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山肌の家  作者: 梨花むす
1/12

1 教室

以前に出した「ラジオミサキ」「どうして私は降ろされた」の続編となります。よろしくお願いいたします。

「ねえ、知ってる? あの人さあ、この間ね……」

「私も聞いたー、それ」

「やばくない? 言ってあげた方がいいんじゃない」


 吉良(きら)朝葵(あさき)が、机でのうたた寝から目を覚ますと、ゼミの研究室内では噂話が始まっていた。


「やだー、あははは」


 甲高い笑い声が響く。ここは、大学の研究室だ。朝葵が所属しているのは文系のゼミで、教授が気さくで学生のまとまりがいいためか、休み時間は雑談で盛り上がることも多い。

 朝葵はそっとイヤホンを取り出すと、耳に入れた。おしゃべりはいいが、噂話はあまり好きではなかった。スマホを操作し、いつもより少し大きめの音で動画を流すと、YouTuberの楽しげな笑い声が耳に入ってきた。


(少ししたら、外に出よう)


 起きたときに、さっと出て行けばよかったのだろうが、なんとなくタイミングを逸してしまった。自意識過剰かもしれないが、今出て行くと、彼女たちに文句をつけているようにみえるかもと不安になる。

 まだ、昼休みは半分以上残っている。こんなときに限って、友人の(もち)(づき)(かなえ)は「推しパンの新商品が出る」とか言って、外のコンビニに出てしまった。推しパンの意味はわからなかったが、面倒くさがらないで一緒に出ればよかったと、今さら悔やんでも遅い。


「信じらんない。そんなことするー?」


 朝葵の期待は外れ、彼女たちのしゃべり声は動画でかき消されなかった。聞くまいと思うほど、その噂話はイヤホンを貫通し、頭まで刺さってくるようだった。


(あー……)


 限界だ。叶にメッセージを送って、電話をかけてもらおう。そう思って、朝葵はアプリを開いた。


(あれ)


 アプリには、新しいメッセージが届いていた。簡潔な、用件だけの内容。


『この前の資料の件』

『直接説明した方が早いから、空いてる時間を教えてほしい』


(先輩だ)


 ()()桐人(きりと)。1学年上の先輩で、朝葵はよく世話になっている。朝葵は動画を止めてイヤホンを外すと、急いでメッセージを打った。


『ありがとうございます、了解です!』


 朝葵が送信すると、すぐに既読がついた。ちょうど、桐人もスマホを開いているのだろう。朝葵は少しためらったが、重ねてメッセージを送った。


『すみません』

『今、電話をかけてもいいですか?』


 すぐにまた既読がついたかと思うと、突然朝葵のスマホが鳴り出した。桐人からの着信だった。

 よくある呼び出し音に反応し、噂話をしていた学生たちが話を止め、朝葵の方を見た。朝葵はスマホを取り落としそうになりながら、慌てて電話に出た。


「はい、吉良です」

「久万だけど……、どうした?」

「あ、今研究室にいるので、そちらにうかがいます……。先輩、どこにいらっしゃいます?」


 朝葵は話しながら立ち上がり、扉のほうへと向かった。学生たちはちらりと朝葵を見るも、すぐに興味を失い、自分たちのおしゃべりに戻っていった。

 朝葵が廊下に出ると、スマホから戸惑った桐人の声が聞こえた。


「研究室にいるんだろ? 俺が戻るぞ」

「いや、もう、出ちゃったんで、はい。私が向かいますんで、大丈夫です」

「……わかった。テラスにいるから」


 テラスは、本館の食堂脇にある。朝葵が今いる校舎からは、5分もあれば着くだろう。桐人との通話が切れると、朝葵はテラスへと急いだ。

 渡り廊下を、夏の日差しが容赦なく照りつけていた。朝葵はまぶしさに目を細める。天気予報では、今日も30度を超えるという。今年の夏も、猛暑が続くのだろう。


 ――あの日も、今日みたいに暑い日だった。


 1年前の夏、ゼミの見学に来た朝葵はすっかり緊張していた。教授は、「交流を深めてね」と言って、見学に来た2年生を研究室に案内すると、ゼミ生の中に放り込んで、自分はさっさといなくなってしまった。


 サークルなどで顔を合わせたことのある者どうしは、すぐにグループを作って仲良く話し始めた。しかし、朝葵はゼミに知り合いがおらず、叶もその日は休んでいたから、きょろきょろと顔を動かして、話しかけられそうな先輩を探していた。


 そうしていると、1人の女性に声をかけられた。


「あなたはひとり?」


 その人は、研究室の中でも目立っていた。朝葵が部屋に入ってきたときは背を向けて座っていたが、それでも腰まである長い黒髪が目を引いた。朝葵たちの挨拶で振り返った顔は、日本人形のように色白で整っていて、テレビや映画で見る女優さんより美人だと思った。

 2年生たちは皆、ちらちらと彼女を気にしてはいたが、彼女は座ったまま微笑んでいるばかりだったので、誰も声をかけられずにいたのだった。


「私は、4年生の越名(えつな)八緒(やお)よ。よろしくね」

「に、2年生の、吉良朝葵です。よろしくお願いします」


 朝葵がぺこりと頭を下げると、八緒は「かわいいわね」と言い、艶然と微笑んだ。褒められたはずなのに、朝葵はなぜか背筋がぞくりとした。

 八緒が口を開いたことで、学生たちは朝葵たちに注目していた。朝葵は皆の視線でいたたまれず、助けを求めるように周りに目をやった。


(誰か……)


 朝葵が研究室の隅の方に目を向けたとき、一人の男子学生と目があった。その人はゼミ生のようで、自身のらしき机に肘をついて座っていた。他の学生たちが好奇の色を隠さず八緒と朝葵を眺めている中で、その人だけが、朝葵を気遣うような目をしていた。

 朝葵は思わず助けを求めようと、彼に向かって口を開いた。


「あ……」


 男子学生も腰を浮かせ、何かを言いかけたのだが、そのとき、朝葵と八緒の間にどやどやと他の学生が入り込んできた。


「初めまして、僕、~と言います」

「私は~です」


 朝葵のそばにはどっと人が集まり、次々に八緒に挨拶をし出した。特に男子は、八緒と話せるチャンスを逃したくなかったのだろう。あっという間に八緒は学生に囲まれ、朝葵のほうが押し出されて、輪からはみ出してしまった。


(あー……、緊張した……)


 朝葵がほっと一息をつくと、ゼミ生の女子学生たちが声をかけてくれた。


「吉良ちゃんだっけ? お疲れさま」

「越名先輩、人気だからねえ」

「大変だったね。でも、うちのゼミ嫌にならないでね」


「大丈夫です」と朝葵が笑って言うと、人の良さそうな先輩たちは、朝葵を椅子に座らせ、お茶を入れてくれた。朝葵がカップを受け取ると、そこから会話が始まった。人と話すことが好きな朝葵は、あっという間に先輩たちと打ち解けた。


「吉良ちゃんは、このゼミが第一希望?」

「そうなんです」

「えー、嬉しいな。来年待ってるよ~」

「えへへ……、来れたらありがたいんですけど……」


 朝葵は、ちらっと八緒の方を見た。八緒は変わらず、学生たちに囲まれていた。男子学生だけでなく、女子学生も八緒をうっとりとした目で見て、その言葉に耳を傾けている様子であった。


「……ここ、人気高いと思うんで……」


 朝葵の成績は悪くはないが、格別良いというほどでもない。競争相手が多くなれば、限りある枠の中に入れる自信はない。朝葵の言わんとすることを察し、先輩の一人が笑って、手を振りながら否定した。


「大丈夫よ。越名さん目当ての学生は、うちのゼミに入れないから」

「え、そうなんですか?」

「そうよ。うちの教授、そういうことには厳しくてね。不純な動機の学生はみんな落とされるの」

「へえ~……」

「ま、ここだけの話だけど、私たちだって報告するしね」


 先輩たちは、あはは、と顔を見合わせて悪戯っぽく笑った。


「だから、吉良ちゃんは大丈夫よ。安心して入っておいで」

「ありがとうございます」


 朝葵はなるほど、と思った。どうやら教授は、学生の素のふるまいを観察するために姿を消したらしい。『ゼミの雰囲気がいい』という評判の理由がわかる気がした。

 朝葵がお茶を一口飲んだとき、後ろからふと視線を感じた。振り向くと、先程の男子学生が朝葵の方を向いていたが、すぐに顔をそむけてしまった。


(さっきの……)


 男子学生は、細身で骨張った体つきをしていて、座っていてもわかるくらい背が高い。本人も気にしているのか、やや猫背気味になっていた。誰とも話さず、不機嫌そうにひとりで研究室内を眺めているようであるが、その理知的な瞳が存外に優しげに見えるのが、朝葵は気になった。

 さっきは、やはり自分を助けてくれようとしたのだろうか。朝葵はなんとなく、今も自分を心配して見てくれていたのではないか、と思った。


「吉良ちゃん、()()くんと知り合い?」

「へ」

「なんか、さっきも久万くんの方見てなかった?」

「もしそうなら、すんごい意外なんだけど」


 先輩たちが、不思議そうに朝葵の顔を覗き込んでいた。朝葵は、自分がいつの間にか『久万』と呼ばれた男子学生を見つめていたことに気づき、顔がかあっと熱くなるのを感じた。


「い、いやいやいや、全くお話ししたことないです。偶然です」

「そうかあ、まあでも、そうだよね」

「久万くんに、こんな可愛い女の子の知り合い、いるわけないよね」


 先輩たちは、すぐに引き下がり、勝手にうんうんと納得してくれた。朝葵は先輩たちの『久万』に対する言い方が気にかかり、彼女たちに尋ねた。


「あの方、久万先輩っておっしゃるんですか」

「そうだよ。久万……、下は桐人(きりと)だったかな。あの人、人嫌いなの」

「人嫌い?」

「そう、だって今でも、誰とも喋らないでしょ。孤独が好きなタイプなんだと思うよ」

「そうなんですね……」


 返事をしながらも、朝葵は納得できない気持ちでいた。あのときの心配そうな桐人の目は、人嫌いの人間のものとは思えなかった。

 すると、1人の先輩が思い出したように言った。


「そういえばさ、前に教授が、越名さんのことも『孤独だ』って言ってたんだよね」

「越名さんが孤独? あれで?」


 もう1人の先輩が、八緒を一瞥すると言った。八緒はいまだ、たくさんの学生に囲まれて美しく微笑んでいた。朝葵には、八緒の交友関係は知るよしもないが、あれなら男女構わずよりどりみどりだろう。言い出した先輩も首をひねり、あっさりと同意した。


「まあ、そうだよね。教授、時々変なこと言うからなあ」

「ああ、でもさ」


 そう言うと、先輩たちが揃って朝葵のほうを見たので、朝葵はどきっとした。


「珍しいんだよ。越名さんが自分から声をかけるの」

「え?」

「越名さん、ああやって話しかけられることは多いけど、自分からはあんまり話さないの」

「確かに。吉良ちゃん、よっぽど越名さんに気に入られたんじゃないの?」

「いやあ……、どうなんですかね」


 気に入られている、と言われて悪い気はしないが、朝葵は、あまり八緒に近づきたいとは思えなかった。それよりは、『人嫌いの久万桐人』の方に興味があった。


「越名さん、可愛がってた後輩がいなくなっちゃったから、寂しいのかもね」

「あの子も可愛い子だったからね」


(いなくなっちゃった……?)


 朝葵は、その言葉が少し気になったが、先輩たちもそれ以上話を続ける気はなかったらしく、八緒の話はそこで終わった。それから朝葵が先輩たちにゼミについての質問などをしていると、そろそろお開きの時間が近づいてきた。

 朝葵は先輩たちと連絡先を交換し、帰り支度を始めた。今日休んでしまった叶にも、色々と伝えてあげないといけない。朝葵が立ったままスマホにメモをしていると、いきなり首筋をひやりとしたもので撫でられた感触がした。


(……!)


 朝葵が再び視線を感じて振り返ると、今度は八緒がこちらを向いていた。ただ、八緒は相変わらず人に囲まれていた。


(ん? なんか……変な感じ……)


 朝葵は、目の前の光景に違和感を覚えた。よく見ると、八緒のまわりの学生たちは、うつろな目をしていた。そして、八緒が自分たちの方を見ていないにも関わらず、パクパクと口を動かし、何かを言い続けていた。それはまるで、傀儡のようで……。


 朝葵は、自分の足がかたかたと震え出すのを感じた。「どうしたの?」と尋ねる先輩の声が遠くなって、部屋の中に、八緒のローズレッドに塗られた唇だけが浮いているように見えた。

 朝葵が思わず後ずさりをすると、その唇が形を変え、にいっと笑った。


ここまでお読みいただいてありがとうございます。次のお話も、引き続き楽しんでいただければ幸いです。

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