ANGELO DI SODOMA ソドムの御使い I
独身の次男がつかう屋敷としては、イザイアの屋敷は部屋数も多く広い気がした。
病で滞在する者が出た場合を想定しているのか。
そう考えると、本邸にいるであろう当主は医師の仕事に協力的なのではと推測できるのだが。
食堂広間の長テーブル。
ジュスティーノは朝食の卵料理にフォークを刺した。
黄身がとろりと流れる。
乳白色の壁に金の飾り、暖炉の上には金の装飾品がいくつも置かれ、天井から吊るされた大きなシャンデリアにも同様に金の飾り。
イザイアの言った通り、使用人は必要なときだけ本棟のほうに来るらしい。
食事を運んでとり分けたあとは、必要最低限の者だけを残して別棟にもどってしまった。
暖炉まえの上座で、イザイアがマナーのよい仕草で料理を口にしている。
きちんとした服装で食事をしている様子を見ると、出逢ったときのだらしない様子はたまたまだろうかと思える。
「思ったのだが」
ジュスティーノは切りだした。
「息抜きの遊びのことにまで口を出したのはよけいだった」
「どうした、若様」
イザイアがわずかに口の端を上げる。
「ここは今日発つが、それだけを言っておこうと」
「もう発つのか。ゆっくりされて行ってもこちらはかまわんが」
イザイアがワインを口にする。
朝から飲酒かと思ったが、あのいかがわしい饗宴ほど珍しいことではない。
「滞在している理由がない。きのう運んでくれた使用人たちも元いた者たち同様よろしくたのむ」
「お屋敷のあの様子だと、周辺の街でも感染者はかなりいる可能性がありますが」
イザイアが落ちついた口調で言う。
「え……」
「そうでしょう。お屋敷の使用人たちは、市場への買いだしには行かないのか? 酒場は? 近隣から通いの者もいるのでは?」
イザイアが上等なヴェネツィアングラスでワインを流しこむ。
コトリとグラスを置き、話を続けた。
「終息するまでここにおられては。若様」
「……うちの使用人が広めてしまったかもしれないのか?」
「そうとは限らない。逆に使用人が市場や酒場で感染した可能性もある」
ジュスティーノは軽く眉をよせた。
「はじめに運ばれた者から広がったと貴殿が」
「マルセイユの者と接触したおそれがあるのは、何も若様たちだけではないだろう」
イザイアが頬杖をつく。
「すでにある程度の感染者がいたとしたら、感染のルートは一つではない。いま街の様子を見に行かせているが」
イザイアがかすかに笑む。
「疫病などそんなものだ。できる限り外をうろつかれないほうがいい」
ジュスティーノはフォークを手にしたまま医師の顔を見た。
専門家の言葉だ。聞いておくべきかと思う。
「……あとで運ばれた者たちはどうしている」
「残念ながら夜のうちに死亡した者が二名ほど。症状が重かったですからな」
イザイアが言う。
「埋葬に立ち会ってもよいか」
「遺体からも感染するといわれていますので、埋葬はすでにすませましたが」
埋葬時に祈りをささげてやることもできないのか。
ジュスティーノは手を止めて料理を見つめた。
道徳としてやるべきだと教えられていたことに、ことごとく逆らわなければならないのが辛い。
やれと言われたことなら懸命にやるが、なにもできないのはもどかしい。
「……せめて司祭は立ち会ってくれたか」
「ペスト患者と聞いて立ち会うのを拒否されましたので、墓掘りを命じた者の一人が代わりに聖書を読み上げました」
淡々とイザイアが告げる。
珍しくもないことなのだろうか。
「聖職者ではないか」
「聖職者ですが何か」
イザイアがフォークを手にする。
フォークに豆をのせ形のよい口に運んだ。
「以前も聞いた。感染する者としない者との違いは何だ」
ジュスティーノは卵の黄身をすくった。
すくったものの、口にするのをためらう。どうにも食欲がない。
「若様は主家の人間で、ほかはすべて使用人だ」
イザイアが豆を口にする。
「あまり使用人と間近で接触したりしないでしょう。そのあたりでは」
「どちらかといえば使用人とは親しく接しているつもりでいたが……」
「それでも使用人同士ほど近くに寄ったりしないのでは」
イザイアがワインを口に流しこむ。
ワインの匂いがかすかに香る。
「まあ、考えられるのはそれくらいだ。感染のしかたというのはあんがい分からん部分もある。同じ条件にいても感染する者としない者はいる」
「それは……神が守る者とそうではない者がいるということか?」
「単に運では」
イザイアが淡々と答える。
「神が守ってくださるかどうかを試したいのなら、ご立派なほうの聖職者のまねをしてみればいい。疫病がはやると、かならず素手で患者を抱きしめる者がいる」
「それで……感染するのか?」
ジュスティーノは眉をよせた。
「さあ。後日どうなったかまでは」
イザイアが含み笑いをした。