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山肌の家  作者: 梨花むす
12/12

12 日常

「え? どうしてですか?」


 朝葵は首を傾げた。「かえって危なかった」とは、どういうことだろう。


「えっと、山道が危ないってことですか?」

「いや、違うんだ。俺は、先に廊下に出ただろ。俺も外に逃げられないかと思って、窓の外を覗いたんだ」

「そうだったんですね」

「……家の下に、見張りがいるのを見た」

「えっ……」


 桐人が見たときには、石灯籠に灯りがともされ、擁壁の下の道には幾人もの人が並び、皆がこちらを見上げていたのだという。


「だ、誰なんでしょう」

「……俺は、集落の人間じゃないかと思う。家の人間なら、家の中で見張ればいいからな」

「でも、その人たちは、なんのために……?」

「昨日は、『憑きもの』に対価を捧げる儀式の日だった、と考えていい。もし、集落全体が『憑きもの』の恩恵を受けているなら、その儀式は、集落の人間にとっても重要なことだろう」

「あ……そうか」

「そのときに、『対価』が逃げ出したのを見つけたら、どうなる」


 桐人の仮説が正しければ、集落の人々は、何としてでも朝葵たちを捕まえようとするだろう。朝葵たちは若くて元気かもしれないが、数人に取り囲まれたら、とてもじゃないが逃げられる気はしない。


「俺には『憑きもの』は見えていなかったから、最悪、越名さんを相手にすればいいと思っていた。だから、動かなかっただけだ」

「そうだったんですね……」


 集落の人々は、無事に儀式が終わったと思ってくれたのだろうか。桐人の話を聞けば聞くほど、今こうしているのが奇跡のように思えた。


 朝葵は、車のデジタル時計を見た。10時28分。

 話をしている間に、日はすっかり高く上がり、夏らしい真っ青な空が広がっている。のどかな田園風景は、今日も変わりない。

 平和な景色に安心してしまったのか、朝葵の(まぶた)は重くなってきた。朝葵がとろとろと下がってくる瞼をなんとか上げようと頑張っていると、桐人が苦笑して言った。


「疲れただろう。気にせずに寝てていいぞ」

「……すみません」


(……優しい声)


 恐ろしい一夜だったが、桐人の隣はちっとも嫌じゃなくて、むしろ心地よかったと思う。それに比べ、


(八緒さん……)


 彼女のそばは、いつも落ち着かず、怖かった。

 山に隠されたように建つ、異様な屋敷。その中で一人残った八緒は、まるで『蠱毒』そのものではないか。


 ――越名さんのことも『コドクだ』って言ってたんだよね……


 ……あれは、誰の言葉だったっけ。もう何も考えたくなくて、朝葵は桐人の言葉に甘えて目を閉じた。



 ◆



 桐人とは、大学の前で別れた。朝葵は到着まで熟睡してしまい、何度も頭を下げる朝葵に、桐人はそっけなく「別にいい」と言った。顔をそむけて、笑いをこらえていた気もする。

 桐人はレンタカーを返してから、自分の家に帰って休むそうだ。朝葵は自分の下宿に戻った。


 叶に、無事に帰ってきたと連絡すると、朝葵の下宿まですぐに会いに来てくれた。叶は会うなり、すぐに朝葵に抱きつき、「よく帰ってきたねえ」と泣いて喜んでくれた。

 その日は、叶に泊まってもらうことにした。話も聞いてほしいし、人がいないと、変な夢を見てしまいそうだったからだ。


 シャワーを浴びてすっきりしたあと、ワンルームの小さなテーブルでお茶とお菓子を囲みながら、朝葵は叶に、昨日からの出来事を話した。叶は、目を丸くしながらも、朝葵の話を信じてくれた。


「語彙力なくて申し訳ないけど、やばかったわねえ」

「そうなの。でも、久万先輩がいてよかったあ」

「ほんとよ。何か、お礼しなくていいの?」

「そうなんだけど、別にいいって言われちゃって。でも、そんなわけにいかないからさ。どうしようか?」


 お菓子がいいか、お酒がいいかなどと相談しながら、朝葵はふと思い出した。


「うーん、そう言えば、ひとつだけわからなくって」

「なに?」

「私が、越名先輩に選ばれた理由」

「ああ、それね」


 朝葵は、最初からそれが気になっていた。こんなことは、今回限りにしてもらいたい。自分に原因があるなら、今後のために対策をしたいのだ。桐人には心当たりがあるようなのだが、頼んでもあまり教えてくれなかった。


「ごはんのときに、久万先輩に何回か聞いたんだけど、なんか、この話いやみたいで」

「少しは教えてもらえたの?」

「最初は、彼氏がいないからって言われて。それからしばらく固まって、キヨラカ……オトメ……とか言ってたけど、結局はうまく説明できないって」


 この話になると、桐人は逃げるように話を変えてしまった。だから叶に聞いているのだが、いたって真面目な朝葵と対照的に、叶はじとっとした目つきで朝葵を見ている。


「……あのさ」

「ん? なに?」

「まあ、朝葵って結局、生贄みたいにされかけたわけじゃない」

「うん、ぶっちゃけて言えば、そうだね」

「でさ、生贄ってさ、だいたい若い女の子って条件があるじゃない。今回もそうでしょ?」

「そうだね。でもさ、若い女の子なんて、たくさんいるよね?」

「……久万先輩、もう言ってくれてるじゃない。若い女の子のうちでも、必要なのは『清らかな乙女』なんでしょ。それで、男の手がついてないってことは……」

「……あ」


 朝葵は、自分の顔が真っ赤になるのがわかった。確かに、朝葵には()()がない。


「だから鈍いってのもあると思うけど、先輩だって、朝葵のそんなプライベート知りたくないし、指摘したくもなかったと思うわよ」

「先輩、困らせちゃった……」


 朝葵は、がっくりと肩を落とした。桐人の困った表情が、今さらながらに申し訳なくなる。叶は、「まあまあ」と、慰めるように朝葵の肩を叩いた。


「だから、身代わりの枕を布団の中に並べたんでしょ。男と一緒に布団にいるんだったら、もう、生贄の条件を満たさないんだから」

「あ、そうか……」


 ――あまり、朝葵さんに触らないで。


 憎々しげに言い捨てた、八緒の言葉が蘇った。あれは、そういう意味だったのか。桐人はあの言葉で、生贄の条件に確信を持ったのかもしれない。

 ……それはつまり、朝葵のことがわかってしまったということでもあるが。


「あんたたちが、本当に2人で布団に入っていたらやばかったわね」

「ちょっと、やめてよ」

「久万先輩が紳士でよかったって言ってるのよ」

「ほんとかなあ」


 叶はいつもの調子で朝葵をからかっていたが、お菓子を一つ口に放り込むと、首を傾げて言った。


「でもさ、生贄の朝葵がだめになっちゃったんでしょ。実際はキヨラカだとしても」

「やめていただけます」

「昨日の夜って、けっこう重要な儀式をしてたんだよね。集落の人たちが待機しているくらいだし」

「うん、まあね」

「代わりの生贄って、必要じゃなかったのかな。だってさ、()()()なんでしょ、その『憑きもの』って」

「あ……」


 ――……ぎゃっ


 ――ずる、ずずず、ずずずず……


(あれは……)


「ちょっと、朝葵、顔色悪いよ。ごめんって」


(もしかして……)


 叶の声が遠くに聞こえる。朝葵の頭の中で、昨日の全ての出来事がつながっていった。


 八緒は、朝葵を生贄として呼び寄せる。夜中になって、八緒は『憑きもの』を朝葵の部屋に呼び込んだ。しかし、探し回っても部屋にいない。

 次に、八緒と『憑きもの』は桐人の部屋を探す。そこで、布団の中に、桐人だけでなく朝葵を発見する。

 生贄を台無しにされた八緒は、怒りにまかせて、2人をめった刺しにする。……そして、そのとき八緒が、生贄の条件を満たしていたとしたら。


 ――……ぎゃっ


 『憑きもの』は、()()()()()()を連れて山に戻る……。


 ――……どこかにはいるのかもしれないが、出てこれないんだろう

 ――たぶん、来ないだろうな


 桐人は、わかっていたんだろう。ほんとうに朝葵の身代わりとなったのは、八緒だったのだ。八緒はもう、あの家から出られない。

 朝葵は、叶に身を擦り寄せた。


「叶、今日は一緒に寝てね」

「もちろん、そのつもりだけど。だって朝葵の家、布団ひとつしかないじゃない」

「お願いね」

「なあに、朝葵ったら、甘えんぼうなんだから」


 叶は朝葵に抱きついて、頭をよしよしと撫でた。叶の胸の中は温かくて、友人の優しさが身に染みた。

 朝葵は、明日の朝、同じ布団の中で笑う叶を見れば、きっと安心できる気がした。



 ◆



 夏休みが明けても、朝葵が八緒を見ることはなかった。


 桐人とは、食堂などで、時々顔を合わせることがあった。桐人は朝葵を気遣って、「元気か」などと声はかけてくれるのだが、八緒のことについては何も言わなかった。


 ただ、八緒が有名だったせいだろう。卒業を前にして姿を消した、美人の学生の行方について、色々な憶測が飛んでいた。

 大学の講師と駆け落ちしたとか、女優を目指して退学したとか、くだらない噂だけは朝葵の耳にも流れてきた。その噂が事実でないことを、朝葵は嫌というほど知っていた。


(噂って、しんどいんだな……)


 噂、うわさ、噂。時として真実もあれば、根も葉もない出まかせもある。朝葵は、もう噂というものを耳にしたくなかった。与太話に振り回されたくはないし、事実を知っていれば、余計に聞くのが苦しい。


 桐人だって、人嫌いなどではなかった。わかりやすく表に出ていないだけの、優しく親切な人だった。


 年度が変わり、朝葵は叶とともに、念願の桐人のいるゼミに入った。ゼミで顔を合わせた桐人は、驚いた顔をして、「よく来る気になったな」と言った。


「ま、君が来てくれて、教授も喜んでる。いいんじゃないか?」


 そう言って笑う桐人の顔を見て、叶は後で、「印象変わったわ」と言った。



 ◆



 朝葵は、渡り廊下の端まで来ると、足を止めて振り返った。殺風景な、ただのコンクリートの通路だ。

 ここで八緒に呼び止められたのは、たった1年前の出来事に過ぎない。灼かれそうなほど暑い日差しの中では、全てが白昼夢だったのではないかとも思える。


(でも……夢じゃない)


 あれは、他でもない自分自身が経験したことだ。その証拠に、あの出来事は、今の自分に影響を及ぼしている。

 朝葵は踵を返して渡り廊下を後にし、桐人のいるテラスへと急いだ。


 テラスに着くと、桐人と同じテーブルに叶もいた。叶は、戦利品であろうたくさんのパンを、テーブルの上にずらりと並べている。


「朝葵、遅いじゃない。パン食べる時間、もうないわよ」

「ごめんごめん、ちょっと、ぼーっとしてて」

「熱中症とかじゃないだろうな。今日は暑いから」

「先輩、朝葵に優しいわあ」

「叶、いらないこと言わなくていいの」


 朝葵がゼミに入ってから、桐人のゼミでの立場はずいぶん変わったようだ。朝葵も、朝葵から話を聞いている叶も、遠慮なく桐人に話しかけるし、桐人も嫌な顔をせずに答える。

 今では、桐人が『変わり者』と言われることはあっても、『人嫌い』と言われることはない。


「来てもらって悪いが、資料は俺の机の上にあるんだ」

「そんな気はしていました」


 朝葵がしれっと言うと、桐人はふふっと吹き出した。


「吉良のことだ。どうせ、研究室がうるさいとかで逃げてきたんだろ」

「いやまあ」


 朝葵は、小さく肩をすくめた。桐人には、朝葵のことなどお見通しのようだ。桐人は腕時計を見ると、「じゃあ、研究室に戻るか」と立ち上がった。


「あ、私、ここ片付けてから行きます」


 叶が、テーブルのパンをしまいながら言った。


「叶、手伝うよ」

「大丈夫。パンしまうだけなんだから。資料の話もあるんでしょ。朝葵たちは先行ってて」

「そう?」


 確かに、パンをトートバッグにしまうだけの作業だ。あまり手伝えるところもない。これだけのために、桐人を待たせるのも悪い。


「わかった。ごめん、先行くね」

「どうぞどうぞ、お二人で先に行っててくださいな」

「悪いな」


 朝葵と桐人は、連れだってテラスを出て行った。



 

 望月叶は、パンを入れ終わると、お気に入りのトートバッグを肩にかけた。遅れてテラスを出れば、研究室へと戻っていく朝葵と桐人の背中が、少し先に見える。

 お互いに信頼感があるのだろう。桐人に話しかける朝葵の表情は安心しきっているし、朝葵の話を聞いている桐人の表情は、彼女を慈しむようで穏やかだ。


(手がかかるわあ)


 実のところ、ゼミ生みんなが2人のことを見守っている。その中で、鈍い友人のサポートをするのは自分の役目だと、叶は自負している。

 お互いの気持ちに気づいていないのは、本人たちだけだ。


 叶は、ぼそっと独り言をこぼした。


「みんなのうわさになってるのに、ね」

この話が最終話となります。お付き合いありがとうございました。よろしければ、ご評価やご感想などいただけると大変嬉しいです。

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