LETTERA DA PARTE TUA あなたからの手紙
オルダーニ家本邸の庭が、あざやかな緑と咲きほこる花々とで彩られている。
私室の窓ぎわに座り、ジュスティーノはぼんやりと庭をながめた。
本邸にもどって一ヵ月ちかくが経とうとしていた。
もどった当初は父母にも屋敷の者にも過剰に心配され、少々の外出もいちいち気にされる日がつづいたが、それも最近はようやくおさまった。
イザイアのもとに残してきた使用人は、その後一人だけ回復して本邸にもどったが、のこりは死亡し埋葬したむねの知らせがあった。
イザイアが手ずから書いた手紙をとっておきたかったが、ペストの腐臭がついているかもしれないと、レナートが内容だけを伝えにきて燃やしてしまった。
いまごろイザイアは何をしているのか。
患者はもういないはずだ。
はじめて訪ねたときのように、また娼婦を侍らせて遊んでいるのか。
それとも使用人を呼びつけ、私室で相手をさせているのだろうか。
もう少しでいいから、あの部屋にいたかった。
ジュスティーノは、出窓の縁に置いた砂時計に手を伸ばしひっくり返した。
隔離されていたときに、日付の分かるものがほしいという要求に対してイザイアが置いていったものだ。
イザイアとの思い出の品といったら、これくらいか。
ドアがノックされる。
「ジュスティーノ様」
レナートの声だ。
「入れ」
ジュスティーノは落ちる砂をながめつつ答えた。
「パガーニ医師からお手紙がとどいていましたが」
入室したレナートが告げる。
ジュスティーノは椅子から腰を浮かせた。
「な……何て」
「さきに請求書をおわたしした分の治療費は、たしかに受けとったと。それと残りの治療費について」
レナートがこちらに歩みよりながらそう話す。
ジュスティーノは頬を緊張させた。
「あとは」
「それだけです」
レナートが答える。
「あいさつの文もほんとどなく、単刀直入に要件だけを書く方なんですね。まあ、医師や学者などはそんなイメージですが」
「……近況などは」
「ありません」
レナートが脱ぎっぱなしにした上着を見つけて片手にかける。
ほんとうにもう、彼のなかではすっかりなかったことになっているのか。
自分の存在はたまたま見た幻影というくらいの認識なのか。
いったい何人の人間にこんなことをしてきたのか。
「医師殿のご実家が、わりと早い段階で本邸に知らせてくださっていたそうですね。あなたが当主の弟君の屋敷に滞在していると」
レナートがそう話す。
「おかげで馬車の手配もすんなりといきましたが」
ふいにレナートは眉をひそめた。
「なぜ医師殿は、そのことをあなたに言わなかったのでしょう?」
少し非難めいた口調だ。
「……よくは知らんが、実家とはあまり仲がよろしくないらしい」
ジュスティーノはそう答えた。
まだイザイアのことを擁護したい気持ちがある。
これだけ冷たいふるまいをされているのに、まだ良いほうに解釈したい自分がいた。
「パガーニ医師も、実家がそこまでしてくれているとは知らなかったのではないかな」
「へえ……いろいろだ」
レナートがつぶやく。
「ジュスティーノ様」
レナートがふと表情を変えた。
「じつはピストイアのパガーニ家の次男というのを、過去に話で聞いた覚えがあって。こちらに戻るさいに思い出したのですが」
「パガーニ家を知っていたのか?」
「直接かかわりがあるというわけではないです。ウワサで聞いた話を思い出したというだけで」
レナートが、上着を持ちながら軽く整える。
「まあ……裏づけのある話ではないので」
そう言うと話を打ち切った。
部屋の一角に視線を向ける。
「お父上ですが」
「……だれの」
「あなたのですよ」
レナートが眉をよせる。
「何か、ずいぶんとぼんやりしていませんか?」
「そうかな……」
ジュスティーノは目をそらした。
少し気を抜けば、すぐにイザイアのことが頭に浮かんでしまう。
「こちらにお戻りになってからずっとでは? はじめは遅れてペストに感染したのかと思った」
レナートが不可解そうな目線を向けつつも話を続ける。
「いまだ体調が思わしくないようですね、お父上」
遠方の視察に自身と自身の付き人のみで行ったのは、父の体調が優れなかったからだ。
本来なら父について行くという形で出向くはずだった。
「主治医は何と」
「ご高齢だとよくあるのだと」
「……それだけか」
ジュスティーノはつぶやいた。
「頼りにならんな」
イザイアなら、もっと納得のいく説明をしてくれるだろうか。
ついそんなことを考える。
ジュスティーノはもういちど砂時計をひっくり返した。
白い砂がサラサラと落ちる。
十五世紀のペスト禍のさいは、砂時計は人の寿命の象徴として戯れ絵に描かれたそうだが。
「ここを発ったときより痩せられたようだ。お食事はきちんとされているのに」
「瞳の色が変わっていなかったか?」
ジュスティーノは落ちる砂をながめた。
「変わっていましたか?」
「以前より黄色みがかっていたような。ロウソクのあかりの元だったのでそう見えただけかもしれんが」
レナートが当主の私室のほうをながめる。
「分からん。出かけてくる」
ジュスティーノは砂時計を窓ぎわに置き、早足で部屋の出入口に向かった。
「したくします」
レナートがこちらをふり向く。
「ただの散歩だ。ついてこなくていい」




