4 食堂
前期試験を終えた昼休み、朝葵と叶は、大学の食堂で一緒に昼食をとっていた。朝葵と桐人がテラスで話をしてから、2週間ほどが経っていた。
朝葵たちの大学は複数の学部を有し、学生の総数は1万人を超える。キャンパス自体も広く、食堂もまた、一度に大人数が利用できるようにかなり広く作られていた。
試験を終えた学生たちのうちには、長居は無用とばかりにさっさと帰宅した者も多いのだろう。食堂には人がまばらで、朝葵と叶が並んで座ったテーブルには、他に誰もいなかった。
朝葵は、自前の弁当をつつきながら叶に尋ねた。
「今日のデザートは何パン?」
「クリームあんパン」
パン好きの叶は、焼きそばパンとカツサンドを交互にちぎりながら、次々と口に運んでいた。一口は小さいし、ちゃんと噛んでいるようには見えるのだが、手元のパンは吸い込まれるようになくなっていく。細身なのに食欲旺盛な叶は、毎日昼食に3つはパンを用意していた。
叶は2つのパンを食べ終わると、クリームあんパンの袋に手をかけつつ、朝葵の方を向いて言った。
「しかし、朝葵が男の人と旅行に行くなんてねえ」
「ちょっと」
叶のあけすけな物言いに、朝葵は思わず箸を取り落としそうになった。朝葵は、慌てて周囲を見回して桐人がいないことを確認すると、にやにやと面白がっている顔をした叶をじろりと睨んだ。
「旅行じゃないって。一緒に、越名先輩の家に泊まりに行くだけだって」
「男の人と一緒のお泊まりには変わりないでしょうが。おまけに、行き帰りは2人きりのドライブになるんでしょ」
「う……」
それは、叶の言うとおりなのだった。朝葵は交友関係は広いものの、男性と付き合ったことがない。今の状況をいったん意識してしまうと、とんでもなく恥ずかしくなってしまうので、朝葵はできるだけ考えないようにしていた。
「もう……、そんなこと言わないで。叶ってば、なんであの日に限って休んだのよう。あの場にいたら、絶対叶も誘われてたのに……」
「無理無理。それに私、夏休みはスイスに行くし」
「うう……、お嬢様め……」
朝葵が頭を抱えると、いつの間にかパンを完食した叶が、ぽんぽんと肩を叩いた。
「でも正直同情するわ。見学のときくらいの話だったら、気にしすぎだって思ったけど、今回のお誘いは私だって、さすがに強引すぎて引くわ」
「でしょ? もう~……、私、なんで断れなかったんだろ」
「まあ、その『久万先輩』がいてくれてよかったじゃない。変な人ではなさそうなんでしょ?」
「うん……。それは、大丈夫だと思う。むしろ色々やってもらってて、申し訳なくて」
今はレンタカーの手配から、八緒との連絡まで、なにもかも桐人に任せてしまっている。桐人からは、さっきも、日程は2人で決めたとおりで大丈夫だと連絡が来た。桐人の文面はシンプルで、下心などは全く感じない。それが余計に、巻き込んでしまったという朝葵の罪悪感を募らせる。
「私も久万先輩をちらっと見たけど、チャラいとは真逆の位置にいる感じだったわね。絶対ナンパなんかしたことないでしょ」
「こら」
「馬鹿にしてるわけじゃないよ。あれは人嫌いっていうよりも、人見知りっていう感じかな。まあ、朝葵からの話を聞いてるから、そう思うだけかもしれないけど」
「そうだね……。少なくとも人嫌いではないと思うな」
朝葵と話した感じでは、桐人は喋るのが苦手というわけでもなさそうだった。親切さゆえに、今回のように厄介事に巻き込まれてしまうから、桐人はあえてあまり人と関わらないようにしているのかもしれない。
「どう考えても、越名先輩の方が怖いもんね」
「うん……」
「ずうずうしいかもしれないけど、ここまで来たら、その久万先輩を通して実家行きを断ってもらうわけにはいかないの?」
「いや、断る話はもうしたの。私も、久万先輩を巻き込んじゃったから、やっぱりちゃんと断らなきゃと思って。私から越名先輩に言ってきますって、久万先輩に伝えたんだけど……」
桐人からは、少し妙な返事が届いた。
《君も俺も、いったんあの人に約束してしまったから、形だけでも訪問はしておいたほうがいい》
「形だけでも? なんだろう、久万先輩って、すごく義理堅いの?」
「どうなんだろう。でも、なんて言われようと、ちゃんと断った上で行かないんだったら、それでいいのかなって思ったんだけど……。でも、今回はそれはよくないって」
《契約、みたいなものだから。破ればまずいことになると思う》
「越名先輩が行かないのを承知してくれたらいいけど、たぶん無理だろうって」
「へえ、越名先輩って、すごくやばい人なのかしら」
「そうなのかも……。そしたら、変にこじらせたら、久万先輩にも悪いし……」
「ふうん……、じゃあ、しょうがないのかな」
叶は解せないといった様子だったが、それ以上は追及しなかった。
朝葵自身も、桐人の説明ですんなり納得したわけではない。ただ、なんとなく桐人の言葉に従った方がいいのではないか、と思う理由はあった。
渡り廊下の一件から、朝葵は何度か八緒と出くわすことがあった。桐人から話が行って安心しているのか、八緒は「楽しみにしているわね」と微笑むだけで、先日のようにしつこく絡んでくることはなかった。
ただ、視線を感じた。
学校の中だけではない。八緒がいないはずのアルバイト先でも、帰宅した下宿の中でも、気がつけば誰かに見られているような気がした。その気配はささやかなものではあるのだが、絶えず朝葵につきまとっていた。
実のところ、叶と話している今もなお、こちらを見ている何者かの視線を感じるのだ。
――八緒が、自分を監視している?
根拠はなかったが、朝葵の頭からは、この考えが離れなかった。
(うう……、負けるもんか)
正直言って、このことを考え始めると食欲が失せてしまう。朝葵は、止まっていた箸を握りしめた。
「朝葵、ごはんはもういいの?」
「ううん、全部食べる」
朝葵は首を振ると、箸をせっせと動かし、弁当の残りを口に運びはじめた。その様子を「それでこそ朝葵よ」と叶は満足そうに見ていたが、ふと、何かを思い出したようだった。
「そうそう。私も越名先輩のこと、みんなに聞いてみたんだよね」
「むん」
「……無理に返事しないでいいよ。あの人、美人で目立つから人は寄ってくるけど、普段はあんまり誰も相手にしないらしいの」
ゼミ見学の日に、先輩たちも同じことを言っていた。朝葵が頷くと、叶は話を続けた。
「でも前に、仲のいい人はいたんだって。うちの学部の1つ上の先輩で、女の人」
「むー」
「ショートカットで可愛らしい感じの人だったって……、もしかしたら、朝葵に似てるのかもね」
「むぐむぐ」
「だから、無理しないでいいって。慌てなさんな。喉つめちゃうよ」
叶は、そこでいったん話を止め、朝葵が食べ終わるのを待つことにしたようだった。朝葵は口の中のものを全部飲みこんでしまうと、叶に続きを促した。
「ん……と、『可愛がってた後輩』って、その人のことかな。なんか、いなくなったって言われてたけど……」
「そう。その人、1年前に学校やめちゃったんだって。だから、もういないの」
「やめた?」
「夏休み明けから突然大学に来なくなって、それっきり。理由はみんな知らないって」
「夏休み明け……」
――休みに入ったら、ぜひ私の実家に遊びにいらしてほしいの
「ええと……、もしかしてその人も……、越名先輩に実家に誘われたり?」
「そこまではわかんないけど……。ちょっと気にはなるよね」
叶は否定しなかった。おそらく、朝葵と同じことを考えているのだろう。その人に何があったのかは知らないが、がんばって入った大学だ。同じ末路をたどるのは嫌だった。
「やだよう、学校、やめたくないよ」
「ま、何とか無事に帰ってきてね」
「人ごとだと思ってえ」
朝葵が弁当箱を片付けながらふくれていると、叶が身体を朝葵の方に向けた。なんだろうと朝葵が見ると、叶は手を膝に置いたかしこまった姿勢で、真面目な顔をしていた。
「どうしたの、叶」
「ほんと、無事に帰ってきてよ」
「え」
叶は、申し訳なさそうに目を伏せた。
「私だって、心配なんだよ。本音では行かない方がいいと思うけど、そういうわけにもいかないみたいだし。久万先輩のことはあんまり知らないけど、朝葵が一人で行かないですむのはよかったと思ってる」
「う、うん」
「……ごめんね、一緒に行けなくて」
叶の声は、少し震えていた。叶のスイス行きにも、叶の家の事情がある。朝葵は安心させるように、にこっと笑うと、叶の両肩に手を置いた。
「やだな、謝らないでよ。私がなんだかんだ言うから、心配させちゃってるけど。そりゃ、越名先輩のことはよく知らないけど、家に行って帰ってくるだけなんだから。もし意地悪されたとしても、取って食われるわけじゃないでしょ」
「うん……」
「なんかあったら、久万先輩にお願いして、早く帰らせてもらうよ。せっかく車も借りてくれるんだし、なんとかなるよ。ね、だから、そんなに気にしないで」
朝葵がそう言いながら肩を揺すると、叶はくしゃっと笑った。
「そうだね。……久万先輩に、うちの子をよろしくお願いしますって言っといてね」
「私は叶の子供じゃないんですけど」
「似たようなもんよ」
ナーバスになっていた叶にいつもの口調が戻り、朝葵はほっとした。
(……視線のことは、叶には言えないな)
叶の目元は、うっすらと赤くなっていた。叶はそのまま食堂の時計に目をやった。
「あ、もうこんな時間。私、そろそろ行かなきゃ」
叶は欠席したぶんの補講を受けるために、荷物をささっとまとめると、「じゃあね」と言って食堂を出た。朝葵の方はというと、アルバイトの時間まで、大学で時間をつぶす予定だった。
(どこにいようかな)
そのとき、ふっと桐人の顔が浮かんだ。朝葵は自然に、テラスの方へと足を向けた。
(そうだ。越名先輩と仲が良かったっていう、女の人のこと……)
朝葵たちより1学年上なら、3年生の桐人と同期のはずだ。桐人は何か知っているだろうか。機会があれば尋ねてみようと、朝葵は思った。
ここまでお読みいただいてありがとうございます。次のお話も、引き続き楽しんでいただければ幸いです。




