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背徳 〘R15版〙  作者: 路明(ロア)
4.阿片
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OPPIO 阿片


「グイド兄上が」


 男性使用人から来客を告げられる。

 イザイアは天秤(てんびん)にそえていた手をいったん外した。

 薬や医療道具の置かれた作業部屋。

 主家の者がつかう部屋としてはこぢんまりとした部屋だ。


 壁の一角にしつらえた薬棚には、薬のつめられた大小の袋が適当につっこんだ形で置かれている。

 棚のところどころにとくに整理もせずに挿してある干からびた草花は、薬草として使えるものをとりよせたもの。


 大きな南向きの窓があるものの、ものが乱雑に置かれているせいか(ほこり)っぽくうす暗い印象のある部屋だ。


「こんなさなかに直々に来られるとは、間の悪い人だ。玄関で留め置け」


 使用人が一礼してドアを閉める。

 イザイアは、もういちど天秤に目を移した。

 レリーフの入った天秤の片側の皿には、やや細かい混じりもののある粉が盛られている。

 すでに分銅の重さとはつり合っていた。

 量った薬を油紙でつつむ。

 来客を億劫(おっくう)に感じて軽くため息をつき、イザイアは長い髪をばさばさとほぐして作業台から離れた。

 部屋の入口にかけた上着をとり、雑な動作ではおる。そのままつかつかと廊下へとでた。




 屋敷の玄関ホールまでくると、開けられた扉の向こうに身形(みなり)のよい三十代半ばほどの男性がいた。

 パガーニ家当主をつとめる兄、グイドだ。

 先妻の子の兄と、後妻の子の自身。

 母親が違うのであまり似てはいないとイザイアは認識していた。


 ととのえた黒髪、端正な顔立ちに生真面目な印象をあたえる表情、長身だが不思議と威圧感はない。

 むしろ威圧感のない信頼のできる紳士といった雰囲気を、世渡りの武器にしている感がある人だ。

 嫌いではない。

「イザイア」

 グイドはこちらに目線を向けた。

 侵入を規制するように扉のまえに男性使用人が立っているので、困惑しているようだ。


無闇(むやみ)に入られないほうが。ペスト患者が複数運ばれている」


 そうイザイアは告げた。

 ここはいいと使用人に目で指図し、兄を手近な応接室に促す。

「ペスト……たしかなのか」

 グイドが屋敷の奥を伺うように見る。

「ピストイアのほうでは出ておりませんか」

「まったく聞かないが」

「どのあたりの地域で止まっているのか……」

 応接室へとつづく廊下に歩を進めながら、イザイアはかすかに笑みを浮かべた。

「まあ、いずれそちらにも出る可能性はあるでしょうが」

 兄のほうを見ると、警戒するように屋敷内を見渡している。


「近くの街とその周辺の農村では、ぼちぼち広がっているようだ。お帰りのさいはなるべくそれらの地域は避けたほうが」


「ああ……そうする」

 応接室のドアを開けてなかへと促すと、グイドは入室するまえにもういちど廊下のほうを見た。

 大広間や廊下にくらべると、応接間はやや落ちついた色調だ。

 ダークブラウンの壁に、パガーニ家が経済援助をしている画家の風景画が数枚ほど飾られている。

 落ちついた赤茶色の絨毯(じゅうたん)に、小さな丸テーブル。

 暖炉(だんろ)のまえに飾られた淡い色の花。


「医師の仕事など、身内と知人程度しか受け入れていないのだと思っていたが」


 グイドが、すすめた椅子に腰かける。

「しかたがないでしょう。必死な顔で駆けこまれては」

 イザイアは口の端を上げた。

「ここに医師がいるなどと、だれが教えたのか」

 ドアを閉めるまえに使用人を呼び、紅茶を淹れるよう言いつける。

「そんな理由で引き受けるなど。おまえにそんな情け深いところがあったのか」

「あわれな病人を救うためなら、ソドムに躊躇(ちゅうちょ)なく飛びこむ御使いだったので」

 イザイアは言った。

「ついつい知りたくなりませんか」

 体を、というセリフだけイザイアはわざと声にせず言った。




 運ばれてきた紅茶を一口飲むと、グイドはここからが本題だというふうに表情を固くした。


「オルダーニ家のご子息を留め置いていると聞いた」


 そう言い、品のよいしぐさでカップを皿の上に置く。

「どこから聞いたのでしょう。使用人のなかに間者でもいるのか」

 イザイアは兄の正面の席でふくみ笑いをした。

「駆けこんだというのは、そのご子息か」

 グイドが問う。

「うちより格上の御家だ。知らなかったのか」

「存じていましたが?」

 イザイアは紅茶を口にした。

「おかしな遊びに使うわけではないだろうな」

「なるほど。上辱というのも楽しそうだ」

 イザイアは応えた。

「楽しそうも何も、おまえのいちばん好きな遊びでは」

「わたしをよく理解していらっしゃる」

 イザイアはククッと笑い紅茶のカップを置いた。


 家の格はさほど上ではないが、パガーニ家は財産持ちといえた。

 奔放(ほんぽう)な性癖の次男に問題を起こされるくらいならと、兄は生活費をふんだんに送ってよこしていた。

 遊ぶ相手を娼婦や男娼にとどめて医師を名乗っていてさえくれれば、家の体裁は保てる。

 兄のこの思惑を、イザイアはかわいらしいと思っていた。

 問題のない遊びのみですごして、兄のホッとした顔をながめる生活をここしばらくはゲームとして楽しんでいた。


 だがつい先日、魅惑的なあたらしいゲームが転がりこんでしまった。


「御使いの必死な様子に心を動かされるなどという玉ではないだろう。むしろおもちゃにして堕落させる算段をする」


 グイドは声音を落とした。

「もみ消すのに難儀なことだけはするな」

「揉めなければよろしい」

 イザイアはそう返した。


「合意の上なら揉めない」


 イザイアは紅茶を口にした。

 グイドが眉をひそめてこちらを見る。

「……まあいい」

 しばらくしてから、グイドはゆっくりと座り直した。

阿片(アヘン)を処方してくれるか」

「また寝つきがお悪いのですか」

 イザイアは問うた。

「ちまたで万能薬といわれているのがよく分かる。ワインに入れるとほんとうによく眠れる」

「お持ちします」

 イザイアは席を立った。





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