TORCENDO COME UN NASTRO DI MÖBIUS メビウスの帯のようにねじれる IV
執務室前の廊下は、ちょうど窓のない位置にある。
夕方になるとうす暗い。
少し離れた場所にある窓からは鮮やかな赤色の陽光が射し、夕焼けのでる時間帯になったのが分かる。
廊下の壁に身体をあずけて、イザイアは陽光の色をながめていた。
執務室のドアが開く。
ドアの隙間からこちらを見たジュスティーノが、イザイアの姿に気づいて目を見開く。
「どうした……」
ここで待っているのは、はじめてだ。
ジュスティーノがはにかんで口元をゆるませる。
「お父上のおてつだいはもう終わりか?」
「……ああ」
ジュスティーノはドアを閉めた。
「何か用事だったのか」
廊下を歩きだしながらそう問う。
「ひどく興奮するできごとがあったのだが」
イザイアは半歩ほどうしろについて歩いた。
「どんな」
「ところが、寸止めを食らってしまって」
イザイアは含み笑いをした。
ジュスティーノが周囲を見回す。
「……レナートが」
そうつぶやいて廊下を見渡した。
「いまごろの時間は、たいてい執務室に来るんだが。見なかったか?」
イザイアはジュスティーノの肩を抱き、自身のほうに引きよせた。
こちらを見上げたジュスティーノに口づける。
深く口腔に入りこみ、ゆっくりと舌をからませた。
イザイアからの深い接吻は初めてだった。いつもは合意の証明としてかならずジュスティーノにさせる。
「いや、ここでは……」
ジュスティーノはそう言い唇を離したが、思ったとおり本気で拒否しきれない様子だ。
「いつものように貴殿の部屋に行くので……」
言ってからジュスティーノはあわてて周囲を見た。
以前、おなじセリフをレナートに聞かれている。また聞かれているかもしれないと思ったか。
じっさい付近に来ているのだろうか。
イザイアは、クッと口の端を上げた。
「若様」
イザイアは、ジュスティーノの二の腕を強く引いた。
「夜ではだめだ。いますぐほしい」
「いまからか……?」
ジュスティーノは目を泳がせた。
もう少しすれば夕食の時間だ。
二人そろって食堂広間に出ないなど、関係に気づかれないかとつい考えてしまうのか。
イザイアは、むしろバレてみたいと思うことがあった。
バレたら家ぐるみで揉める可能性があることは理解している。
しかしその揉めたところを見てみたいという、どうしようもない好奇心が頭を擡げることがある。
「興奮したら若様のことで頭がいっぱいになってしまった。ほしくて堪らなくなってしまった」
イザイアはジュスティーノの髪に口づけ、やさしくなでた。
だれかがここを通れば、仲のよい友人同士というには少々すぎた絡み方に見えるだろう。
「イザイア」
ジュスティーノは咎めたが、止めはしなかった。
熱に浮かされた目で、されるがままになっている。
「若様にこんなに入れこむとは自分でも思わなかった。しかたのないやつだと思って、慈悲をくださらないか」
「しかたのないなどとは……」
コツ、と背後で靴音がする。
廊下の角を曲がろうとしたあたりで立ち止まっているようだ。
ジュスティーノの髪に口づけながら、イザイアは唇の端を上げた。
「いやなら断ってくださってけっこう。若様にいやな思いをさせる気はない」
「いや……いやだなどとは」
ジュスティーノが口元をゆるめ、蕩けた目つきで言う。
「いまから貴殿の部屋に。いっしょに」
室内を煌々と照らすロウソクのあかりが、天蓋の内側から透けて見える。
性交の疲れで眠ってしまったジュスティーノの横で、イザイアは体を起こした。
興奮を解消するどころか、まだじわじわと欲情がくすぶる。
ジュスティーノとの性交は、いつも油断すれば感覚を持っていかれそうになる。
なぜこうも飽きないのか。
高貴で道徳的な青年を、汚らわしい行為に溺れさせる遊びは好きだった。
だがこの若様は、汚しても汚してもなぜか変わらない気がした。
ぞんぶんに汚し切ったと思っても、直後にはまた純粋で何ものにも堕ちていない目をしている。
それを見るたび、なんども汚したくて欲情した。
猥雑にあつかい、自身の匂いに塗れさせてみたくなる。
飽きはいつくるのか。
それともこの体に執着し淫らに嬲り続けていたら、愛情とやらはいつかどこからか湧いて出るのか。
ぞんぶんに体を侵して口づけて、嬲りつくしたいほど愛しているのだと自身に言い聞かせてみたら、愛情は頭のなかにいつか生まれ出てくるだろうか。
物心ついたおりから、ほかの人間がなぜ愛情や親近感や恐怖感を持っているのかがふしぎだった。
なぜ自身にはそれがないのだろうかと、人の表情の動くさまを観察しながら考えた。
「若様」
イザイアは焦茶色の短髪をなでた。
「若様、愛しているよ」
そう口にしてみる。
人は、こんな単語の一つが嬉しいらしい。
自身にとっては、人を利用するのにもっとも効果的な音声という程度の認識だ。
他人はイザイアに対して理解できんという言葉を投げかけるが、イザイアにとっては自身以外の人間が分からない。
この若様のなかには、自分にないどんな感情が湧いているのか。
ジュスティーノの顔の横に肘をつき、イザイアは眠った顔を見つめた。
「愛していると、どんな気分だ若様」
眠り顔に向けてそう問うてみる。
「蕩けた顔をするほど、気持ちのいいものなのか」
ロウソクのあかりがゆらめく。
ふとジュスティーノが薄目を開ける。目を覚ましたのかと思ったが、「イザイア」とつぶやいてまた寝入った。
イザイアはくすくすと笑った。ジュスティーノの頬に口づける。
「体が気持ちがいいだけではないのか」
そう問うてみる。
「若様」
「愛している」
ふいにジュスティーノがそう寝言を口にした。満たされた幸せそうな寝顔だ。
「その感情は若様、そんなに幸せか」




