SOTTO LA ROSA 薔薇の下──秘密を共有する I
もうすぐ夕食の時間だ。
廊下の窓のない一角はもううす暗くなり、西のほうの空には朱色の雲がただよっている。
ジュスティーノがイザイアの部屋を訪ねると、イザイアは出入口のドアのまえで女中と言葉を交わしていた。
女中が、軽く会釈をしてその場をあとにする。
小柄でかわいらしい顔をした若い女中だ。
ジュスティーノはしばらく目で追ってから、イザイアの屋敷からゆずり受けた女中だと気づいた。
たしかクロエと言ったか。
「元気そうだ」
クロエの行くほうを見たジュスティーノに、イザイアがそう声をかける。
もらい受けたいと言ったさいは関心もなさそうだったが、どの女中か把握はしていたのか。
「いまだ手をつけてはいなそうだが」
「いや……あれは」
ジュスティーノは言葉につまった。
イザイアとの関係をごまかそうとして、つい連れてくる流れになってしまったのだ。
ほんとうは貴殿を連れ帰りたかったのだと言えば、またイザイアに別れを言い渡されるだろうか。
正直にそう言えば、イザイアにとっては理解不能なことを言い聞かせる苦痛な言葉になるのか。
「その……いずれ、いい相手を見つけて嫁入りさせてやろうと思う」
イザイアは壁に背をあずけて、灰色の目を見開いた。
まじまじと顔を見られ、ジュスティーノはつい口元をおさえた。
「嫁入りの面倒をみるために、わざわざ連れてきたのか? 若様」
イザイアが子供のように目を見開いたところをはじめて見た。かわいいと感じてしまったのは、認識がおかしいだろうか。
イザイアはハッと息を吐くように笑うと、意外にも大きな声で笑い出した。
笑い声が廊下に響く。
ジュスティーノは、あっけにとられて見ていた。
こんな笑い方をすることがあるのか。
いったい何がそこまでおもしろかったのか。
「これは飽きないな」
イザイアが肩をゆらして笑う。
「何がそんなに」
「部屋で休んで行かれるか、若様」
イザイアは自室のドアを顎で示した。
言葉通りの「休む」ではないだろう。ジュスティーノはかすかに顔が熱を持つのを感じた。
「いや……もうすぐ夕食だと言いにきただけなので」
夕食のあとに、と続けるのは露骨だろうか。
女性とはこんなときはどんなふうに約束していたのだったか。懸命に思い出そうとした。
だが思い出したところで、こうまで主導権をにぎられ翻弄された人はいない。
「あとで……いつものように」
ジュスティーノはうつむいた。
「さきほどの楽しそうな声は、医師殿でしたか」
廊下の角のあたりから高めの青年の声がした。
みじかい金髪が、暗くなりかけた廊下に白っぽく浮かんでいる。
レナートだ。
コツコツと品のよい靴音を立てて、こちらに近づく。
「あんなふうに笑われることもあるのですね」
レナートは立ち止まってイザイアに微笑を向けたが、目は笑っていない。
感じが悪いのでは。ジュスティーノは眉をひそめた。
「ジュスティーノ様」
レナートがこちらをふり向く。
「何だ」
「いつものようにとは?」
ジュスティーノは顔を熱くした。
会話をどのあたりから聞いていたのだ。あせってレナートの来た方向を横目で見る。
速くなってしまった心臓の鼓動を懸命におさえた。
何を動揺しているのだ。
目の前でふかい接吻をしていたわけではない。いくらでもごまかせる状況ではないか。
「……それは」
「いつものように、ご尊父の食事まえの診察をお願いしたいと」
イザイアが落ちつき払った様子で言う。
レナートは、イザイアの顔をゆっくりと見上げた。
「……ほう」
こんどはあからさまに敵意のある表情をイザイアに向ける。
失礼ではないかとジュスティーノは嗜めようとしたが、そのまえにイザイアが言葉を続けた。
「若君は、ずいぶんと父想いであられるな」
「そうですか」
レナートが返す。
「私の目には、あなたの屋敷から帰って以降、上の空で、お父上のことなどまったく関心がないように見受けられるが」
「レナート!」
ジュスティーノは声を張った。
「そんなわけがないだろう! いくら何でも実の父を心配しないわけが……」
ふとイザイアと目が合う。
先日の情交の最中に、父のことは口実であったと言わされたことを思い出した。
組み敷かれながら、父の心配よりも男の体を期待したのだと言わされた。
情景が生々しくよみがえり、ジュスティーノは言葉につまった。
「また医師殿のお部屋ですか」
レナートが叱りつけるような口調で言う。
「あちらの屋敷に滞在していたさいも、いなくなったと思えば医師殿の私室、夜も昼も一日中どこにいらっしゃるのかと思えば」
「もう少ししずかに話せないか。だれかが聞いていたら……」
ジュスティーノは困惑して周辺を見た。
「聞かれたら困ることでもあるのですか?」
クスッと小さく笑う声がした。
イザイアが含み笑いをする。睨みつけたレナートと目が合い、口に軽く手をあてて笑うのを止めた。
「何かおかしかったですか」
「失礼」
イザイアの口元にまだ笑みが残っていたのが気に入らなかったのか、レナートの表情が険しくなる。
「医師殿の噂をいろいろと聞きました」
「噂だろう、レナート」
ジュスティーノは眉をよせて嗜めた。
「……おぞましい」
「失礼だろう!」
胸元をつかんだジュスティーノの手をふり払い、レナートがきびすを返す。
「もうすぐ夕食です。食堂広間にいらしてください」
レナートは、切りかえたように冷静な口調で言った。




