SENSUALITÀ DA OLTRE LA PORTA ドア越しの官能
イザイアの私室のドアをじっと見る。
ジュスティーノは、衣服の受けとり方をシミュレーションした。
ノックしたら衣服をとりにきたことを告げ、決して入室せずに廊下で待つ。
何を言われても室内へは一歩も入らない。
イザイアが言ってくるであろう言葉をできうるかぎり予測し、すべて無視するよう自身に言い聞かせる。
小さくうなずき、ドアをノックする。
「入れ」
イザイアの声がした。
「私だ。衣服をとりにきた」
ジュスティーノは声を張った。
仮に無理やりに入らせようとしても、女子供ではないのだ。抵抗して逃げることはできる。
ドアの向こうは、しばらく静かだった。
ややしてからかすかな靴音が近づき、ドアが開く。
イザイアが顔を出した。
いつもはきちんとまとめている長い灰髪を下ろし、シャツの胸元をはだけている。
かなり乱れた格好だ。
着替えの途中だったのだろうか。
「若様だったか。失礼した」
はだけた胸元を気にする様子もなく、イザイアは出入口の縦枠に手をかけた。
かすかに甘い香りがする。
男性に色気など感じたことはなかったが、イザイアの誘いに乗ってしまう者が男性にも女性にもいるであろうことは何となく納得できた。
稀な容姿だけではない。
獲物を見すえるような目つきも本音の読みにくい表情も、はだけた服から覗く扇情的な香りも、何か人の欲情を強引に引きずりだすのだ。
シミュレーションしたことを一瞬わすれて、ジュスティーノはイザイアの首筋のあたりに魅入った。
ややしてから我に返る。
「入室などしないので……」
「服だな」
イザイアはそう言うと、きびすを返した。
窓ぎわの椅子にかけてあった衣服を手にとる。
出入口に戻ると、ジュスティーノに手渡した。
「お貸ししていた服は、そのまま使ってくださってけっこう。つぎの診察の時間になったら、そちらの部屋に伺う」
イザイアが淡々と告げる。
「え……」
ジュスティーノは拍子抜けしてイザイアの顔を見つめた。
それで終わりか。
一気に気が抜ける。
さきほどまでの懸命のシミュレーションは何だったのだ。
「ああ……そうか」
ジュスティーノは、返された衣服を両手で持ち返答した。
どの予想ともまったくちがう展開に、つぎの行動をどうしていいのか分からない。
「あとは何か」
イザイアが問う。
ドアを閉めようとしていたのだと気づいた。
自分のほうが部屋に入りたがっているみたいではないか。
ジュスティーノはあわてて後ずさった。
「いや、何も」
「ではのちほど」
イザイアはそう言い、ドアを閉めた。
ジュスティーノは、しばらくドアのまえで立ちつくしていた。
順調すぎて逆にどうしていいか分からない。
とりあえず両手で持った衣服を見下ろす。
返してもらったのだ。あとは自室に戻ってよいのか。
なにげなく廊下の窓の外をながめる。
時刻は昼を少しすぎたあたりだが、空はうっすらと曇っている。
廊下のつきあたりから、カツカツと靴音がした。
男性の使用人が姿勢のよい歩き姿でこちらに近づく。
イザイアの私室のまえまで来ると、ジュスティーノに軽く会釈をしてドアをノックした。
「入れ」
なかからイザイアの声がする。
さきほどはこの使用人と間違えたのか。
ジュスティーノは、ドアの向こうに消える男性使用人をながめた。
しばらくすると、かすかに衣ずれのような音が聞こえはじめる。
やはり着替えの途中であったのかと思う。
その場を立ち去ろうとしたとき、男性使用人と思われる声で「お許しを」と聞こえた。
ひどく掠れた声だ。息も切らしている。
ドアのほうをふり返る。
暴力でもふるわれているのか。
使用人とはいえ男性だ。抵抗して逃げるくらいならできるのでは。
場合によっては庇ってやろうと思い、ジュスティーノはドアノブに手を伸ばした。
手を止める。
聞こえてくる声が、暴力をふるわれているものではないことに気づく。
たまらない快感に酔っている声。
眉をひそめる。
何をしているのか想像がついた。
ジュスティーノはゆっくりと後ずさりながら、まえかがみになった。
角灯で照らされた赤橙色の部屋のなか。
体の上にのしかかり、こちらを冷たく観察していたイザイアの目を思い出した。
おなじ男性にはじめて情交の主導権をにぎられたにも関わらず、価値観が麻痺した。
ジュスティーノは、廊下の壁に背をあずけた。
落ちつこうと吐いた息が熱い。
さっさとこの場を立ち去るべきだと思ったが、頭のなかが室内の様子の想像でいっぱいになる。
懸命に自身をおさえ、両手に持った衣服をにぎった。
使用人がゆるしを乞う声がする。
だが決して逃げる気がないのが分かった。
イザイアは、あの使用人のあられもない姿もやはり冷たい目で観察しているのか。
自身が観察されているような錯覚におちいった。
廊下の向こうを、この屋敷ではめずらしい若い女中が通りかかる。
ジュスティーノは自身を諌めた。
人が通るところだ。何を考えているのだ。
女中が不可解そうな顔で立ち止まり、こちらを見ている。
ジュスティーノは顔をそらした。
女中がしずしずと近づき、少し離れたところで立ち止まる。
「お具合でも」
そう尋ねる。
「何でもない。大丈夫」
童顔の年若い女中だ。
目がおおきく非常にかわいらしい顔立ちをしている。
なぜこんな主人の元に、若く見目のよい女中がいるのだと怪訝に思った。
イザイアの床の相手をする前提でここに置かれているのだろうか。
そういえば診察を手伝わせていた娼婦も、童顔のかわいらしい顔立ちだった。
イザイアの女性の好みなのだろうか。
部屋からは、ピタリと何も聞こえない。
聞こえていたら、どんな状況なのか女中に気づかれていたところだ。
ホッとする。
「何でもない」
ジュスティーノはもういちど答えた。
女中が心配そうに見つめる。
女中の可憐な顔を盗み見た。
いっそ。
この女中を部屋に連れこんで、相手をさせようか。
イザイアにすでに手をつけられているのなら、言えば応じるのでは。
「きみ……」
ジュスティーノは声をかけた。
「はい」
女中が返事をする。
何を考えているのだと思い直す。
世話になっている屋敷の使用人に手を出すなど、最低ではないか。
「……何でもないから、仕事にもどっていいよ」
ジュスティーノはそう告げた。
まえかがみになり、返された衣服で体の前方をかくすようにする。
女中はしばらく戸惑っていたが、ややしてからなんども振り返りながらその場を離れた。
小柄でかわいい子だと思う。
性格も素直でやさしそうだ。
以前なら手を出すことはしないまでも、もう少し会話を続けるくらいはしていた。
いまは。
女中のかわいらしさより、イザイアの冷たい目の残像が頭のなかを支配していた。
口の端を上げてじっと見つめる様子が、なぜこんなに欲情を掘り起こすのか。
体を委ねてしまったのは、たったいちどではないか。
男性使用人の官能的な声がする。
女中が去ったとたんに再開されるなど、わざとやっているのか。
ジュスティーノは壁にすがりながらその場を離れた。
道徳心をささえていた何かが、いまにも崩壊しそうだった。




