IL GUSTO DEL PARADISO 天国の味 I
面会室となっている客間は、鬱金色を基調とした落ちついた内装の部屋であった。
かざられた絵画や美術品のセンスはよく、屋敷を所有する御家の審美眼がうかがわれる。
中央の楕円のテーブルにかざられた白一色の花々が、やわらかなアクセントとして映えている。
イザイアは、テーブルに肘をついた格好で出入口のドアを見つめていた。
やがて品のよい靴音が廊下から聞こえ、ニヤリと口の端を上げる。
ノックに返事をすると、屋敷の使用人がしずかにドアを開けた。
三十代なかばほどの身形のよい男性が入室する。
部屋に一歩足を踏み入れたところで立ち止まり、イザイアの顔をじっと見つめた。
兄のグイドだ。
「お座りになられては」
イザイアは肘をついていた手を膝におろし、軽く姿勢を正した。
立ち去ろうとする使用人に紅茶を頼むと、使用人は一礼して部屋をあとにする。
ドアが閉まる音がした。
それでもまだ、グイドは表情を変えず立っていた。
「……生きていたのか」
ようやくポツリと言う。
「このたびは、敬愛する兄上に多大なる糠喜びをさせてしまったようで」
イザイアはククッと笑った。
「がっかりなさいましたか」
「……おまえになど分からん」
「お座りになられては」
イザイアは、あらためて席を勧めた。
グイドがぎこちない手つきで椅子を引く。イザイアの顔に視線を貼りつけたまま腰を下ろした。
「ここに来る途中の廊下で、オルダーニの若君に似たかたを見かけたが」
「御本人です」
イザイアは答えた。
グイドが不快そうに顔をゆがめる。
「身内への連絡よりもさきにお呼びだししたのか」
「さすがのわたしもそこまで不心得ではありません。わたしが死んだと聞いて、遺体を確認してくださるつもりでいらしていたらしい」
「なぜ若君が確認など」
グイドが眉をよせる。
「兄上よりもよほどわたしの体をご存知だからでは」
グイドが嫌悪を覚えたかのような表情で顔をしかめた。
「死んだ者などいないと答えたのに、どこからその情報をつかまれたのか」
グイドが、ようやくイザイアから目線を外してテーブルに肘をつく。
「そのようなウソをつくから、よけいに勘ぐられるのでしょう」
イザイアは言った。
紅茶をトレーに乗せた女中が入室する。サイドテーブルにトレーを置くと、紅茶をそそぎはじめた。
茶葉の渋い香りがただよう。
「いったいどのような経緯で、そんなユーモラスな情報の混乱がおこったのか」
イザイアはクスクスと笑った。
「はじめに伝わってきた情報は、"医師の一人が亡くなったらしい” だった」
あいかわらずの弟の様子を確認して落ちついたのか、グイドが脚を組む。
「過度の疲労でお倒れにはなりましたが、死亡ではなく隔離施設の私室で療養しております。まずそこから誤報でしたか」
イザイアは口の端を上げた。
何人もの人々が誤報にふり回された経緯を紐解くのはおもしろいと感じたが、グイドには笑ったのは不快だったらしく、目をキツく眇めた。
「つぎに来た知らせは、"隔離施設の管理をする家の当主の血縁者らしい” と」
「 “らしい” ばかりですな。まあムリもないが」
イザイアは淹れられた紅茶を口にした。
「医師の名を知らせるよう伝えたところ、パガーニ家の医師だと」
「なるほど」
イザイアは紅茶のカップを皿の上に置いた。
まるで他人事のように言ったのが気に入らなかったのか、グイドが眉をよせる。
「おそらくその問いの応対をしたのは、医師のだれかの助手でしょうな」
イザイアは答えた。
「こちらに直接の情報を持ってこられるのは渡し守くらいでしょうが、その渡し守も隔離施設のなかには入らず医師の助手たちが持ちまわりで応対している」
「医師の名を勘違いしたか」と続けて、イザイアはククッと笑った。
グイドは無言で弟の顔を見ていた。
そこまでしつこく怒り顔で睨む必要はあるのだろうかとイザイアは内心で思っていた。
グイドがテーブルの上で手を組む。
「家の者をリヴォルノによこし、あらためて医師の名を確認させたところ、渡し守が頭文字はI.P.と答えたと」
「倒れた医師の名は、イラーリオ・パッツィです。頭文字がおなじとは気づかなかった」
イザイアは含み笑いをした。
こんな戯れのようなことが、じっさいに起こるとは。
兄の複雑そうな表情よりも、その偶然のおもしろさのほうに興味が向いてしまった。
「今後は事務処理と連絡係の者を置くことに決まった。隔離施設内に常駐させるかどうかは分からんが、何かあった場合はその者に情報を集約させられるようにする」
「けっこうなことです。そもそもそれまでをも人手不足の医師と助手たちにやらせようと思ったのが間違いのもとだ」
グイドが眉根をよせる。
「パッツィ家の方々も混乱したことだろう。しかも死亡ではなく療養中か」
「だれかの死をお望みでしたか」
イザイアはクスクスと笑った。
「おまえではあるまいし」
グイドが嫌悪を覚えたような表情で返す。
人の死はふつうは嫌悪すべきものなのかとイザイアは内心で確認した。
人に共感ができるふりをして生活しているものの、ふとした瞬間にそれを忘れることはある。
自身にとっては人の死はただの事実であり、ただの非日常的なイベントにすぎない。
「死を望んではおりません。人の死を嘆くという感情に該当するものがないだけです」
イザイアは言った。




