鎌倉時代の武士にふわふわの布団をプレゼントしてみた
事務机に向かいながら、一日中あくびばっかりしていたら、技術課の山本さんに後ろからヒソヒソと声をかけられた。
「田の浦さん、もしかして暖房きつい? 朝からずっとあくび止まらないみたいだけど」
「あっ。バレてるよね? じつは寝不足で……」
照れ笑いで誤魔化そうとするあたしに、山本さんは優しく注意してくれる。
「課長が気づいてるみたいでチラチラ見てるよ? 俺、眠気覚ましのタブレット持ってるけど、いる?」
「ありがとう」
ありがたく5粒ほどいただいた。
できれば弁解したかった。
山本さんの目に『昨夜遊びすぎたんじゃないの?』みたいな疑惑が浮かんでたけど、そうじゃないんだって。
でも、ほんとうのことを話しても、きっと信じてはもらえなかった。
「ただいまー」
アパートの玄関の扉を閉めると、あたしはそう言った。
でも、もちろん誰もいない。あたしは一人暮らしのOLなのだから。
ペットも飼ってないし、人間ももちろん、いない。
「お帰りなされたか」
でも幽霊は、いる。
奥の部屋からいつも通り、甲冑を身に着けたおじさんがあたしを出迎えた。
「まだいたんだ、景時?」
うんざりしながら、あたしは言った。
「そろそろ成仏してくんないかなー……。あんたのせいで毎日寝不足なんだから」
彼の名前は菊池景時、享年三十八歳。鎌倉時代の武士の幽霊なんだそうだ。
地縛霊だったらどうしようもないんだけど、彼は浮遊霊らしいから、さっさと出て行ってくれればいいものを──
「田の浦殿の住居は居心地がよすぎて、つい居座ってしまうでござる。面目ない」
「令和の住居なんてどこも似たようなもんだよ? いつも言ってるけど。むしろあたしは貧乏なほうなんだから」
「いやいや。なかなかないでござるよ、田の浦殿の住居にあるほどのふわふわな布団は」
いつものように景時が歌を詠んだ。
「垂乳根の 田の浦殿の 白布団 手を振る母を 夢に見るなり」
「だから他所へ行けばもっとふわふわな布団ぐらい、あるって。今はそういう時代なんだから」
あたしがそう言っても、景時は歌の通り、夢見るような笑顔で笑っていた。
いつものように、コンビニ弁当を食べるあたしの横で、部屋の隅に正座して、景時がじっと見てる。
最初は怖がって嫌がって邪魔がってたけど、もう慣れた。言葉が通じるからには人間と同じようなものだ。むしろ危害を加えてこないとわかったら、人間よりも怖くなくなった。
「さぁ……そろそろ寝ないと……。明日も仕事だ」
そう言ってあたしがベッドに向かうと、景時も後ろからついて来る。
布団に入ると、彼も隣に入って来て、あたしの胸に顔を埋める。
魂だけの存在だからか知らないけど、景時に体温はない。冷たいわけでもなく、空気みたいなものだ。
でも、景時にはあたしの体温も肌触りも、そしてふわふわ布団のやわらかさも暖かさも感じられるらしく、いつもこう言う。
「あぁ……。なんという気持ちの良さでござろうか……。母上を思い出す心地にござる」
あたしは正直嫌なんだけど、なんだか景時のことが可哀想に思えてしまって、布団から追い出すことはしない。
彼の着ている鎧も、かぶっている兜も、空気みたいで当たってはこない。目を閉じればなんてことはない。
鎌倉時代には現代にあるようなふわふわの布団はなかったんだそうだ。
板の床に藁を敷いて、綿を詰めたペラッペラの着物みたいなのを布団にして、寒さに耐えていたそうだ。
「母上、母上……」
うっとりと呟く彼が、かわいく思える。
でも、直接触れられないとはいえ、甲冑に身を包んだ武士は、やっぱり寝るのに邪魔なんだよね。お陰であたしは寝不足だ。
「ねぇ、景時」
聞いてみた。
「この、現代のふわふわ布団をプレゼントしたら、成仏してくれるかな?」
「田の浦殿……」
景時が目に涙を浮かべて、あたしを見上げた。
「田の浦殿はそんなに拙者が邪魔なのでござるか」
「邪魔ってわけじゃ……ないけど──」
きつい言葉にならないよう、気をつけて言った。
「あたしたち、生者と幽霊じゃん? 生者があまり幽霊に情けをかけるとほら、霊障があるっていうし──」
「そのような、恩義を仇で返すようなことは断じて致しませぬ」
景時の目に、誠実な色が浮かぶ。
「この恩義には必ず報いましょうぞ。受けた恩には必ず報いるのが武士というものでござる」
「うーん……」
その夜も結局、寝不足になった。
兜のてっぺんの尖ったとこがいちいち鼻をくすぐるような気がして、何より景時が胸に埋めた顔を赤ちゃんみたいに動かすので、いちいち目が覚めてしまうのだ。
明日は会社の忘年会だぞ?
お酒を飲んだら熟睡してしまいそう……。
熟睡した。
心配してた通り、あたしは忘年会場の畳の上で、日本酒に酔ってぐーぐー眠ってしまった。
気づいたら山本さんの肩を借りて、アパートの階段をのろのろと昇っているところだった。
「あ。目が覚めた?」
山本さんが優しい笑顔で覗き込んできた。
「大変だったよ? 田の浦さん、へべれけになっちゃって……。俺が送るって言ったら、『部屋に鎌倉時代の武士がいる』とか言い出して……」
「す、すみません」
あたしは一気に酔いが醒めて、あたしの部屋の前でぺこぺこ謝った。
「ご迷惑をおかけして……。でも、本当に部屋にいるんです、鎌倉時代の武士が」
「ふぅん?」
山本さんの目が、意地悪にきらーんと光った。
「見たいな、会ってみないな、その武士に。部屋、上がってもいい? 送ったんだからお茶でも飲ませてよ」
断りきれず、あたしは山本さんを部屋に入れることになった。
「お帰りなされたか」
景時がいつものように、奥の部屋から姿を覗かせて、びっくりしたようにすぐ引っ込んだ。
「武士はどこ? どこにいるのかな?」
山本さんはあたしの嘘を笑うみたいに、少し小馬鹿にするような声で、そう言った。
奥の部屋に入ると、景時がこたつに向かって正座してるのを、まったく話題にもしないで山本さんがあたしに迫ってきた。
「田の浦さん、前から好きだったんだ!」
押し倒された。
景時のちょうど膝の上にあたしの頭が乗っかった。
でもあたしの頭は景時の膝をすり抜けて、こたつ布団の上にどすんと音を立てた。
「や、やめてください!」
あたしは抵抗した。
「送り狼になるつもりですか!」
「本気なんだ!」
山本さんの力が怖かった。
「今夜、キミを俺のものにする!」
あたしは叫んだ。
「景時! 助けて!」
頭の上で、鎧兜の武士がすうっと立ち上がるのが見えた。
そのまま歩いて離れていくと、あたしのスティッチのぬいぐるみを持って、戻ってきた。
ぽん! と、そのぬいぐるみで山本さんの頭を叩く。
「……わっ!?」
山本さんが恐怖の声をあげ、後ずさった。
「な……、なんだ、これーーっ!?」
どうやら山本さんには景時が見えず、スティッチのぬいぐるみが宙に浮いているようにしか見えないようだ。
鋭いキバを見せて、怒ったような目をして襲いかかってくるスティッチに、山本さんは逃げ出した。
玄関の鍵を閉めると、ほっと息を吐き、あたしは景時を振り返った。
「……ありがと、景時」
「あれでよかったのでござるか?」
「うん。べつにあのひと、好きでもなんでもないし」
「ならばこの刀で一刀両断にしてやればよかったでござるな」
「それはだめ。令和ではだめなの」
助けてもらったこともあって、それからあたしは景時と生活することに何も言わなくなった。
あたしがいない昼間、退屈しないようにとTVの点け方も教えてあげた。
夜は相変わらず眠れないけど、会社の仮眠室で昼休憩中に寝ることにした。
ある晩、こたつで向き合って、みかんを食べながら二人でTVを観ていると──
「ところで田の浦よし子殿──」
かしこまって景時が言い出した。
「あの日の夜に申されたことについてでござるが──」
「あの日の夜? いつ? あたし、なんか言ったっけ?」
「ふわふわの布団を贈り物としてくださるなら、拙者は成仏できるのかどうかという話でござった」
「あぁ……」
あたしは思い出して、うなずいた。
「あの時はああ言ったけど、べつに景時、ここにいていいよ? なんかすっかり慣れちゃったし──」
「欲しいのでござる。ふわふわの布団があれば、拙者は成仏できる──というか、鎌倉の世に再び生きて戻れると、てれびで霊能力者が教えてくれ申した」
「そんなの信じちゃダメ」
「何より、田の浦殿……。田の浦殿が申されていたように、霊障が怖いのでござる」
「べつに今のところ、そんなのないじゃん?」
「眠れていないでござろう?」
「あっ……」
景時がいることに慣れきってからも、やはりあたしは眠れていなかった。
霊障だなんて思ってなかったけど、ここまで長引くと──確かに──
「わかった」
あたしは食べてたみかんをお皿に置くと、無理して笑って、うなずいた。
「お別れは寂しいけど……お互いのためだよね。景時も成仏できたほうがいいに決まってるし──よし、ふわふわの布団をプレゼントするよ」
安売り布団店で二千円で買ったものだったけど、こんな布団、鎌倉時代にはなかったものだろう。
できれば高級羽毛布団でも持って行かせてあげたかったけど、ポリエステル100%のこれでもじゅうぶん神寝具のはずだ。地味な模様もかえって時代に合うことだろう。
布団をパタパタして、畳んで袋に詰めて差し出すと、しかし景時は首を横に振った。
「拙者の申すふわふわ布団とは、それのことではござらん」
「えっ?」
あたしの胸を、熱烈に見つめると、景時は言った。
「田の浦よし子殿こそが、拙者の申す『ふわふわ布団』なのでござる。嗚呼、その餅のごとく白く、柔らかい肌……。母に抱かれた幼い日の心地を思い出させてくれるでござる」
つまり──
どういうこと?
あたしをあげたら、景時は成仏できるってこと?
「共に鎌倉の世へ旅立ってはもらえぬであろうか」
景時の視線がさらに熱烈になった。
「拙者と一緒に! 鎌倉の世へ!」
鎌倉時代といえば、逃げ上手の若様で有名なあの漫画の舞台だ。
暴力、裏切り、謀で満ちていた血生臭い時代という印象がある。
景時だけを見る限り、大型犬みたいでかわいい印象はあるけれど──
このまま令和にいたって、物価は上がる一方だし、戦争は起こりそうだし、なんか鎌倉時代へ行ったほうが楽しそうな気はするけれど──
あたしはぷるぷると首を横に振った。
「行けないよ、景時。あたしはこの時代の人間だもの」
「……そうでござろうな」
しょんぼりとなりながら、景時は言ってくれた。
「確かにこの時代は便利なものがたくさんござる。流行り病の心配も少なく、人の寿命も長い。それを捨ててまで鎌倉の世へ移る理由が田の浦殿にはござらん」
「そうじゃないの」
あたしは微笑んで、言った。
「景時のことは好きよ。だから、きっと鎌倉時代のことも好きになる。……でも」
「でも?」
「あたしは令和の人間なの」
そう言って、誤魔化した。
景時の言う『鎌倉時代に再び生きて戻れる』が本当だとはとても信じられなかった。
それがガセなのだとしたら、今、あたしは『この時代で生きるか』それとも『景時と同じ死者になるか』の選択を求められているのだ。
あたしは生きることを選んだ。
次の朝は特別冷え込んだ。
あたしはアパートの下までついて行って、景時を見送った。
寒いのに空はよく晴れてて、いつかネットで見たバヌアツの空みたいに真っ青だった。
鎧兜に身を固めてるのに、階段を下りる足音すら立てず、地上に立つと、景時はその空を仰いだ。
そしてあたしのほうへ視線を向けると、言った。
「それでは田の浦殿、名残惜しいでござるが……これにてさらば」
袋に詰めた布団を背負った武士の姿がなんだかユーモラスだった。
再び空を仰ぐと、景時の目から、水が流れて落ちた。
「田の浦殿と……一緒に行きたかった」
あたしは心の中で『ごめんね』と謝った。
「この布団を、田の浦殿だと思って、無念を収めるでござる」
心の中で、あたしは感謝の言葉を呟いた。
『連れて行かなくてくれて──自分を抑えてくれて、ありがとう』と。
「とう!」
景時は両手を掲げると、飛んでいった。
太陽の光でその姿が見えなくなるまで、あたしは見送った。
ほんとうに鎌倉時代に戻ったのか、それとも天国に行ったのか、それはわからない。
でも、藁を敷いた上に寝るのだとしても、あのふわふわの掛け布団があれば大丈夫だ。
きっと安らかに眠れるよ──それだけ信じた。




