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【完結】背徳 〜サイコパス医師に堕とされた御曹司の恋〜 〘R15版〙  作者: 路明(ロア)
24.口づけの罠

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BACIARE TRAPPOLA 口づけの罠 IV

 波の上で(きら)めく陽光が、さきほどより少しやわらいできた。


 ペスト患者の肩と肩とを重ねるようにしてぎゅうぎゅうに乗せた小舟が、ギッと音を立ててゴルゴナ島へと出発する。

 ここ一週間、一日になんども繰り返されていた光景だ。


 もどる者はいまだいない。


 門口に運ばれる者は少しずつ増えているようだったが、あらたに医師として渡る者はその後一人も見かけなかった。

 ここに来た日に出会った医師はその後も来ていたが、ここ一日二日は見ていない。

 ジュスティーノは、伝言の書かれた便箋(びんせん)をじっと見つめた。

 口元がかすかに笑む。

 気持ちがだいぶ落ちついた。 


 いま聞こえている波の音を、イザイアは聞いているのか。それとも聞く(ひま)などないほど看護に追われているのだろうか。


 おだやかな手つきで便箋を元通りに折ると、ジュスティーノは封筒に入れ上着のポケットにしまった。

「……帰るぞ」

 レナートの肩に手をそえて、そう告げる。

「手数だが、滞在していた御家に立ちよってお礼を。お渡しできる金子(きんす)がいまあれば、心づけとしてお渡ししてくれ」

「え……」

 予想外の言葉だったのだろうか。

 レナートは戸惑った表情でこちらを目で追ってきた。

「ジュスティーノ様?」

「余計な金子(きんす)は持ってきていないか」

 ジュスティーノはふり返り尋ねた。

「いえ……」

「何でしたら、僭越(せんえつ)ながらわたくしが格安の利子でお貸しいたしますが」

 レナートの背後でエルモがうやうやしくお辞儀をする。

「いや……けっこう。ジュスティーノ様の状況がよくつかめなかったので、金子(きんす)は余分に持参してある」

「左様で」

 エルモが苦笑する。

 ここ数日の何となくの習慣で、ジュスティーノはつかつかと馬車に戻り屋形の扉を開けた。

「ああ……」

 そうつぶやいて、エルモのほうをふり返る。


「おまえはリヴォルノに残るのだったか」

 エルモはニヤニヤと笑いながら(ほお)を掻いた。


「若様のお考えしだいですね。どうしました、急に」

「うちの所有地では、酢と石灰はあつかっていたか」


 レナートのほうを向きジュスティーノは尋ねた。

 おおきな目をぱちくりとさせ、レナートがこちらをじっと見る。

「……所有地内で日常的に使われる程度は」

「少しではダメだ。大量に」

 ジュスティーノは言った。

 馬車の屋形の扉を閉める。帰りはだれかの馬に同乗しなければならないだろうか。レナートの付き人としてきた者たちの顔ぷれをながめる。

「強い酒は」

「急にはムリですよ。お父上の意見もお聞きしないと」

 レナートが怪訝(けげん)そうに眉をよせる。

「父には私から話す」

「何をするつもりです」

「エルモ」

 ジュスティーノはエルモのほうに向き直った。

 言いたいことを察したのか、エルモが即座に答える。


「酒はいろんな利権が絡みがちなんでちょっと保証はできませんが、酢と石灰なら買い占めは可能ですかな」

「ジュスティーノ様」



「消毒ですか」



 エルモがニッと笑う。

「街中の消毒を行って終息までの期間を短縮させた例があると以前イザイアが言っていた」

「街中って」

 レナートが声を上げる。

 進んでゴルゴナ島に行ったわけではないであろうイザイアが、すぐに帰ろうとしない理由はさだかではないが、ともかくペスト禍が終息すれば彼は帰るのだ。


 ただ待ち続けるよりも、積極的にイザイアをとりもどす。そうと決めた。


「まあ、酢と石灰でいいんじゃないですかね。旦那は強い酒も使っていたが、どういうわけかペストは、酢のほうが早く終息するようだなんて話も」

 エルモが言う。

「酢で消毒すると、虫除けになって街中の(ノミ)までいなくなるから一石二鳥だとか何とか」

 エルモは声を上げて笑った。

「いや……」

 戸惑った表情でレナートがつめよる。


「感染の広がっている地域にうちの所有地はありません。他家のやり方に口出しするんですか」


 やっと話がのみこめて、大胆なことを言いだした主人に(あせ)ったようだ。

 ジュスティーノはかまわずエルモのほうに向き直った。


「ゴルゴナ島を一時的に隔離地にするというのは、感染の広がった地域を所有する家々が合同で出した案だろうか」

「おそらくそうでしょうね。それと港を管理している御家と」


 エルモが港を見渡す。

 遠くに見える波止場(はとば)は、貿易船が一日になんども出入りし荷物を運ぶ人夫や買いつけの商人でにぎわっている。


「……隔離施設の案をまっさきに提案したのが、パガーニ家という可能性もあるのだろうか」


「いやまあ……それは何とも言えませんが」

 エルモが苦笑して(ほお)を掻く。

「たしかにパガーニ家の兄君は、旦那からヴェネツィアの疫病(えきびょう)対策について聞いていたかもしれませんが」

 イザイアを島に送るということを、兄君ははじめから考えの内に入れていたのだろうか。

 イザイアがすんなりと兄君に従ったのは、合同で隔離所を管理する他家への手前もあったのか。そんなことをジュスティーノは想像した。



「いずれにしろ、どの御家も早々に終息させたいとは思っているはずだ」



 ジュスティーノは言った。

 おもむろにレナートのほうを見る。

「帰ったら父に相談の上、関連の各家と交渉する者を選ぶ。酢か石灰のいずれかが押さえられしだい、交渉に向かわせる」

「ジュスティーノ様!」

 レナートが声を上げる。

 何か言いたそうだったが、ジュスティーノはスッとエルモのほうに向き直り、反論は聞かないという意思表示をした。


「消毒用に大量購入するなら、格安でお譲りしますって感じですかい? ご商売いけるんですなあ、若様」


 エルモが肩をゆらして笑う。

「以前イザイアが話していた案だ。彼は(もう)(ばなし)として話していたのだが」

 ふいに目元がほころんだ。

 イザイアの屋敷での食事中の会話だった。

 あのときはまだイザイアがどんな人なのか知らなかったが、いまとなれば、あれも二人だけの思い出だ。


「彼はこんなことも想定していたのだろうか」

「ただの思いつきだと思いますけどね。非日常のほうがワクワクのお人ですから、本業以外のこともついつい考えちまったんでしょ」


 エルモがそう言い苦笑する。

「おまえは、ずいぶんとイザイアのことを理解しているのだな」

「ええ、まあ」

 エルモが答える。

 ジュスティーノは、エルモの無骨でゴツい面差(おもざ)しをじっと見つめた。

 エルモは愛想笑いを浮かべていたが、ジュスティーノがわずかに目を眇めると、真顔になった。

「……言っときますけど、あの旦那と変な関係になったことはないですよ」

「そうなのか」

 そうジュスティーノは返した。





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