NON HAI CUORE あなたには心がない II
「ペストにいちど罹った者は、二度と罹らないと聞いたが」
「左様」
イザイアが一気にワインを飲む。
「いったいどんなわけで」
「理屈は分からないが、疫病といわれるものはだいたいそうですな」
イザイアがグラスを置く。
朝から水のように飲むなとジュスティーノは思った。
もっとうすい酒なら水代わりに飲んだりはするが。
「ふしぎだな。神が生きのびた褒美に印でもつけるのか」
「おもしろい発想だ」
イザイアが肩をゆらして笑う。
「では回復した従者は、これからはペストの蔓延する地域を歩いても平気なのか」
「そうなりますな」
イザイアは答えた。
ジュスティーノはパンを手にとりちぎった。
自身の生まれ育った街のものとおなじ塩気のないパンだ。
本邸からずいぶん離れた地域だが、このあたりもパンはおなじなのかと思う。
「従者が外を歩けるのなら、やっと本邸と連絡がつけられる」
「外出をさせるのなら、もう少し日数を置いてからをおすすめしますが。なにせ病み上がりだ」
イザイアがそう言い、使用人に目配せする。
使用人がテーブルに近づいてイザイアのグラスにワインをそそいだ。
「それもそうか」
ジュスティーノは答えた。
一時は意識もなく、死体と見まがうような状態だったのだ。
すぐに用事を言いつけるのは酷か。
「しかし、連絡がつけられる目処がついただけでも」
「いまごろ御家は大さわぎでしょうな。若様は付き人たちと消え、別邸は死体だらけ」
イザイアが愉快そうに言う。
あざけっているのではなく、興味津々という感じの目だ。
「……貴殿は戸惑った人を観察するのが好きなのか」
ジュスティーノは声のトーンを落とした。
イザイアは、無言でワインを口にしていた。
ややしてからステムを持ちグラスをテーブルに置く。
「気にさわるのなら、無視してくださってけっこう。情交のときも目をつむっていればいい」
「な……」
ジュスティーノは声を上げた。
顔が熱をおびたのが分かる。
「二度とあんな行為はしない」
そう言った声が、思ったよりも周囲に響いた。
いちどはあったのだと使用人たちに知られてしまったとあせる。
ジュスティーノは口元を手でおさえて使用人たちの反応を伺った。
どの者も何事もなかったように真顔で立っている。
「ここの者たちはそんな話は慣れている。若様、あせらずとも」
イザイアがグラスの口を指先でもてあそぶ。
「人型の何物かがいるとでも思えばよろしい」
イザイアが使用人に目配せする。
使用人は無言でカラッファを持ちテーブルに近づくとワインをそそいだ。
人型の何物かというのが、イザイアから見た他者なのだろうか。
医師としてかなり献身的に患者を看てくれているように思えていたが、あれは何なのか。
「従者殿は、回復後もここにいてもらったほうがよいのでは?」
イザイアがグラスに鼻先を近づける。
「感染者のいる場所へも行けるので、若様の用を何かとこなせる」
「そうか……」
ジュスティーノは手にしていたパンを皿に置いた。
言われてみれば、だいぶ助かるかもしれないが。
「遠方まで私についてきてこの事態だ。あれもいちど実家に帰らせてやろうと思ったのだが」
「わたしはお慰めはできるが、従者のまねごとはできませんからな」
イザイアが肩をゆらして笑う。
ジュスティーノは顔が熱を持ちそうになるのを感じながら平静をよそおった。
「終息というのは、どれくらいかかる」
「十五世紀ごろですと三年ほどと記録されているが、いまでは街なかの消毒をおこなって一年でおさえた例がある」
「一年……」
ジュスティーノは眉をよせた。
「もっと短縮する方法などは」
「いまのところ一年が限界か」
イザイアが答える。
「それでも消毒というものを行えば、そんなに違うのか」
「まあ、該当する土地をおさめている御家しだいですな」
イザイアがワインを口にする。
「うちが協力できることがあれば言ってくれ」
「協力より恩を売られては?」
イザイアが答える。
「たとえば消毒につかう石灰や酢を買いしめる、またはそれらの貿易や流通のルートをおさえる。そしてペスト禍の所有地をもつ御家に優先的に売る」
イザイアが顔を上げてワインを一気に飲む。
「貸しと儲けがいちどに手に入る」
「人の生き死にを利用するのか?」
ジュスティーノは眉をよせた。
「大袈裟な。いずれ御家をきりもりされる立場になるなら、こういうことも視野に入れたほうがよいという話だ」
イザイアが言う。
「若様は、まっとうすぎる。そこをつけこまれかねないと従者殿も言っていたではないか」
「子供でもあるまいし。そうそうつけこまれることなど」
ジュスティーノはそう返した。




