L'AMORE È CIECO 恋は盲目
私室の窓から見える正門にはとくに到着する馬車もなく、朝から景色はいっさい変わらない。
庭木がたまに微風にそよぐだけの退屈な光景を、ジュスティーノは窓ぎわのカウチからながめた。
「クロエですが」
主人が脱ぎ捨てたシャツを腕にかけレナートが切り出す。
「だれ」
ジュスティーノは問うた。
レナートが眉をよせる様子が視界の端に映る。
「あなたがパガーニ医師からゆずり受けた女中ですが」
「ああ……」
ジュスティーノはつぶやいた。
「ご執心のあまり連れてきたわけではないんですか?」
「ああ……いや」
ジュスティーノは曖昧に返事をした。
「クロエがどうかしたか」
「仕事の覚えはまあまあ早いし、真面目な娘ですが」
「そうか。ならよかった」
ジュスティーノはふたたび窓の外を見た。
イザイアをむかえにやった馬車が出発したのは、きのうのことだ。
戻ってくるにはまだ早いか。
もしイザイアが拒否しても、ある程度は説得してくれと御者に頼んだが。
そのぶん時間がかかるだろうか。
「クロエ自身は謙虚な娘なのでよいのですが、ほかの者があつかいに困っているようなんです。あなたのお気に入りの娘ということで」
レナートがベッドのあたりを見回す。
ほかに脱ぎ捨てた服はないかさがしているようだ。
ジュスティーノはふたたび窓の外を見た。
まだ到着には早過ぎると分かっていても、ひまさえあれば期待して正門をながめてしまう。
「早々にお部屋にでも呼んで、愛妾としてあつかってくれたら分かりやすいのですが……」
コツ、とかたわらから靴音がする。
レナートが顔をよせるようにして窓の外を見た。
「さきほどから、大事なお客さまでも待っているのですか?」
ジュスティーノは、気まずさを覚えてゆっくりと窓から顔をそらした。
「それで父上の様子は? お具合はあいかわらずか」
座り直して窓に背を向ける。
レナートが少々困惑したようにこちらを見る。
「いえ、あの?」
ジュスティーノは眉をよせた。何の話をしていたのだったか。
「……その」
レナートが、しばらく宙を見上げる。
「なかなか怠さが抜けないとか」
「そうか」
ジュスティーノはついわずかに口角を上げてしまった。
「こんど、パガーニ医師に診察していただくことにした」
「あの医師ですか……」
レナートが微妙にイヤな顔をする。
腕にかけたシャツを、落ちつきなく持ち変えた。
「お父上をあちらまでお連れするのですか? むりでしょう。まだペストは流行っているはずだ」
「医師をこちらにお呼びした」
ジュスティーノは窓の外をちらりと見た。
レナートが眉をよせる。
何か言いたそうに目線を泳がせていたが、ジュスティーノはとくに気にも留めなかった。
「医師の都合がよろしければ、その後も父の看護に滞在していただこうと思う」
「……ジュスティーノ様」
レナートが深刻そうな表情で切り出す。
「先日、言いかけたことですが」
以前なら彼にこういった表情をされれば、すぐに耳をかたむけた。
だがいまは。
上の空でただ彼の顔をながめた。
「ピストイアのパガーニ家の次男というと、パガーニ医師のことですよね?」
レナートが言う。
「そうだが」
「かなり問題のある人物だという噂を聞いたことが」
レナートが言いにくそうに眉をよせる。
「男も女も関係なく手を出しては、もてあそぶ人物だと」
レナートが腕にかけたシャツを持ち変える。
「とくに格上の身分の方を玩具にする嗜好だとか」
「……噂だろう」
ジュスティーノは、従者から目をそらした。
そういったことをイザイアがまったくしてこなかったとは思っていない。
だが自身の身に起きたことは違うと今では認識していた。
たしかにやや強引に肉体関係に持ちこまれ、一方的に終わりだと告げられたが、きちんと理由を説明してくれたではないか。
「その噂がほんとうなら、とっくにどこかの御家と揉めているはずだろう」
「揉めないように、巧妙に合意に持ちこむそうです。脅迫ではなく。相手は自分から合意したというつもりになるとか」
ジュスティーノは軽く眉をよせた。
まるで自分まで彼に乗せられたのだと言われている気がしてイラつく。
「子供でもあるまいし、そんなことがあるか。ただ単に医師と恋愛関係におちいったというだけだろう」
「恋愛関係」と口にして、顔が熱を持つ。
ジュスティーノは従者から顔をそらした。
「男性と関係したことなどない方ばかりだそうですよ。そうそう何人もが落ちますかね」
かなり間を置いてから、レナートがしずかな口調でつづける。
「……呼ぶのは、おやめください」
ジュスティーノは無言で窓の外を見ていた。
レナートは何か返答するのを待っていたようだが、ややしてから言葉を続ける。
「噂を信じるのなら、あなたが医師に目をつけられていてもふしぎはない。条件にぴったりとあてはまる」
「男も女も関係なくというのが噂の内容だろう? だれでもあてはまるではないか」
「格上のご身分という条件のほうです」
レナートは言った。
「バカ正直で道徳を一途につらぬこうとするような方を、あえて堕とすのが趣味なんだそうです」
「……バカ正直って」
ジュスティーノはついそう返した。
主人をおとしめたいのかというレベルではっきりとものを言う性格は、ペストから生還したあとも健在だなと思う。
この性格を、幼少のころから頼りにしてきた。
だがイザイアのような、すべて委ねられるのとはちがう。
「……ともかく、もう馬車をやったし」
「途中で引き返すよう、使いをやります」
レナートがきびすを返し、つかつかと出入口のドアに向かう。
「勝手なことをするな!」
ジュスティーノは声を上げた。
レナートが立ち止まり、こちらをふり向く。
怪訝そうな顔をした。
「もし噂どおりなら、医師殿の屋敷に滞在中、あなたが手を出されていなかったのがふしぎなくらいだ。付き人も使用人も全員が伏せっていて、あなただけが医師殿とすごしていたのに」
そこまでを語気を強めて言い、レナートはふと眉をよせた。
「ジュスティーノ様」
レナートが、記憶をたどるように目線を泳がせる。
「手を、出されてはいませんよね?」
ジュスティーノは従者から目をそらして、ふたたび窓の外を見た。
「……何を言っているんだ、おまえは」




