど、どうやらここがボクの住む場所みたいだ。
土の中に体を沈めたボクは、次第に眠くなってきた。心地良い土の布団にくるまれて、ボクは体を休める。今度目覚めた時には、ボクは綺麗なタンポポの花になっているだろうか? ボクの意識は次第に薄れていった。
「ママ、ママ」
小さな女の子が、プランターの中を覗いている。
「どうしたの?」
女の子のママが、女の子の隣りにしゃがむ。
「見て、まだ種を蒔いてないのに、プランターに芽が出たの」
プランターの中には、一つだけ小さな緑の芽が出ていた。
「本当ね。どこかから、種が飛んできたのかもしれないわ」
「何のお花かな?」
女の子は、小さな芽をじっと見つめて微笑んだ。
「わたしが大切に育ててあげるね」 了
久しぶりに企画小説に参加させていただきました! ちょっと前に投稿した「日だまり」と同じく、春の光景を描いてみました。タンポポの旅の様子が伝わればと思います。