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【完結】背徳 〜サイコパス医師に堕とされた御曹司の恋〜 〘R15版〙  作者: 路明(ロア)
15.恋文

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VOGLIO SOLO VEDERTI ただあなたに会いたい I

 広場につづく路地。

 両脇の店から呼びこみの声が響き、ところどころにならんだ露店からは肉や野菜や果物などの食材が道に大きくはみだしている。


 ジュスティーノは、馬から降りて手綱(たづな)を引いた。

 石畳がきれいに敷きつめられた道を、ぼんやりと歩く。


 外に出れば少しは気分が変わるかと思ったが、屋敷にいるときと何ら変わらない。

 すぐにイザイアのことが頭に浮かんでしまう。

 いまごろ何をしているのか。

 あの優美な手の感触と、獲物を見るような目つき。

 低く甘い声。

 それらを何もない宙に求めては、もうないのだと認識して情欲の行き先にのたうつ。


「どうも。お久しぶりです」


 広場に出る直前。

 真横の露店に客としていた男から声をかけられた。

 ゆっくりとそちらのほうを向く。

 男は質素な帽子をとり、胸元にあててうやうやしく一礼した。

 無精髭(ぶしょうひげ)を生やした三十歳すぎほどの男だ。

 腕が太くがっちりとした中肉中背の体型。

 強面(こわもて)だが、表情は愛想がいい。

 どこで会った男だったかとジュスティーノは眉をよせた。


「視察先でお声をかけさせてもらった者ですが」


 男が言う。

「視察先……」

 ジュスティーノはつぶやいた。

 イザイアの屋敷を教えてくれた農民ふうの男ではなかったか。


「あのときの……」

「エルモと申します」


 エルモが帽子をかぶってニヤリと笑う。

「あのあと大変だったみたいですね。付き人の方々もペストにかかったりして」

 エルモが買ったばかりと思われるリンゴを一つ差しだす。

 ジュスティーノは受けとりながら曖昧(あいまい)に返答した。

「あたしの村でもペストが出たんで、むかしの商売仲間のところに避難させてもらってまして」

 エルモが、商人のおおく住む界隈のほうを(あご)でしゃくる。

 そちらに滞在先があるということか。

 口を大きく開けてエルモはリンゴをかじった。

 

「商売仲間……農家の者ではないのか」

「もとはヴェネツィアで商売やってたんですよ」


 エルモが答える。

「ご用命とあらば何でもお売りしますので、若様も必要なときはお声をかけてください」

「何でもとは?」

「娼婦から野菜まで」

 エルモがリンゴをかじりながら答える。



(けが)甲斐(がい)のあるオモチャから、眠り草まで」



 エルモがニヤリと笑って、しゃくしゃくとリンゴをかじる。

 妙なものまで売るのだなとジュスティーノは思った。

 それとも何かの隠語なのか。

「……幅ひろいのだな」

「つきましては、聖書をお買いになりませんか」

 リンゴの(しん)が細くなるまで念入りにかじってから、エルモが切り出す。

「聖書?」

 ジュスティーノは目をぱちくりとさせた。

「持っているが……」

 エルモがニヤニヤと笑う。

 袈裟(けさ)がけにかけたカバンから、使いこまれた書物をとり出した。


「パガーニ医師から、餞別(せんべつ)にと戴いたものですが」


 見せつけるようにジュスティーノの顔のまえに表紙をかざす。

「直前までお読みになっていたものですよ。ちょうど若様が発たれた日の午後でしたか」

 言いながら片手で見返しの部分を開く。

「ほらここに、パガーニ医師のサインが」

 ジュスティーノの表情をさぐるように見ながら、エルモが見返しの下部のあたりを指す。


 請求書に書かれたイザイアのサインと、おなじ筆跡だ。


 目の前でサインをしたときのイザイアの様子を思い出した。

 少しかたむけた幅のひろい肩、うつむいた美貌、指のながい男性ながら優美な手。

 インクの香りまで生々しく思い出し、切なくなる。

「貴族の方からのもらいものなんて、どこでどう値がつくか分かりませんからね。証明に書いていただきました」

 エルモがニッと笑う。

「手にとってもいいか」

「どうぞ」

 エルモが手元にさし出す。

 ジュスティーノは受けとり、聖書のあちらこちらを見た。

 パガーニ家の紋章らしきものはない。

 ふだん使いのものだろうか。

 気のせいか、イザイアの香りがまだ残っているような気がする。


「……いくらだ」


 見返しに書かれたサインをじっと見つめながら、ジュスティーノは尋ねた。

 レナートを連れてこなくてよかったと思う。

 なぜそんなものを欲しがるのかと、遠慮もなく声を張り上げていたところだろう。

 エルモが、書物一冊としてはやや割高な値段を告げる。

 ジュスティーノはだまってポケットをさぐり、財布をとりだした。

「まいど」

 紙幣(しへい)をわたすと、エルモがもういちど帽子をとり言う。


「今後とも何か入り用のさいは、お声をかけてください」


 見返しのサインをあらためてじっと見つめていて、ジュスティーノは返答するタイミングをのがした。

 社交辞令でもうなずいてやるべきだったかと思い、顔を上げる。

 エルモはまだ目の前にいた。

 

「ヴェネツィアで主にやってたのは娼館ですけどね。ああいうところは、いろんな方がお忍びで出入りするから、情報や物品が入りやすいんですよ」


 エルモがそう話す。

「だから、娼婦を間者に使う者もいる」

 エルモが、ニッと口の両端を上げる。

「若様も、ああいうところでは気をつけたほうがいいですよ」

「はじめて行くときに教えられた。娼婦にはあまりこみ入った話はしないほうがいいと」

「あ、そうですか」

 エルモが返答する。

「ヴィラーニって大貴族の若様なんか、わりと見事でしたよ。恋人には時間かける方らしいのに、娼婦とはいつもさっさと済ませてさっさと帰る」

 道行く人々が増えはじめる。

 エルモは軽く見渡した。

「いまは当主を継がれて、ヴィチェンツァの近くの別邸に移っちゃったみたいですが」


「そうか」


 ジュスティーノは、手綱を引いてその場を立ち去ろうとした。

 だがエルモは、まだ続きがあるかのように立ち止まっている。

 眉をひそめたジュスティーノに、エルモは広場のほうを指し示した。





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