MASCHERA DELLA PESTE ペストマスク III
イザイアの遺体でいいから最後に会いたかった。
ペスト患者の乗せられた小舟に、強引に割りこんででもジュスティーノは島に渡るつもりでいた。
だが、ショックの大きさに足を動かす気力すらない。
小舟が出発してしまうのではと焦りつつ、門口の縁で口をおさえて身をかがめる。
「イザイア……」
何とか涙がこぼれないよう堪え続けていたが、苦痛なほどのふかい悲しみがどうしても涙腺と鼻腔を刺激する。
「いずれにしても、いつまでもここにいるわけにもいきませんので」
レナートが海をながめながら言う。
「何でしたらまえに若様が滞在された御家の屋敷に。話つけますよ」
エルモがそう声をかける。
「けっこう。そうたびたび厄介になるわけにもいかんだろう」
レナートがそう返して、こちらを見た。
「帰りますよ」
こんどこそは何を言われようが連れて帰る。そういうつもりの目だ。
ジュスティーノは顔をそらして、門口の下にひろがる深緑色の海面を見つめた。
もし小舟がムリなら、泳いでも渡る。可能だろうか。
「おおい」と渡し守が声を上げる。
「あの爺さんだろ?」
渡し守が、遠くの海面を指さした。
「よかった。爺さんは生きてたか」
エルモが苦笑して指されたほうを見やる。
遠くのほうに、口に布を巻いた者が舟を漕ぐ姿が見えた。
べつの船着き場に向かっているのか、こちらに来るにしては進行方向がずれている。
身体をゆっくりと前後させ漕ぐ渡し守のかたわらに、座る人物がいた。
肩幅がひろく、長身の男性とみえる。
近づくにつれて、黒い外套のようなものをはおっているのが分かった。
完治した患者だろうか。ジュスティーノは切なく眉をよせた。
以前なら、知らない相手であっても完治を喜ばしく思ったかもしれない。
だがいまは。
なぜあれがイザイアではないのかと、つらくて胸がしめつけられる。
彼の代わりに生還したなど。
八つ当たりと分かってはいるが、憎々しさすらこみ上げる。
彼の手柄や医師としての評価などどうでもよかった。
ただひたすら戻ってほしかった。
小舟が、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
目指しているのは運河の入り口か。
運河沿いには大きな屋敷がならんでいるのだと以前滞在したときに聞いたが、そのあたりに行くのだろうか。
ジュスティーノは、目を潤ませながら小舟の動きを見つめていた。
小舟に座った人物が、おもむろに顔を上げる。
外套のフードにかくれて気づかなかったが、大きなクチバシのついたペストマスクをつけていた。
「イザイア……」
彼の屋敷に滞在していたころを思い出した。
堪えていた涙が、ふたたびあふれそうになる。
「旦那の助手ですかね。まだ残ってた人がいたのか」
「助手……」
ジュスティーノはつぶやいた。
彼の最期を見た者かもしれないのか。
できることなら、自身がその場にいたかった。
「何でしたら、医師殿の最期の様子を聞いてさし上げてもよろしいですよ」
レナートが顔をそらしつつ言う。
「あなたが聞いたのでは、何を口走るか分からないですから」
ジュスティーノは黙って小舟の動きを見ていた。
涙があふれて視界がかすんだが、出逢って間もないころのイザイアを思い出させるあの出で立ちを、懸命に目に焼きつけておこうと思った。
とうとう涙がこぼれてうつむく。
背後にいる二人には見られないよう、口に手をあてるふりをしてさりげなく涙を拭った。
しばらくしてから顔を上げる。
ペストマスクの人物は、小舟の上からじっとこちらを見ていた。
渡し守が、おなじようにこちらを向き小舟の速度を落とす。
ペストマスクの人物は、おもむろに自身の顎に手をかけると、仮面を上げ素顔をさらした。
遠目にも分かる、非常に整った目鼻立ち。
きれいに掘りぬかれた眉の下の掘り、形よく通った鼻筋。
「え……」
ジュスティーノは声を上げた。
「イザイア!」
思わず海に落ちそうなほどに身体を乗りだし、とっさに門口の縦枠につかまった。
「イザイア!」
背後の二人がそれぞれに「は……」と息のぬけたような声を発する。
イザイアはふたたびペストマスクをかぶると、「行ってよい」というふうに渡し守に向けて顎をしゃくった。
小舟が向こうのほうへゆっくりと進みだす。
「え……旦那、何で」
エルモが首をのばして遠ざかる小舟を見つめる。
ジュスティーノはもどかしくその場で行ったり来たりをくりかえしてから、いったん門口から離れてべつの船着き場に行かなければならないことに気づいた。
「あれはどの船着き場に向かっているのだ! 案内しろ!」
声を上げてエルモをせかす。
ぼうぜんと小舟の進行方向を見ていたレナートが、ハッと我に返りジュスティーノの肩をつかんだ。
「帰りましょう、ジュスティーノ様!」
「帰るわけがないだろう!」




