5 コンビニ
「こんな遅くで、本当にいいんでしょうか」
レンタカーの助手席に乗った朝葵は、涼しい顔で運転している桐人に尋ねた。
もう、時間は17時を過ぎていた。8月の初めなのでまだまだ日は高いが、八緒の家に着くころには、薄暮が迫ってくる時間帯になるだろう。
「構わない。できるだけ、日暮れ前ぎりぎりに着きたいんだ」
「はあ」
桐人の不思議な行動は、まだあった。
待ち合わせをしたコンビニで、桐人は買い物をすると言った。飲み物程度の話かと思ったが、それだけではなく、桐人は今日の夕食と明日の朝食ぶんの食事も買うようにと朝葵に指示した。
ペットボトルやおにぎりをカゴに入れつつ、朝葵は桐人に尋ねた。
「食事は持参ということなんですね」
ちょっと、とがった言い方になっていたかもしれない。あれだけ執拗に誘ってきた八緒が、食事はセルフサービスだというのが、朝葵はなんだか腑に落ちなかった。
しかし、桐人は首を横に振った。
「そうじゃない」
「へ?」
「おそらく家に行けば、先輩は食べ物や飲み物を出す。ぜひにと勧められるかもしれない。だけど、出されたものには絶対に口をつけたらだめだ。俺たちが持ってきたものだけにするんだ」
妙な指示だったが、桐人の目はいたって真剣で、その迫力に朝葵はこくこくと頷いた。
「は、はい」
「だから、明日の朝まで困らないように、余裕を持って買っていこう」
桐人は飲み物の棚の方に向くと、自分のカゴに、ぽいぽいと水のペットボトルを入れた。カゴを抱きかかえた朝葵は、後ろからおそるおそる桐人に聞いた。
「……あの、もしかして、毒を入れられるとかですか……?」
朝葵の頭の中に、叶の顔がよぎった。叶には大丈夫と言ったものの、毒を盛られるのであれば話が違う。
桐人は振り向くと、朝葵の怯えた顔に驚いたのか、大きく目を開いた。。
「あ、いや、そういうことじゃない……。すまない、言葉が足りなかった」
桐人は眉を下げ、謝った。朝葵は慌てて言った。
「いえ、あの、そうじゃなかったらいいんです。どうしてかなって思ったものですから」
「ええと……、車の中で説明するよ。とりあえず、先に買い物をすませようか」
「あ、私、これで大丈夫です」
桐人は朝葵からカゴを預かると、一緒に会計をすませた。支払いは例の封筒の金を使うとのことだった。
買った物を載せ、朝葵が助手席に乗ると、運転席の桐人がエンジンをかけた。
桐人の借りてきた車は、動きやすそうなコンパクトなSUVだった。桐人は慣れた手つきでギアを動かし、車を出発させた。
住宅街を抜けて高速に入ると、桐人が口を開いた。
「……食事のことだけど」
「はい」
「ある人からのアドバイスなんだ。一応、用心しておいたほうがいいと言われて」
「アドバイス……。先輩、どなたかに相談されたんですか」
「ああ、越名さんの実家がある地域は、ちょっと特殊で……。そこに詳しい人がいるんだ。その人に色々聞いてきた」
「特殊……というと?」
桐人はちらりと朝葵の方を見ると、言葉を続けるのを少し躊躇った。しかし、じっと見つめる朝葵の視線に負けたように、話を続けた。
「狐憑きとか、犬神憑きという言葉を聞いたことはあるか?」
「狐憑きなら……。えっと、キツネが人に取り憑くっていうやつですよね?」
『狐憑き』は憑依現象の一つで、その人に見られる異常行動をキツネが憑いたためだと解釈するものだ。しかし、『犬神憑き』は聞いたことはない。そもそも『犬神』がなんなのか、朝葵はよく知らない。
「それもある。でも、俺が言っているのは、ただ単に動物に取り憑かれるといったものじゃなくて、『憑きもの筋』のほうだ」
「つきものすじ……?」
「知らないか」
「すみません」
朝葵は肩をすくめて謝ったが、桐人は小さく首を横に振った。
「いや、大丈夫だ。聞いたことがなくていいんだ」
「?」
朝葵の疑問をよそに、桐人は説明を続けた。山の方へと向かう高速道路は一車線しかなく、窓の外には、青い稲穂がみずみずしい、のどかな田園風景がゆるゆると流れていく。
「この場合の『筋』は家系のことだ。つまり、『憑きもの筋』というのは、憑きものが憑いている家系、ということになる」
「憑きものというと、さっきおっしゃってた、キツネや犬……神? とかですか」
「他にもあるが、そのあたりが多い。『憑きもの筋』の家系の人々は、そういった『憑きもの』を使役すると言われているんだ」
「へえ、使役するというと、動物使いみたいなものなんですか。サーカスみたいな」
それなら、なんだか格好いいようにも思え、朝葵はのんきに言ったのだが、桐人は返事までに少し間をあけた。
「……『憑きもの』だからな。使うのは実際の動物じゃない。その霊だ」
「えっ……、あ、そういえば、そうかあ……。だから『憑きもの』なんですね」
「ああ」
「でもその『憑きもの筋』が、越名先輩の家での食事のことと、どう関係するんでしょうか?」
「ん……。そこは、あんまり誤解しないで聞いてほしいんだが……」
そこで、桐人はまた言葉に詰まった。さっきよりも長い沈黙のあと、桐人は言った。
「……越名さんの実家は、その『憑きもの筋』と言われている家なんだ」
「え……」
「地図を見たときに集落があっただろ。あの集落では有名な話らしい」
(それって……)
そんな噂だけで、その家の食べ物を避けるというのはやりすぎではないだろうか。むかむかとして、朝葵の口調はちょっと強くなった。
「でも、だからって、おうちで変な食事を出されるわけじゃないですよね? だいたい、そんな『憑きもの筋』なんて、迷信じゃないんですか」
「もちろんだ」
「え」
桐人の方に身を乗り出しかけた朝葵は、桐人にあっさり肯定され、またすとんと席に座り直した。肩透かしを食わされたような気分だった。
「でも、それじゃ、なんで……」
「『憑きもの筋』の由来は色々とあるが、金持ちの家に対する嫉妬、というのが有名な説のひとつだ」
「はあ」
八緒から渡された封筒の5万円が、朝葵の頭に浮かんだ。八緒の家も財産家には違いないのだろう。
「それであれば、『憑きもの筋』の家が、まわりからの攻撃を受けやすかったのはわかるだろう。忌み嫌われて、結婚相手として避けられたり、性格が悪いなどと言われたり……」
「ひどい……」
「その通りだ。根拠のない、いわゆる差別だな。俺だって、そんなものに加担する気はない」
「だったら、なおのこと……、こんなことしちゃいけないんじゃないですか」
「……ただ、相手が腹に一物ある場合は別だ」
「え?」
ハンドルを握る桐人の手に、ぐっと力が入った。
「君、越名さんに誘われてから今日まで、なにか妙な視線を感じなかったか」
「……!」
「少なくとも、俺は感じた。ゼミで直接顔を合わせるときだけじゃない。家でもどこでも、常に見張られているみたいだった」
(久万先輩も……)
同じだ。桐人も、朝葵と同じ感覚を抱いていたのだ。
「越名さんは、君とよく顔を合わせると言っていた。……4年でゼミ生の彼女と、2年生の君とは、まったく行動範囲が違うのに」
その通りだった。最近になって、いやに八緒と顔を合わせることが多くなっていた。まるで先回りしているかのように、朝葵の前に八緒があらわれるのだ。
「あの日も、越名さんは君のスケジュールを把握していただろう」
渡り廊下で桐人と言い合っているとき、確かに八緒は言った。
――それに、次は空き時間のはずよ。
朝葵はぞっとした。
「でも……、どうやって……」
「『憑きもの』には狐や犬神……つまり犬などがいるといわれているんだが、さっき言ったように霊的な存在だ。つまり、動物としてのキツネやイヌとは異なる。」
「はい」
「『憑きもの』が、リアルな動物の特徴を備えている必要はない。すばしこく、時に狡猾なほど頭がよくて、人間の命令を理解できるものであればいい」
「……はい」
「もし、そういったモノを使役できる人間がいたとしたら、どうだ。色々なところに潜り込んで、人の行動を監視することなんて、簡単にできると思わないか」
「…………」
朝葵は何を言っていいかわからず、黙り込んでしまった。桐人の言っていることを否定したい気持ちはあるのだが、自分の感覚は、その考えを受け入れてしまっていた。
何も言わない朝葵を気遣うように、桐人は声のトーンを優しく落とした。
「憑きもののことは信じなくてもいい。ただ、もし君も視線を感じているのなら、できれば、この一晩だけは用心したほうがいいんじゃないか」
「……はい」
朝葵は、膝においた手をぎゅっと握りしめた。
「……越名先輩は、私をどうするつもりなんでしょう」
「……さあ。何か考えはあるんだろうが……」
「ただ仲良くなるだけなら、大学でもできますよね? わざわざ実家に呼ぶって……」
「まあ、そうだ」
桐人は、歯切れの悪い返事をした。
「……久万先輩、言い方は悪いんですけど、私に何か隠してないですか……?」
「…………」
「食事のこととか、実はまだ納得いってないです。でも、避けろっていうからには、たぶん何か根拠があるんですよね? 違いますか?」
「…………」
「あのとき、私を助けてくれようとしたのも、なにか理由があったんですよね……?」
朝葵は、渡り廊下での桐人の行動を、何度か思い返して考えてみることがあった。いくら桐人は根が親切だといっても、普通は女性同士の会話に、あそこまで割って入らないだろう。今回のやりとりで桐人のことを知れば知るほど、朝葵にとっては妙に思えた。
朝葵はじっと桐人の横顔を見つめた。桐人は眉をひそめて、少し口をとがらせると、その顔のままで止まってしまった。
(あ、もしかして……)
このまま、前のように桐人が動かなくなってしまったら、車はどうなるのだろうと朝葵は焦ったが、桐人の視線は動いていたし、その手は、ハンドルをまわりの状況に合わせて動かし続けていた。
(自動運転モード?)
最低限の運転操作を行いながら、そのほかのスペックは、すべて思考することに振ってしまっているのだろう。朝葵は邪魔しないように、大人しく待つことにした。
パーキングエリアやサービスエリアをいくつか行き過ぎたころ、やっと桐人が口を開いた。
「……越名さんの近くにいた人が……」
桐人は、絞り出すような声で言った。高速を降りる出口に向かうために、車が左へと揺れた。
「去年に一人、消えたんだ」
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