AMANTE DELL'ESILIO 流刑の恋人 II
通されたパガーニ家本邸の応接間は、豪奢な印象の部屋だった。
繊細な金の装飾、華美な家財。
イザイアの屋敷もこんな感じの内装だったと思いながら、ジュスティーノは軽く見回した。
あの屋敷で、もっとイザイアと過ごしていたかった。
自身が貴族家の跡継ぎという立場でなかったら、あの屋敷に居続けられたのか。
それともこういった生まれでなかったら、イザイアには興味を持たれはしなかったのか。
大理石のテーブルの上では、さきほど小柄な女中が淹れていった紅茶が湯気を立てている。
ていねいにそそぐ様子を見て、クロエを思い出した。
思えば、いっときの言いのがれで翻弄してしまった。
なんどか話をした折り、生家はイザイアの屋敷ちかくの農家だと言っていた。
自身のウソのせいで親兄弟とも遠く離れてしまったのかと気の毒に思った。
イザイアのことが一段落したら、そちらも何とかしてやらなければと思う。
廊下を小走りで駆ける靴音がした。
あわただしい様子でドアが押し開けられ、三十代半ばほどの男性が姿をあらわす。
黒髪をきちんと整え、略式の正装を整然と着こなした様子は品が良い。
「……オルダーニの若君」
男性はつぶやいた。
あわてて駆けつけたのか、ジュスティーノの顔を凝視したまま片手で襟のズレを軽く直す。
「グイド・パガーニ。パガーニ家の現当主をつとめております」
男性がそう名乗る。
この人物がイザイアの兄君か。ジュスティーノは思った。
生真面目な紳士然としたところは、イザイアとは正反対だ。
だが目鼻立ちの雰囲気と長身なところは似ている気がする。
「ジュスティーノ・オルダーニだ。先触れもなく来たうえに単刀直入で申し訳ないが」
「平にご容赦を!」
グイドは頭を下げた。
「弟のかさねがさねの無礼、お詫びの申し上げようもない!」
ジュスティーノは、握手にと出しかけた手を止めた。
何のことか分からず戸惑う。
「その弟君にできればお会いしたいのだが」
グイドが顔を上げて、真意をさぐるようにジュスティーノを見る。
「もうご自分の屋敷のほうにお帰りだろうか」
「……いえ」
思っていた話の流れと違ったのか、グイドも困惑した表情でジュスティーノの顔を見ていた。
「ではまだこちらのお屋敷に?」
ジュスティーノはグイドの背後のドアを見た。
イザイアがまだこちらの屋敷にいるのなら話は早い。
兄君も交えて、あらためて主治医として戻ってほしいむねを話そうと思った。
「おられるのなら、呼んでくださらないか」
「いえ……」
グイドが口ごもる。
「リヴォルノのほうに。とうに出立いたしました」
「リヴォルノ……?」
ジュスティーノはつぶやいた。
大きな港町だが、ここからはだいぶ遠い。
「なぜそんなところに」
「弟には、ゴルゴナ島に渡るよう命じました」
ジュスティーノは、目を泳がせて自身の知識をさぐった。
どこかで聞いた島名だが、日常的な会話にあまり登った覚えはない。
「流刑地……ではなかったか」
「流刑地です」
グイドが答える。
「現在はその島の閉鎖された修道院が、一時的にペスト患者の隔離施設として使われています」
まさか、という考えがジュスティーノの脳裏をよぎった。
「ペスト医師として渡れと命じました」
グイドがそうと話す。
足元からスッと血の気の引く感覚をジュスティーノは覚えた。
イザイアの口の端だけを上げた独特の笑んだ顔が脳裏に浮かぶ。
「貴殿は! 弟君を殺す気か!」
ジュスティーノはとっさにグイドにつかみかかりそうになり、すんでのところで止めてかたわらのテーブルに平手をたたきつけた。
ガシャンと食器の耳障りな音がし、グイドがわずかに目を眇める。
「そこまでのつもりはありません。若君、あれはヴェネツィアでの見習い医師時代に……」
グイドがそう言いかけて、口を閉じる。
「……いや。そんなことが言い訳にならないのは、承知している」
そう早口でつぶやき、グイドは続けた。
「せめてもの罰です。あれは、いままでになんどもあなたにしたような無礼な行為で問題を起こしている」
「私は無礼なことなどされていない!」
ジュスティーノは声を上げた。
「弟君を即刻つれ戻されよ。あらためてうちの主治医として来ていただく」
「いや……若君」
グイドは、ぎこちない手つきで髪をかき上げた。
話の流れがまるでつかめないという表情をする。
「弟の口からもはっきりと聞いております。あなたを不埒に扱ったと」
「弟君が思いちがいをしておられるだけだ」
「若君」
グイドが眉をよせる。
「お言葉ですが思いちがいはあなたのほうだ。弟は、その気のない方を堕とすのが非常にうまいところがある。だが、本人に相手に対しての心などありません」
「思いちがいは貴殿もだ」
ジュスティーノは言った。
「私は、弟君に心など求めていない。おなじ感情を返してくれなど、要求する気はない」
グイドが顔をしかめてジュスティーノを凝視する。
「それで……あなたにとって何の得が」
「貴殿は得しなければ人に心を掛けたりしないのか」
グイドがため息をつき、思い出したように椅子を勧める。
「けっこう」
「若君」
グイドがそう呼びかける。
「出すぎたことを言うようですが、若君、人の心は非常に複雑だ。まして、あなたはお若い」
そうグイドが言う。
「混乱させられて刷りこまれた感情を何かに錯覚するなど、かんたんに起こる」
コツと靴音を立て、グイドはテーブルに近づいた。
ティーポットを手にし、紅茶をそそぎはじめる。
湯気と茶葉の香りがただよった。
「あれは人の心をとらえる方法に、妙に勘の働くところがあるのです」
「勘ではない。懸命に覚えたのだ!」
ジュスティーノは声を上げた。
「自身にはない感情を持つ者たちに囲まれて、幼少の折から人の感情を懸命に観察したのだ!」
グイドがティーポットを手にしたまま、眉をよせる。
「それがどれほど孤独なことか、あなたは考えてあげたこともないのか!」




