VOGLIO TE あなたが欲しい I
オルダーニ家の屋敷にくらべ、パガーニ家の屋敷は白地に金を基調とした華やかな内装が主だ。
当主とその家族のみがくつろぐリビングは、煌びやかな調度品がいくつも飾られ、金の縁どりのテーブルにはさきほど運ばれた高価な食器が置かれている。
小柄な女中が静かに紅茶をそそぐのを、イザイアはソファに座りながめた。
茶葉の香りが部屋にただよう。
女中のなめらかな頬をイザイアは口の端を上げて見ていた。
乱暴にあつかえば折れてしまいそうな細い手足、やわらかく弾力のある肢体。
ミルクか花の香りがしそうな肌理こまやかな肌は、とうぜんジュスティーノのものとはちがう。
「酒を」
女中に向けて言う。
当主の弟には気をつけろとでも言われているのか、女中は一瞬だけ手をゆらした。
聞こえないふりをする。
「新入りか?」
女中がむこうを向く。
「あとでわたしの部屋に」
「やめないか」
手ずからドアを開け、兄のグイドが入室する。
執務の合間であっても整えた黒髪は崩さず、クラバットをきちんと締めた服装。
「ここはもういい」と女中に声をかけて早々に退室させる。
「使用人をからかうのはやめないか」
「これは失礼しました。ここのところは男ばかり相手にしていたものですから」
イザイアは脚を組んだ。
言葉とは裏腹な尊大なしぐさをグイドは眉をよせて見る。
「ひさしぶりに小柄でやわらかい体をと」
「おまえの玩具にするために雇っているわけではない」
カチャと音を立て、グイドは自身のぶんの紅茶を淹れはじめた。
手慣れているというほどではないが、経験はありそうな手つき。イザイアは「ほお」とつぶやいいた。
自身で淹れた紅茶を手近に置き、かたわらの椅子に座る。
じっと見ているイザイアと目が合うと、怪訝な表情をした。
「兄上が淹れたほうを飲ませてくれませんか」
何を企んでいるのかというふうにグイドは眉をよせたが、黙って立ち上がりイザイアに紅茶をさし出した。
イザイアはわざと目を合わせて受けとり、紅茶を口にする。
しばらくのあいだ、グイドは弟の様子じっと見ていたが、軽いいやがらせと解釈したのか、不機嫌な表情で椅子にもどる。
「先日、オルダーニ家の従者の方から手紙をいただいた」
おもむろにグイドが切り出す。
イザイアはククッと笑った。
「タイミング的にそうではないかと思っていました」
グイドはイラつきをおさえているのか目を眇めた。膝の上で手を組む。
「……若君の従者にまで手を出したのか」
「ほう。みずからそこまで書いてよこしましたか」
イザイアはゆっくりと紅茶を口にした。
「そんな恥を書くわけがないだろう。文の雰囲気から何となくそう思っただけだ」
イザイアはカップをしずかに皿の上に置いた。
「とがめられる謂れはありませんが? オルダーニ家に行けと言われたのは兄上だ」
イザイアは肩をすくめた。
「行ったさきに体の相性のよい若君と、美少年然とした従者がいた。わたしならどちらも手を出すのは予想がつくでしょう」
あらためて平然と紅茶を口にする弟を、グイドが顔をしかめて見つめる。
「……若君は、すっかり飽きたものなのだと思っていた」
「そうお考えなのだろうと思っていました」
イザイアは口の端を上げた。
グイドが眉間にしわをよせる。
「わたしへの嫌がらせのためだけに若君とまた関係を持ったのか」
「そんな目的でおもしろくもない性交などしません」
イザイアはそう返した。
ふたたび紅茶を口にする様子を、グイドがしかめつらで見る。
たたみかけるように言いたいところなのだろうが、さすがにこの弟に感情的に責めてもムダなのは分かっている。
「若君が思いのほか飽きのこないお方だった」
イザイアはカップを置いた。
「たまにある例外ですな」
イザイアは肩をゆらして笑った。
物品や何らかの物事に対して執着することならまれにある。
医学もその一つだ。
薬物をどれだけ投与すれば、患者にはどれだけの変化があるのか。
おなじような条件で生と死を分ける境界線はどこなのか。
常にあたらしい興味を引かれ続けて、飽きることはない。
そういった興味が人間に向くことも、あるときにはあるのだなとイザイアは結論づけていた。
「若君もご災難だな」
グイドが眉間にしわをよせる。
イザイアは、飲み終えた紅茶の皿とカップをグイドにさし出した。
片づけまでさせる気かという表情でグイドは目を眇めたが、しかたなく立ち上がると、受けとりテーブルに置く。
「おいしかった。おかわりを」
イザイアはそう言って脚を組み直した。
グイドは何か言いたそうな顔で微笑する弟の顔を見ている。
不満をためこんだような表情でしばらく目を合わせていたが、やがてもういちど立ち上がり、紅茶をそそいだ。
淹れた紅茶をイザイアに手渡し、椅子に座る。
「イザイア」
グイドがおもむろに呼びかける。
「おまえは、いったい何がほしい」
イザイアはとくに返事はせず、カップに唇をつけたまま兄と目を合わせた。
「小さなころから金も権力も欲しがらず名誉も興味がなく、愛情を向けられることにも関心がなく、だれにも囚われることもなく」
イザイアは膝の上の皿にカップを置いた。
「どれかを欲しがらなければご不満ですか」
「何も欲しがらない人間は、本音が読めん」
イザイアはわずかに口角を上げた。
「わたしの本音など興味がおありで」
「ふつうの人間は、本音の読めない相手には不安を感じるものだ」
グイドが答える。
イザイアはふたたび紅茶を口にして、しずかにカップを皿の上に置いた。
「本音なら、分かっていらっしゃるではないですか」
イザイアは兄をまっすぐに見た。
「ほんとうは、兄上が欲しい」




