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【完結】背徳 〜サイコパス医師に堕とされた御曹司の恋〜 〘R15版〙  作者: 路明(ロア)
25.片翼で飛ぶ

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VOLA CON UNA SOLA ALA 片翼で飛ぶ I

 オルダーニ家本邸のイザイアが滞在していた部屋。


 ベッドは整えられてしまっていたが、ほぼイザイアがいたときのままだ。

 もしや自身がリヴォルノにいるあいだ、形跡(あとかた)もないほどに片づけられてしまったのではと心配になり、ジュスティーノは屋敷に戻るとまっさきにこの部屋にきた。

 イザイアの香りはうすれていたが、この部屋で夜ごと逢瀬(おうせ)を重ねていたときのことはじゅうぶん思い出すことができる。


 本邸に戻って十日。


 ジュスティーノは一日の空いた時間の大半をこの部屋ですごしていた。

 イザイアが置いていった書物を手にとり、読書机でパラパラとページをめくってながめ、どこかに自身への(ひそ)かな伝言でもないかさがしてみたりする。

 ときおり白紙の便箋(びんせん)がはさまれているのを見つけ、ドキドキしながら手にとった。


 ペストを終息させ、イザイアが早々に帰れるよう尽力すると決意したものの、別れたままはやはりつらい。


 いくつかの御家を巻きこんだ交渉ごとなど、自身が主導でやるのははじめてだ。

 イザイアのためだと(ふる)い立てるときもあれば、片翼で飛んでいるかのような心細さに心が()えてしまいそうになるときもある。

 カサリとページをめくる。

 イザイアはこのページのどのあたりに触れたのだろうか。指先で何ヵ所かさすってみる。


 廊下をカツカツと早足で歩く靴音がした。

 そうとうにイライラしている歩き方だなと、ジュスティーノはぼんやりと推測する。


 ドアのまえで靴音は止まり、つぎには(せわ)しないノックの音が響いた。

「ジュスティーノ様?」

 レナートの声だ。

「入れ」

 ジュスティーノは返事をした。

 レナートがドアを開けて顔を覗かせる。非常に不快そうな表情をしていた。

「またここですか」

 ドアをおおきくは開けず、隙間(すきま)から眇めた目だけを覗かせる。


「屋敷内のどこにいようが私の自由だろう」

 ジュスティーノは書物のページをめくった。


「私を避けるためではないですよね」

 レナートが問う。

「なぜそんなことをする必要が」


 ジュスティーノはドアのほうを向いた。

「何か用事か」

「あの商人が、酢のほうはだいぶ買い占められそうだと知らせてきましたが」

「そうか」

 奮い立たなければならないのは、むしろこれからか。


 以前ペスト禍に巻きこまれたときは、イザイアがいた。


 右も左も分からず恐怖すら感じる状況であったが、まったく動じずにペストに対応するさまが心強かった。


 たとえ上辺(うわべ)だけの言葉であっても、完璧な御曹司でなくてよいのだと言ってもらえれば、心は落ちつけた。

 情けない姿をさらしても彼は(とが)めずにいてくれる。そう思うと安心できた。

 ジュスティーノは上着のポケットに手を入れた。

 ポケットのなかでカサ、と音がする。

 イザイアが島からよこした伝言だ。

 確認するように封筒の端を指先でさわる。

 笑みがこぼれた。


 今回は彼はいないが、この伝言を支えにできると思う。


 ふいに物騒(ぶっそう)な視線を感じた気がして、ジュスティーノはふたたびドアのほうを見た。

 さきほどよりもさらに目を眇めて、レナートが睨んでいる。

「……まだいたのか」

「何です、ポケットのなかのもの」

 ジュスティーノは、さりげなくポケットから手を出した。

 レナートから目をそらして書物を黙読しているふりをする。

「気にするな」

「あんなウソつき男の伝言を後生だいじに」

 レナートが吐き捨てる。

「何かウソをつかれたのか?」

 しばらくの間があった。

 立ち去ったのかと思い、ジュスティーノはもういちどドアのほうを見る。


 レナートは口を手でおおい、無言でうつむいていた。


 何をやっているのか。ジュスティーノはその様子をじっと見た。

「……いえ」

 レナートがそう言い、おもむろに顔を上げる。

 (ほお)が紅潮しているが、何を考えていたのか。


「ともかく不誠実な人なのはあなたも分かっているでしょう。このお部屋にも出入りなどやめてください、おぞましい」


「どうしてもイヤなら、この部屋にいるときはほかの者を呼びによこしてもかまわん」

 ジュスティーノはページをめくった。

 あくまでながめているだけだ。

 イザイアの置いていった書物は、娯楽小説もあったが難解な数学書などもあった。

 内容をいくつかでも理解すれば、もっとイザイアに話を合わせてあげられると思うが一朝一夕にはムリだ。


「今夜からここで寝ようと思っている。起こしに入室するのがイヤなら、それも代わりの者を決めていい」

「は?」


 レナートが声を上げる。

 ドアノブに手をかけたものの、ドアをおおきく開けることに心理的な禁忌(きんき)でも感じるのか、あいかわらず隙間だけを開けていた。

「何をふざけているんですか」

「屋敷内のどの部屋で寝ようが私の自由だろう」

 ジュスティーノは書物のページをめくった。

「やめてください。(けが)らわしい」

 イザイアが(しおり)代わりにはさんだ便箋の切れ端を見つけた。

 ここを読んだのだと紙面に指を這わせる。


「……おまえは、隔離所にいるイザイアと直接会ったのだったな」


 ジュスティーノはポソリとそう口にした。

 ほんとうなら自身が行きたかった。

 万が一イザイアがあの島でペストに感染してしまったら、もう会うのはかなわないということもあり得るのだ。


 やはりペストなど気にせず行けばよかった。


「彼は元気だったか?」

「なんど聞いているんです」

 レナートが眉根をよせる。

「……私に接吻を届けてくれと言ったとき、彼はどんな顔をしていた」

 ジュスティーノは目を伏せた。

「少しはせつない顔をしてくれたのか、それとも淡々としていたか」

 ジュスティーノは苦笑した。

「彼のことだから淡々とかな」



「まごうことなきケダモノの顔でした」



 レナートがイヤそうに声音を落とす。

「おまえの主観はいい」

「何が主観ですか」





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